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1575年6月 東国征伐<関東side> 房総処分



文禄三年(1575年)六月 上総国(かずさのくに)椎津城(しいつじょう)




 六月二十五日。椎津城にて一つの交渉が行われようとしていた。片方は上総と安房(あわ)二ヶ国の大名である里見(さとみ)家の先代当主である里見義堯(さとみよしたか)。そして片方は名古屋幕府(なごやばくふ)の関東方面軍こと「関東路(かんとうじ)」の大将である大高義秀(だいこうよしひで)。この双方は第二次国府台合戦だいにじこうのだいかっせんに端を発した幕府軍と里見、並びに真里谷(まりやつ)などの房総諸将の和議を取り決めるべくこの小城に集まった。


「大高義秀殿…わざわざのお越し、恐悦至極に存ずる…。」


「あぁ。それにしても、病に伏せっていたのは本当だったんだな。」


 椎津城の本丸館の中で、双方向き合うように座した義秀は対面の席で里見家臣の正木時忠(まさきときただ)から背中をさすられつつ、自分に向けて言葉を発してきた義堯の様子を見て、本当に病身を押してやってきた事を実感した。その義秀に向けて義堯はか細い声ながらも目の前の義秀に向けて用件を切り出した。


「義秀殿をはじめ…諸将にはお見苦しい姿を見せて申し訳なく思いまする。されど、この里見義堯…病身を押してでも、里見の家の為にまかり越した次第。」


「そうか…ま、お前の気持ちは分かったぜ。」


 義堯の言葉を聞いて覚悟の程を知った義秀は、その気持ちを受け止めるように返答した。すると義堯は早速にも対面にいる義秀に向けて和議の提案を行った。


「それでは、改めて申し上げまする…。里見家は幕府との戦いを収め、幕府からの処分をすべて受け入れる意向にございまする。また、ここにはおわしませぬが真里谷信高(まりやつのぶたか)殿も幕府との和睦を望んでおりまする。」


「待ってください義堯殿、その事が真ならば何故この場に信高殿がいないのです?幕府との和睦を望むのであれば当主自ら参るのが筋では?」


 義堯の言葉にこう発言したのは、義秀に随行していた正室の(はな)である。この差し挟まれてきた言葉を耳にした義堯は、対面に座る義秀の顔をじっと見つめながら華からの問いかけに答えた。


「畏れながら、真里谷信高殿は真里谷家の当主なれどその実権は皆無に等しく、名目上の当主且つ真里谷城の城主となっているだけに過ぎませぬ。今、信高殿は我が久留里(くるり)城下で小弓公方(おゆみくぼう)の流れを汲む足利頼純(あしかがよりずみ)殿と共に客分(きゃくぶん)の扱いを受けているため、この場に来ることすら出来ませぬ。」


「それでは話になりませんね。」


 義堯からの返答に、華は少し呆れ気味に言葉を呟いた。客分とは、里見家の家臣や一門ではないがそれらと対等に扱う存在の事である。元々久留里城の一帯は真里谷家の所領の一つであったが、戦乱によって真里谷家が没落。それら真里谷家の旧領統治を行うために真里谷家一門の信高を里見家は客分として迎え入れていたのである。それらの事情を元いた世界で小高信頼(しょうこうのぶより)から聞かされていた義秀は、その場で義堯に向けて事前に稲生衆(いのうしゅう)が仕入れてきた情報も踏まえて発言した。


「義堯、お前の里見家が真里谷家を打倒して領地を得たのにもかかわらず、上杉輝虎(うえすぎてるとら)から真里谷家再興を命じられたから、止むを得ず客分である信高を名目上の当主にしたんだろ?そう言う経緯があるんじゃあ、真里谷の当主がここに来れる訳が無いよな?」


「…ご明察にございまする。」


 義秀から発せられた内容を耳にし、義堯が恐懼しながらその通りである事を義秀に伝えた。すると義秀は隣に座していた正室の華と目配せをしてから義堯に言葉を返した。


「だったら真里谷城をはじめとする真里谷領は全て幕府に没収、真里谷家を改易(かいえき)処分とする。そうすりゃあ里見は、わざわざ客分になってる信高を気にかけなくて済むだろ?」


「はっ…その旨、真里谷城の者共に申し伝えまする。」


 この義秀の言葉通り、いわば名目上の存在のみとなっていた真里谷家は領地没収、改易処分という形で滅亡した。そして当の信高本人は真里谷家滅亡によって客分という身分が消失し、武士から一人の農民へと帰農してこの後も命を長らえたという。


「さて、義堯殿。肝心の里見家の事ですが、義堯殿はどうお考えで?」


「元より多くは望みませぬ。我が願いはただ一つ…里見家の存続のみにて、それ以外の処分を…我らはすべて受け入れまする。」


 和議の本筋である里見家の処分を華から問いかけられた義堯は、平身低頭に自らの意向を伝えた。するとその旨を聞いた義秀は頭を下げている義堯に向けて尋ねた。


「一つ聞きてぇんだが、今の当主である義弘(よしひろ)はどうするつもりだ?」


「畏れながらその儀は…剃髪して仏門に入れる事にしておりまする。」


 既にこの時、国府台合戦(こうのだいかっせん)から敗走して来た里見義弘(さとみよしひろ)は、父・義堯によって剃髪。保田妙本寺(ほたみょうほんじ)日我(にちが)上人の得度を受けて仏門に入っていた。その意向を義堯から聞いた義秀に代わり、隣に座していた華が義堯に向けてこう尋ねた。


「もし、上様(高秀高(こうのひでたか))が義弘殿の首を御所望した際はどうなさるのです?」


「畏れながら、名古屋(なごや)の上様は…仏門に入った者まで、お命をお取りになるお方にございまするか…?」


 義堯は華からの問いかけに、病身でありながらも鋭い眼光を見せて対面の華や義秀に聞き返した。その問いかけを聞いて義秀夫妻が一瞬言葉を詰まらせると、義堯は少し息を荒げつつ、それを見た家臣の時忠から背中をさすられている中で言葉を続けた。


「仏門に帰依した者は…御仏になったも同然。その者を討たば…罰が当たるのは必定と心得まする。」


「…俺たちを脅してるのか?」


「滅相もありませぬ…ただ、一人の老父の親心にございまする…。」


 義秀が鋭い剣幕を見せながら放った問いかけに、義堯は一歩下がってから親心を発現させて発言した。その返答を聞いてどこか憐れな感情を抱いた義秀は、その場で腕組みをしてから一つ小さな溜息を吐いた後に返答した。


「…分かったぜ。なら義弘の剃髪を許す。」


「ははっ、(かたじけな)く…思いまする…。」


 その義秀の言葉を聞いた義堯は、その場で義秀の恩情に感謝する様に頭を深々と下げた。そして義秀は床板にまで付きそうな義堯のお辞儀を見て更に憐れに思い、じっと義堯のお辞儀を見つめていたのだった。




 この後、義秀は義堯に対し里見家の処分案を示した。義堯の懇願によって里見家の断絶は避けられたものの、里見家が受けた処分は重い物であった。


・里見義弘は頭を丸めて仏門に入り、里見家の当主を里見義頼(さとみよしより)に継がせる事。


・里見家は関東(かんとう)に二~三万石ほどの新たな領地を与える代わりに、現在の領地である上総・安房(あわ)二ヶ国を幕府に収公する事。


・里見家傘下の国衆については領地を安堵する代わり、これから先に上総・安房を収める新大名の家臣として仕える事。


・里見家臣団は正木時忠(まさきときただ)堀江頼忠(ほりえよりただ)の二名並びにその縁者を除き、全て解雇して野に放つ事。


・里見家の客分となっていた小弓足利家当主・足利頼純は名古屋に下向し、市中に住まう事。


 これらの五つの処分案を義堯は神妙に受け入れた。こうしてここに房総半島(ぼうそうはんとう)の大大名であった里見家は幕府との戦争から離脱。同時に幕府に従属する一大名として存続が許されたのであった。そしてこの交渉の成功を見届けた義堯はそれに安堵したのか、これより約二週間後の七月十日、その生涯を閉じたのであった。享年六十九…。




「良かったのヨシくん?あの処分じゃヒデくんの命令に背くことになるわよ?」


「構わねぇよ。」


 義堯との交渉を終えた後、椎津城の物見櫓から城を去って行く義堯の一行を見つめている義秀に、同じ物見櫓の中にいる華が問いかけると義秀は即答した。


「…きっとあれを見りゃあ、あいつもああしただろうさ。里見義堯、あの姿になっても俺たちから里見家存続を勝ち取るなんて、中々の策士だぜ。」


「…えぇ。私たちも子供を持っているからこそ、あんな親子の情を見せられて心が動かない訳が無いわ。」


 秀高から事前に受けていた里見家への対応策に背いてまでも、親子の情に押し負けた義秀の姿を華は言葉を返して賛同した。と、そこに一人の侍大将が駆け込んできて義秀に報告した。


「申し上げます!先ほど信州(しんしゅう)より早馬が到着!去る六月十七日、高輝高(こうのてるたか)様の命令によって旗本より深川高則(ふかがわたかのり)殿が軍勢八千、並びに滝川一益(たきがわかずます)前田利益(まえだとします)安西高景(あんざいたかかげ)殿が軍勢合わせて三万六千!上野(こうずけ)方面に転進し長野(ながの)沼田(ぬまた)領に攻め入るとの事!」


「何?上野だと?」


「大方、輝虎を討ち取って上杉軍に損害を与えたから、軍を割いてこちらの増援に来たのでしょうね。」


 侍大将から告げられた内容を耳にした華が、命令を下した輝高の意図を汲み取るような発言をすると、義秀は首を縦に振ってから目の前にいる侍大将に向けて命令を飛ばした。


「おい、生実(おゆみ)にいる義広(よしひろ)に「参集している房総諸将を率いて古河(こが)結城(ゆうき)方面に向かえ」と命じろ。俺も里見の事が片付き次第後を追いかける。」


「ははっ!!」


 この後、義秀夫妻は椎津城に留まって上総・安房二ヶ国の戦後処理を行いつつ、嫡子である義広に軍勢を率いて古河・結城などの下総(しもうさ)北部へ進軍させた。その一方で国府台に駐屯していた高浦秀吉(たかうらひでよし)の軍勢を下総東部…森山城(もりやまじょう)に進ませてそこから香取海(かとりのうみ)の先にある鹿島(かしま)の一帯、更にはその先にある佐竹義重(さたけよししげ)の動向を監視させた。幕府による東国征伐発令から僅か二ヶ月余りが経過し、東国の大勢は幕府側に大きく傾きつつあった…。





次回以降の掲載は、1月19日以降を予定しております。

ご了承ください。

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