1559年1月 女たちの戦
永禄二年(1559年)一月 尾張国鳴海城
「無茶よ!」
夜中、鳴海城本丸館の居間から、静姫の言葉が聞こえて来ていた。その否定の言葉が出たのは、高秀高が提案した、舞を斯波義銀の影武者に仕立て上げるという事だった。
「あんた馬鹿なんじゃないの!?いくら年齢が近くたって、声を発せば女性だって丸わかりよ!」
その居間の中で、上座に座る秀高を囲むように静姫、そして玲と舞が、隣の部屋で徳玲丸と熊千代を寝かしつけた後に座って話を聞いていた。
「だから、そこは工夫で何とかなるって…」
「何とかならないわよ!そもそも、どうしてやる気のない守護なんか引っ張り出してきたのよ!」
すると、静姫の反論を聞いた秀高が、改めて思い返して頭を抱えつつ、苦慮した表情を浮かべて言葉を返した。
「…かつて信長が同族の織田信友を討ち取った際、信友に殺された守護・斯波義統の敵討ちを標榜して、幼い義銀を担ぎ出して信友を討ったんだ。」
「…でも結局は傀儡。そう悟った義銀さんは今川義元さんを引き込んで挙兵しようとしたけど、結局は信長に悟られて尾張を追放されたの。」
秀高の説明に続いて舞が補足するようにそう言うと、秀高は頭を上げて言葉を発した。
「…俺としては、再び尾張復帰をさせたくて招いたんだが、もしかしたら、義銀には追放された時の苦痛が忘れられないんだろうな…」
「それじゃあ、迎え損じゃないの!」
静姫が秀高にそう詰め寄ると、それまで会話を聞いていた玲が静姫にこう言った。
「…でも、秀高くんや信頼くんが織田家の家臣たちに働きかけた時、その名義に義銀くんの名前を使っちゃったの。そうなった以上、どうにかして参戦させないと…」
「だったら、私に任せなさい。そんな意気地なし、屋敷から引っ張り出してきてやるわ!」
そう言って静姫がその場から出ようとした時、その袖を引っ張った人物がいた。他でもない舞その人であった。
「静…どうか落ち着いて。秀高さんもきっと、苦肉の策だと思うの。」
「…冗談じゃないわよ。これが苦肉の策ですって?あんた、何を舞に頼み込んでいるか分かってるの?」
静姫は秀高の方を振り返り、秀高の隣に座って改めて問い詰めた。
「あんたが頼み込んでいるのは、非力な少女を戦に引っ張り出して、旗頭に利用しようって言ってるのよ。そんな大それた願いを、どうして幼馴染の舞に言える訳?」
「…」
この静姫の反発は、秀高にとっては想定内であった。だが静姫の会話を聞いているうちに、静姫にとって友人でもある舞の、身の上を案じた言葉だと理解しているからこそ、その言葉の一つ一つが秀高の心に突き刺さったのである。
「静…落ち着いて。秀高くんも悪気があって言った訳じゃないんだし…」
この玲の懇願を込めた言葉を聞いてようやく、それまでの溜飲が下がったのか静姫も落ち着き、その場に正座で座り込んだ。すると、その静姫の言葉をすべて聞いた上で、舞が口を開いた。
「…静、ありがとう。私の事を案じてくれて。でも、私決めたよ。」
舞はそう言うと、秀高に向かってこう告げた。
「秀高さん、その影武者の役目、私やります。」
「舞…」
その言葉を受け取った秀高が舞の顔をを見ると、その表情は決意に満ちて、揺ぎ無い信念が瞳に移り込んでいたようであった。
「…舞、分かってるの?あなたは女。男の変装をするのは大変よ?」
「大丈夫。私、その提案を受けて閃いたことがあるの。」
舞が静姫に対してこう言うと、胸元から一つの扇を取り出してこう言った。
「これで口元を隠し、秀高さんに小声で耳打ちすれば、きっと上手くいく。」
「でもそれじゃあ、相手に不信を抱かせることになるわよ?」
「…いや、それで良い。」
静姫の反論に被せるように、秀高が一言こう言うと、静姫が秀高の方を振り返った。
「何ですって?」
「…義銀は俺に名前を好きに使って良いと言った。好きに使うという事は、そのおかげで悪評が立とうが印象が悪くなろうが、変装した舞が傷つくんじゃなくて、名前を好きに使われた義銀の名が傷つくだけさ。」
「うん。それに秀高さんが他の人と会った時に、人間不信だという事を伝えれば、疑念は抱かれるけど、それ以上に不信を抱かれることはない。」
秀高の言葉に続いて舞の意見を聞いた静姫は考え込んだ。確かに粗が大きい計略だったが、義銀の姿をあまり見た事が無い者達には、少し印象の悪い感じを与えるが義銀が参陣していることを示す方法だと思えてきたのである。
「…それに私、いままでずっとお姉様たちの後ろに隠れてばかりで、皆が頑張ってるときに一緒に行動できなかったから、ここでみんなの力になりたいの。」
舞の心に秘めていた想いを聞いた静姫は、ため息を一つついた。
「…分かったわ。舞、あんたがそこまでの覚悟を決めてるのなら、もう私は何も言わないわ。」
「うん。ありがとう。静。」
自分に言い聞かせるように納得した静姫の言葉を聞いて、舞は感謝の言葉を口に出した。すると、静姫がある事を思い出し、秀高の方を振り向いて尋ねた。
「…そう言えば、今回の戦には、於菊丸を連れて行くんでしょう?」
「あぁ。可成殿の願いだからな。侍女を一人付けて従軍させようと思うんだが…」
すると、その言葉を聞いて静姫と玲が互いに見合い、そして頷くと静姫が秀高に向かってこう願い出た。
「…ねぇ、侍女じゃなくて、今度の戦には、私たちも従軍させなさいよ。」
その突発的な願いを聞いた秀高は、それに驚いたが、そう言って顔を近づけてきた静姫の目には、舞同様に闘志が燃え滾っていた。
「静…どうしていきなり…」
「舞だけが戦場に出て、私たちがこのまま城に留まる事なんて出来ないわよ。それに、於菊丸の後見ならば、私たちの方がより見栄えが良いわ。」
「そうだよ。私も今までずっと後ろに隠れてばかりだったから、こういう形で秀高くんの役に立ちたいよ。」
その言葉を聞いた秀高は二人の顔を見た。その顔もまた決意を固めた表情をしていた。
「…分かった。だがこれだけは覚えておいてくれ。」
と、秀高は戦に参陣することを決めた三人に、心構えとして一つの言葉を送った。
「戦に絶対はない。もし、戦況が悪化して旗色が悪くなったら、その時は素早く戦場を離れてくれ。これだけはどうか、約束してほしい。」
「うん。分かった。」
秀高の言葉に応え、玲が代表して答えた。そして静姫と舞も、玲の言葉に続いて頷いた。こうして、決意を固めた女性陣は、尾張侵攻にそれぞれの役目を担って参陣することになったのである。
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その頃、はるか遠く離れた清洲城では、城内が騒然と化していた。森可成が織田信包らを引き連れ、ひそかに清洲城下を脱出したという報告が、城内にも知れ渡っていたのである。
「どういうことですか禅師!なぜこうも離反が相次いでいるのです!」
その城内の御殿の中、喧騒の真っただ中を織田信隆が虚無僧たちを束ねる高山幻道を詰っていた。
「信隆さま、こちらの密偵も忍びや乱波によって数が削られ、その影響で方々の監視が行き届かなくなりまして…」
「この期に及んで泣き言など聞きたくありません!家臣団の監視はお任せあれと、息巻いておいてこの様ですか!?」
信隆はそう言うと、手にしていた扇を幻道の近くに投げつけた。その姿は、今までの余裕を見せつけていた姿からは程遠く、怒りと焦りに支配されていた姿を見せていた。
「…ご心配なく。この一連の工作はあの未来人どもの計略と見抜き、既に連中の後方の豪族たちを嗾け、陽動を取らせるように仕向けてあります。」
「その豪族たちは、本当に秀高を討ち取れるとでも?」
信隆が幻道の見立てを聞き、険しい表情を見せつつも言葉を幻道に対して返した。
「…その可能性は極めて低いかと。所詮は捨て駒ですので。」
「それでは足止めにもならないではないですか。それでどうやって秀高を、この家中の混乱を収めるというのですか!」
幻道に対して信隆がさらに詰め寄ると、幻道は投げつけられた扇を拾い、それを信隆に手渡しながらこう言った。
「…ともかく今は、これ以上の裏切りを出さぬようにすることです。残った配下を全て、家中の統制に向けて動かせまする故。」
「失礼いたします。」
と、そこに入ってきたのは、筆頭家老の丹羽長秀であった。
「何事ですか?」
「岩崎城の丹羽氏識、秀高に呼応して挙兵するとの事。」
「…何じゃと?氏識殿は既に、こちらに臣従すると申しておったではないか!」
長秀の報告を聞いた幻道が驚いてこう言うと、信隆は更に幻道をにらんでこう言った。
「…どういう事です禅師。氏識が秀高に付いたと言ってますよ?」
「これは何かの間違いでしょう!氏識殿は信長殿に臣従すると、数年前に書状を送ってきていたはずですぞ!」
すると、その言葉を聞いた長秀が、幻道に向かってこう言った。
「…幻道殿、氏識はしたたかな男。丹羽家存続の為なら、口を使い分けて乗り換える男です。信長様が亡くなられた今、そのような書状は無意味かと。」
長秀が幻道に向かってこう言うと、信隆は幻道に向かってこう命令した。
「禅師、直ちに勝幡城に入り、美濃の斎藤義龍の動きを見張っておいてください。」
「信隆様!どうかここは、お側にて補佐をさせてくだされ!」
すると、信隆は初めて禅師と呼んでいる幻道に対し、静かにこういい放った。
「…ここまでの不手際、この命令で償ってもらいますよ。禅師?」
「…畏まってございます。」
幻道はそう言うと、そのままとぼとぼと去っていった。その後姿を見送った後、信隆は長秀にこう指示した。
「長秀、この書状を服部党の友貞殿に送ってください。それと尾張北部四郡に陣触れは発してありますね?」
「はっ。既に佐々成政、金森可近らが陣触れを告げまわり、続々と兵たちが集まっております。」
その報告を聞いた信隆は頷くと、長秀に指示を下した。
「では、直ちに出陣準備を整えなさい。恐らく五日以内に、敵は庄内川まで来るでしょう。その前までに戦支度を終え、奴らの出鼻をくじくのです!」
「ははっ!」
長秀は信隆の指示を聞くと、その言葉を承諾してその場から足早に去っていった。それを見届けた信隆は、その部屋から廊下に出て、中庭から見える青空を一人で見つめるのだった。