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1558年6月 忠義の武士



永禄元年(1558年)六月 尾張国(おわりのくに)鳴海城なるみじょう




 論功行賞が行われてから数日後、鳴海城に突然の来訪客が現れた。その人物というのは他でもない、今川家臣の岡部元信(おかべもとのぶ)井伊直盛(いいなおもり)であった。


「面を上げてくれ。」


 鳴海城内の評定の間にて、上座に座る高秀高(こうのひでたか)が、下座に控え、頭を下げている二人に向かって声をかけた。その言葉を受けた元信らは、ゆっくりと頭を上げて秀高と顔を合わせた。


「…久しぶりですね。元信殿。」


「いえ、秀高殿もより凛々しくなられ、そして大将の風格を帯びて参りましたな。」


 元信が秀高との面会を懐かしむ会話の横で、脇に控える三浦継意(みうらつぐおき)大高義秀(だいこうよしひで)、それに小高信頼(しょうこうのぶより)の三名は、元信とその隣にいる直盛に視線を送り続けていた。


「まさかあの秀高殿が、太守をお討ちになられるとは…敵ながら、天晴な働きでござる。」


「いえ、俺としては正直な所、あの戦で元信殿と戦いたくはありませんでした。」


 と、秀高が元信にこう言うと、元信はそれを笑いながら言葉を返した。


「いやなに、もしあの時戦っておれば、某の命はあの戦で散っていたことでしょう。それほど、あの秀高殿の采配は神がかっておりましたからな。」


 と、秀高にこう言っていた元信は、次には襟を正し、鳴海城に来た本題を切り出した。


「…で、今日ここに参ったのは他でもありません。その太守の事です。」


義元(よしもと)のこと?」


 秀高が元信の申し出を受けて一言、呟くように言うと、元信はその一言に頷き、そのまま言葉を続けた。


「はい。先の戦では、我らが太守は秀高殿に敗れ、その首を取られてしまいました。されど、このままおめおめと引き下がっては、我ら今川家の沽券に関わり申す。」


 元信は秀高にそう言うと、再び秀高に頭を下げてこう頼み込んだ。


「願わくばどうか、太守の首をお返し頂けませぬでしょうか?」



 元信の頼み、それはすなわち、桶狭間(おけはざま)の戦いで秀高たちが討ち取った今川義元(いまがわよしもと)御首(みしるし)を返還してほしいとの申し出であった。それを、脇で聞いていた義秀は元信に言い寄った。



「ふざけるな!あの首は俺たちが、尊い犠牲を出してまで取った首だ!どうしておめおめと、てめぇらに返さなきゃならねぇんだ!」


 すると、元信は頭を上げて義秀の方を向き、決然と反論した。


「…畏れながら、いくら戦に負けたとは申せ、主君の首を敵に預けられたままでは、太守への忠義に背くことになる!あなた方とて、もしこの先に秀高殿が討たれ、その首が敵中にあるのを良しとでも言うのか!」


 元信が義秀に向かってこう反論すると、その隣にいた直盛も義秀に向かって発言した。


「畏れながら、今川家と高家は相争う間柄なれど、武士の情けによってこうして頼み込んでいるのでござる。それを、無下に扱うとはどういう事か!」


「何だと…そこまで返してほしけりゃ、てめぇらだけでもこの鳴海に攻め込んで来やがれ!」


「黙れ義秀!!」


 と、直盛の反論に激怒した義秀に対して、秀高はそれに怒って義秀を宥めた。すると義秀は拳を握り締めつつも、信頼に宥められつつもその場に着座した。


「…申し訳ない。俺の家臣が無礼な事を言った。許してくれ。」


 秀高は義秀の無礼を、その場にいる元信らに詫びると、元信たちに向かってこう言った。


「…確かに、以前の俺ならば義秀のように、無礼を承知で反抗したかもしれない。だが、今の俺は鳴海城の城主で、曲がりなりにも大名の一人だ。大名になった以上は、客観的に判断しなきゃならない。」


 秀高は元信にそう言うと、元信に向かってこう言った。


「良いだろう。元信殿、その忠義の志に応えて、義元の…いえ、義元殿の首、お返ししましょう。」


「秀高!」


 秀高の言葉に義秀が再度突っかかるも、その言葉を受けた元信は意に介さず、頭を下げて感謝し、秀高に謝意を述べた。


「おぉ…さすがは秀高殿!そのお言葉、ありがたき幸せにございますぞ!」


 元信の言葉を聞いた秀高は、その場に控えていた山内高豊(やまうちたかとよ)に命じてこの場に義元の首が入った首桶を持ってこさせた。やがて高豊が元信の眼前に、義元の首が入った首桶を置くと、元信と直盛はその首桶に向かって頭を下げた。


「…太守、この岡部元信、お迎えに上がりましたぞ…」


 元信が首桶に向かってこう話しかけると、その風景を目の当たりにした義秀もさすがに言い寄れず、その風景を何とも言えない面持ちで見つめていた。


「元信殿、首は塩漬けにしてある。駿河(するが)に持ち帰られた後は、丁重に弔ってやってくれ。」


「…ははっ、度重なるご配慮、言葉の申しようもありませぬ…」


 秀高の言葉を聞いて元信は、何度も何度も謝意を秀高に伝えるように頭を下げた。そして元信は頭を上げると、秀高に向かってこう言った。


「秀高殿、この首を貰ったからには、我らもお返しをしなくてはなりませぬ。我らが占拠していた坂部城(さかべじょう)一帯とその領土全て、秀高殿にお返しいたしましょう。」


「何、坂部城を返してくれると?」


 元信の言葉を聞いた継意は驚き、元信に向かって聞き返した。すると元信はそれに頷き、再度秀高の方を向いて言葉を続ける。


「太守の首の返還はすなわち、今川と高の和睦の証。これは氏真(うじざね)様のご内意を得た事にて、ここに今川と高の戦を終え、こちらが奪った城を返還することによって和睦にしたいとの仰せにございます。」


 その言葉を聞いた秀高は、元信の言葉と今川家の当主の座に就いたばかりの今川氏真(いまがわうじざね)の内意を知った上で、元信に向かって返答をした。


「うん。こちらも坂部城が返ってくるのなら言うことはない。では元信殿、その条件で両家は和睦としよう。」


 秀高の言葉を聞いた元信は感謝し、直盛と共に頭を下げた。


「ははっ!秀高殿…改めて今回のご配慮、重ねてお礼申し上げまする!」


 秀高は元信の言葉を聞くとそれに頷き、頭を上げた元信と見つめ合って微笑んだのだった。




————————————————————————




「…それにしても、秀高殿はやはり並々ならぬ御仁であったな。」


 その会見後、鳴海城から出た元信は、馬上から同じく馬に跨る直盛に向かって話しかけた。すると直盛は元信のその言葉にうなずき、言葉を返した。


「如何にも、普段であれば、あの配下のような反応を取るのが普通であるが、その感情を抑えて言うなど、なかなか出来ぬ事でございます。」


「うむ。秀高殿はもう一国一城の主。自身の一言が家臣たちを破滅に追い込むことを知っておる。あそこまで成長なされるとはな…」


 元信がそう言いながら馬を進めていると、ふと、直盛がある事を思い出した。


「…そう言えば元信殿、お聞きになられましたか?水野忠重(みずのただしげ)が太守亡き後に火事場泥棒のごとく領土を広げ、緒川城(おがわじょう)に兄の水野信近(みずののぶちか)を入れて旧領回復を狙っておるとか。」


「…忠重が?そうか…」


 元信は直盛からその報告を受けると、ある事を思いついて直盛にこう言った。


「そうじゃ、直盛。このままおめおめと引き下がっては氏真様に申し訳がない。このまま緒川城を攻め落とし、水野忠重を脅してはどうか?」


「…しかし、いくら戦線離脱をしたとはいえ、忠重は今川家に歯向かってはおりませぬ。いくら何でも矛盾しておるのでは?」


 その直盛の意見を聞くと、元信はそれを否定するように手を振ってこう言った。


「いや、この攻撃で忠重に改めて釘を刺し、今川家への忠誠と自信の行いの愚かさを教え込むための行動だ。それに…」


 元信はそう言いながら、徐々に遠ざかっていく城の方を振り向くと、微笑んでこう言った。


「…この攻撃は、秀高殿への手土産になるのでな。」


 元信は呟くようにそう言いながら、直盛と共に鳴海城から遠ざかっていった。




 その後、元信と直盛率いる四千五百の軍勢は坂部城を立ち退き、その足で緒川城を攻撃。城主・水野信近を討ち取ると、奪った城に火を放って焼き払い、そのまま境川を渡って忠重の居城・刈谷(かりや)城外を焼き払った。


 この攻撃は忠重に今川家の恐怖を植え付け、同時に今川家への従属を選択する契機となった。これ以降、恐れ(おのの)いた忠重は久松定俊(ひさまつさだとし)と姉の於大(おだい)との連絡を絶ち、氏真への恭順姿勢を深めていったのである。




————————————————————————




 一方、鳴海城の中では、元信たちが去った後に義秀が秀高に言い寄っていた。


「秀高!どうして今川の連中に首を返したんだ!!あの首は…どれだけの物なのか忘れちまったのか!!」


「…義秀、落ち着いて。」


 秀高の目の前に半円を描くように座っていた義秀たちのなかで、端に座る信頼が中央で怒っていた義秀を宥めた。


「秀高だって、苦渋の決断だったんだ。それを分かってやらなくちゃ…」


「いいや、分かってやるものか!!お前はお人よし過ぎる!そんなんじゃいずれ、お前の命は無くなっちまうぞ!」


「…これはお人よしなんかじゃない!」


 すると、今まで黙って義秀の意見を聞いていた秀高は、義秀に向かって怒り、庭先の方を振り向いて言葉を続けた。


「今の俺たちは、織田と今川から大いに恨まれている。それに戦だって、敵の大将を討って終わりにはならない。大名家同士が和睦を取り交わして初めて戦が終わる。お前はずっと、義元の首に拘って、この家を滅ぼすつもりか?」


「違う!俺が言いたいのは、あれがどれだけの価値があるかってことだ!」


 すると、秀高は立ち上がって義秀の目前まで歩いてくると、座って義秀にこう言った。


「価値なんかあの首にはもうない。必要なのは討ち取ったという事実だ。敵が返して欲しいと言ってきたのなら、喜んで返してやるべきだ。そうすることによって、敵に塩を売ることが出来る。」


「だが…!」


 その言葉を聞いて義秀がなおも食い下がろうとすると、秀高はそのまま言葉を続けた。


「…良いか義秀、俺はもう、一人の人間じゃない。一国の主なんだ。一国の主ならば家臣領民の命を思い、最善の選択をしなきゃならない。小さな事に拘っていたら、いずれ大事を見失うことになる。それだけは、絶対やっちゃいけないんだ。」


 秀高はそう言うと、義秀の手を持ち、義秀に頼み込むようにこう言った。


「義秀、頼むからもう少し、客観的になってくれ。主観に(こだわ)っていたら、それこそ自分の命は無くなるぞ。」


 そう言われた義秀は悔しさをにじませたが、心に折り合いをつけるように一息つくと、秀高にこう言った。


「…分かった。お前の判断ならばもう言う事はない。お前の言う通りに、もう少し冷静にならなきゃな。」


 義秀は秀高にこう言うと、迷いを断ち切ったように秀高の手を取り返し、互いに握手しあった。


 ともあれ義元の尾張侵攻以降、戦争状態にあった今川家と高家は、義元の首が今川家に返還されたことによって和睦となり、秀高にとっての当面の敵は、信長亡き後の織田家に絞られたのである。





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