1559年1月 恩人の最期
永禄二年(1559年)一月 尾張国内
翌一月二十日の朝、火を放った松葉城の跡地を後にした高秀高指揮する四千余りの軍勢は、いよいよその足で柴田勝家が籠る深田城に向けて進軍を開始した。
この松葉城と深田城の距離は目と鼻の先であったが、勝家は元より少数の城兵による、秀高勢への夜襲は危険だと判断して動かず、一方の秀高勢もまた、城に近づいて包囲したところで、同じように勝家勢の夜襲を警戒して松葉城近辺に留まった。この時、両者は戦の最中ではあったが、この夜の間だけは戦である事を忘れるかのように、不気味なほどに静かだった。
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「…これは!」
深田城に着いてすぐ、小城ともいうべき深田城を秀高勢が取り囲んだ後、その秀高勢の中軍にて、馬上から秀高に手渡された書状を拝見した織田信包が驚いていた。この書状こそ、稲生原の戦いの前に、秀高に手渡されていた勝家よりの書状であった。
「…それを見ると、勝家さんの衷情が痛いほどわかってしまうんだ。」
秀高は信包に対してこう言いつつも、少し苦悶の表情を浮かべて下を向いた。
その書状に書かれていたこと、それは今まで自身がしてきた事の無意味さと、織田家の状況を見て悲観する書状であった。この手紙に書かれていた内容を見て、心が苦しまない者はいないと思うほど、その書状の文面はどこかもの悲しさを滲ませていた。
「秀高、今深田城の門の前で、一人の武将が供を連れて座っているって…」
するとそこに、小高信頼が城の様子を見て、秀高の近くに馬を寄せて報告してきた。
「武将が?それって…」
「うん。勝家さんだよ。」
秀高は信頼からその名前を聞くと、いてもたってもいられず、馬廻の神余高政と毛利長秀を連れ、勝家が立っているという門の近くに馬を進めさせた。やがてその門の近くに来て目に飛び込んできたのは、間違いなく勝家が家来数名を背後に従え、門の前で床几に座っている光景であった。
「…勝家さん。」
「…おう、秀高か。こうして互いに姿を見えるのは、先の稲生原以来か。」
門の近くまで来た秀高は、どこか懐かしい声色を聞くと、そのまま馬を降りて勝家に近づいた。それを見て高政たちも馬を降りて秀高の背後に付くと、勝家の家臣の吉田次兵衛・佐久間盛次両名が刀の柄に手をかけた。
「次兵衛!盛次!早まるでない。手を降ろせ!」
すると勝家はその気配を察知し、後方に視線を向けて二人に手を離すように指示。それを聞いた両名は渋々、刀の柄から手を離した。
「…長秀、高政。ここで待て。あまり相手を刺激するな。」
それに応えるように秀高も、付いて来た二人に対してこう言うと、二人は頷いて秀高から距離を取り、その様子を見守るだけにとどめた。
「久しぶりですね。勝家さん。」
「そうだな。あれ以降、お互い別の道を歩んでしまったからな…」
秀高と勝家、二人きりで対面しながら会話する中で、勝家はそう言うと考え込むように両肘を両膝に付けて姿勢を丸くした。
「わしがあの戦の時、信隆に追い込まれて信勝様を裏切って死に追いやり、信長様へ鞍替えした。それが、裏切ってしまった信勝様への罪滅ぼしになるのならと、心を鬼にして誠心誠意仕えた。」
勝家は心から吐き出すようにその言葉を言うと、目を閉じてそのまま言葉を続けた。
「だが、その信長様は我が配下の蔵人によって凶刃に倒れ、信長様によって纏まっていた織田家は、瞬く間に内部崩壊してしまった。こうなっては、あの時選んだわしの選択は間違っていたのか?そう思えてくるのだ。」
勝家の言葉を聞いて、秀高は勝家が心の内に秘めていた想いを受け止め、どこか物悲しくなっていた。すると、勝家は目を開いて姿勢をよくして、秀高にこう言った。
「秀高よ、もし、先の戦で我ら柴田勢が先陣を請け負っておれば、いの一番にお前の本陣に斬り込みたかった。…だが、信隆はわしを先陣には据えなかった。」
その言葉を聞いて、秀高は勝家の戦に対する未練を感じた。勝家にしてみればきっと、どこかで秀高への踏ん切りを付けたかったのだろうと。だが現実は、勝家の思惑通りにはならなかったのである。
「ここに至っては最早、信隆への恩義もない。だがわしは織田家代々の家臣。そうやすやすと織田家を見捨てるわけにもいかん。」
そう言うと、勝家は床几から立ち上がって秀高に向かい、決意してこう言い放った。
「…秀高よ、この城は降伏するが、わしは、城内で腹を切ることにした。それがこのわしに出来る唯一の事だ。」
「勝家さん…」
勝家のこの言葉を聞くと、背後にいた家来の中から声が上がった。
「そんな、勝家様、たとえ多勢に無勢でも戦いましょう!」
「左様!ここで戦って、敵に鬼柴田の面目を施しましょうぞ!」
「者ども黙れ!殿のご遺志を無下にするつもりか!」
そう言って声が上がった勝家の家来たちに対し、盛次がその声の方を振り返って一喝した。すると、勝家は盛次の方を向いてこう言った。
「盛次、次兵衛、それに照昌、前に出よ。」
勝家に呼び出された盛次と次兵衛、それに家臣の毛受照昌が勝家の前に出ると、勝家は刀をそのまま盛次に差し出してこう言った。
「盛次、お前に刀を託す。どうか介錯を頼む。」
「…ははっ。」
盛次は勝家の命令を聞くと、刀を受け取って一礼した。そして今度は次兵衛に向かって、こう言った。
「次兵衛、お前には三つになる子がおったな?」
「はっ。おりまするが…」
勝家は次兵衛からその言葉を聞くと、秀高の方を振り返ってこう言った。
「秀高、このわしはここで切腹するが、このまま柴田家が絶えるのは忍びない。ここにいる次兵衛の妻はわしの姉だ。その子を養子として、柴田家の名跡を継いではくれぬか?」
秀高は勝家よりその提案を受けると、勝家の想いを受け止めた上でこう返事した。
「…分かりました。柴田家の名跡、次兵衛殿のお子に継がせます。」
「そうか…それを聞けて安心した。」
勝家は秀高の回答を聞いて、安堵の表情を浮かべてポツリとこう漏らすと、照昌に向かってこう指示した。
「照昌…ここで無意味な血を流すわけにはいかん。秀高への降伏するものを纏め、この城から出して秀高の軍勢に合流するように伝えまわってくれ。」
「ははっ…承りました、殿!」
照昌は勝家のその命令をしっかりと受け止めると、そのまま城内に入ってその事を伝えて回った。その後、勝家はその場にいた家来たちにこう伝えた。
「良いか!この深田城は秀高勢に降伏する!だがわしは降伏はせん。本丸に立てこもって腹を切る。このわしと共に付いて来てくれるものは、わしについて来い!」
「はっ!どこまでもついて参りますぞ!!」
その勝家の言葉に、反論してきた家来たちは奮い立ち、本丸に向かおうとその場を去っていく勝家に付き従った。その後ろに刀を持った盛次が続いて行った。
「勝家さん!!」
そのまま本丸に去ろうとしていた勝家を、秀高は徐に声を上げて呼び止めた。すると勝家はその言葉を受けて立ち止まり、振り返って一言秀高にこう言った。
「…秀高!あの世で、お前の戦いを信勝様と共に見届ける!しっかりと戦えよ!」
勝家は秀高にそう叫ぶと、そのまま城の奥へと消えていった。それを見届けた秀高は、その場に留まった次兵衛に向かってこう言った。
「…次兵衛、このまま俺たちの部隊のもとに来てもらう。それでもいいか?」
「はっ。承知いたしました。」
次兵衛の言葉を聞いた秀高は、名残惜しくも長秀らと共に馬に跨り、自身の部隊の下へと帰っていった。やがて、城から照昌が城兵千二百の内降伏する九百余りを連れて秀高に帰順した。これによって、勝家に付き従う残り三百の兵たちは、勝家の自刃の時間を稼ごうと戦う姿勢を整えた。
「…皆聞け!これより城に籠る兵たちを討つ!目標は柴田勝家の御首一つ!皆、かかれ!」
秀高は馬上から軍配を振りおろし、残る城兵が立て籠もる深田城への総攻撃を命じた。これを受けて秀高勢は城に向けて殺到し、立て籠もる三百の城兵を激しい戦いを繰り広げ始めた。
「…いよいよ始まったか。」
その深田城の本丸。小さな館の中で勝家は兜を取って鎧を脱ぎ、籠手を脱いで白装束姿となり、右手に短刀を手にしていた。
「…盛次、そなたもわしの首を取ったなら、決して後追いはせずに秀高に降れ。命を無駄にするでないぞ。」
「…ははっ。」
盛次は勝家の命令を聞くと、静かに刀を鞘から抜いた。それを見た勝家は腹を出し、短刀を抜いて切っ先を腹に当てた。そして勝家は、静かに呟くようにこう言った。
「…信勝様、この勝家、今参りますぞ…」
そう言うと勝家は短刀を腹に突き刺し、見事に切腹を果たした。そしてその切腹を見た後、盛次によって介錯され、盛次は勝家の首を桶に収めた時には、城外で勝家の切腹の時間を稼いでいた三百の城兵は玉砕し、みな勝家に殉じて討ち死にしたのだった。
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「…ご苦労だった。盛次。」
戦いが終わった後、松葉城と同じく火が放たれた深田城を横目に、本陣の帳の中で片膝を付き、勝家の首桶を持参した盛次に、秀高は声をかけた。
「勝家さんの遺言通り、吉田次兵衛の息子が元服した折に柴田家の名跡を継がせ、盛次と照昌も柴田家の家臣に留めておく。今後はその息子を補佐し、立派に育て上げてくれ。」
「ははっ。ありがたきお言葉。恐悦至極に存じ奉りまする…!」
盛次は深々と頭を下げてそう言うと、立ち上がってそのまま帳を後にしていった。すると、秀高は首桶に近づくと、首桶の中に納まっている勝家の首に対し、手を合わせて弔った。すると、それを見て信頼や玲たちも、秀高に続いて首桶に近づき、それぞれ手を合わせた。と、玲が悔やむように一言こう言った。
「勝家さん…苦しかったんだね。」
「あぁ。俺たちが元の世界で思っていた、「柴田勝家」よりも人間らしかった。これが…この人の素の姿なんだろうな。」
秀高が玲に向かってこう言うと、改めて首桶に向かって手を合わせた。こうして二日間の戦いで清洲城攻略の足掛かりを得た秀高たちだったが、代わりに秀高たちにとって、かけがえのない人物を亡くした悲しさを痛感したのだった。