1559年1月 清洲城包囲
永禄二年(1559年)一月 尾張国清洲城
永禄二年一月二十一日、織田家の本城・清洲城には、各地からの早馬が続々と城内に入城し、三層の天守閣近くにある本丸御殿に続々とその一報が届けられていた。
「高秀高が本隊、松葉・深田両城を攻略!内藤勝介様討死!柴田勝家様、城内にて切腹!!」
「ご注進!荒子・蟹江両城が降伏の上開城!金森可近様、前田利久様降伏!その勢いのまま大高義秀率いる軍勢が荷之上に進軍!服部友貞殿以下服部党の面々、悉く討死!」
「犬山城主・池田恒興様より報告!三浦継意率いる軍勢、小牧山付近に進出!今日中にも、犬山城へ攻撃あるとの事!」
この矢継ぎ早に来る早馬の報告を、本丸御殿内の評定の間で、上座に座る織田信隆は頭を抱えながらも聞いていた。その下座で、状況を聞き取りながらも絵図に印をつけていた丹羽長秀が、絵図を付け終えると、こみ上げてきた怒りを露わにした。
「なんと情けない!!たった3日でここまで押し込まれるなど、あってよいものか!!」
「…止めておきなさい長秀。それは余りにも見苦しいですよ。」
その怒り狂う長秀に対し、上座の信隆はこう言って怒りを収めさせた。
「私たちは稲生原の戦いで惨めに負けたのです。最早、敵に勢いがついている以上、どのような手を使っても無駄でしょう。」
「しかしこのまま負けっぱなしでは、織田家の面目に関わりまする!」
と、信隆に対してこう意見してきたのは、斎藤利堯という武将であった。利堯は元美濃斎藤家当主・斎藤道三の実子で、長良川の戦いで父が戦死すると、弟の斎藤利治と共に織田家に仕えていたのだ。
「利堯、ここは籠城して好機を待つしかありません。」
「何を弱気な!ここで打って出て気勢を挫くことこそ肝要ではござらんか!!」
信隆が押す籠城策ではなく、あくまで打って出て敵の出鼻を挫くことが肝要だと伝えている利堯に、今度は長秀がこう言った。
「しかし、この清洲の城兵は三千余り。今は一兵も仕損じるわけには参らん!」
「何も全軍で打って出るというのではありません!少し兵を分けていただければ、敵の備えの一つを切り崩し、直ぐに戻ってまいります!」
兄の利堯に代わり、隣に控えていた弟の利治が、長秀に向かってこう言うと、信隆は利堯に向かってこう言った。
「…分かりました。そこまで言うなら止めません。ただし分け与えられるのは五百です。五百を率いて敵陣をかき乱し、頃合いを見計らって城内に引き上げて来なさい。」
「ははっ!そのご配慮、ありがたく存じまする!」
「直ちに出陣し、秀高勢の出鼻を挫いて参ります!!」
利堯と利治は信隆の配慮に感激し、頭を下げて礼を述べると、そのままそそくさと評定の間を後にしていった。それを見つめていた長秀は、上座の信隆の方を向いてこう進言した。
「殿!敵の勢いは盛ん!あの二人は帰ってきませんぞ!」
「いえ、たとえ無謀でも、こちらは籠城一辺倒ではないことを、秀高に知らしめてやる好機です。もし成功すればそれでよし。失敗しても彼らは外様。この織田家譜代の家臣が傷つくわけではありません。」
信隆は利堯らの事を外様と表現して冷たくすると、長秀はその意見を受け入れてこう言った。
「では…我らは籠城の準備を進めましょう。」
「ええ。この間に各所の配置を伝えます。利家!」
「ははっ!」
信隆は家臣の前田利家を呼ぶと、利家に籠城における守備場所を伝えた。
「利家は城の北側を守りなさい。やがて各地からの援軍が駆けつけてくるでしょう。それまでは城の守りを固め、敵に付け入る隙を与えないように。」
「ははっ!お任せくだされ!」
利家の返事を聞いた信隆は、次いで太田牛一と福富秀勝、猪子高就にそれぞれの配置場所を伝えた。
「牛一は城の西側、秀勝は城の東側を。そして高就は南側を防衛しなさい。これらの場所も北側同様、決して付け入る隙を与えぬように。」
「ははっ!お任せくだされ!!」
代表するように秀勝が声を発し、信隆に返事をすると、信隆は最後に長秀に向かってこう言った。
「そして長秀はこのまま本丸に詰め、各所の防衛を見守る様にしなさい。」
「ははっ。」
長秀の言葉を聞くと、信隆は立ち上がってそこにいた諸将にこう言った。
「良いですか、ここで何としても持ちこたえ、織田家にまだまだ人ありというのを、秀高に思い知らせてやりなさい!」
「ははっ!!」
居並ぶ面々は信隆の言葉にこう答え、戦う意思を信隆に示した。こうして、清洲城に籠る三千は、秀高軍迫るの報に怯えず、一部を除いて籠城戦の準備を始めたのであった。
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それから数刻後、清洲城の全景が見渡せる地点に秀高勢五千が現れ、小高い丘を埋め尽くすように布陣した。やがてその小高い丘の上に帳が張られ、本陣をその場所に定めたのである。
「…いよいよここまで来たな。」
その帳の中で、清洲城を見つめながら秀高がこう言った。すると、本陣の中にいた小高信頼が各地の状況に照らし合わせながらこう言った。
「各地から届いた味方の状況だと、概ね計画通りに進んでいるみたい。ここは無理な城攻めはせず、この丘に留まって様子を見よう。」
「…聞けば、義秀たちは荷之上を落としたって言うじゃない。この後の予定は?」
と、信頼の言葉を聞いた上で静姫が信頼に尋ねた。
「この後は…長島の出方次第で変わってくるね。もし長島との間に何かあれば、義秀たちはそのまま長島に留まってもらうつもりだけど…」
「殿!申し上げます!」
と、その場に馬廻の毛利長秀が、早馬からの情報を聞いて秀高に伝えるべく本陣にまかり越した。
「先ほど、荷之上より早馬が到着!義秀殿、伊勢長島との間に不戦の約束を取り付けたとの事!」
「何、それは本当か!」
秀高がその報告を聞いて驚くと、長秀はそれに頷いて言葉を続けた。
「ははっ。義秀殿は服部党征伐の後、陣を訪れた証恵座主との間に、互いに干渉しあわないことを約束させたとの事。」
「そうか…なら話が早い!」
秀高は報告を聞いてこう言うと、長秀に対してこう言った。
「長秀、その早馬に伝えろ。義秀の部隊は津島を経由し、この清州城攻めに加わる様にとな。」
「ははっ。その旨、しかと早馬に伝えまする!」
長秀は秀高の命令を聞くと、一礼してその場を去り、伝えてきた早馬にその命令を義秀に届けるように伝えたのだった。そして長秀が去った後、机に広がる絵図を見て信頼が秀高にこう言った。
「秀高、荷之上から清洲だと、各地の土豪を切り崩しつつ進むから、早くても二日はかかるよ?」
「いや、それぐらいになれば為景の部隊も清洲に着いているはずだ。そうなれば一気に、清洲城を攻め落とす。」
「各地の軍勢が集まれば、平城の清洲城では太刀打ちできません。そうなれば、信隆は逃げると思います。」
と、扮装している舞が秀高に対し、一つの懸念を伝えた。
「分かっている。こちらも何とか対処しなくてはな。伊助!」
と、秀高は義秀の元より戻ってきていた伊助を呼び寄せた。
「殿、お呼びでございますか!」
「これより二、三日の間、城の様子を見張り、何か動きがあったのなら逐一伝えてくれ。」
「ははっ!」
伊助は秀高よりの指令を聞くと、風のようにその場から消え去った。するとその時、入れ替わるように馬廻の神余高政が報告に来た。
「申し上げます!城より敵が打って出てきました!その数、およそ五百!」
「打って出て来ただと?高政、直ちに迎え撃つように伝えろ!」
「ははっ!旗本にも触れて回ってきます!」
高政はこう言うとその場を去り、秀高配下の足軽たちに応戦するように指示した。こうして城より打って出てきた利堯隊五百は、果敢にも秀高勢に襲い掛かった。
「行けぇーっ!!敵の鼻を明かしてやれ!」
利堯は馬上から足軽たちに督戦し、目の前の秀高勢に斬り込むように促した。これを受けて利堯勢は秀高勢先鋒の丹羽氏勝隊に攻め掛かったが、そこに氏勝を援護するべく高政が旗本八百余りを引きいて加勢に来た。
「氏勝様、加勢しますぞ!」
「おう、高政か!忝い、共に打ち払おうぞ!」
氏勝は高政にこう言うと、味方の足軽たちに立ち向かうよう督戦し、自身も刀を抜いて攻め掛かってきた利堯勢を迎え撃った。
「敵将と見える!我こそは高秀高が馬廻、神余甚四郎高政である!」
「くっ、旗本が偉そうに!斎藤利堯が弟、斎藤利治だ!いざ勝負!」
そう言って利治は、名乗りを挙げた高政目掛け、刀を抜いて攻め掛かったが、高政はその一太刀を受け止めると、槍の切っ先を上げて利治の首元に槍を突き刺した。
「ぐ、ぐうっ…」
「…若武者よ、勢いだけでは、敵を倒すことは出来んぞ。」
高政はそう言うと槍を抜いた。すると利治はそのまま馬から転げ落ち、地面に叩き落とされて死亡した。と、それを見ていた利堯が怒った。
「おのれ貴様、我が弟をよくも討ったな!!」
そう言って利堯が高政に襲い掛かろうとしたその時、利堯は背後より攻撃を浴びた。その攻撃は氏勝によるもので、氏勝は利堯の背中に刀を刺すと、そのまま馬上から引きずり落とし、下馬して自ら利堯の首を取った。
「よし!寄せ手の大将は悉く討ち取ったぞ!皆、一気に押し返せ!」
再び乗馬した氏勝が配下に向けてこう言うと、配下の足軽たちは奮い立って攻め掛かってきた敵を掃討し尽くした。ここに城兵五百はあえなく討死し、利堯らの攻撃は失敗に終わったのであった。
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「…やはり駄目でしたか。」
その戦いの様子を、天守閣の最上階の高欄から、信隆は神妙な面持ちで見つめていた。そして城外の様子から負けを察すると、腕組みしていた手を解いた。
「これで、貴重な兵が少なくなりましたな。」
「ですが、敵もこのまま攻めてくるとは思えない。この間にある程度の策は打っておくしかないわ。」
信隆はともに最上階に上がってきていた長秀にこう言い、振り返って中に入り、そのまま階段を降りようとすると、視線を長秀に向けてこう言った。
「長秀、もしもの時は、この城と織田家一門のことは任せましたよ。」
「…ははっ。」
長秀は信隆よりその言葉を受け取ると、目を閉じて降りていく信隆を見送った。この信隆の言葉の真意を、誰よりも長秀は感じ取り、そして受け止めたのであった。
こうして城より打って出てきた城方を討ち取った秀高勢は、そのまま城を取り囲むように包囲し、味方の後詰が到着するのを待った。その味方の全てが到着したのは、それから二日後の事であった…