1558年6月 決意の一夜
永禄元年(1558年)六月 尾張国鳴海城
「おぉ、秀高!戻ったか!」
織田信長との会談を終え、三浦継高と共に城内に引き上げてきた高秀高は、板塀の裏で一部始終を見ていた大高義秀に話しかけられた。
「何とかな、外で命を落とさずにすんだよ。」
「やはり、信長は降伏を薦めてきたの?」
そこに、櫓から降りてきた小高信頼が秀高に声をかけてきた。すると秀高は乗っていた馬から下馬すると、足軽に馬の手綱を託してこう言った。
「あぁ。信長は俺に降伏を薦めてきた。そして奴の軍門に下り、家臣となって働けと。」
「なんだと…あの野郎、どこまで自分が上だと思ってやがるんだ!」
秀高から告げられた話の内容を聞いた義秀は怒り狂い、その場で地団駄を踏んだ。その一方で、冷静に努めて話の内容を聞いた信頼は、秀高に尋ねた。
「で、秀高の答えは?」
「決まっているだろう。俺は信長の家臣になるつもりはない。そして俺は、俺の一存でお前たちも降伏する気はないと言って帰って来たんだ。」
信頼に向けて秀高がこう話すと、そこに家老の三浦継意が現れてこう言った。
「さすがは殿。亡き教継さまから託された大望、そして例え、死してもその誇りだけは守り抜くと聞けば、城内の者の士気は高まりましょう。」
「継意…俺は、俺の一存でお前たちの運命を決めてしまった。」
秀高が自分の決定を後悔するように継意に言うと、継意は首を横に振ってそれを否定した。
「いえ、総大将である殿がそう決められたのならば、我ら家中一同は粛々とそれに従うまで。…それに、この老骨もあのうつけの事、気に入らなかったですからな。」
継意がニヤリと笑いながら言ったその言葉を聞いた秀高は、どこか安堵した表情を見せて継意に言葉を返した。
「…ありがとう、継意。ならば、城内の者達に伝えてくれ。明日は決死の覚悟で城を守る。その為今日は大盤振る舞いして酒食を振る舞う。皆これを貰って、明日に向けて英気を養ってくれとな。」
「ははっ。ならば早速にも城中に振る舞いましょう。」
継意は秀高の指示を聞くと、直ちにその場から去って城内にこのことを触れ回っていった。その後城内では、明日の決戦に備えて城兵約千人に対し、城内の兵糧庫に蓄えてあった兵糧を元に、酒食を振る舞った。これを受け取った城兵たちの士気と英気は高まり、その催しは夜深くまで続いたのだった。
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「いよいよ明日か。」
その夜、本丸館内の重臣の間の一室、そこで義秀夫妻と信頼と舞の四人が食事をしており、その中で義秀が盃を手にしながら想いに浸っていた。すると、その言葉を聞いた信頼が同じく盃を置き、義秀に向かってこう言った。
「うん。明日の戦いは今まで以上に厳しくなる。もしかしたら…命を落とすことだって…」
「それは、あり得るかもね。」
と、義秀の横で振る舞われた酒食に手を付けていた華が、信頼の意見に賛同するように言葉を発した。
「でも、総大将のヒデくんが決めた事よ。私たちも、覚悟して戦わないとね。」
「だが、幼い子まで道連れにするのは…」
義秀は子供の力丸の事を思い、どこか寂しそうに話すと、それを聞いた華が盃を置き、義秀の方を向いてこう言った。
「ヨシくん、私はヨシくんやヒデくん、それに皆が死んだ後の世界で、子供と共に生き延びたくはないわ。…あの子には、親の身勝手に付き合わせて申し訳ないけどね。」
「華…」
義秀が華の言葉を聞いて心配するような表情で見つめていると、そこにようやく伊助が信頼の所に戻ってきた。
「信頼様、遅れました。」
「伊助…ようやく戻ってこれたの?」
この時、伊助には織田軍陣中を調べさせ、どこかに隙が無いかを探らせていた。しかし、信頼は伊助の申し訳なさそうな目を見て、この探りが失敗したことを悟った。
「はっ…周囲の織田軍の陣容に、全くの不手際はなく、整然と軍勢全てがこの城に向けられております。」
「鳴海城周辺の状況は?」
信頼が伊助に矢継ぎ早に尋ねると、伊助はそれに会釈をして話を続けた。
「はっ。大野城にて坂部城の警戒に当たっている佐治為景父子、並びに沓掛城の簗田政綱には、万が一の時には、昔の誼を通じて織田に降れとの密使を派遣しております。その為、大野城と沓掛城からの援軍は来させないようにしております。」
「…宴会の席に佐治父子や政綱を呼ばなかったことが、これほど効いてくるとはね。」
信頼はそう言うと、伊助に向かって一度頷くと。その場から下がらせるように指示した。すると、ふと思い立ったように舞が口を開いた。
「そう言えば…秀高さんは?」
「あぁ、秀高なら、今夜は居室にいたいって、一人で籠っているよ。」
信頼からその情報を受けた義秀は、再び酒で満たされた盃を飲み干すと、一息ついてこう言った。
「ふん、まさかこの期に及んで、一人で遺書なんか書いてんじゃねぇだろうな?」
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「…くしゅん!」
と、その義秀の声が聞こえたように、居室の中に一人籠る秀高がくしゃみをした。秀高はその一室で薄暗い蝋台に灯された蝋燭の火を明かりにして、机の上で筆を取っていた。その場で秀高が書いていたのは遺書ではなく、秀高が預かっていた織田信勝の遺児・於菊丸のことであった。
「…これでよし。」
秀高は小さな声でそう言うと、筆を硯の上に置いた。その書状の内容とは、城陥落の際には、密かに於菊丸を逃がし、教継父子の墓がある菩提寺に預けるので、どうか保護してやって欲しいという物であった。宛先人は無論、その寺の住職宛であった。秀高はその書状を包み、一つの手紙の形式にすると、それを机の上に置いておいた。
「…秀高くん、良いかな?」
と、それと同時に襖の外から声がした。その声はまごう事なき、玲の声であった。
「あぁ、入ってきてくれ。」
秀高がそう言って玲を部屋の中に入らせると、その玲の隣には静姫が、玲と同じ寝間着姿で入ってきた。
「二人とも、どうしたんだ?」
「うん、実は今日、三人で一つの布団の中で添い寝できないかなって。」
その突拍子もない提案に秀高は驚いた。何故ならば、戦の最中であり得ない提案ではあったのだ。
「ど、どうしていきなり…」
「あんたの事だから、明日の事を考えこんで塞ぎ込むかも知れないと思ってね。だから今日だけは、三人で手を取り合って不安を取り除こうと思って来たのよ。」
静姫の言葉を聞いて、秀高は改めて二人の顔を見つめた。その玲と静姫にはどこか、覚悟を固めたような表情が見え、二人の願いは真剣だと悟った。
「…分かった。ありがとう。二人とも。」
秀高はそう言うと蝋台の灯りを消し、敷かれてあった布団の真ん中に寝転んだ。するとその左隣に玲、右隣に静姫がそれぞれ横になり、その上から掛布団を敷いた。
「…あんた、凄い手が震えているのね。」
ふと、静姫が布団の中の秀高の手を取り、その震えを感じて秀高に小声で言うと、秀高は目を閉じながらも静姫に言った。
「…静、実を言うとさ、明日の戦いで命を落とすかもと思うと、怖くて仕方がないんだ。」
その秀高の独白を聞いた静姫は、それを聞いて横になりながら姿勢を秀高の方に向けると声をかけた。
「…無理もないわよ。いくらこの世界に慣れたって言ったって、あんたの元の素性からしてみれば、明日死ぬなんて怖いに決まってるじゃない。」
すると、その話を聞いてどこか心が救われたのか、秀高の閉じていた目から、一粒の流れる物が流れた。それを見た静姫は、その不安を取り除くように言った。
「…大丈夫よ。あんたには運がついている。もし死ぬ定めだとしても、それはきっと明日じゃないわ。だから、そんなに怖がらなくていいわ。」
「静…」
その言葉を聞いて、どこか落ち着けるようになった秀高は、ふともう片方の玲に向かってこう言った。
「玲…せっかく二人目まで設けたのに…こんなことになって、ごめんな。」
「ううん、大丈夫だよ秀高くん。」
玲はそう言うと、静姫と同じく秀高の手を取ってこう言った。
「私も、秀高くんのいない世界で生きたくない。徳玲丸もそうだけど、もしそうなった時には、覚悟はできてるよ。」
その玲の言葉を聞いた秀高は、目を開いて天井を見つめると、安堵してこう言った。
「…二人ともありがとう。おかげでこのまま寝られそうだ。」
「そう、じゃあこのまま寝ましょうか。ね?」
「うん。お休み、秀高くん。」
秀高と静姫、玲はお互いにこう声を掛け合うとそのまま一つの布団の中で眠りに就いた。その中で秀高はこの状況に心が大いに休まり、自然にそのまま眠りに入ることが出来たのだった。




