1559年1月 第二次稲生原の戦い<二>
永禄二年(1559年)一月 尾張国稲生原
戦端は、攻め掛かった織田信隆の軍勢一万二千が開いた。
「おのれ高秀高!!戦の最中に女人を侍らせ、酒を飲み更けるなど勝ったつもりでおるのか!!」
その信隆軍の先陣、鋒矢陣形の一番手を務める河尻秀隆は、鶴翼陣形を取る秀高軍一万三千の真ん中奥深くの本陣辺りに攻め込み、馬上から本陣の様子を見つめてこう叫んでいた。
「秀隆殿!これは我らを怒らせる敵の策略!何卒後続のお味方と歩調を合わせられませ!」
と、追いついて来た蜂屋頼隆が馬上から秀隆に声をかけると、秀隆は怒ってこう言い放った。
「黙れぇ!ここで下がっては、尾張武士の沽券にかかわる!このまま敵本陣を突き、秀高の首を取ってくれようぞ!続け!!」
秀隆はそう言うと、配下の手勢千五百を率い、勇猛果敢に攻め掛かった。それにつられるように、頼隆も渋々手勢の千五百を連れて攻撃に加わり、信隆軍先鋒三千余りは、秀高本陣へと攻め掛かったのであった。
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「秀高、予想通り敵は鋒矢の陣形を敷き、先鋒は一目散にこっちに向かってきてるよ。」
その秀高軍の本陣の中、戦況を冷静に分析していた小高信頼が、依然悠々と盃を飲んでいる秀高に向かってこう言った。
「そうか。継意と信包殿の手筈は終わっているな?」
「うん。こっちの旗本の鉄砲隊も、一益が指揮しているから抜かりはないよ。」
秀高の問いに信頼は自信満々にこう答えた。すると、その言葉を聞いた秀高は、軍配を手に取って采配を振るった。
「よし、まずは敵先鋒をせん滅させる。鉄砲・弓矢の悉くを、敵にお見舞いしてやれ!」
「うん、分かった。鉄砲隊、弓隊構え!」
秀高に代わって信頼が、本陣の外に控える味方の将兵に号令を下すと、外の鉄砲・弓を持つ足軽たちはそれぞれ標準を迫ってくる敵先鋒に向けた。
「放て!!」
その号令一下、鉄砲隊並びに弓隊は矢玉を敵先鋒に向けて放った。それを受けた敵先鋒は混乱し、その銃弾に倒れる者も少なくなかった。その様子を、右翼にて見つめていた織田信包が口を開いた。
「よし、秀高殿が先手を取った。同族とはいえ容赦はするな!狙いを敵先鋒に定めよ!!放て!!」
信包は配下の将兵に向けて銃弾を敵先鋒に放つように指示し、それを受けて信包隊の足軽たちは矢玉を放って敵に見舞わせた。これに左翼の三浦継意隊も応え、三方向からの銃弾を受けて敵、信隆隊の先鋒はうろたえ始めていた。
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「お、おのれ小癪な!怯まずに攻め掛かれ!」
その信隆軍の先鋒。秀隆は馬上から慌てる味方を落ち着かせようと、督戦していたが、その近くにいた頼隆が混乱の中にこう言った。
「秀隆殿!これでは戦になり申さんぞ!!」
「黙れ!我らは畏れ多くも先鋒を仰せつかった!ここで負けては味方の恥になる!」
「しかしこうも三方向から敵の攻撃を受けては…ぐわっ!」
とその時、馬上にいた頼隆に一発の銃弾と一本の矢が同時にあたり、頼隆はそれを受けると馬上から転げ落ち、そのまま絶命した。
「よ、頼隆殿!」
秀隆が転げ落ちた頼隆に声をかけたその時、混乱を見て取った秀高本隊の足軽・騎馬武者たちと可成・継意隊の武者たちが、矢玉が止んだ隙に秀隆の先鋒隊に攻め掛かってきた。この攻撃を秀隆は受け止めようとしたが、混乱が深まった味方は壊乱状態となり、逃げだすものが出始めていた。
「くそっ!逃げるな!正々堂々と戦え!」
「そこに見えるは敵大将と見える!」
と、槍を片手に督戦しつつも戦っていた秀隆を見て、向こうから神余高政が秀隆を見つけて話しかけた。
「おのれ!この河尻秀隆と知って話しかけたか!」
「そなたが河尻秀隆か!某は秀高様の馬廻、神余甚四郎高政である!お覚悟!」
そう言うと秀高は敵味方の乱戦のさなか、素早く秀隆の足元に近づき、秀隆が反応するよりも素早く槍を突き出した。
「うわっ!たかが一介の馬廻に…」
秀隆は槍を受けてそう言うと、そのまま馬から転げ落ちて地面に伏せ、それを見た高政によって首を取られてしまった。
「神余高政!敵将・河尻秀隆を討ち取ったぞ!」
その高政の名乗りを聞いた味方の将兵の士気は高まり、逆に信隆軍の士気は低下した。その後、別の足軽によって死亡した頼隆の首も取られ、ここに信隆軍の先鋒隊は呆気なく壊滅したのである。
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「信隆様!お味方の先鋒が壊滅!河尻秀隆殿、蜂屋頼隆殿お討死!」
その信隆軍の本陣、馬上の信隆は早馬からその報告を受け取ると、その報告に怒ってこう言った。
「ええい、勝手に攻め掛かって討ち死にするとは何とも情けない!」
信隆はそう言うと、近くに控えていた早馬にこう指示した。
「已むをえません、先鋒を佐々隊に変え、二陣に丹羽隊を組み込みます。そのまま攻め掛かるよう、改めて全軍に通告しなさい!」
「ははっ!!」
信隆は迅速に陣替えを全軍に通達し、配置を立て直した信隆軍はそのまま秀高軍と正面衝突した。秀高軍にほど近い本陣では戦況は一進一退になったが、秀高軍の鶴翼陣形の両翼部先端の付近では、そこに当たった柴田勝家・前田利家両隊の活躍で押され始めていた。
「どけどけ!槍の又左のお通りだ!!」
その左翼部・丹羽氏識隊に攻撃を仕掛けた前田勢は、大将・前田利家の奮戦も相まって徐々に丹羽勢を圧倒していた。
「おのれ…さすがは前田利家…」
その奮戦の様子を、氏識は馬上から見ていた。そしてその氏識の目の前に、利家が立ちはだかった。
「丹羽氏識!お前信長様に逆らい、そしてまたこの織田家に牙をむくつもりか!!」
「何を言うか!わしはうつけの家来になった覚えはない!それに尾張を、真に任せられるのは、他でもない秀高殿よ!」
その言葉を聞いた利家は怒り、槍を馬上から構えると周囲の敵兵をなぎ倒しつつ、氏識に近づいた。それを氏識は刀で槍を受け止めるが、利家は刀を払うとその次には氏識の身体を貫いた。
「ぐぁっ!」
氏識はその攻撃を受けると、槍を抜かれた反動でそのまま落馬。地面に転げ落ちた。
「ひ、秀高殿…」
そして氏識は一言、今際の際に一言こう漏らすと、そのまま力尽きた。それを見た利家は槍を構えなおすと、周囲にこう宣言した。
「敵将・丹羽氏識、この前田利家が討ち取ったぞ!!」
この報告を聞いた丹羽勢は総崩れとなり、秀高勢の左翼の一角が崩れた。この勢いのまま、利家隊は勢いそのままに次の佐治為景隊に攻め掛かったのである。
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「申し上げます!左翼の丹羽勢が総崩れ!丹羽氏識殿、討死なされました!」
その頃、秀高本陣にも、丹羽勢総崩れと氏識戦死の報告が、早馬によってもたらされた。秀高はその報告を受け取ると、少し表情を曇らせて早馬に尋ねた。
「何だと…氏識殿が討たれた?」
「はっ…丹羽勢は嫡子・丹羽氏勝様が敗残兵を纏めて後退。打ち破った前田勢が佐治勢側面に攻め掛かりました!」
その報告をすると早馬は一礼し、そのまま下がっていった。この時、秀高本陣の前面では旗本二千が佐々勢と交戦しており、その方面では一進一退を続けていたが、思わぬ報告を受けて本陣は動揺した。
「そんな…氏識さんが…」
「…戦に絶対なんてないわ。氏識殿が死ぬのも、仕方がない事よ。」
玲が氏識戦死の報告を聞いて落胆すると、その一方で静姫が取り乱さずにその報告を受け入れ、自分の気持ちに言い聞かせるようにこう言った。すると、そこにまた別の早馬が入ってきた。
「申し上げます!右翼先端、坂井政尚隊苦戦!織田信房殿、中川重政殿討死!下方貞清殿負傷!」
「何、右翼が押されているの?」
と、秀高に代わって信頼が、早馬に聞き返すと、早馬はそれに頷いた。
「はっ。右翼に攻め掛かったのは柴田勢にて、坂井勢は負傷兵を纏めて戦線を離脱なさいました。」
「…分かった。撤退した丹羽勢と坂井勢に、迅速に那古野へ帰城せよと伝えてくれ。」
「ははっ!」
早馬は秀高の指示を聞くと、返事をしてそのまま去っていった。するとやがて、本陣にも戦の喊声が聞こえ始めていた。
「…秀高、もうそこまで喊声が…」
「分かっている。直ぐにでも敵を…」
と、秀高が話したその時、秀高の目の前に置かれていた徳利が、銃弾を受けて破裂した。
「ひ、秀高くん!大丈夫?」
すると、秀高は声をかけてきた玲を心配をさせないように、机を三浦継高に命じてどかせると、信頼に向かってこう言った。
「…大丈夫だ。信頼、前面の敵を押し返す。槍隊と足軽隊に迎撃を命じろ。」
「うん。分かった。」
信頼はそう言うと、早馬に秀高の指示を伝え、その通りに行動するように命じた。それを受けた早馬は、そのまま本陣を去っていった。
「まだ…まだ義秀の部隊は到着しないの!?」
と、静姫が声を荒げてそう言ったその時、その場に伊助が現れた。
「伊助!間に合ったのか!!」
「はっ!大高勢、並びに安西勢三千、庄内川対岸に現れ、そのまま無人の名塚砦を攻め落としました!」
その報告を聞いた秀高本陣は色めき立ち、秀高は立ち上がって伊助にこう言った。
「よし!伊助、直ぐに敵に流言を流せ。「敵別動隊が名塚砦を制圧。その数六千」とな。」
「畏まりました!直ちに流してまいります!」
伊助はそう言うとすぐに姿を消し、信隆勢に流言を流しに向かった。それと同時に秀高は、床几から立ち上がってこう宣言した。
「皆に伝えろ!味方の別動隊が後方に到着した!このまま戦線を押し返せ!」
「ははっ!!」
その号令を聞いた秀高本隊の旗本たちは、奮い立ってそのまま敵の攻撃を跳ね返し始めた。このとき戦が始まって、まだ数刻も経過していなかったのである。




