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1558年10月 暗き城と明るき城



永禄元年(1558年)十月 尾張国(おわりのくに)清洲城きよすじょう




 永禄(えいろく)元年十月二十日、織田信長(おだのぶなが)が不慮の死を遂げてから四ヵ月が過ぎた。その間、尾張を統一した若き英傑を失った織田家では、徐々に内部分裂の様相を呈し始めていた。


「皆、面を上げなさい。」


 清洲城内の御殿。その中にある大広間で、上座に座る織田信隆(おだのぶたか)が脇に小さな幼子を座らせて下座の家臣に声をかけていた。この幼子こそ、亡き信長の嫡子である奇妙丸(きみょうまる)であった。


「信長が亡くなって、既に三ヵ月が経過しました。未だ私たちを取り巻く状況は、予断を許さない状況です。」


 信隆の言葉を聞いている家臣の中で、大半の家臣はそれに聞き入っていたが、その中の一部はそれを鼻で笑う様に聞いていた。


「信長亡き後、残された奇妙丸では織田家を導くことはできず、不肖この信隆が、奇妙丸元服までの間、この織田家を導いていきます。方々、これに異存はありませんね?」


「…待つが良い。」


 と、上座で家臣に向かって言い放った信隆に対して、下座の最前列に座る者が立ち上がって意見した。この人物は、信隆から見れば同母の兄である織田信広(おだのぶひろ)であった。


「奇妙丸が幼少ゆえ、代理の後見人を置くのには異存はない。しかし、その後見人が俺ではなく、何故妹で女子のお前なのだ?」


「…兄上、信長は私を心の底から信用して、もし万が一のことがあれば後見人を頼むとまで言ったのです。信長は兄上の名前など、一文字も出されていませんよ?」


 信隆が上座から、意見してきた信広を一瞥(いちべつ)するような眼をして反論すると、信広はその反論を鼻で笑った。


「ふん、よく言うわ。お前もたかだか勝幡(しょばた)の父の所領を温情で受け継いだ身に過ぎん。織田家の家督に口を出せる身分ではあるまい。それなのに、信長亡き後の織田家をどうこうしようなど、良くも思えたな?」


「…兄上、そもそもあなたは安祥合戦(あんしょうかっせん)で惨めに今川(いまがわ)に敗れ、織田の威勢を損なって、父上から家督継承の列から外されたのは御存じのはず。それなのに、この後見人の事に口を出してくるのはなぜですか?」


 と、信隆がなおも食い下がってくる信広にこう言うと、信広は自分より後ろに控えている家臣たちを指しながら信隆に言った。


「馬鹿を言うな!たとえそう言う経緯があったとしても、現状一門の長はこの俺だ!決して信長に贔屓されただけで、ここにいるすべての家臣がお前に従うなどと思っておるのか!」


「…ほう?ではもし兄上が後見人になれば、誠に織田家のために働くと?」


 信隆にそう尋ねられた信広は、快く返事をして言葉を発した。


「おう!この信広こそ、織田家の後見人に相応しい!貴様のような女子が、織田家の差配を支配できると思うな!」


「では…この書状を見せられてもなお、織田家のために働くと仰られるので?」


 そう言うと信隆は小袖の胸元から一通の書状を取り出し、それを下座の信広の前に投げた。その書状の封筒は、そこにいる信広に宛てられて書かれており、封筒の裏面の差出人の所には、そこには斎藤義龍(さいとうよしたつ)の名前が書かれていた。


「信隆殿、これは…!」


 信広に代わって前に投げ出された封筒を取り、裏面に書かれた名前を見た丹羽長秀(にわながひで)が、その名前に驚いて信隆に言葉を返した。


「兄上、既に禅師の手の者が、貴方と義龍との密通を掴んでおります。兄上、貴方は信長亡き後に義龍と接触し、私から後見人の座を奪って織田家の差配を支配し、あまつさえこの尾張を美濃(みの)に売り払おうとした。その書状には、義龍がそれらの申し出を引き受けた旨の事が書かれています。」


 信隆の言葉を聞いた家臣一同は一様に驚き、中には信広に向けて敵意剥き出しの視線を送る者も現れ始めた。すると、その言葉に怒った信広は地団駄を踏んで信隆に怒りを向けた。


「信隆…貴様何をぬかすか!貴様、後見人の地位を守るため、同じ母であるこの兄を計に嵌めて陥れるつもりか!」


「まさか…私はあくまでこの書状を手に入れただけです。それをその様な反応を為されるという事はやはり…」


 信隆がこう言って疑惑の目を信広に向けると、その時、信広の周りを虚無僧たちが取り囲み、二人の虚無僧が信広の両脇を抱え持った。


「兄上、今は団結せねばならぬ時。それを私心で織田家を差配し、あまつさえ織田家の家督を乗っ取ろうとする行為、信長が生きていれば決して許しはしなかったでしょう。連れて行きなさい。」


「ま、まて信隆!貴様、この兄を…斬るとでも言うのか!!」


 そう言いながら虚無僧たちに引きずられて、信広はその場から去っていった。その後、信広は城内の中庭で、無残にも首を討たれたという…


「…皆、心しておきなさい。奇妙丸を家督に据えたのは私心ではない。信長の遺言によるものです!これを無碍にし、敵と内通しようものならば、その者は容赦なく斬り捨てます!良いですね?」


 信隆が上座から発せられたこの言葉に、下座に控える家臣たちは頭を下げた。



 だが、この信隆の行為とその後の信広の末路は、半数以上の家臣に信隆が補佐する奇妙丸への忠誠を誓う心を抱かせる一方、一部の家臣の中に信隆への不信感をさらに募らせる結果になった。事実、信隆の腹心の高山幻道(たかやまげんどう)配下の虚無僧の目を掻い潜り、清洲城下の一部の家臣屋敷では密談が交わされ始めたのである。




————————————————————————




「…いかに信隆と言えど、あのやり方はまずかろう。」


 その家臣屋敷とは、信長に気に入られて尾張に迎えられた森可成(もりよしなり)の屋敷であった。可成の屋敷には信隆への謁見を終えた一部の家臣がその足で、この屋敷に集まっていた。


「あのような理由で信広殿を殺すのは無理がある。そもそもあの書状は数年前、信長殿と信勝(のぶかつ)殿との兄弟争いの裏で、信広が極秘裏に受け取っていた書状ではないか。」


 すると、可成の隣に座っていた一人の青年が口を開いた。この者の名は織田信治(おだのぶはる)。信長逝去につき、信隆の計らいで一年早く元服したが、その心情は信隆からは離れていた。


「如何にも。その一件の顛末は信長兄上から聞いておりました。その一件が信勝兄との争いの最中だった故に、信隆姉が裏で穏便に済ませたものだとか。」


「…にもかかわらず、それを蒸し返して信広殿を殺し、結果的には己が織田家の実権を掌握したようなもの。兄が生きておれば、かかる無礼は許すまいに…」


 と、こう発言したのは、信治の兄の織田信包(おだのぶかね)であった。その発言を聞いた可成は、信包に向かって言葉を返す。


「信包様、信長様は既に亡くなられました。我らが今日ここに集うたのは、信隆に織田家中での跳梁を許すのかどうかです。」


「決まっておろう!私は奴の気ままを許さん!だが…私の裁量では如何ともしがたい。どうするべきか…」


 すると、この信包の言葉を聞いた可成が、改めて二人にこんな提案をした。



「ここはいっそ、高秀高(こうのひでたか)に尾張を譲り渡すのは?」



「何だと?可成、そなた信広兄の末路を知らぬわけでもあるまい。それに秀高は我らの仇敵のようなもの、何故奴に尾張などを!」


 信治がこう言って食い下がると、可成は信治を制し、二人にこう言った。


「二人ともお忘れか?秀高が亡き信勝殿の遺児を庇護し、手中で手厚く養育していることを。」


「…聞いた事はある。確かに兄上には子が一人いた。だが兄上の死後、その子の行方は不明になっていたが、やはり秀高が庇護していたか…」


 可成の言葉を聞いて信包がこう呟くと、可成はそれに頷いて言葉を続けた。


「如何にも。拙者は信長様に惚れて織田家に仕えた者。織田家その物に仕えたわけではござらん。それにお二方は信隆への不信感があり、織田家の今後を憂う者。方向性は違えど、今の体制に不満があるのは間違いないかと。」


 可成はそう言うと、信包らに顔を近づけて小声でこう言った。


「ならばこの際、過去の怨恨を水に流して信隆を打倒し、秀高殿に尾張を任せて織田家の存続を図るべきかと?」


 可成のその言葉を聞いた二人は考え、そして信治が可成に向かってこう言った。


「…確かに信長兄上亡き今、信隆姉では織田家の衰退は止められないでしょう。ならば、ここは秀高殿を頼り、織田家の存続を図るのが得策ですね。」


 すると、この話を聞いた信包は、可成にこう言った。


「…可成、どうかこれだけは、秀高に約束させてくれ。織田家の家督を兄上の子に相続させる。そしてその子には秀高の重臣の席と、一城主の地位を確約させること。これだけを守るのなら、私も覚悟を決めて秀高につく。」


「分かり申した。ならば今からでも、鳴海(なるみ)に渡りをつけてみましょう。」


 この薄暗い小さな一室で行われた一つの会話は、やがて尾張全土を巻き込む新たな嵐の幕開けであった。そして可成は二人の同意を得ると、すぐにでも秀高への接触を始めたのである。




————————————————————————




 同じころ、揺れる清州城内とは対照的に、秀高の居城である鳴海城内では、一様に喜びに満ち溢れていた。この日、懐妊していた秀高の正室・(れい)が二人目の男の子を、本丸館内にて出産した。


「玲、ありがとう。また立派な男の子を産んでくれたな。」


 その中で秀高が横になっている玲に話しかけると、玲はそれに頷いて秀高にこう言った。


「うん。ありがとう秀高くん。その言葉だけでも嬉しいよ。」


「…ほら、徳玲丸(とくれいまる)、この子があんたの弟よ。大切にしてやりなさい。」


 と、その玲の脇で徳玲丸を抱えていた静姫(しずひめ)が、徳玲丸に産まれた赤子を大切にするように諭すと、徳玲丸はそれに頷いて、小さな赤子に触れた。


「…それにしても、今回は徳玲丸様より身体が大きく、お産の際にはいささか難儀致しました。」


 と、産婆としてお産に従事した(うめ)が、赤子を産んだ際の様子を秀高に言うと、秀高はそれに微笑んでこう言った。


「そうでしたか…なら、この子は丈夫で、きっと力強い子になるでしょうね。」


「で、もうこの子の名前は決めたの?」


 静姫が秀高に赤子の名を尋ねると、秀高はそれに頷き、事前に用意していた名前候補の束の中から、一つを選んで皆に見せた。


「熊のような強さと丈夫さを兼ねてほしいとの願いを込めて、熊千代(くまちよ)という名前にする。熊千代のような子ならきっと、徳玲丸をしっかりと助けてくれるだろう。」


「熊千代…良い名前じゃない。ね?お母様?」


 と、秀高から提示された名前を聞いて気に入った静姫は、横になっている(れい)に向けて言葉をかけた。すると玲はそれに頷き、熊千代の方を向いてこう言葉をかけた。


「…熊千代、これから宜しくね。」


 その雰囲気を見た秀高はより喜び、そして静姫もそれを微笑ましく見つめていた。そんな秀高のもとに、尾張からの接触が届いたのは、それから数日後の事であった。





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