1559年1月 那古野評定
永禄二年(1559年)一月 尾張国那古野城
永禄二年一月十七日。高秀高指揮する一万千の軍勢は、森可成ら反信隆派が待つ那古野城へと入城した。この時、可成らの軍勢は五千近くに膨れ上がっており、総勢一万六千の軍勢が、那古野城に集結したのであった。
「良いか舞、これから先は、何があっても喋るなよ。」
「…はい。」
那古野城の城門をくぐった時、変装している舞に対して秀高が声をかけた。
「…心配すんな。お前には姉たちがついている。何かあったら俺もフォローするから、何も心配いらないさ。」
と、秀高が気をほぐすためにかけた言葉を、舞は微笑んで受け止めた。やがて御殿の入り口に付くと、秀高ら主要な将たちと舞、それに於菊丸の後見を務める玲と静姫も、御殿の中へと入っていった。
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「…おぉ、秀高殿、お待ちしておりましたぞ。」
やがて御殿の中の評定の間に通されると、片側に可成ら加勢してきた織田家の武将たちが集まり、床几に腰かけていた。その中で可成が、秀高の姿を見ると声をかけてきたのだった。
「可成殿、お待たせいたしました。これまで、よく耐えてくれました。」
「いやなに、秀高殿の補佐も相まって、予想以上に味方を増やすことが出来ました。さぁ、まずはお掛けあれ。」
秀高たちは可成に促されると、秀高と変装した舞、それに於菊丸と補佐する二人は上座におかれた床几に座り、それ以外の武将たちは可成達と真向いの床几に腰かけた。
「秀高殿、書状でも報告したとは思われるが、ここにきている将たちは皆、秀高殿こそ尾張の主に相応しいと思って付いて参った者たちにござる。まずは、織田信包殿に信治殿、それに元服したばかりの織田信興殿にござる。」
可成は開口一番に、信包ら織田家一門の中で馳せ参じてきた面々を、秀高配下の武将たちにも改めて紹介した。その紹介を受けて信包らは、それぞれに頭を下げて会釈した。
「…信興殿は、こうして会うのは初めてだな。高秀高だ。よろしく頼む。」
「お言葉を賜り恐悦至極に存じます。この織田信興、謹んで秀高殿の配下になり申す!」
初対面の信興に声をかけた秀高に、信興はそれに元気よく答えた。それを見届けた可成は、続きの武将たちの紹介をした。
「それと、譜代の家臣からは坂井政尚殿、織田信房殿に岡田重善殿、下方貞清殿にござる。」
可成から紹介され政尚ら家臣たちは、それぞれに頭を下げて会釈を取った。それに応えるように三浦継意や大高義秀ら秀高配下の武将たちも、それに応えて会釈した。
「…可成殿、これらの面々は、既にこちらの家臣になるのを承諾して馳せ参じて来てくれたことは知っている。それ以降で、何か動きはあったのか?」
「…実は今朝方、調略が間に合いまして新たに馳せ参じてきた者がおります。その者達も、秀高殿の家臣になる事を承知しております。」
可成の言葉を聞くと、秀高配下の武将たちからおぉ、と感嘆の声が上がった。その意見を代表するように、継意が可成に尋ねた。
「可成殿、それは誠にございますか?」
「うむ。既にこの場に連れて来ておる。入ってまいれ!!」
すると、可成の声に促されて、その評定の間に三人の武将たちが入ってきて、秀高の前に跪いた。そして三人は会釈を秀高に取ると、一人ずつ名を名乗った。
「お初にお目にかかります。浅井政貞と申しまする。」
「中川重政と申しまする。秀高殿のお味方になりたく、馳せ参じて参りました。」
「同じく、塙直政にございまする。」
すると、その面々の名前を目の前で聞いていた小高信頼は驚き、直政らに向かって尋ねた。
「…ちょっと待って。貴方たち元は信長の母衣衆だった者達でしょう?それがどうして秀高の味方に?」
「畏れながら、母衣衆とは申せど信隆殿に重用されておるのは佐々成政や前田利家ら、信隆殿から信頼を得ておられる家臣のみにございます。」
「如何にも。我ら末端はその恩恵にあずかれず、それどころか高山幻道に命じて我らの動向を探ってくる始末…もはや信隆殿についてはいけぬと思い、馳せ参じて参った次第にござる。」
直政に続いて重政が、信頼に対してこう言うと、それを聞いていた秀高が直政らに向かってこう言った。
「話はよく分かった。ならば三人とも、今後はこの秀高の家臣として、存分に力を振るってくれ。」
「ははっ!!ありがたきお言葉に存じまする!」
その言葉を受け取った直政らは、秀高に一礼をして謝意を示した。そして直政は、用意された床几に腰を掛け、軍議に加わる事となったのである。
「さて、皆聞いてくれ。今回ここに尾張侵攻に先立ち、可成殿の要請で亡き信勝殿の遺児於菊丸を、そして斯波義銀殿をこちらの名代として擁立することになった。これでこちらは、奇妙丸に負けない大義を得た。」
その席上、秀高が義銀に成りすましている舞と、於菊丸を諸将たちに紹介した。
「これでこちらの士気は高まるばかりだ。このまま敵の出方を窺い、野戦に出てきたときはこれを迎え討ち、野戦に出てこなかった場合はこちらから攻め込む。俺としてはこのように考えているが、皆の忌憚ない意見を聞きたい。」
「では、言上仕る。」
と、秀高から進言を促された可成は、すぐに一礼して秀高に向かって進言した。
「これまでに追い込まれた以上、信隆が取るのは間違いなく野戦でござろう。秀高殿には、迎え撃つ場所の候補は決まっておるので?」
「よく聞いてくれた。」
可成の言葉を聞き、待ってましたとばかりに秀高はこう言うと、馬廻の|山内高豊に盾を用いた机をその場で拵えさせ、その上に絵図を広げると、指し棒でその場所を示した。
「迎え撃つ場所の候補は二つ。まず一つは庄内川を渡り、川向こうの萱津まで進軍してそこで迎え撃つか、もしくは手前の稲生原に布陣するかのどちらかだ。」
「萱津に稲生原…どちらも古戦場にございますな。」
秀高の意見を聞いて継意がこう言うと、秀高はそれに頷いた。すると、可成は自分の意見を秀高に進言した。
「畏れながら、信隆の性格上、清洲から南東の萱津に布陣したところでこちらに向かってくるとは思えませぬ。むしろ名塚砦が信隆方の手にある以上、やはり決戦地は…」
「稲生原、か。」
秀高はその名前を聞いて、因縁と呼ぶにふさわしい巡り合わせを噛みしめていた。
稲生原。秀高や参陣している義秀や信頼、そして華たち三姉妹や敵として参陣していた可成にとっては思いで深い地であった。三年前、この地で織田信長と織田信勝が織田家の家督を巡って激突した地である。そしてこの戦いで信勝は敗北し、あえなくも命を落としてしまった。
それから約三年経った今、秀高は決戦予定地として、再度候補に挙がったその地の名前を、再度噛みしめるように呼んでいた。それは、両者の遺志が手繰り寄せた物か、それとも仕組まれた物かは定かではないが、秀高はこの地の名前に、一種の因果を感じていたのである。
「面白れぇ、ここで再び戦が出来るんなら、あの時の意趣返しが出来るってもんだぜ!」
この地名を聞いた上で義秀が昂ってこう言うと、隣にいた継意も秀高にこう言った。
「うむ。稲生原は殿にとっては因縁深き地。ここで勝利して尾張の覇者は誰かを示さねばな。」
「申し上げます!」
と、そこに馬廻の神余高政が急ぎの報告を携えて入ってきた。
「清洲方面に放った物見より報告!織田信隆率いる軍勢一万二千!清洲城を出て守山方面に進軍中との事!!」
「何…守山だと?という事は…」
「やはり、決戦場は稲生原になりましょうな。」
秀高の言葉に対して可成がこう言うと、秀高はそれに頷いて諸将にこう言った。
「よし。みんな聞いてくれ!信隆との決戦場を稲生原にする!各将は直ちに戦支度を整えられ、出陣の準備をせよ!」
その秀高の言葉を受けると、一同はそれに会釈して答えた。すると、そこで可成がこう申してきた。
「…では、ここで義銀殿からお言葉を賜りたい。」
「…!!」
と、唐突の振りに舞は驚きつつも、平静を装って予定通りに扇を使い、耳打ちで秀高に伝えた。
「…義銀殿は、「今こそ決戦の時。諸将の奮戦に期待する。」と。」
「それを是非、口頭でお伝えくだされ。」
可成は秀高の言葉を聞いた上で、義銀に扮する舞に言葉を発するように迫った。すると、戦に従軍していた義銀の弟、津川義冬と毛利長秀が可成にこう意見した。
「可成殿!兄は人間不信で言葉を発せられず、耳伝いでしか話したくないと申されております!」
「左様!それを無理強いして迫るとは、無礼千万ではありませんか!」
この時、義冬と長秀は秀高から事前に、舞が義銀の影武者として従軍していることを承諾しており、それを補佐するように可成の非礼を攻め立てた。すると可成は決然と、その反論に対して言葉を返した。
「これは異なことを。そもそも戦において士気を高めるのは御本人のお言葉。それが聞けなくては諸将の士気に関わろう。」
可成はこう言って二人の反論を退けると、舞に向かってこう迫った。
「さぁ、どうかお言葉を発せられませ。」
「…!」
その時、舞の額に一粒の汗が流れた。この様子を見た玲と静姫も万事休すかと思われた時、秀高が可成にこう言い放った。
「…可成殿、人間不信に陥っている方に迫るなど、更に疑心暗鬼を強めるつもりか?」
その言葉を聞いた可成は秀高の瞳を見つめた。それに負けじと秀高も見つめ返し、両者はしばらくの間それを見つめていた。やがて、可成は笑い出すとこう言った。
「…はっはっは、確かに一理ある。義銀殿、些か無礼を申した。お許しあれ。」
可成はそう言うと舞に向かって頭を下げて謝った。それを舞は頷いて応えたが、内心バレずに済んだと安堵していた。すると、可成は立ち上がって信包らの方を向いてこう言った。
「…さぁ、こうしている暇はない!諸将よ、直ちに戦支度を整えよ!」
その言葉を受け取った信包ら旧織田家臣の武将たちは、おうと応えてその場から次々と去って言った。それに続いて山口盛政や佐治為景ら秀高家臣の面々も、秀高に向かって一礼してその場を去っていった。
「…それにしても、因果な事とはある物ですな。」
諸将が去っていったその場に、秀高や上座に座る面々と義秀夫妻、それに信頼と継意が残った中で、一人残った可成が秀高にこう言った。
「某、信長殿に従事して尾張統一を進めているとき、信長様に命じられて義銀殿の追放を命じられていてな、その時に義銀殿の顔は覚えておった。」
その言葉を聞いた時、秀高たちに寒気が走った。その経緯を聞いた上では、可成には舞が影武者であることを見抜かれていたのである。
「…だが、今は諸将が結束しなければならぬ時、わしがつまらぬことで意地を張っては、折角の結束が台無しになる。先ほどの一件はすまなかった。許して欲しい。」
「…分かった。こちらの事情を察してくれて、感謝する。」
すると、可成はある事を思い出し、懐から一通の書状を取り出して秀高にこう言った。
「そうじゃ、秀高殿、これは先ほど、柴田勝家から届いた書状じゃ。皆がいる前では出さないで欲しいと言われ、落ち着いた時に手渡ししてほしいと言われたのじゃ。」
「柴田…勝家…!」
秀高はそう言うと可成から書状を受け取り、その内容を拝読した。すると、可成は舞に向かってこう忠告した。
「…影武者殿、今度から扇を当てる際は、もう少し目に近づけた方がよい。輪郭の線で女子と分かる故な。」
その忠告を受けて舞が静かに頷くと、可成はそれに満足して微笑み、そのまま戦支度をするために去っていった。
「…間一髪だったわね。」
「うん。可成さんが黙っていてくれて助かったよ。」
その緊迫した様子を見ていた静姫と玲が安堵してこう言うと、華が手渡しされた勝家からの書状が気になり、秀高に向かって尋ねた。
「ヒデくん、勝家からはなんて言ってきたの?」
「…これは…。」
秀高はそう言うと、その書状の内容を義秀たちに見せるように机の上に置き、床几から立ち上がって廊下に出て、そこの窓から外を見つめた。それと同時に、勝家の書状を見た義秀たちは、その悲壮な文面を見て言葉を失ったのだった。
高秀高と織田信隆。それぞれ信勝と信長の遺志を引き継いだ者たちが、かつて両者が争った稲生原の地で邂逅しようとしていた。時に一月十七日。夕暮れ時のその空は、どこか綺麗に澄み渡っていた。