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1559年1月 第二次稲生原の戦い<一>



永禄二年(1559年)一月 尾張国(おわりのくに)稲生原いのうはら




 永禄(えいろく)二年一月十八日早朝。庄内川(しょうないがわ)南岸の稲生原は濃い霧に覆われていた。その中に展開する軍勢の姿があった。風に吹かれてはためく旗に書かれた家紋は「丸に違い鷹の羽」。高秀高(こうのひでたか)の指揮する軍勢一万六千であった。


「…敵は間違いなく名塚(なづか)に入ったんだな?」


「はっ。物見の報告によれば、敵は夜半のうちに名塚砦に入り、そこで仮眠を取ったようです。」


 その、霧の中に浮かぶ秀高軍の本陣の中、床几(しょうぎ)に腰かけて馬廻の三浦継高(みうらつぐたか)からの報告を聞いていた秀高は、目の前にある机の上に敷かれていた絵図を見ながら、森可成(もりよしなり)にこう言った。


「可成殿、敵は恐らく前面に布陣してきている。ここはこの本陣を中心に、鶴翼(かくよく)陣形を敷きたいと思うが、どうだろうか?」


「鶴翼でござるか…」



 ここで言う鶴翼というのは、戦において使用される陣形の一種で、その形状はV字状に展開する陣形であり、まるで鶴が翼を大きく広げたように見えた事から名前が取られている。主に防衛戦時に使用されている陣形で、攻め掛かってきた敵を陣形の先端で包み、包囲殲滅を狙える陣形でもあった。



「なるほど…確かに鶴翼ならば敵を包囲殲滅に持ち込めようが…あの信隆(のぶたか)の事、きっと負けが決まればとっとと撤退するに相違ないであろう。」


「あぁ。だからこちらも少し兵を分け、信隆の軍勢の後方へ回して挟撃させる。義秀(よしひで)!」


 と、秀高は視線を大高義秀(だいこうよしひで)の方へ向け、絵図を指し棒で示しながら一つの命令を下した。


「お前は(はな)さんと共に高豊(たかとよ)率いる旗本の千人、それに高景(たかかげ)の軍勢を合わせた三千を率い、矢田川(やたがわ)を越えて庄内川の上流を渡ったら、川沿いに南下して名塚を急襲してくれ。」


「名塚を攻め落とすってのか?」


 義秀が秀高の作戦を聞いてからこう尋ねると、秀高は頷いて言葉を続けた。


「あぁ。この霧の様子だと、あと二刻(ふたとき)は晴れないだろう。その間に川を渡り、敵の背後に回って砦を攻め落として欲しい。そうすれば、信隆は退路を断たれ、こちらの戦局は更に優位に立つだろう。」


「分かったぜ。川の上流から回ってくりゃあ良いんだな?よっしゃ!直ぐにでも向かうぜ!」


「ヒデくん、暫くかかると思うけど、くれぐれも油断しないでね?」


 義秀に続いて華は秀高にこう言うと、その場にいた安西高景(あんざいたかかげ)山内高豊(やまうちたかとよ)を連れて本陣を出ていき、別動隊三千を率いて一足先に出陣していった。それを見届けた秀高は、絵図を指しながら布陣の詳細を伝えた。


「さて、鶴翼陣形の右翼本陣側には信包(のぶかね)殿、そこから先端に向けて可成殿、政尚(まさひさ)殿の順に五千五百で布陣してもらう。」


「ははっ。お任せくだされ。必ずやお役に立って見せましょう。」


「この織田信包、信隆が相手であろうとも必ずや買って見せまする。」


 可成と信包からそれぞれ言葉を受け取り、秀高はそれに頷くと続きの指示を伝えた。


「そして左翼には継意(つぐおき)為景(ためかげ)、それに氏識(うじさと)の順に、こちらも五千五百の兵を率いて先端部に氏識が布陣する。」


「ははっ。お任せくだされ。この丹羽氏識(にわうじさと)、粉骨砕身の一念で働きますぞ。」


 氏識の言葉を聞いて、秀高は頷いて応えた。


「うむ。敵もここで負ければ後がないと奮戦してくるだろう。つまりこちらが攻める側で、敵が迎え撃つ側だ。迎え撃つ側の強さは、桶狭間(おけはざま)で良く知っているはずだ。」


 秀高が継意らに向けてこう語りかけると、山口盛政(やまぐちもりまさ)がそれに応えて発言した。


「如何にも。こちらも油断せずにあたる必要がありますな。」


「そうだ。この本陣には二千の旗本を残す。各隊は敵の攻撃を跳ね返し、別動隊が後方を突くまで耐えてくれ。頼むぞ。」


「ははっ!!」


 その秀高の言葉に応えるように、諸将たちが声を上げて答えると、立ち上がってそれぞれの役割と陣構えを整えるべく、本陣の外に出ていった。


「…いよいよ決戦だね。」


 と、本陣の中に残った小高信頼(おだかのぶより)が、秀高に向けて語り掛けると、秀高はそれに頷くと、近くに控えていた三浦継高(みうらつぐたか)にこう言った。


「継高、俺の近くに床几を二つ置いてくれ。それと徳利(とっくり)(さかずき)を用意してくれ。」


「ははっ。承知しました。」


 継高は秀高の指示を受けると、秀高の傍に床几を二つ置き、机の上に徳利と盃を用意させた。それを見た秀高は、従軍して来ていた(れい)と、於菊丸(おきくまる)を抱えた静姫(しずひめ)にこう言った。


「さあ、二人とも座ってくれ。」


「え?座っていいの?」


 玲はその申し出に戸惑いながらも、斯波義銀(しばよしかね)の姿に扮装していた(まい)と、秀高の間におかれた床几に座り、静姫はその反対の床几に座った。すると、秀高に静姫がこう聞いた。


「ねぇ、これから戦なんでしょう?私たちがここに座ってていいの?」


「…あぁ。良いんだ。この本陣は見通しのいい場所にある。敵からもこの本陣の様子が見えるはずだ。」


 すると、秀高のこの言葉を聞いた信頼が、秀高の考えを察してこう聞いた。


「まさか…この本陣の様子を見せつけて、敵を挑発するの?」


「その通りだ。敵は俺たちを跳ね除けようと躍起になっているはずだ。そこにこの本陣の様子を見れば、敵は自分たちを舐め切っているといきり立ち、冷静を欠くに違いない。」


「そううまくいくかしら?」


 と、その考えを聞きながら静姫が秀高にこう言うと、秀高は静姫にこう言った。


「静、信隆は引っ掛からないにしても、その配下たちは侮辱されてると思うに違いない。それが半分引っ掛かれば、信隆の指示を聞かずに独断で行動してくるだろう。それを各個撃破してやれば、信隆もやむを得ずに攻撃するしかない。」


「なるほど、信隆を怒らせるというよりかは、その配下が目当てという訳ね。」


 静姫が秀高の見通しを聞いてこう言うと、秀高は頷いて更に言葉を続けた。


「あぁ。特にこの状況に焦っている元信長(のぶなが)配下の母衣衆(ほろしゅう)たちを怒らせ、前面にいる俺たちに視線を向けさせることが目的だ。その後ろを義秀たちの別動隊が到着すれば、その時に勝敗は既に決したといってもいいだろうな。」


「…あとは、私たちが耐えきれるかどうか、だね。」


 と、秀高の反対に座っていた玲が、話を聞いた上で一言、こう言った。


「…こちらにもいくらかの被害は出るだろうが、それでもここで勝てば尾張の実権は握ったと言えるだろう。ここはどうしても、勝たなきゃならないんだ。」


 そう言うと、秀高は目の前の徳利を取り、その中身を盃に注いだ。すると、その中身を見た静姫が驚いた。


「…ってこれ、酒じゃなくてただの水じゃないの。」


「もちろんだ。これを遠目から見れば単に酒を飲んでいると思うだろう。視覚的にもだましてやるのさ。」


 秀高は静姫にそう言うと、静姫にも盃を渡して徳利で注いだ。それを飲んだ静姫は、飲み終えた後に秀高にこう言った。


「…確かに普通の水ね。でも、これを見れば酒と思うのも無理はないわ。」


「だろう?さぁ、二人も飲んでくれ。」


 そう言うと秀高は、玲と舞に対しても盃を手渡しし、二人の盃に徳利を注いでやった。こうして秀高は開戦のその時まで余裕を持った態度を示し、この光景を見せつけてやることで敵の士気を削ごうとしていたのである。




————————————————————————




 やがて日が高く上がり、それと同時に霧が晴れてくると、秀高軍の反対方向に布陣していた信隆勢一万二千は、秀高軍とその本陣の様子を見て驚いた。


「殿、敵はやはり鶴翼の陣形を取ってまいりましたぞ。」


 その信隆軍の本隊。その中で馬上からその報告を聞いた信隆は、報告してきた丹羽長秀(にわながひで)に向かって指示を下した。


「長秀、こちらは鋒矢(ほうし)の陣形を取ります。各隊に配置を鋒矢に変えるように指示を出しなさい。」


「ははっ。心得ました。」


 長秀は信隆からその指示を受け取ると、近くにいた早馬に目を配り、その指示を各隊に伝達するように走らせていった。


「…それにしても、鶴翼でこちらを包もうなんて、以外に戦の才能がないのね。」


「仕方がありますまい。戦の経験はあっても、大軍を指揮するのは初めてでございますからな。」


 信隆に向かって長秀がこう言っていると、そこに別の早馬が駆け込んできた。


「も、申し上げます!先鋒、河尻秀隆(かわじりひでたか)隊と蜂屋頼隆(はちやよりたか)隊が独断で動き初めましてございます!」


「何じゃと!!鋒矢の陣形を取るまでは動くなと申したはずじゃ!」


 長秀がその報告に怒って早馬に詰め寄ると、早馬は長秀と信隆にこう報告した。


「そ、それが、秀隆殿と頼隆殿は敵本陣の様子を一見してすぐに、攻め掛かると申した次第にて…」


「…いったい、二人は何を見たというのですか!」


 すると、その時、信隆の前方の視界が開け、その先にあった秀高の本陣の様子を見て驚いた。そこには秀高が本陣の帳の中で女性二人を脇に(はべ)らせており、そして遠目から見た様子では、秀高は悠々と盃を口に近づけていたのだった。


「あれは…あれは秀高の挑発です!まさかあれに触発されたというのですか!」


「はっ…左様にございます…」


 早馬が信隆の言葉を受けて更に言いよどむと、そこにまた別の早馬が駆け込んできた。


「申し上げます!佐々成政(さっさなりまさ)隊と金森可近(かなもりありちか)隊も同様に攻め掛かり、次々と戦端を開いていっております!」


「殿、これでは我が勢と先陣との間に大きく差が開きまするぞ!」


 長秀の言葉を聞いた信隆は歯ぎしりしながらも、早馬に向かってこう言った。


「…已むをえません、このまま進んで陣形を整えましょう。先鋒は河尻・蜂屋隊。二番手に佐々・金森隊。三番手を柴田勝家(しばたかついえ)前田利家まえだとしいえ勢とし、我が隊は先鋒隊の後方に着き、後陣を野々村正成(ののむらまさなり)隊とします。直ぐに陣構えを整え、そのまま秀高勢に攻め掛かるように指示を出しなさい!」


「は、ははっ!」


 早馬たちは信隆の指示を聞くと、すぐにその意向を柴田・前田両隊に伝えに行った。その様子を見つめながらも、信隆は秀高の小賢しい細工を前に、歯ぎしりしながら手綱を強く握りしめたのだった。





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