1559年1月 老将の意地
永禄二年(1559年)一月 尾張国内
永禄二年一月十九日、時間は大高義秀率いる軍勢が、早朝に荒子方面へ向けて進軍していった後に遡る。ここ、稲生原の高秀高本陣では、次に進軍を開始する秀高本隊の出陣準備が進められていた。
「…じゃあ継意、俺たちは先に清洲に向けて出陣する。犬山城のことは任せたぞ。」
「ははっ。犬山城の事、この継意にお任せあれ。」
その帳の中で、秀高は隣にて床几に座る継意に言葉をかけた。そして継意の言葉を聞いた秀高は、継意に一つ、付け加えるように指示を下した。
「継意、犬山城を占拠した後は、お前の部隊二千で犬山城に留まり、残りは為景に葉栗・中島両郡の掌握を兼ねて軍勢を分けさせてくれ。」
「はっ。しかと承りました。」
継意は秀高の指示を聞くと、秀高に向かって頭を下げ、一礼して立ち上がるとそのまま帳の外へと出ていった。
「…いよいよ、清洲に向けて進軍するんですね。」
と、隣に座る、斯波義銀の扮装をしている舞が、秀高に向かって話しかけた。
「あぁ…清洲を落とせば、尾張一国は得たも同然になるだろうな。」
「でも…ここからは敵も必死で抵抗してくるよ?」
すると、於菊丸を膝に乗せながら、床几に座っていた玲が秀高に話しかけた。その言葉を聞いて、今度は小高信頼が、秀高に庄内川より向こうの状況を、絵図を用いて説明した。
「玲の言う通りだ。この萱津の近くの松葉城に信長の傅役・内藤勝介が千で、深田城に柴田勝家が千二百で籠城している。ここで手間取っていたら、清洲に着くまでかなりの時間を要する事になる。」
「あぁ。とりあえず今日は、このまま川を渡って松葉城を攻める。敵も士気は旺盛だろう。一日かけて城を落とすつもりで動く。」
「…かなり厳しい戦いになりそうね。」
と、その作戦の内容を聞いていた静姫が、秀高に語りかけた。すると、秀高はその静姫の言葉に頷いて応えた。
「…だが、もしこの両城を二日で突破できれば、各地の味方の動きに連動できる。こっちも厳しいが、やらなきゃならないんだ。」
「申し上げます。旗本、並びに丹羽氏勝勢、織田信包勢。出陣の準備が整いました。」
と、そこに馬廻の毛利長秀が、秀高に対して各隊の準備が終わったことを伝えた。その言葉を聞いた秀高は頷くと、勢いよく立ち上がって全軍に号令した。
「よし!俺たちも出陣する!まずは松葉・深田の両城を攻める!行くぞ!」
「おぉーっ!!」
その秀高の号令を受けて、本陣の周りにいた旗本たちが大きく声を上げて応えた。こうして稲生原を発ち、最初の目的地である松葉城へと向かったのは、朝日が昇りきった朝方近くの事であった。
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稲生原を出陣した秀高勢四千五百は、庄内川を渡ると萱津方面に進軍。最初の目的地である松葉城が見えるあたりに到着したのは、昼前の事であった。
「秀高殿、あれが松葉城にございます。」
馬に乗って松葉城を見ていた秀高に向かって、馬を寄せて信包が、松葉城の方を指さして説明した。
「あれが松葉城…城というよりは砦に近いんだな。」
「はっ。もともとは萱津の戦いで重要な場所として重きを置かれておりましたが、近年では規模の縮小が進み、最近では廃城も噂されておりました。」
信包が松葉城のことについて詳しい情報を秀高に伝えると、秀高は近くにいた塙直政にある事を尋ねた。
「直政、お前織田家にいた頃、内藤勝介の人となりを見ているだろう?勝介は一体どんな人なんだ?」
「はっ。勝介殿は信長様の傅役で、その性格は情熱的で剛胆。尚且つ冷静な一面もあるため、勝介殿が相手では些か厳しいところがあるかと。」
「そうか…」
秀高が直政の話を聞いて得心していると、そこに神余高政が馬を駆けて来て秀高に注進した。
「申し上げます!敵が城外へ打って出てきました!」
「何?敵が打って出てきたのか!?」
秀高が高政の報告を聞いて驚き、視線を城の方に向けると、その城の前に、城から門をくぐってぞろぞろと軍勢が出てきた。そして陣形を整えると、その中から一騎、秀高たちの方に向けて馬を駆けさせてくる武将がいた。
「殿、あの騎馬武者は…」
信包が近づいてくる武将の姿を見て秀高に話しかけると、秀高はその武将を見て何かを悟り、馬を前に出してその武将の目の前に進めさせ、やがて足を止めるとその武将に話しかけた。
「…お前が内藤勝介か?」
秀高がその武将に聞こえるように名前を尋ねると、武将は秀高の目の前に来て馬の足をとどめ、秀高に言葉を返した。
「如何にも。内藤勝介にござる。」
「…降伏に来た、ってわけじゃなさそうだな。」
秀高が、馬に乗る勝介の凛とした態度を見て、一言こう言うと、勝介はそれを聞いて一笑に付し、秀高に向かってこう言った。
「はっはっは、いや、この老骨は代々、織田家に仕える者。今更降伏などはしませぬ。」
「…勝介、無理を承知で言うが…もうこれ以上、余計な血は流したくはない。どうか刀を収めてくれないか?」
秀高が勝介に向かってこう言うと、勝介は逆に刀を抜き、秀高にこう言い放った。
「秀高殿、それは言わないでくだされ。これはこの老骨の意地。滅びゆく織田家のために一花咲かせたいと思うておりまする。」
「…その身勝手な事で、他の将兵を死なせてもそう言うのか?」
「元よりわしも、そして城兵たちも覚悟の上でござる。」
秀高の説得に折れず、勝介が秀高に向かってこう言い放つと、秀高は勝介の覚悟を聞いてどこか既視感を覚えた。
それは昔、信長の説得に応じず、自分たちの意地を貫いた秀高自身を見ているようであった。今、その時の秀高の立場に目の前の勝介が当てはまり、それを感じ取った秀高には、もはや説得は無意味と悟った。
「…分かった。ならば後は戦で戦おう。」
「望むところにござる。」
勝介は説得をあきらめた秀高に向かって、一言こう言うと、そのまま馬首を返して城の方へと戻っていった。その後姿を秀高は見つめた後、秀高も自分の軍勢の元に戻り、そして軍配を高く上げると全軍に向かって下知を下した。
「皆、かかれ!!」
秀高はこう叫んで軍配を振り下ろした。そしてその号令を聞き、配下の軍勢は城方の軍勢めがけて攻め掛かっていった。この動きにつられるように、勝介の軍勢も秀高軍に向かって攻め掛かり、両軍は野戦を松葉城外で繰り広げ始めた。
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「者ども怯むな!織田家の武士の意地を、高家の面々に知らしめる好機ぞ!」
合戦が始まってしばらく経った。傍から見ても、劣勢の状況に立たされている勝介らの軍勢であったが、馬上から刀を振るいつつも、周りの味方に督戦して回る勝介の姿に、その配下の足軽たちは奮い立ち、秀高勢相手に善戦を繰り広げていた。
「…さすがだな。ここまで見事な戦いをされると、敵でも褒め称えるしかない。」
その戦いぶりを、遥か後方で馬上から眺めていた秀高は、勝介たちの戦いぶりを称えるようにこう呟いた。すると、その言葉に驚いた信頼が諫言する様に言った。
「秀高、今は戦の最中だよ?その一言だけでも、味方の士気に関わるよ!」
「分かってる。誰か、勝介を討とうという者はいないか!」
と、信頼の言葉を聞いた上で秀高が、後ろを振り返って味方にこう呼びかけた。すると、そこに一人の武将が馬を寄せて近づいてきた。この者こそ、勝介の人となりに関して秀高に話した直政であった。
「秀高殿、勝介殿のお相手なら、この拙者が承る。」
「直政…勝てるのか?」
秀高が直政にこう尋ねると、貞清は近くにいた従者から兜を貰うと、兜をかぶって秀高にこう言った。
「いえ、勝介殿の介錯をするのは、勝介殿を知る某を置いて他にはおりません。」
「…そうか、なら任せたぞ。」
「ははっ!」
そう言うと直政は従者から槍を受け取り、威勢良く馬を駆けだして勝介の下へと向かって行った。
「…おぉ、お前は直政ではないか!」
自身に槍を携えて近づいてきた直政を見て、勝介は直政に話しかけた。すると直政は槍の切っ先を勝介に向け、手短にこう言った。
「勝介殿、御首頂戴致す!」
「そうか…お主に討たれるのならば、何の未練もなかろう。いざ、参るぞ!!」
すると、勝介は刀を構えなおし、直政に向けて馬を走らせた。そして直政に近づくと刀を振るって攻撃し、また直政から突き出された槍を刀で受け止めた。しかし、五合打ち合った後、勝介は脇腹に直政の槍を受け、苦悶の表情を浮かべた。
「ぐあっ…見事じゃ…直政…」
勝介はそう言うと、そのまま力が抜けるように馬から転げ落ちて絶命した。するとそれを見た直政は下馬して、勝介の遺体に近づくと素早く首を取った。
「内藤勝介、この塙直政が討ち取ったぞ!!」
その言葉が戦場中に響き渡ると、それまで奮戦して来ていた勝介勢の足軽たちも意気消沈し、それと同時に数に勝る秀高勢の前に悉く討ち取られていった。こうして勝介勢は秀高率いる軍勢の前に敗れたが、勝介勢は全滅の代わりに、秀高勢に数百の損害を与えたのであった。
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「殿、これが内藤勝介の首にございます。」
合戦後、残党が立て籠もる松葉城を落とし、燃え盛る松葉城を背景に本陣を敷いた秀高の目の前に、直政が勝介の首を収めた首桶を差し出した。
「…信包殿、この首は勝介殿に間違いないか?」
と、秀高はその本陣の中にいた信包に、首桶の蓋を開けてその首が本物であるかどうかを尋ねた。その言葉を受けて信包は首桶に近づき、首桶の蓋を開けて中身を確認した。
「…はい。内藤勝介に間違いございませぬ。」
信包は秀高にそう言うと、首桶の蓋を占めて自身の床几に座った。その確認をした秀高は、直政に向かってこう言った。
「…直政、よく討ち取ってくれた。さぞ、苦しい立場だったろうな…」
「いえ。これは拙者にとっての一つのけじめにございます。これで拙者も、織田家に対して区切りをつけることが出来ました。」
秀高は直政のその言葉を聞くと、静かに頷いて直政にこう伝えた。
「分かった。この働きは覚えておこう。今日は下がって休め。」
「ははっ。」
直政は秀高に向かって弾を下げて一礼すると、そのまま本陣の帳を出て去っていった。それを見つめると、秀高は信包にこう伝えた。
「信包、もう日も傾いてきた。万全を期すために今日はこのままここに野営をして、翌朝に深田城を攻めたいと思う。」
「畏まりました。ならば将兵たちにそう伝えてきまする。」
信包は秀高の意向を聞くと、それに頷いて立ち上がり、足早に帳を出ていった。その後姿を見届けた後、静姫が秀高にこう言った。
「…次は柴田勝家が相手になるのよね。」
「あぁ。あの書状の通りならば…或いは…」
と、秀高は稲生原の戦いの前に、森可成を通じて渡された勝家の書状の内容を思い出した。そして秀高の言葉を聞いて、その本陣に残った信頼や、玲たちもその内容を思い出していた。それは、今まで後悔に苛まれた勝家の、一つの決心と言うべきものであった。