1559年1月 海西・海東郡経略<後>
永禄二年(1559年)一月 尾張国荷之上
永禄二年一月二十日。前日に荒子城・蟹江城の確保に成功し大高義秀率いる軍勢六千は、降伏した前田利久・金森可近らの先導で目的地の荷之上付近にまで進軍して来ていた。
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「何…秀高の軍勢がもうこの辺りまで来ているだと!?」
ここ、海西郡の荷之上にある服部党の本拠地である荷之上城。その中で服部党の頭目・服部友貞が一門の服部政光より報告を受けていた。
「はっ…既に大高義秀の軍勢六千が、蟹江城を手中に収めてこの荷之上まで進軍してきていると…」
「くそっ、政光!証恵様から一向一揆の檄は届いておらんのか!」
「それが、証恵様はこの戦いにおいては傍観を貫いておられ、こちらの動きに呼応する気配は全くありませぬ!」
すると、友貞は政光からの言葉を聞くと机を強く拳で叩き、いら立ちを隠しきれない様子で話し始めた。
「おのれ…こちらの兵数は四千、檄文がなければ、一向衆徒を呼べぬではないか!!」
「申し上げます!!」
と、怒りを露わにしていた友貞のもとに、早馬が新たな報せを持ってやってきた。
「大高義秀の軍勢、城の前面に現れました!!」
「くそっ!ここで黙って見過ごすのは服部党の名折れとなる!者ども、打って出るぞ!」
友貞はこう言い放つと、自ら率先して先導するように館から出ていった。それを見た配下たちも続いて城を出て、接近してきた義秀の軍勢と相対したのである。
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「服部友貞!前に出やがれ!」
友貞の軍勢が打って出てきたのを確認した義秀は、馬を前に出して高らかに叫び、友貞の名前を呼んだ。すると、それに応えて友貞が馬を前に進めて、義秀の前に姿を見せた。
「おう、貴様が大高義秀か!」
「友貞!俺たち高家と服部党は敵対関係じゃなかったはずだ!それがなぜ、信隆なんぞの檄文に応えて俺らに歯向かいやがった!?」
「はっ、知れたことよ!貴様ら成り上がりに屈するほど、我らの力は弱くないわ!」
友貞の言葉を聞いた義秀は、馬上から槍を受け取るとその切っ先を友貞に向けた。
「…どうあっても戦うって言うんだな?」
「おう。我ら服部党、如何なる者が尾張の主になろうとも、誰の下にもつかぬ!」
友貞が勢いよく啖呵を切ると、義秀はふっとほくそ笑んでこう叫んだ。
「良いだろう、ならその思い上がりを叩きってやるぜ!かかれぇ!!」
義秀は配下の軍勢に向けてこう叫ぶと、配下の軍勢はそれに応えて対面の服部党へと攻め掛かっていった。それに釣られるように服部党も軍勢を前に繰り出し、両軍は荷之上城外で野戦となった。
「おらぁっ!」
合戦になると、今までの場数を踏んできていた義秀は馬上から機敏に槍を繰り出し、敵兵を一人ずつ葬り去っていった。その背後で華も同じように薙刀を振るって馬上から敵を打ち倒していた。
「ほう、さすがは鬼大高であるな…ふんっ!!」
その様子を見た森可成も馬上からそれを見た後、得物の人間無骨を振るって馬上から敵をなぎ倒す。そして参陣していた安西高景と滝川一益も、馬上から敵を薙ぎ倒していた。
「馬鹿な…これが連戦してきた軍勢だというのか…?」
その様子を遠目で見ていた友貞は、義秀らの獅子奮迅ともいうべき戦いぶりを見て、驚きと同時に怖れを抱いた。
この時、服部党の面々には、荒子・蟹江の両城を、義秀たちは「攻め落としてきた」と考えており、その考えは友貞も抱いていた。その為、数では不利であっても万全の状態で戦えると友貞は踏んで、城外での野戦を採択したのである。
しかし実際のところ、義秀たちは攻め落としてきたのではなく「無血で開城した」のであり、軍勢の体力や気力は万全の状態であった。そうなると、場数の多さが勝敗を分けることになり、桶狭間や稲生原で鍛え抜かれた義秀たちの前では、服部党の軍勢は歯が立たず、徐々に押され始めたのだった。
「おのれ…ええい怯むな!手負いの軍勢に負けるでないぞ!!押し返せ!!」
この友貞が言い放った督戦の内容もまた、友貞が思い込んでいたことによる言葉であり、その内容と言葉が噛み合わなくなってきた事に、友貞はまだ気づいていなかったのである。
「…おのれ、何が鬼大高だ!奴もたかが一人の武士ではないか!」
と、奮戦して敵をなぎ倒している義秀の目の前に、いきり立った政光が馬を前に出して名乗った。
「大高義秀!貴様のそっ首、この服部政光が頂くぞ!!」
そう言って政光は義秀の側面に攻め掛かったが、その時義秀の前に躍り出た華によってその攻撃は防がれ、政光は刀で華と鍔迫り合いあった。
「おのれ…女子がいけしゃあしゃあと戦場に出てくるな!!」
「…あら、随分と威勢のいいことを言うのね?」
すると次の瞬間、華は政光の刀を払うと素早く政光の頭上に薙刀の切っ先を持ってきて、それを勢いよく振り下ろした。その攻撃によって政光は真っ二つに斬られ、そのまま馬上から転げ落ちた。
「ふふっ、女子だと甘く見れば…命を落とすわよ?」
「ひ、ひぃぃぃ!!あの女子は化け物じゃあ!!!」
その様子を見た服部党の足軽たちは恐れおののき、その場から得物の武器を捨てて方々に去っていった。それを背後で感じた義秀は振り向き、華にこう言った。
「…へっ、伊達に場数は踏んでるだけはあるな。」
「ええ。ヨシくんに負けていられないわ。」
華は手短にそう言うと、そのまま残る敵兵を倒していった。こうして合戦が始まってわずか二刻で、大勢は決したのだった。
「おのれ…おのれおのれ!!貴様ら手負いの軍勢に、この服部党が負けるなど!!」
友貞は自身が劣勢に追い込まれてもなお、戦の大勢が決したことに納得できないでいたが、その時、友貞の目の前に二人の武士が現れた。
「何者だ!無礼ではないか!!」
しかし、その武士二人は何も言わず、徒歩で友貞の懐近くに近づくと、一人の武士が槍を突き出して馬上の友貞の胸を貫いた。
「ぐわっ!き、貴様ら…」
友貞はその攻撃を受けてこう言ったが、その武士によって馬上から引きずり降ろされ、地面に叩き落とされるともう一人の武士によっていとも簡単に首を取られた。この友貞の討死によって、服部党の敗北は確定され、戦は義秀たちの大勝利で幕を閉じた。
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「…面を上げてくれ。」
その日の夜。服部党の本拠・荷之上城を焼き払い、高景に命じて郡内の残党掃討を命じた後、義秀は野営の本陣の中で、友貞を討ち取った二人の武士を謁見していた。
「お前たちが今日の戦で、友貞を討ち取ったんだな?よっしゃ、名を名乗ってくれ。」
「はっ。某、滝川一益の従弟の滝川益氏と申しまする。」
「同じく、一益の甥の滝川益重と申します。」
「何?お前たち、一益の親戚なのか!?」
義秀が驚いて一益の姿を見ると、一益はそれに頷いて言葉を発した。
「…実はこの度、ようやく家臣縁者を養えるようになりまして、殿にお許しを得て配下として取り立てたのでございます。」
「…そうだったのか、だったら言ってくれりゃあ良かったじゃねぇか。」
すると、一益は義秀に頭を下げて詫びた。
「申し訳ありませぬ。この尾張侵攻の準備に追われておりまして、義秀さま始め、家臣の方々へのご紹介が遅れまして…」
「…はっはっは!そう謝るんじゃねぇ。むしろいい事じゃねぇか。なぁ華?」
「えぇ。一益殿、これは喜ばしい事ですよ?」
義秀と華の言葉を受けると、一益は感謝して二人に再度礼をした。すると、義秀は益重ら二人に向かってこう言った。
「…益氏、それに益重、今日の働きは見事だった。後日秀高から恩賞があるだろう。それを楽しみにしとけよ?」
「ははっ!!」
義秀の言葉を聞いて、益重は頭を下げて返事をし、益氏もそれに続いて頭を下げた。そしてそれを見つめた一益も、どこか安心してその様子を見つめていたのだった。こうして、戦を終えた義秀たちはこの日は荷之上近辺に野営を取り、やがて帰還してきた高景の部隊と共にその場に留まった。
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翌日の二十一日、その義秀の陣営に思わぬ来客が現れた。この荷之上の対岸・長島の願証寺からの使者が、木曽川を越えてやって来たのである。しかもその使者というのは、他でもない座主の証恵本人であった。
「何?どうして服部党を攻めたのかだと?」
その本陣の様子は、どこか張りつめていた。というのも、証恵は本陣について早々、義秀に服部党の残党を引き渡すように要求してきたのである。
「はい。そもそも服部党は願証寺の大切な檀家。これを何故貴殿らはお攻めになられましたか?」
「これは異なことを申される。」
と、その証恵に対して、可成が口を挟んで意見した。
「そもそも服部党は、信長様の頃より対立しており、自立の傾向を強めていた土豪にござる。その土豪を討つのに何の憚りがいるというので?」
「畏れながら、檀家を討たれて黙っているのは仏の道に反しておりまする。」
「ほう、増長した檀家を抑えきれなかった、そちらにも非があるのでは?」
と、同じく高景もまた、証恵に向かってこう言い放った。
「…畏れながら、いかなる事情があったとはいえ、檀家を討たれて黙っているわけにはまいりませぬ。」
「…じゃあ、これはどう説明するんだ?」
すると、それまでの話し合いを聞いた上で、義秀は懐から一通の書状を取り出し、それを証恵の目の前に投げ捨てた。それは、荷之上城が焼け落ちる前に、一益に命じて回収させた、信隆から友貞へ向けての決起の申し出であった。
「…これは友貞が、織田信隆より受け取った書状だ。この書状には、「海西郡の一向衆徒を願証寺の力を借りて煽動せよ。」と書いてある。これを見ても尚、あくまで白を切るってのか?」
義秀はそう言って証恵をにらむと、証恵はその書状を一読すると、ため息をついてこう言った。
「…そこまで知られておりましたか。申し訳ありませぬ。友貞さまが信隆の檄文に応えたのは知っておりました。」
「何じゃと!?」
と、証恵の告白を聞いて可成が立ち上がってこう叫ぶと、証恵は目を開いて義秀にこう言った。
「されど、友貞さまからの再三の申し出は断りました。我ら一向宗は、本願寺からの命令を受けて一揆をおこすもの。それを本願寺の許し無しに、一向衆徒に一揆をおこさせることなど出来ませぬ!」
「…じゃあ、あくまでも友貞の独断という事で良いんだな?」
「…はい。」
義秀は証恵よりその回答を引き出させると、表情を柔らかくしてこう言った。
「なら、こっちもいがみ合うことはねぇ。証恵…いや坊さん。これからは長島と高家の間で、不戦の誓いを交わしたいが、どうだ?」
「…それにはこちらも異存はありませぬ。あの義元を討ち、今尾張を得ようとしている秀高殿に、どうして戦など仕掛けましょうや?」
証恵よりその言葉を聞くと、義秀は立ち上がって証恵の目の前に立ってこういった。
「なら決まりだな!坊さん、これからは仲良くやっていこうぜ。」
「はい。よろしくお願いいたします。義秀殿。」
証恵はこう言うと義秀と手を取り合い、ここに長島との間に不戦協定の締結を示した。こうして長島と不戦を取り付け、同時に海東郡・海西郡を掌握した義秀は、清洲城を包囲していた秀高の要請を受け、一路清州へと向かって行ったのであった。