1559年1月 犬山城落城
永禄二年(1559年)一月 尾張国内
大高義秀が願証寺の座主・証恵と不戦協定を取り付けた前日の一月二十日、こちらは小牧山近辺をゆっくりと進軍中の三浦継意の総勢四千五百の軍勢である。
十九日の夕方、義秀や高秀高の軍勢の後に出陣した継意は、その日のうちに岩倉城跡で野営を取り、翌日に進軍を開始してここ、小牧山の近辺まで到着していたのである。
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「ご家老様、少し宜しいでしょうか?」
その軍勢の先頭を馬に乗って進む継意に、副将として従軍していた山内高豊が、馬を継意に寄せて話しかけてきた。
「おう、高豊ではないか。どうしたのじゃ?」
「ははっ。実はこの辺りで是非とも、我らにお味方したいと申す者が、ご家老様にお目通りを願っております。」
「ほう、味方にか…良かろう。全軍、とまれ!!」
継意は全軍に停止の命令を出すと、歩みを止めさせて高豊にその者達を連れてくるように伝えた。すると高豊は馬を走らせてどこかに行くと、やがて二人の人物を引き連れて戻ってきた。
「お待たせ致しましたご家老様、この者たちがお目通りを願ってきた者達です。さぁ、名乗られよ。」
「ははっ。元岩倉織田家家老、堀尾泰晴と申します。」
「堀尾泰晴が嫡子、堀尾吉晴にございまする。」
堀尾父子の自己紹介を馬上で聞いた継意は頷き、馬を降りて従者に手綱を預けると、二人の目の前に立ってこういった。
「おぉ、よくぞ駆けつけてくれ申した。この継意、主君に代わって礼を申しますぞ。」
「ははっ。ありがたきお言葉にございまする…」
継意の言葉を受けた泰晴は頭を下げ、深くお辞儀をした。すると、二人に向かって継意がこう言った。
「ではお二人とも、その意思に応じて主君に代わり、筆頭家老の名において我らへの仕官を認めましょうぞ。」
「ははっ!!ありがたき幸せに存じ奉りまする!!」
そう言って泰晴は頭を下げて礼をすると、息子の吉晴もまたそれに応じた。こうして新たに堀尾父子を仲間に加えた継意らの下には、かつて岩倉織田・犬山織田両家に仕えていた地侍たちが、ぞろぞろと継意らに馳せ参じてきた。やがてその者達を加え、継意の軍勢は六千にまで膨れ上がったのである。
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そしてその翌日。ついに継意勢六千は、池田恒興が籠る犬山城を包囲した。その包囲陣はかつて、織田信長が犬山城を包囲した時と同じように、三方向を包囲していたのである。
「おのれ…ここまで踏み込まれるとは!!」
その様子を、本丸の三層の天守閣から眺めていたのは、城主を務める恒興本人であった。恒興は包囲している軍勢の様子を見て取り、どこにも隙が無い事を悟ると控えていた配下にこう言った。
「城兵たちに伝えよ!この城で敵を一日でも多く引き付ける!命を惜しまず、敵と戦えとな!!」
「ははっ!」
配下は恒興の言葉を聞くと、そのまま天守閣の階段を下りてその命令を城兵たちに伝えていった。そして恒興は、城外の軍勢を見るとこう呟いた。
「この城は急峻な山の上にそびえる城だ…一週間はこの城で、耐えきってみせる…」
そう呟いた恒興の瞳には、静かに闘志の炎が灯されていた。
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一方、城を包囲した継意の軍勢でも城攻めに伴う軍議を本陣で開いていた。
「さて、いよいよ明日から犬山城を攻め落とすことになるが、この城は急峻な山地に築かれた山城で、攻め口は大手門からの一つしかない。しかも城兵たちの士気は意気軒昂で攻め落とすのに時間を要するであろう。何か、良き策はないか?」
「…畏れながら、一つ宜しいですか?」
と、その軍議の席上で発言したのは、この軍勢に加わったばかりの泰晴であった。
「おう、泰晴か、何か策でもあるのか?」
「ははっ、実はそれがしの知り合いに元犬山織田家の家臣がおりまして、その者が申すには一つの隠し道があるとの事にございます。」
「隠し道じゃと?それはどこじゃ?」
継意が泰晴の意見を聞いてこう言うと、泰晴は犬山城の絵図の場所を指さしながら、その隠し道の内容を話し始めた。
「この犬山城の側面、木曽川沿いの裏手に犬山織田家の家臣しか知らぬ裏道がござり、その道をたどっていけば本丸の隠し門の場所に付くそうにございます。」
「なるほど…犬山城の裏手か。」
そう言うと継意は顔を上げ、夜に照らされた犬山城を見た。そして継意は決意を固めると、泰晴にこう指示した。
「よし、面白い一手じゃ。良かろう。泰晴、そなたに高豊の兵五百を預ける。時期を見計らってその裏道をのぼり、本丸に攻め込むのじゃ。」
「ははっ!!」
泰晴は継意より策の実行を命じられると、それに応えて返事を返したのである。そして翌日、朝方から継意の軍勢は三方向より城への総攻撃を開始した。
「よし、ここで先の戦の汚名をそそぐ!我らの攻め口は大手門じゃ!かかれ!!」
と、先陣を切って犬山城に攻め掛かったのは、先の稲生原の戦いにおいてあえなくも敗退した坂井政尚率いる千の軍勢であった。坂井勢は勇猛果敢に城に攻め掛かり、大手門を破るべく攻め立てた。
「…泰晴殿、お味方が攻撃を開始したようですぞ。」
その、犬山城の後方、崖になって死角になっている峠道にて、喊声を聞いた高豊が泰晴に話しかけた。
「…よし、ここからは静かに進む。決して物音は立てず、忍び足で本丸に近づくぞ。」
「ははっ。」
泰晴は従っている高豊ら将兵にこう言うと、高豊は静かな声でこれに応え、それを聞くと泰晴は忍び足で峠道を登り始めた。やがてじっくり時間をかけて登りきると、壁に偽装されていた門を開いた。
「よし、かかれ!」
泰晴は小声で、付いて来た将兵に指示を出すと、高豊を先鋒にその隠し門をくぐり、本丸の中へとなだれ込んだ。
「うわっ!!敵襲!敵襲じゃ!!」
その奇襲を受けて本丸にいた城兵は慌てふためき、一気に混戦模様となった。本丸に殴り込んだ高豊ら五百は、混乱する城兵をなぎ倒すと、本丸から大手門に繋がる門を開いて城外の味方に見えるように合図を出した。
「…継意殿!あれを!」
と、本陣でその様子を見ていた佐治為景が、継意に本丸の方向を指さしてこう言うと、継意はそれを目視で確認して、その後に近くの味方に向けてこう告げた。
「よし!泰晴の奇襲は成功した!このまま一気に、城を攻め落とせ!!」
その言葉を受けた足軽たちは威勢よく声を上げ、先鋒の坂井勢に続けとばかりに城へと殺到した。こうなっては、いかに城兵の意気は高くても、多勢に無勢となって大手門は破られてしまった。
「よし、このまま一気にほかの曲輪も攻め取る!なだれ込んで攻め掛かれ!!」
こう言った政尚の指示は、もはや戦というよりは殲滅に近い物を示していた。ただでさえ後方に敵が現れたことで慌てふためいた城兵たちは、戦う気力を失い始め、その果敢な攻めの前に、犬山城の各曲輪は次々と攻め落とされ、城のいたるところに火の手が上がり始めていた。
「…もはや、これまでか…」
と、天守閣の窓からその様子を見て取った恒興は、観念したのか控えていた武者にこう言った。
「私はこれより腹を切る。お前はその間、決してこの天守閣に敵を近づけるな。」
「…ははっ!」
武者は恒興の願いを聞くと、刀を抜いて天守閣の階段を降り、外に出ていった時間を稼ぐべく奮戦した。それを見届けると、恒興は兜を置き、胴丸を脱ぐとその場に座り込み、腹を出してそこに短刀をあてた。
「信長様…この恒興、今参りますぞ…」
恒興はそう言うと切腹を遂げ、やがて介錯を受けてこの世を去った。享年二十三歳。
その後、亡骸は天守閣に踏み込んだ継意勢によって回収されて首を取られた後に、継意の意向によって丁重に葬られた。ここに犬山城は、泰晴の働きもあってたった一日で落城したのであった。
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「泰晴、此度の働き見事であった。そなたがおらねば、我らは犬山城を落とすのにかなりの時間を要したことであろう。」
戦後、犬山城の本丸の中で継意は、戦功第一の功績を立てた泰晴を褒め称えた。すると、泰晴はその言葉を受けて頭を下げ、深々と礼をした。
「ありがたきお言葉。これで亡き信賢殿や信清殿のご無念も晴らすことが出来ました。」
「うむ。必ずやその功績は、殿に申し届けようぞ。」
「ははーっ!!」
泰晴は継意の言葉を受け取ると、息子の吉晴と共に改めて頭を下げた。こうして義秀が証恵と会談したその日に、継意も犬山城を落として勢力を美濃国境まで広げることに成功した。
やがて継意は自身の軍勢二千と共に犬山城に留まり、残る四千の軍勢を為景に率いさせ、葉栗・中島両郡の掌握を兼ねて、秀高が包囲する清洲城へと向かわせたのであった。