1559年1月 熱田の邂逅
永禄二年(1559年)一月 尾張国熱田
永禄二年一月十六日。鳴海城を進発した高秀高指揮する七千五百の軍勢は、その日のうちに熱田にある神社・熱田神宮に到着。そこで岩崎城よりこの地に到着する丹羽氏識の軍勢千五百を待っていた。
「ひ、秀高さん、この姿で大丈夫でしょうか…」
その熱田神宮の社近くに敷かれた秀高軍の陣中。陣幕が垂らされた帳の中で変装していた舞が、不安そうに秀高に話しかけていた。
「大丈夫だ舞。黙っていればしっかりと若武者に見えるさ。」
舞の姿というのは、長い髪を束ねて髷を作り、それを烏帽子の中に納め、鎧ではなく鎧直垂を身に纏い、籠手と脛当を装着して陣羽織を羽織った状態であった。
「うん。義銀殿も若くて幼さが残ってたから、知らない人が見ればまず見間違えないと思うよ。」
小高信頼が秀高に賛同するようにそう言うと、舞の隣で於菊丸を膝に乗せていた玲がこう言った。
「舞、くれぐれも返事する時には、言葉を出さないようにね。」
「そうよ。あんたの働き次第で結果が左右するのよ。しっかりなさい。」
と、玲の後ろで様子を見ていた静姫が更に言葉をかけた。昨夜、舞の行動に触発された、二人の願いを聞き入れた秀高は二人の警護を兼ねて三浦継高を付けさせ、身辺の警護を徹底させていた。だが、秀高はそれとは別に、二人を信隆打倒のための一つの切り札としても参陣させていたのだ。
「だが、こうして皆勢揃いするのは、なんか久々じゃねぇか。」
と、その様子を見つめていた大高義秀が、懐かしく思って言葉を発した。すると、その隣で座っていた華が義秀の意見に同意するように言った。
「そうねぇ。今まではヒデくんにヨシくん、それとノブくんと私が主に戦に参陣してたものね。」
「そうですね。玲と静姫はあくまで於菊丸の後見で参陣してますけど、こうして戦場で勢揃いするのは初めてかもしれないですね。」
秀高が華にこう言葉を返していると、そこに馬廻の佐治為興が帳の中に入り、秀高にある事を報告しに来た。
「申し上げます、ただ今滝川一益様がお戻りになられました。」
「そうか。ここに通してくれ。」
秀高の指図を聞いた為興は、直ちに帳の外で待機している一益を招き入れ、秀高に面会させた。
「殿、ただ今戻りました。」
「ご苦労だった。それで、首尾はどうなった?」
すると一益は秀高に向かって、自身が外に出向いていたことに関してのつぶさな報告を述べた。
「はっ。信隆に呼応して決起した花井・荒尾の両豪族を討ち取り、それぞれの所領にあった城を破却して参りました。」
実は、この花井氏と荒尾氏という豪族は、鳴海城と大野城の中間に点在していた独立豪族で、元は山口教継の家臣であった。それが、秀高に代替わりした後は秀高への仕官を拒み、何者にも属さない中立の立場を取っていた。
だが、秀高が尾張経略に向けて工作を始めたことを察知した織田信隆によって、織田派へと鞍替えしたため、秀高は後顧の憂いを絶つべく一益に二千の軍勢を事前に与えていたのだった。
「そうか。ご苦労だった。一益には引き続きになるが、これからの戦も頼むぞ。」
「ははっ。ではこれにて。」
秀高のねぎらいの言葉を受け取った一益は、それに一礼して答えると、そのまま帳から下がっていった。すると、それを見ていた静姫が秀高に言う。
「…あの二つの豪族は、じい様の頃から他人の顔を窺ってばかりで、自立した行動なんて取ろうとしなかった所よ?それが今になって織田に付くなんてね…」
「おそらく、信隆から俺たちの領土の折半で乗って来たんだろうな。まぁ、時勢が見えてないというか…」
と、秀高が静姫の言葉にこう返すと、それを聞いていた信頼が秀高にこう言った。
「でもこれで、花井と荒尾の領地に加えて、事前に定俊に命じて回収させた境川西岸の水野領も吸収できた。これで僕たちは、知多半島一帯を完全に抑えたことになるね。」
「…あぁ。まぁ、火事場泥棒みたいなもんだがな。今川勢が攻略して破却した緒川の水野領を分捕ったんだ。」
すると、その言葉を聞いて義秀が秀高に言った。
「まぁ良いじゃねぇか。これで俺たちは押しも押されぬ大名になったってもんだぜ。」
「…秀高さん、私もそう思います。この過程で不安な要素を取り除くことが出来たのは、今後の展望にもきっと活きてくるはずです。」
義秀に続いて舞が秀高にこう意見すると、秀高はそれに納得して頷いた。兎にも角にも、この一益軍二千の合流によって、秀高の軍勢は総勢約一万にも膨れ上がったのである。
「殿、丹羽氏識の軍勢がご着陣されました。」
「そうか来たか。早速にもここに通せ。それと、継意と為景たちを呼んできてくれ。」
馬廻の山内高豊から丹羽勢の到着を聞いた秀高は、直ちに本陣へと招くように指示すると同時に、三浦継意ら重臣たちを呼び寄せるように指示した。やがて帳の中に継意らが集まり、勢揃いして両脇に別れて座ると、その直後に高豊が氏識を帳の中に通してきた。
「秀高殿、お初にお目にかかる。尾張岩崎城主・丹羽氏識にござる。」
「同じく、嫡男の丹羽氏勝にございます。」
その氏識親子の言葉を聞いた秀高は、軽く会釈して床几に座る様に手で招いた。それを受けた氏識親子はそのまま床几に腰かけ、秀高と互いに顔を合わせた。
「氏識殿、此度の御参陣、誠にありがたく思うぞ。」
「いえ。此度の英名誉れ高い秀高殿の尾張経略、我らが加勢せねばどうなると思い、氏勝と共に罷り越しましたぞ。」
氏識は秀高にそう言うと、秀高の右隣りに座っていた舞に目がいき、秀高にこう言った。
「ほう、やはり噂通り、先の尾張守護を擁立なさいましたか。」
「あぁ。義銀殿も今回の決起に同意され、共に立たれることになった。義銀殿。丹羽殿が参られましたぞ。」
すると、義銀に扮している舞は扇を広げ、それで口元を隠すように扇を当てると、秀高に顔を近づけて耳伝いに会話するそぶりを見せた。その光景を見て不安に思った氏識に、秀高が取り繕う様に言葉を発した。
「…申し訳ない氏識殿、義銀殿は人間不信の気があり、私を通じて会話することにしているのだ。どうかご理解を…」
その言葉を受けて、氏識は再び舞の顔を見た。舞は顔を向けられると眉を顰め、気まずそうな表情を見せたが、氏識から見てみれば、秀高の会話と相まって本当に人間不信になっているのだと思えてきたのである。
「…左様でござるか。で、義銀殿はなんと?」
「あぁ。「此度の参陣、誠に有難く思う。」と仰せになった。」
すると、氏識は耳伝いで聞いた秀高より、その言葉を受けると義銀に一礼し、秀高にこう言った。
「ありがたきお言葉。この丹羽氏識、謹んで戦いましょうぞ…おや?そちらは…」
と、氏識はそう言いながら、反対の左隣で玲に見守られながら床几に座っていた於菊丸に目を向けた。それを見た秀高が、氏識にこう説明した。
「あぁ。氏識殿、こちらが亡き織田信勝殿の遺児、於菊丸だ。今回の尾張侵攻における、重要な旗頭だ。」
「そうでござるか…於菊丸殿、おいくつになられたかな?」
「…四歳にございます。」
と、於菊丸がおぼろげな言葉で氏識に言葉を返すと、氏識はまたも感嘆して於菊丸にこう言葉を返した。
「おぉ、良いお返事にございますな。これならば、将来が楽しみでござる。」
その時、氏識が於菊丸から視線を静姫へと移すと、氏識はその姿を見て驚き、静姫にこう言った。
「…そなたもしや、亡き教吉殿のご息女か?」
「えぇそうよ。」
すると、氏識はその静姫の容姿を確認すると、しみじみと感慨深げに言った。
「そうか…あの幼子がここまで凛々しく成長なさるとはな。亡き教吉殿もきっとあの世で満足しておられよう。」
「あんた、じい様たちを知ってるの?」
すると、氏識は静姫の言葉にうなずいて、静姫や秀高に向けてこう言った。
「如何にも。教継殿とは幼いころからの知り合いで、もっと言えば、教継殿たちが襲撃されたあの時、密かに面会しようとしていたのは、このわしなのじゃ。」
「…何だと、それは本当ですか!?」
氏識からもたらされた意外な言葉。それは教継親子が襲撃されたあの時、教継親子が極秘裏に会おうとしていた人物がいて、それが目の前にいる氏識であるというのだった。
「…あぁ。わしはあの時に桜中村へと向かおうとしていたのじゃが、到着する前に教継殿たちが襲撃されたと聞いてな。身の危険を感じて引き返してしまったのじゃ。」
「そうだったのですか…」
秀高が氏識の話を聞いて納得すると、氏識は秀高に対してこう言った。
「秀高殿、わしは教継殿に会えておればこう申すつもりであった。岩崎城一帯の丹羽領、悉くを教継殿に託し、家臣になるとな。」
氏識がそう言うと、背後に控えていた氏勝が代わりに喋り始めた。
「父と同様に某や、また祖父である氏清様も同様に思っておりまする。教継様亡き後の秀高殿のご活躍を見て、このお方にこそ仕えるにふさわしいと思いましてございます。」
氏勝が氏識の意見を代弁するようにそう言うと、氏識は秀高に頭を下げてこう進言した。
「願わくばどうか、この氏識と丹羽氏一同を、秀高殿の家臣の末席にお加えいただけませぬか?」
すると、その願いを聞いた秀高は立ち上がって氏識の手を取ると、その手を握りしめて氏識の顔を見るとこう言葉を返した。
「…よくぞ言ってくれた。お前たちが加わってくれれば、俺たちの力はより強まる!」
「ははっ!ありがたきお言葉にございまする!」
その様子を見ていた継意ら重臣一同は、また新たな家臣が加わったことを喜ばしい表情で迎え入れ、その空気を察した氏識親子も感激して秀高の手を握り返した。
「氏識、お前には家老職を命じ、今まで収めていた丹羽領はそっくりお前の統治に任せる。また、息子の氏勝は俺の馬廻に加える。」
「なんと…格別のご高配を賜り、恐悦至極に存じまする…!」
その言葉を聞いて氏識は感激し、秀高への忠誠を誓う様に頭を下げた。それを見ていた静姫も、祖父・教継が残した大望を果たせたと思い、どこか悲しくも喜ぶ表情を浮かべるのだった。
こうして氏識軍千五百を加え、総勢一万千もの大軍に膨れ上がった秀高は、その日は熱田で野営を取り、その翌日には森可成が待つ那古野城へと向かうのだった。