1558年10月 接触
永禄元年(1558年)十月 尾張国鳴海城外
織田家中より極秘裏の接触あり。
この一報を伊助から聞いた高秀高は、取次を行った小高信頼と共に、会見場所に指定された熱田近郊の廃寺へと向かっていた。
「…それにしても、どうして今回ついてこようと思ったんだ?」
と、熱田へと向かう道中で、馬に乗って進む秀高は後ろに乗っている人物に話しかけた。その人物とは、紛れもない静姫であった。
「あんた前に言ったじゃない。落ち着いたら遠乗りにでも出ようって。その約束をするためと…織田家の人間に一回会ってみたいと思ったのよ。」
「でも、無理して付いてこなくてもよかったんだぞ?」
と、秀高が静姫にこう語ると、秀高の肩に手を置いて馬に跨っていた静姫は、ふふっと笑ってこう言う。
「何を言うのよ?この道中でも、伊助たちに周囲の見張りをさせているのでしょう?伊助たちの腕前なら、安心だと思って付いて来たの。そんな冷たいこと言う物じゃないわ。」
静姫がこう言ったとおり、熱田へと向かう道中、伊助たちが周囲の茂みに潜みつつ、周囲の見張りを厳にしていた。すると、別の馬に跨って秀高の隣にいる信頼が、秀高にこう言った。
「…本当に、静姫の胆力には恐れ入るよ。」
「でしょう?それにさっきも言ったとおり、これからあんた達尾張を取るんでしょう?その過程で織田家から接触があったのなら、一回織田家の人間がどういう人たちなのか、知っておきたいと思ってね。」
静姫が秀高にそう言うと、秀高は静姫にこう尋ねた。
「なぁ、俺がもし、織田家の存続を認めるって言ったら、静は俺に失望するか?」
すると、静姫はそれにため息をついて、秀高の顔を覗くように見つめてこう反論した。
「そんな訳ないじゃない。織田家を存続させるってあんたが決めたのなら、私はそれに従うわ。織田は仇であることを忘れたわけじゃないけど、それでも織田家の人間に会ってみたいの。」
静姫のその言葉を聞いた秀高は頷き、そのまま廃寺へと進んでいった。そして進んでいく道中で静姫の心の中には、仇と思っていた織田家への怨念が次第に揺らぎ始めてていることを、会話していた秀高と、それを聞いていた信頼は感じていたのだった。
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「まさか、こうして互いに顔を合わせる日が来るとはな。」
そして、熱田近郊の廃寺の本堂の中で、秀高は静姫と共に、織田信包らを連れてきた森可成と面会した。廃寺の周囲は伊助たち忍び衆が守りを固め、不審な者をだれ一人寄せ付けないでいた。
「…はい。稲生原で対峙してから、まさかこんな形で再会できるとは夢にも思いませんでした。」
開口一番に発した可成の言葉を受けて、秀高もこうして面会している不思議な状況を思いつつも言葉を返した。この秀高と可成が改めて面会するのは、二年前の稲生原の戦いの際に別れてからであった。
「あの時は、拙者が信長様の武将として、そなたが信勝殿の一武将として互いに対峙し、そして死闘を繰り広げた。…あの状況から、こうして武器を置いて面会できるなど、夢にも思わなかったわ。」
そう言うと、可成は隣に控える信包らを、秀高たちに向けて紹介した。
「秀高殿、この者たちが此度、秀高殿に渡りをつけられてきた、織田一門の織田信包殿と織田信治殿にござる。」
「お初にお目にかかります。織田信包と申す。」
「同じく、織田信治にございます。以後、お見知りおきを。」
その両名の挨拶を受けた秀高たちは、それぞれ会釈してそれに応えた。すると、秀高は可成に投げかけられたある一言を思い出し、それを可成へとぶつけた。
「…可成殿、あなたが別れ際に言った、「信長殿には天運がついている」という一言。あの時ほど確かに、俺にもそう思わせられた事はありません。」
「…」
その言葉を聞いた可成は、ただ沈黙を貫いてその言葉に聞き入っていた。
「だが今、その信長殿は天運尽き、亡くなられてしまいました。そして起こったのは、織田家中での内紛。可成殿、あなたはこれをどう思われますか?」
すると、秀高にこう言われた可成は、ようやく重い口を開いた。
「…拙者は、美濃から尾張に来て信長様と面会した時、彼ほど英傑に相応しいと思ったことはなかった。信長様ならば、きっとこの麻のごとく乱れた乱世を収め、天下泰平を招くに違いないと。だが、結果としてそうはならなかった。」
可成の言葉を聞いていて、信包たちも表情を曇らせた。それを見ていた秀高たちには、これほど織田家中のくすぶりを実感させられる事はなかった。
「信長様だからこそ、織田家は一つにまとまった。そして信長様だからこそ、尾張は統一されたのだ。その信長様が亡くなれば、織田家は音を立てて崩れ去ろうとしておる。」
事実、可成の言う通りに織田家は崩壊しつつあった。
信長亡き後、幼き奇妙丸の後見人として織田信隆が実権を握ったが、その過程で兄の織田信広を些細な理由をこじつけて粛清し、更には側近に勝幡から家臣を呼び寄せて固めた。
これに丹羽長秀や池田恒興など、信長直臣の家臣たちは従っているが、母衣衆や織田家代々に仕える家臣たちの中には、信隆への不信が徐々に募り始めていたのである。
それらの事象を可成から聞いた時、秀高たちは織田家が予想以上に混乱していることを、まざまざと見せつけられたのである。
「——こういう事が起こっておる以上、織田家を守るためには信隆を倒さねばならぬ。だからこうして拙者が窓口となり、接触してきたのじゃ。」
可成が秀高にこう言うと、信包は秀高に向かってこう尋ねた。
「秀高殿、こうして我らが接触してきたのは他でもない。我らは信隆から尾張を奪い、その尾張一帯全てを秀高殿に献上したいと思っている。」
「ちょっと待ちなさい!あんたそれが何を言っているか分かってるの!?」
と、信包のぶしつけな願いを聞いた静姫がいてもたってもいられず、信包に向けて言い寄った。
「…もちろん分かっており申す。これは主家への反逆はおろか、一国その物を他家に譲り渡す行為であり、決して褒められるものではありません。」
「だったらどうして…!」
と、静姫がなおも言葉を発しようとすると、それをみた可成が静姫にこう言った。
「静姫、そなたの身の上は拙者も知っておる。その御身からすれば、こうして他家に売る行為を信じられないのも無理はあるまい。だが我らはそこまでして、織田家の家名を後世に残したいのじゃ。」
可成が静姫にそう言うと、信頼が可成に向けてこう言った。
「…他国に攻め滅ぼされる前に、織田家の保全を図ったというわけですか?」
「それも一理ある。今この状況で美濃の斎藤義龍に攻められれば、織田家は瞬く間に瓦解し、一門連枝悉く討ち滅ぼされるのは明白じゃ。その前に秀高殿に尾張一国を譲り渡し、織田家の保全を図ったという訳なのじゃ。」
「…あなた方の話はよく分かりました。」
と、秀高が可成の話を聞いた上でこう言うと、信包に向けて単刀直入にこう切り出した。
「では信包殿、もしかしてその織田家の新たな家督に、我らで庇護している於菊丸を迎え入れると仰られるのですか?」
「…ご明察にございます。信隆が擁立する奇妙丸に対抗するには、於菊丸を擁立しなければなりません。旗頭がなければ、我らに味方する者は少なくなりましょう。」
こう言われた秀高は、旗頭を欲している信包らの苦しい事情を知った。それと同時に、当主である信長の子と、亡くなった信勝の子では、明らかな差がある事をも思っていたのだ。
「…もし、於菊丸を擁して挙兵しても、こちらに味方する者は少ないでしょう。私にお任せくだされば、より大きい旗頭を確保しましょう。」
「ほう、その旗頭とは?」
と、秀高の言葉に反応した可成がこう聞き返すと、秀高は可成の耳元で、その旗頭の候補の名前を述べた。
「…なるほど、そのお方と於菊丸が組み合わされば、我らに味方する者が増えるであろうな。」
可成はその言葉を受けてこう言うと、信包らにも耳伝いでその名前を伝えた。すると信包らも一様に頷いて得心したのである。
「可成殿、あなた方の決意はしっかりと聞きました。そこまで尾張の事を思っての行動ならば、こちらもそれに応える必要があるでしょう。」
「おぉ、では秀高殿、我らの申し出を聞き入れてくださると?」
と、信治が秀高にそう言うと、秀高はそれに頷いて言葉を続けた。
「…はい。ですがお願いがあります。こちらも数ヵ月前の戦の影響で軍事行動が起こせない状況であり、すぐには動けません。よってこちらが動くまでの間、可成殿たちも極秘裏に準備を進めていただきたいのです。」
「しかし、信隆配下の虚無僧共が国内で目を光らせておる。その中で準備をさせるなど…」
すると、その可成の懸念を聞いた信頼が、可成にこう意見した。
「お任せください。先の戦の功でこちらの忍び衆も人員を増やし、より広範囲に行動できるようになりました。その忍び衆に命じて、虚無僧たちの排除を命じさせます。これで可成殿に疑惑の目が向かうことはないでしょう。」
その言葉を聞いた可成は、それに頷くと秀高に向けてこう言った。
「…それならば何の問題もあるまい。ではこちらも極秘裏で味方を増やすゆえ、秀高殿も独自の道で工作を進めてくだされ。」
「もちろんです。尾張統一に、余り無駄な血を流したくありません。こっちも調略を進めて織田家中の切り崩しを行います。」
秀高はそう言うと、今度は信包の方を向いてこう言った。
「…では信包殿、我らが動くのは来年の年明けごろになると思いますので、どうかそれまでは、隠密裏に事を進めてください。」
「承った。では盟約は成立という事ですな。」
信包の言葉に秀高が頷くと、秀高は信包と信治の前に手を差し出し、握手を求めた。それに信包らは答え、互いに厚い握手を交わして協力を誓い合った。それを見つめていた可成はどこか安堵していて、静姫もその握手をただ見つめていたのだった。
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「どうだった?実際に会ってみて。」
その会見後、可成らと別れて鳴海へと戻る途上で、往路と同じく秀高の後ろにつかまっている静姫に向かって感想を求めた。
「…どこの大名家も決して一枚岩じゃないのね。」
と、静姫が会見の印象を一言でまとめると、秀高に向かってこう言った。
「私、あの信包たちの事を見て思ったわ。もし、あんたとの間に子供が出来たら、絶対主家に不義理はするなって言い聞かすわ。あんなことを子供が思ったのなら、父親が不憫よ…。」
と、静姫が背中で掴むように頭を下に向けると、秀高が優しく言葉をかけた。
「そう思ってくれてるのなら、きっと子供にもその想いは伝わるさ。」
秀高の言葉を聞いて、静姫はただ頭を上げてそれに頷いた。そしてその様子を見た秀高も、一つの大名家がいとも簡単に崩壊していくのを見せつけられて、より一層自身の子たちに同じことはさせるまいと、より心に強く思うようになったのであった。
こうして秀高は可成ら反信隆派と接触して以降、尾張統一に向けた工作を進めていくと同時に、配下たちに翌年年明けに向けての戦準備を命令した。そして年が明けた永禄二年の一月、いよいよ秀高は尾張統一に向けて動き出すのである…