1558年6月 桶狭間奇襲<二>
永禄元年(1558年)六月 尾張国桶狭間近辺
永禄元年六月十四日正午。善照寺砦を進発した高秀高率いる軍勢二千余りは、強く降り続く豪雨の中、先程の軍議で進路の候補として決めていた、手越道へ向かうべく南下していた。
「殿!細根山にござる!」
秀高勢の先頭、全軍を率いて率先して前を進む秀高の前で、道案内兼先導を務めている簗田政綱が、細根山の麓に付いたことを秀高に知らせた。ここ細根山は、麓に十字路があり、そこから二方向に桶狭間へと向かう道が分かれていたのである。
「そうか…政綱!まっすぐ行けば今川勢がいるんだな?」
「ははっ!今川勢に悟られぬためには、この道を左に曲がるべきかと。そうすれば会下山へと抜けられます!」
政綱から情報を得た秀高は軍勢の方を振り向くと、十字路を左に向かうように手で指示をした。そして秀高はそのまま馬を進め、粛々と軍勢もそれに続いて行った。やがて軍勢が会下山に到達すると、そこに伊助が待っていた。
「おぉ、伊助!今川本隊の様子はどうだ?」
秀高が伊助の姿を見て話しかけると、伊助は手短に用件を報告した。
「はっ。敵は酒食を振る舞ったおかげで寝静まっており、あまつさえこの豪雨で足軽たちが雨宿りをしに本隊から離れています。」
「そうか…報せご苦労!」
秀高は伊助にそう言うと、素早く馬の足を前に進めた。この軍勢の行軍は実際に今川勢に気取られておらず、あまつさえこの豪雨で兵馬の足音がかき消されていたのである。
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「太守、先程駿府より使者が参りましたぞ。」
その頃、豪雨の中の今川本陣では、雨の中届いた早馬の書状を、家臣の朝比奈親徳が今川義元へと届けていた。
「ほう、駿府から?」
義元はそう言うと親徳よりその書状を受け取り、その中身を一読した。すると義元はふふふと笑い始め、書状を親徳に見せるとこう言った。
「聞け、氏真が我が尾張侵攻を補佐すべく、後詰を送ることを決めよったぞ。」
「誠にございますか!?」
親徳がその内容を聞いて驚くと、義元はそれにうなづいて更に言葉を続けた。
「うむ。親永を総大将に、小笠原・天野・安部など総勢一万余りが来るという。これで秀高のあがきも、これまでというものよ。」
義元はそう言うと、気分がさらに高揚して目の前の盃をあおった。秀高勢がいくら奮戦したとはいえ、後詰を送ってくる余裕のある今川家の前に劣勢になるのは火を見るよりも明らかで、義元もそれを知っていたからこそ、これまでの秀高の戦勝を「無駄な足掻き」としか捉えていなかった。
「殿、そろそろ進発いたしませんと…」
と、家臣の久野元宗が義元にこう進言すると、義元はそれを鼻で笑ってこう言った。
「何を言うか。この豪雨で身動きが取れない今は、ここで雨宿りしても問題はなかろう。無駄な足掻きをしてきた秀高に、これ以上何が出来ようか?」
こう言うと義元は更に徳利から酒を盃に注ぎ、それを一気に飲み干してしまった。もし、この場に寿桂尼や太原雪斎がいれば、このように慢心しきっている義元を一喝したに違いない。だが結果的には、自尊心が高いこの義元の心情が、その運命の結末を招くことにもなったのである。
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「…ここからなら、桶狭間のすべてが見えるな。」
それからしばらく経った昼過ぎ。ついに秀高勢は何ら気付かれることなく、いよいよ桶狭間を見渡せる武侍山に到着。林の陰から桶狭間に展開されている今川勢本隊の姿を見つめていた。
「あぁ。いよいよ義元の最期ってわけだな。」
その秀高の隣で馬に跨る大高義秀は少し弱まった雨脚の中、兜を持ち上げて今川勢の様子をしっかりと見つめていた。
「でも、こちらは二千。相手は旗本だけでも三千はいる。気を引き締めて戦わないと…。」
「そうね。やはりここは、義元に狙いを絞るのが常道よね。」
小高信頼と華が秀高に向かってこう言うと、秀高はそこでこの軍勢に従軍している三浦継高を呼んだ。
「継高、継高はいるか。」
「はっ、ここに。」
秀高と継高が、声を大きく上げないように小さい音量で言葉を交わした。
「継高。今回はお前に先陣の義秀隊と一緒にさせようと思う。先の戦での無念。ここで今川相手にぶつけて来い!」
「ははっ!お任せくだされ!」
継高はそう言うと馬に跨り、義秀の背後に付いた。その様子を見た義秀は継高の肩を叩いて緊張をほぐし、継高もそれに応じて一呼吸をして落ち着いた。
「殿、して攻め掛かる好機は?」
するとここで軍目付の滝川一益が秀高に意見すると、秀高はその場で今川本隊攻撃の陣割を決めた。
「あと少し雨が止んだら攻め掛かる。一番手は義秀。二番手に高景。三番手に一益。我ら本隊は四番手に続く。目標は義元がいる領主館。各自そのように動け!」
「ははっ。」
一益は秀高の指示を聞くと、すぐに全軍に触れ回り、その後は雨が弱まる時を待った。そしてそれからしばらくして、遂に雨は小雨模様になった。それを確認すると秀高は軍配を取り出した。
「よし、かかれ!」
秀高は軍配を勢いよく振り下ろした。それを見た一番手の義秀勢が静かに山を駆け下り、いよいよ今川勢への攻撃を始めようとしていたのである。
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その頃、桶狭間の領主館では、義元が尿意を催して領主館の中にある厠に立っていた。
「ふぅ…」
厠を出た後義元は一息ついて、居間へと戻ろうとしたが、ふと、その離れの一角が気になった。そこはかつて、秀高の領主時代に信頼と舞が製本をしていた部屋がある場所であった。
「なんだ、この一角は…」
義元は無性にその一角が気になると、人目もはばからずにその場に入っていった。その中は畳が墨で少し汚れ、どこか日光の入りが悪いのか少し暗い印象のある部屋だった。義元はその中に踏み入れると一つの物が目に入ってきた。
「ん?なんだこれは?」
義元がそう言って手に取ったそれは、製本の過程で文字の間違いがあって破棄した際の一枚であった。それは何やら事件の事項が書いてあったが、義元はふと、その一枚の紙きれの末尾に目をやった。すると、そこには驚くべきことが書かれてあった。
【1560年 今川義元、桶狭間の戦いにて死す】
「こ、これは…」
義元はその時、この事項に今まで以上に驚いた。今まさに自分がいる場所、そしてその状況のすべてが一致しており、何よりもその場所で自分は死ぬと書かれていたのだ。
それと同時に今まで、秀高の事を優秀だとは思うが、その能力を当てに無駄な足掻きを繰り返す未練がましい男とまで思っていたことが、これによって義元の想像以上の人物であることは、さすがの義元にも分かったのであった。
「こ、このままこの場所にいれば、我らは…」
もはやこの時、義元から酒の酔いは既に消え去っていた。それと同時に戦国武将としての勘が戻って来たのか、自身に起こることが分かってしまい、すぐに居間に戻ろうとしたその時、遠くの山の方から地鳴りらしきものが聞こえてきたのだった。
「あ、あれは…まさか!」
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義元が聞いた地鳴り。それはまさしく先陣きって今川勢に斬り込んできた義秀勢五百であった。義秀勢は敵を打ち倒すとその場所に捨て置き、先に先にへと前進を繰り返していた。
「行けぇーっ!狙うは義元の首ただ一つだ!」
義秀は部隊の先陣切って馬を駆けさせ、立ちはだかる敵を次々となぎ倒していった。それを見て華も薙刀を振るって義秀に付いていき、継高も二人に遅れまいと続いていた。
「ええい!怯むなっ!敵はたかだか小勢!一気に包囲して打て!」
その異変を察知した元宗が足軽たちにこう指示し、先陣の義秀隊を包囲しようとしたが、その時また新たな敵が攻めてきたのだ。
「続け!義秀殿に遅れるなっ!」
義秀隊の後に付いて来たのは、二番手の安西高景隊であった。高景隊は包囲しようとしていた元宗勢の真ん中を突き破ったのだった。
「新手か、皆怯むな!何としてもここで——」
しかし、次の言葉が元宗から発せられることはなかった。元宗はその瞬間に華の薙刀によってねじ伏せられ、そのまま馬上から転げ落ちて絶命してしまったのだ。
「おらおらぁっ!死にたくない奴はどきやがれぇ!」
義秀は更に槍を振るって敵勢を打ち崩していった。こうなっては、三千いる今川本隊も、武将も足軽の分別もなく次々と討ち取られる壊乱状態になった。
「ええい、情けない。これが今川家の軍勢か!」
領主館の居間にて、義元は報告されてくる戦況に苦虫をかみつぶしていた。ただでさえ図られたとようやく気付いても、この状況ではいかに義元といえど苦しい状況であったのだ。
「やむをえん、前面にいる蒲原と由比勢に本陣の守備に就くように伝えよ!」
「ははっ!」
義元は早馬に遠方にいる本隊の兵を呼び寄せ、秀高勢を挟撃しようとたくらんだ。しかし、この早馬がそれぞれの部隊に到着して本陣への転進を願い出たその時、既に秀高勢は領主館にあと少しの距離まで迫っていたのである…