1575年6月 東国征伐<関東side> 談判の申し込み
文禄三年(1575年)六月 下総国生実城
文禄三年六月二十三日。国府台にて里見義弘・千葉胤富・結城晴朝の連合軍を撃破した大高義秀は、合戦後に制圧した国府台城に高浦秀吉の軍勢を留めると自らは軍勢を率いて東進。船橋を越えて千葉家重臣・原胤栄が城主を務めていた生実城を制圧しここに本陣を置いた。その義秀の元には幕府に臣従するべく房総の各地から豪族たちが兵を率いて参陣して来た。即ち、下総国は小金城主の高城胤辰、隣国の上総国からは飯櫃城主の山室氏勝、東金城主の酒井敏房、土気城主の酒井胤治、庁南城主の武田豊信、万喜城主の土岐為頼など、それぞれ二千~三千程の軍勢を従えて参陣して来たのである。
「高城に山室に両酒井、それに土岐や武田など房総の諸豪族たちが軒並みこちらに伺候して来ておりまする。」
「それだけじゃないわ。千葉家重臣の一人である森山城主の原親幹もこちらに加勢するべく進軍中だというわ。これで下総南部や上総北部の豪族は全て幕府に帰順したという訳ね。」
「…こうもあっさり帰順してくるのか。」
制圧した生実城の本丸館の縁側にて、義秀が仁王立ちしたまま中庭から塀を越えた先の方角を見据えながらポツリと呟いた。その言葉に義秀へ話しかけていた嫡子の大高義広や正室の華は、義秀と同じように塀の向こうへと視線を向けた。するとその義秀の脇に控えていた家臣の桑山重晴がその場で発言した。
「殿、無理もないかと思われまする。そもそも上様(高秀高)が朝敵指名したのは先の「幕府奸賊弾劾状」に名を連ねた関東諸将たち。その配下の諸豪族にとってみれば主君が朝敵に指名されたとなれば、己が領地を守るために保身を図るのは必然でございましょう。」
「父上、ならば己が保身のために、豪族たちが何十年と仕えた主君を捨てるというのを許すでござるか?」
重晴の言葉に息子の桑山一重が反論すると、その口論を脇で聞いていた義秀がふっと鼻で笑ってからその場で口を開いた。
「…一重、俺も本心ではそう思ってるぜ。だがな、奴らは「領主」であって「大名」じゃない。既に宗家が絶えた千葉や結城の家臣や豪族たちが臣従するってんなら、受け入れてやるのが道理だと思うぜ。」
「えぇ。私たちは名を連ねた大名達を朝敵として処分するだけ。それ以外の者達は受け入れてやるべきよ。」
「となれば…房総の中で残るは先の戦に参陣しなかった真里谷城の真里谷信高、そして里見義弘…。」
義秀や華の言葉の後に、義広が絵図を広げて房総地方における残敵の名を上げた。この時、義秀ら幕府軍は「第二次国府台合戦」において討ち取った義弘の首が影武者であることを、戦後に捕虜とした里見勢の足軽から知っており、義広は義秀に向けて義弘を含めた二人の大名を名指しした、その名前を義秀が耳にしていると、そこに家臣の粟屋勝久が現れてこう言った。
「申し上げます、土岐為頼殿、ご嫡子土岐頼春殿、殿にお会いするべく参上しております。」
「土岐が?直ぐここに通せ。」
勝久に向けて義秀が言葉を返すと、勝久は一礼してから中庭に土岐父子を招いた。土岐父子は縁側から義秀らが見つめる中で中庭に座り込み、義秀に向けて一礼してから自身の名を名乗った。
「お初にお目にかかりまする。上総万喜城主、土岐弾正少弼為頼にございまする。そしてこちらが…」
「土岐頼春にございまする。」
白髪で立派な口髭を蓄えた老将ともいうべき為頼と、壮年でありながら父にそっくりな頼春の名乗りを縁側から聞いた義秀は、縁側から地面へと続く階段を一段降りて土岐父子に顔を見せてから問いかけた。
「この俺に何の用だ?」
「単刀直入に申しますれば、此度は仲介にまかり越しました。」
「仲介?」
為頼の用向きを聞いて義広が呆気にとられるような声色で復唱すると、為頼は言葉を続けて義秀に仔細を語った。
「されば先の戦は里見家当主・義弘の独断専行による物にて、隠居である義堯の本意にはございませぬ。よってどうか里見家の臣従を御認め頂き、朝敵指名の赦免を下さいますようお願い申し上げまする。」
「待たれよ。貴殿は里見家を裏切って当方に馳せ参じて参ったのであろう。何故この期に及んで里見の肩を持つことをなされる?」
この為頼の提案を受けて脇に控えていた重晴が思わず言葉を発して問いかけると、為頼は顔を重晴の方に向けてからその問いかけに答えた。
「畏れながら、先代義堯は某の婿にございまする。婿でもあり主君でもある義堯からの頼みとあらば、聞かぬわけにも参りませぬ。」
「…婿の頼みを叶わせるためにこちらに帰順したのか?」
為頼の言葉を受けて義秀が発言すると、為頼は鎧の胸元に手を入れながら即座に返答した。
「如何にもに。これなるは義堯からの書状にございまする。既に義堯は義弘の敗戦を悟っており、もし負けた際には速やかに幕府に臣従する旨を伝えて欲しいとそこには書かれておりまする。」
「ヒデくん、為頼殿の言葉に偽りはないわ。ここには里見家のみならず、真里谷家の処遇までも話し合いたいと書かれているわね。」
為頼が発言しながら取り出した一通の書状を、侍大将が受け取ってそれを義秀の側にいた華に届けた。為頼が発言している最中に書状の封を解いて中身を確認した華が義秀にその内容を告げると、それを耳にした義秀は為頼に向けてこう言った。
「為頼、てめぇはそれでいいのか?最悪の場合、里見家は無くなるのかも知れねぇんだぞ?」
「元より覚悟の上にございまする。戦国の世なれば盛者必衰は避けられぬ定め。されど此度の一戦で義秀殿の幕府軍は里見家のみならず、関東諸侯にその武威を大きく知らしめ申した。これ以上何を望まれるので?」
義秀に対して為頼が怖気づくことなく逆に問いかけると、義秀は為頼の言葉を聞いてからじっと為頼と視線を合わせて睨み合った。義秀は老将である為頼の視線に衰えぬ闘志を感じると、へっと鼻で笑ってからこういった。
「…良いだろう。ただし里見家の行動を考えれば領地削減、並びに安房からの移封は避けられない条件だ。その事、義堯にお前から伝えてやれ。」
「相分かり申した。直ちにその旨をお伝え致しまする。」
この後、為頼は馳せ参じていた生実城から義堯がいる久留里城へと早馬を走らせ、幕府軍が交渉に応じる旨と同時に幕府側からの条件を伝達した。これを聞いた義堯は病を押して自ら交渉を行う事を決意。交渉の場を椎津城として交渉の日取りを六月の二十五日として双方合意すると義堯は僅かな供周りを連れて、そして義秀は主だった軍勢を義広に任せると華や僅かな兵を連れて椎津城に入城。ここに和睦交渉が行われることとなったのである。




