1555年11月 慣れてゆく生活
弘治元年(1555年)十一月 尾張国末森城下・高秀高邸
秀高と名を改めた秀人たちが、この末森城に腰を落ち着けて早半年余りが過ぎた。その間、秀高ら男子組は末森城へ出仕して奉公に努め、玲那たち女性陣は、信勝から拝領した武家屋敷にて、家事や庭にて菜園の手入れをするなど、日々の暮らしを送っていた。
「もう、この城に来て、半年が過ぎたのねぇ…」
ある日の夕方、武家屋敷の奥にある一室にて、着物の修繕など、裁縫をしながら呟いたのは、秀高らが改名した後、表向きの名を華と改めた有華であった。
「うん…最初は大変だったけど、姉様たちや秀高さんと一緒に暮らして、安定して自立できるようになったのは、随分と早かったね。」
その華の隣に座り、同じく裁縫をしていた真愛もまた、表向きの名として舞という名を得ている。
「えぇ、この屋敷の広さで、隅まで管理できるのか分からなかったけど、どうにかなるものねぇ…。」
華が裁縫の手を動かしながら感慨に浸っていると、そこに庭で洗濯をしていた玲那が、洗濯していた着物類などを取り込んで華たちの所に戻ってきた。ちなみに、この玲那も、表向きの名前として、玲という名を使用している。
「お姉ちゃん、一通り洗濯は終わったよ。」
「あら、ご苦労様。」
華はそう言うと、自分の隣に座る様に玲を招き寄せ、それに応えた玲は華の隣に腰を下ろした。
「もう日も暮れるね。もうじき秀高くんたちも、城から帰ってくる頃じゃないかな?」
「ええ。そうね。そろそろ夕食の支度でもしましょうか。梅さん?」
華はそう言って名前を大きな声で呼んだ。すると、台所をつなぐ廊下の方から、一人の中年の老婆が、前掛けで手を拭きながら現れた。
「はいはい、お呼びでございますか?」
この老婆の名は梅と言い、元は尾張国内の千種の村落にいた百姓であったが、戦いに駆り出された主人を失い、娘一人と流浪の民になっていた所を、秀高邸の住み込み女中募集の触れ込みを聞き、娘と共に秀高邸のお世話になっていた。
「もうすぐ秀高様たちが帰ってきます。梅さん、今日の夕食はどのように?」
「へぇ、今日は市場で手に入れた川魚を使い、塩焼きを主菜にした物を作ろうかと思っています。」
梅の献立の予定を聞いた華は、それまで手を動かしていた裁縫を止め、それらを机の上に片付けると、その机の上に置かれていた前掛けを小袖の腰の所に着けて言う。
「そうですか、では私も手伝いましょう。」
「め、滅相もない。わざわざお手を煩わせるには…」
そう言って梅が断ろうとすると、華は首を横に振ってこう言った。
「いえ、梅さんの娘さんもまだ未成年。お一人では何分大変でしょう。どうか手伝わせてください。」
「そ、そうですか。ありがとうございます。では、こちらに。」
梅はそう言うと、華と共に台所の方へと向かい、一緒に夕食の準備を始めた。
「舞、この裁縫、私も手伝うよ。」
「い、いえ、姉さまは蘭ちゃんの相手を…」
舞が、華がやっていた裁縫を手伝おうとした玲を止めようとすると、襖の向こうから玲たちを覗く人影に気付いた。
「…あ、蘭ちゃんも一緒にする?」
舞の視線の先を見て、そこに蘭がいたことを見た玲は、蘭を部屋の中に誘って一緒に裁縫を始めた。蘭は静かに頷き、玲那の隣に座って裁縫を手伝い始めた。
この娘こそ、梅が一緒に連れてきた一人娘の蘭である。蘭はまだ十二という年端もいかない少女であり、梅が家事をしている際は、華たち三姉妹が交互に世話をしていた。
蘭は屋敷に来て以降、三姉妹の世話を受けていた。しかし来た当初は挨拶や返事はできるものの、未だ踏み込んだ会話はあまり出来なかった。だが徐々にではあるが、三姉妹にも心を開き、近頃では喜怒哀楽を示すようになっていた。
「うん、蘭ちゃん上手くなってる。えらいよ。」
蘭の裁縫の腕の上達を見た玲は、蘭の頭をよしよし、と撫でて褒めた。
「…ありがとう、ございます。」
蘭は少し下を向き、恥ずかしそうではあったが、玲に礼を述べた。
「…姉さまは本当に子供が好きなんだね。」
舞の言葉を受けた玲は、慌てるように驚いた。
「ど、どうして?蘭ちゃんは子供だけど、褒めるのは当たり前でしょう?」
「そうだけど、子供を目の前にした姉さまは、本当に嬉しそうだなって思って。」
その言葉を聞いた玲は、裁縫をする手を少し止め、顔を上げると舞に自分の本心を伝えた。
「でも、これがもし、自分の子供だったら、もっと可愛いんだろうなって、そう思うよ。」
「…姉さま、秀高さんが相手じゃ、ダメなの?」
その言葉に、玲は慌てふためき、驚いて舞に反論した。
「な、何言ってるの!?秀高くんは、幼馴染で…その…」
そう言った玲の反論は、次第に声が聞き取れないくらいまで小さくなっていった。
「姉さま、私も、華姉様も、姉さまが秀高さんのことを気にしているのは、もう感じ取ってるよ?」
そう言われた玲は、改めて自身の感情に向き合った。
玲こと玲那と秀高こと秀人は幼馴染の付き合いであり、小学校のころには同学年という事もあり、一緒に登下校をしたり遊びに出かけたりするなど、友人以上の密接な関係を築いていたのは事実であった。
しかし玲は自身が抱いていた恋心を隠し、幼馴染とのの長い付き合いを守るために、その秘めたる想いを封印していたのであった。
だが今、この舞の言葉を聞いた玲は、その想いを呼び起こされ、そして、この想いに誠実でいようと思ってたのである。
「…そうか。二人とも気付いていたんだ。もう、意地悪なんだから。」
玲は小さくそう言うと、何かを決意し、首を縦に振った。
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その後、城から秀高らが帰宅すると、三姉妹と梅たちは暖かく出迎え、皆そろって主殿の囲炉裏がある部屋で囲炉裏を囲み、団欒しながら夕食を摂り始めた。
「そういえば、今日城内で、信勝様が叔父の信光殿らに会われていました。」
夕食の合間、口火を切ったのは秀高であった。その一言を聞いた華はお椀と箸を置き、秀高に聞き返した。
「信光殿の他に、誰か一緒にいたの?」
「はい。信光殿の他、守山城主の織田信次殿、信勝様の異母兄である織田信時殿で、皆一様に信長殿・信隆殿への反感を述べ、信勝様が動かねば我らが打倒信長に動く、と言われました。」
「信勝様は?」
「信勝様は答えを保留にされ、信光様らは肩を落として城を出ていかれました。信勝様に否定された信光殿が、怒り狂って暴発しなければいいんですが…」
「でも、そこまで信光殿が信長殿たちに反感を抱いているとは…余程信隆様が憎いみたいだね。」
信頼が秀高の意見を受けてこう言うと、秀高は夕食の汁物を飲み干し、お椀を置いてため息をついた。
「だが、俺達にはどうすることもできない…まだ、信勝様の一家臣の身分だからな…ここは事態が悪化しないことを祈るしかない。」
秀高がそう言うと、それまで黙っていた玲が意を決して喋り始めた。
「あ、あの!」
玲のいきなりの上ずった声の発言に、秀高を含めた一同は驚き、場の空気が止まったように感じた。秀高はそれに呆気に取られていたが気を取り直し、玲にその用件を聞いた。
「ど、どうした玲?」
「あ、明日、休みだよね?少し付き合ってほしいんだけど…」
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一方、ここ尾張国勝幡城。織田信隆の居城である。
「そう…信光叔父が、ほかの一門を語らって信勝と…」
「ははっ。虚無僧らの報告によれば信光殿は我らへの憎悪をむき出しにし、信長殿への謀反を計画しておるとか。」
「…由々しき事だわ。」
高山幻道が自身の部下の虚無僧を駆使して得た情報を聞いた信隆は頭を抱え、立ち上がって居間から見える中庭を見つめた。
「信光叔父が謀反を起こせば、この弾正忠家は更に分裂しかねないわ。信勝だけならまだしも、信光叔父まで動かれては厄介ね…。」
「…信隆様、拙僧に一案がござる。」
その信隆の苦心を感じ取ったのか、幻道は信隆の方を向き、自身の一案を献策した。
「ここに至っては已むを得ません。信光殿を含め、その者供らには、消えていただきましょう。」
「…禅師、暗殺をするのですか?」
信隆の言葉を聞いた幻道は不敵に微笑み、その計画の仔細を信隆に耳打ちした。
「…なるほど…当て馬を、ね。」
「はい、このようにすれば、誰も我らの仕業とは思いますまい。」
幻道がそう言うと、配下の虚無僧が一瞬に現れ、頭を信隆に向かって下げた。信隆は虚無僧や幻道に首を縦に振ると、幻道は虚無僧に指示を下し、それを受けた虚無僧は一瞬にしてその場を去っていった。
この信隆と幻道の行動が、尾張をさらなる混乱へと落とし込もうとしていたのである…。