1559年1月 第二次稲生原の戦い<三>
永禄二年(1559年)一月 尾張国稲生原
「へっ、大いにやってんじゃねぇか。」
稲生原で織田信隆軍と高秀高軍が激しい戦いを繰り広げているさなか、信隆軍の後方・名塚砦を無抵抗のまま落とし、砦に火を放って戦の様子を見ていた者があった。秀高の指示によって迂回し、信隆軍の後方に回ってきた、大高義秀・安西高景の軍勢三千だった。
「でも油断は出来ないわよヨシくん。聞けば味方も苦戦していて、丹羽氏識殿が討ち死にしたらしいわ。」
と、馬上の義秀に向けて、華も同じく馬上からこのことを語りかけた。
「氏識殿の死、決して無駄にするわけにはいきませぬ。聞けば殿の本陣は、我らの到着で息を吹き返したとか。直ぐにでも挟撃しましょうぞ。」
「そのつもりだ!よーし!!このまま後方から、あの女のしかめっ面を拝んでやるぜ!突撃!!」
義秀は高景の言葉を聞くと、遅れまいと配下に攻め掛かるよう指示し、自身が槍を構え、先陣を切って敵陣後方に攻め掛かった。それに配下の兵たちも続き、この攻撃を受けて信隆軍は両面に敵を抱える事態に陥ったのである。
「ぐっ、まさか敵が後方に現れるとは…怯むな、迎え撃て!」
信隆軍の後方を守る野々村正成は義秀の攻撃を受けると、取り乱す味方を静めようと督戦を行ったが、その効き目は薄く、次々と味方は倒された。
「おのれ…こうも見事にかき乱されるとは…」
「そこに見えるのは敵将か!我こそは山内十郎高豊!いざいざ!!」
と、督戦する正成を見つけた秀高の馬廻・高豊は、直ぐにも槍を構えて正成に襲い掛かる。それを見た正成は刀を抜き、一合、二合と刀を合わせた。
「くそっ、貴様山内盛豊の倅か!」
「如何にも!父を討った織田の手先め!ここで討ち取ってくれる!!」
と、高豊は再び正成と打ち合い、そこから三合打ち合った後、高豊は刀を持つ正成の腕を払い、刀を正成の手から落とさせると、次の瞬間には高豊の槍が正成を貫いた。
「ぐぁぁ、む、無念…」
「敵将!この山内高豊が討ち取ったぞ!!」
高豊は正成を地面から落としてこう言うと、従者の祖父江新右衛門に命じて首を取らせ、その首を掲げた。これを見た信隆勢後陣は総崩れとなり、敵の本陣は丸見えとなった。
「おう、さすがだぜ高豊、大手柄だな。」
「さすがね。この私も見惚れちゃったわ。」
と、義秀夫妻が首を取った高豊に近づき、その武勇を褒め称えると二人に向かって高豊はこう言い返した。
「いえいえ…それよりも、これで敵本陣は丸見えになりました。直ぐに攻め掛かりましょう!」
「お前の言う通りだぜ!このまま信隆本陣を突き、あの女の首を取ってやる!」
義秀は高豊の意見を聞くと奮い立ち、手勢を率いて信隆本陣へ目掛け、一目散に攻め掛かった。この攻撃を信隆本隊が受けた時、既に勝敗は決しつつあったのである。
————————————————————————
「なんてこと…まさかこんな簡単に攻め込まれるなんて!」
その信隆の本陣では、後ろから攻め込んできた義秀勢を前に、信隆は困窮していた。鋒矢陣形の弱点は、後方から攻め込まれてきたときに対処が出来なくなり、本陣を突かれて負けやすいという事だったのだ。
「殿、もはや既に敵は目の前まで来ておりますぞ!」
と、報告に来ていた早馬が信隆にこう進言すると、信隆は馬上から早馬に向かってこう告げた。
「分かっているわ!ここは退却よ!全軍を北西方向へ撤退させ、庄内川を渡って清洲に撤退するように伝えなさい!」
「は、ははっ!!」
早馬は信隆の投げやりな指示を聞くと、直ぐに信隆軍全軍に撤退を指示した。これを受けて、信隆軍の陣中はさらに混乱し、それを見た秀高本陣にいた秀高は、さらに攻勢を強めさせたのだった。
————————————————————————
「長秀殿!敵の別動隊によって後陣は総崩れ!野々村正成殿は討死なされたぞ!」
混乱する信隆勢の先鋒にて、秀高本陣に二番手として攻め掛かっていた丹羽長秀のもとに、先鋒を率いていた佐々成政が駆け込んできて、味方の劣勢を長秀に伝えた。
「ええい、まさか朝方のうちに後方に回っていたとは…して、信隆殿は!」
「どうやらすでに撤退を始め、各隊は後退しつつ敵の追撃を防げと…」
すると、その言葉を聞いた長秀は驚き、反復するように成政に尋ね返した。
「何じゃと、この状況で敵の追撃を防ぎつつ後退せよだと…そんなこと、出来るはずもなかろう!」
「しかし、このまま踏みとどまって戦うのは…」
と、成政が長秀に言葉の続きを言いかけたその時、成政の目の前にある人物の姿が飛び込んできた。その人物こそ、信隆を裏切って秀高側に付いた森可成、その人であった。成政は可成の姿を見ると、槍を構えてこう言い放った。
「き、貴様…可成か!」
「成政、それに長秀殿。こうしてまさか相まみえようとはな。」
すると、可成の言葉を聞いた長秀が、馬を進めて可成に語り掛けた。
「可成殿、どうして秀高に鞍替えを!」
「知れた事よ。わしは信長様に惚れたが、織田家に惚れたわけではない!尾張の今後を思えば、秀高殿に預けるが尾張のためになろう!」
「おのれ…この裏切り者がいけしゃあしゃあと!!」
と、可成の言葉に怒った成政が、刀を抜いて可成に襲い掛かった。すると可成はこれをあしらう様に得物の「人間無骨」をそのまま成政めがけて一突きし、そのまま突き刺して馬から払い落とした。それを見た長秀は畏れ、可成にこう言った。
「よ、可成殿…。」
「…長秀殿、悪い事は言わぬ。早々にこの場を立ち去られよ。これがせめてもの恩情じゃ。」
すると、その言葉を聞いた長秀は可成の言葉が終わらぬうちに、馬を駆けてそのままその場所から逃げ去る様に去っていった。そしてそれを見ていた信隆軍の足軽たちも、算を乱して総崩れとなったのである。
「…聞け!このまま敵勢を切り崩す!者どもかかれ!!」
可成は改めて配下の足軽たちに号令し、その勢いのままに攻め掛かる事を告げた。それを聞いた足軽たちは、我先にと敵に攻め掛かり、次々と逃げていく兵たちを討ち取っていったのだった。
————————————————————————
「秀高、これでこの戦は勝ったね。」
その頃、秀高軍の本陣では、帳の中から戦況を見つめていた小高信頼が、秀高に向けて話しかけていた。
「あぁ。何とも呆気なさ過ぎて、なんだか拍子抜けしちゃったけどな。」
「…でも、柴田・前田勢は信隆の撤退に合わせて後退。金森勢も後退した。これで大勢はほとんど決したわね。」
と、秀高の隣に立った静姫が、玲と舞を連れてきながら秀高に話しかけた。
「…あぁ。これで少しは、信勝殿の無念は晴らせることが出来たと思う。」
「うん、そうだね。」
玲が秀高に向けてそう言うと、そこに戦の前線で戦っていた神余高政が戻ってきてこう言った。
「殿!お味方の大勝利にございます!」
「そうか…だが、こっちも少なからず損害を出してしまったがな…」
秀高が高政の報告を聞いてそう言うと、信頼は秀高に向けてこう進言した。
「でも、この勝利を見ればきっと、氏識殿ほか、死んだ者達も喜んでくれるよ。」
「…そうだな。」
信頼の言葉を聞いて秀高は気を取り直すと、高政にこう告げた。
「高政、味方の主な戦果は?」
「はっ。某が河尻秀隆を討ち、森可成殿が佐々成政殿、また、山内高豊殿が、野々村正成を討ち取ってございます。」
「そうか。それだけの首級を上げたか。」
秀高はその戦果を聞いて満足すると、視線を外の方に向けた。戦場では後退していく信隆勢を深追いせず、右翼・左翼の味方がその場に止まっていた。
「よし、皆、ご苦労だった。勝鬨を上げよう!」
秀高はそう言うと目の前に馬を引いて来させ、それに跨ると刀を抜き、戦場に響かせるように勝鬨を上げさせた。
「えい、えい、おーっ!!」
秀高が馬上から勢いよく勝鬨を発すると、その周囲にいた兵士たちはそれに応じ、負けじと声を高く上げて勝鬨を上げた。そしてそれにつられるように右翼・左翼の味方からも勝鬨が上がり、その声は戦場全体はおろか、遥か数十里先まで轟いていたのだった。
こうして、僅か三刻の戦で、秀高軍は信隆軍に快勝し、ここに尾張の覇権は事実上、織田家から秀高の手に移ったのだった。秀高はこの戦いで丹羽氏識ほか、少なからず将兵を失ったが、戦死した者たちの想いを引き継ぐ一心で、秀高はこの勢いのまま尾張北部の織田家拠点への攻撃を始めようとしていたのである…