1555年5月 末森逗留
天文二十四年(1555年)5月 尾張国末森城
織田信勝の居城・末森城は、先ほど山賊の根城と呼ばれていた古渡の古城から西に行った所にある平山城である。
ここは信勝の父・織田信秀が新たに築城した地で、信秀がこの城にて没したのちは、信勝が城主となり、信秀家臣の柴田勝家や佐久間盛重、さらに林秀貞も信勝を支持し、信勝家臣として末森城に詰めていた。
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「さぁ、ここがそなたらの屋敷じゃ。」
山賊の襲撃から信勝と遭遇して共に末森城下に来た秀人たちは、勝家の案内の元、末森城下にある一軒の武家屋敷の前に付いた。
「こ、こんな立派な屋敷をくれるんですか?」
秀人が武家屋敷の外見を見て、恐る恐る勝家に尋ねると、勝家は首を縦に振ってこう話した。
「そうじゃ。先ほどのそなたらの腕前を見て、信勝さまは大層気に入られてな。とりあえずの住まいとしてこの屋敷を下さるそうじゃ。」
そう言われた秀人たちは、恐る恐るその武家屋敷の中をのぞいた。
この武家屋敷は板塀と棟門に囲まれた中にあり、主殿を中心に、玄関や客間を廊下でつなぎ、中庭や台所も備え付けられている書院造の武家屋敷であった。
この屋敷がある一角は、前の道を進めば、末森城の大手門へとつながる場所にあり、まさに一等地と言われる場所に存在していたのである。
「勝家さん、こんな立派な屋敷をお貸しいただき、ありがとうございます!」
秀人がこの屋敷の絢爛たる雰囲気をみて、勝家にお辞儀をすると、勝家は頭を下げた秀人の顔を上げさせてこう言った。
「いや、そのお礼は明日、城内で殿に言えばよかろう。では明日、城内で待っておるぞ。」
勝家はそう言うと、棟門の外に留めた自身の馬に跨り、秀人たちに一礼してその場を去っていった。それに対して一礼して見送った後、秀人は再び武家屋敷を仰ぎ見た。
「…さて、とりあえずは、ここがしばらくの拠点になるのか。」
「でも、ちょっと広すぎない?この屋敷の構造からみても、庶民の僕たちには過ぎた屋敷だと思うけど…」
秀人に、屋敷の広さへの懸念を述べた信吾に比例して、義樹は大きく背伸びをして信吾にこう言った。
「まぁいいじゃねぇか。それだけあの殿さまは俺らに期待してるって事だろ?」
「でも、この屋敷、少なくとも五百石取り以上の武士が住む武家屋敷だよ?」
歴史オタクであった信吾はこの武家屋敷の構えと構造を見て、本来住むに等しい武士の基準を言う。すると、屋敷の大きさに飲まれていた真愛も、信吾に対してこう言う。
「でも、この大きさの屋敷をくれるという事は、信勝さんは私たちに俸禄をくれるのかも…」
「…もしそうだとしたら、信勝さんは相当、僕たちを買ってるみたいだね。」
真愛の予測を聞いた信吾は、秀人にこう言う。秀人はその言葉を受けてうんと頷き、見入るようにその武家屋敷を見ていた。
「はい、皆。とりあえず中に入りましょう?それからでも話はできるでしょう?」
有華の言葉で正気に戻った秀人は、早速その武家屋敷の中に入り、武家屋敷の隣に立つ蔵に入り、そこに各々の得物である武器をしまい、身一つで主殿の中へと入っていった。
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「わぁ、やっぱり広いね。」
主殿の中の居間に入り、玲那がそう言うと、秀人は頷き、居間の中に腰を下ろして座った。
「まぁ、武家屋敷は結構広いけど、ある程度の部屋の場所がわかれば、問題はないだろうな…あぁ、信吾。どういう構造になってた?」
と、そこに秀人たちと別れ、一足先に武家屋敷の全貌を見てきた信吾と真愛が居間に戻ってきた。
「うん、一通りの部屋はあるみたい。仏間に寝間、台所もあるし風呂もあるね。」
「そうか。やはりある程度は生活できるみたいだな。」
そう言うと、有華が今後の展開を見据えたうえで、こう提案してきた。
「ねぇ、これだけ広いなら、何名かお手伝いさんを雇ったらどうかしら?料理や洗濯、掃除などをしてくれる人は何人か必要だと思うのだけど。」
「確かに、最低でも一人ぐらいは、現地の情報を知る意味でも雇うのは賛成かもね。」
有華の提案を受けて信吾も賛同すると、秀人はその意見を取り上げ、明日以降に人を雇うことを念頭に置いた。
「あ、それと…寝る場所なんだけど、その寝間って複数部屋があるの?」
ふと、玲那が思い出したように信吾に尋ねた。
「まぁ…寝間は、ここから見える中庭の向こうに見える三つの部屋。あれが全部寝間だよ。」
玲那は信吾が指さした方を見た。そこには中庭をはさみ、襖で間仕切られた三つの部屋が並んでいた。
「…なんか、結構わかりやすい部屋割りなんだね。」
「…そうだな。とりあえず、真ん中の部屋は空き部屋にして、左右に分かれて寝るとするか。」
玲那の言葉を聞いて、秀人はそう言って寝る部屋を簡潔に割り振った。その後、事前に用意されていた食材を使って料理をし、簡単に夕食を済ませた後、それぞれ男女に分かれてその日は眠りについた。
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翌日。秀人たちは屋敷に用意されていた着物に腕を通し、女性陣は小袖、男性陣は素襖という武士の平服ともいう着物に着替え、末森城へと登城した。
末森城内の評定の間にて、上座に座る信勝と、下座にて両脇に控える数名の重臣の前に、秀人たちは頭を下げていた。
「今回は、我々を庇護してくださり、誠にありがとうございます。」
秀人のあいさつを受けた信勝は、優しく微笑むと頭を上げるように促した。
「面を上げよ。」
「はっ。」
そう言って秀人たちが頭を上げると、その重臣のうち、二人は昨日会った勝家と秀貞だと認識できたが、その他の二人の重臣は初対面であった。
「秀人、この勝家の脇に座っているのは佐久間盛重。そして秀貞の隣に座っているのは、秀貞の弟の林通具だ。」
「林美作守通具でござる。」
「佐久間大学盛重にございます。お見知りおきを。」
信勝から紹介を受けた盛重らは、簡潔に秀人たちに向かって名を名乗った。すると、信勝は早速、単刀直入に用件を切り出した。
「昨日はそなたらの腕前を見た権六の推挙を受け、一夜中考えた。やはりそなたらを、兄上らに引き渡すわけにはいかん。よってこれからは、この私が新たに召し抱えた家臣という体でそなたらを迎えたいと思う。」
その言葉を受けた秀人は、代表してその言葉を受けて返答した。
「格別のご配慮、誠に痛み入ります。」
その言葉を受けた信勝は、秀貞に目配せをした。すると秀貞は秀人の方を向いてこういった。
「ついては提案なのだが、そなたら名前を変える気はないか?」
この意外な提案に、秀人たちは驚いた。
確かにこれより先、自分たちの名前をそのまま使えば現代人、すなわち未来から来たというのが即座にわかってしまう。織田領内ならともかく、それが他国に知れ渡れば、命の危険につながることは、ある程度予測できたことであった。
「まぁ、昨日そなたらの名前をすべて聞き、女子らの名前はそのままでも支障はないが、やはり男の方は名前を変えねば、些か支障が出ると思うてな。」
秀貞からの提案を受けた秀人は、暫く考えると、信勝に向かってこう提案した。
「すいません、少し時間をいただけますか?」
「…構わぬ。」
信勝の許しを得た秀人たちは、円陣を組むように固まり、それぞれ小声で話し合い始めた。それを見ていた通具は呆気に取られ、盛重はそれを無礼であると制止しようとしたが、勝家に腕をつかまれて止められた。
「どうする?こればかりはみんなの意見を聞きたい。」
「…俺は構わねぇぜ。それで俺たちが未来から来たことが消えるなら、一向に良いぜ。」
義樹が小声で自身の考えを言うと、有華もその言葉に賛同するように意見を述べた。
「私もそれで問題ないわ。でも一つ引っかかるのは、私たちの名前はそのままっていうことね。やはりリスクを考えれば、一律に改名した方がいいと思うわ。」
「私もそうも思います。今じゃなくていいと思いますけど、後々でも変えた方がいいと思います。」
有華の意見に玲那も賛同すると、真愛は一つの懸念を言う。
「でも問題は、どういう名にするかです。私たちは漢字を一文字にしたり、読みはそのままに名前を別にできますけど、秀人さんたちはいろいろ改名しないと…」
「…良いかな?いつかこうなるだろうと思って、既に僕に一つ、いい名前の案がある。」
信吾が小声でそう言うと、懐から紙を取り出した。これこそ、前日に宿屋で記した物で、そこに書かれてあったのは秀人たち男性陣の改名案でもある名前だった。信吾はその紙を皆に見えるように見せた。
「…よし、これで行こう。」
その名前を見た秀人、そして義樹は、信吾の考えたその名前に感銘を受け、この名前にすることに決めると、皆一斉に、信勝の方を振り向いたこう言った。
「名前は決まったか?」
信勝がそう言うと、秀人ははい。と答えると、その名前が書かれた一枚の紙を信勝に見えるように差し出した。
「俺、本田秀人は今日より、「高秀高」と名乗りたいと思います。」
「高だと…高と言えば、観応の擾乱で足利直義に討たれた高師直の高氏か?」
秀貞が秀人にこう言うと、秀人は頷いて、さらに続けた。
「はい。皆様は高氏に負の印象を持ってるかと思いますが、我々はその印象を払拭し、この乱世で能力を高めていく思いを込めてこの名にしました。」
さらに秀人は、両脇にいる義樹と信吾をそれぞれ見ながら更に述べた。
「そして、ここにいる義樹は、更に己を高めたいという願いと、改名した秀高の「秀」の字を与えて「大高義秀」に。」
そう言うと、義樹は一礼してその名前を受ける意思を示した。
「また、信吾は一歩ずつ着実に歩む謙虚さを現して、「小高信頼」と名を改めたいと思います。」
信吾もその名前を受け入れる意思を、一礼をもって示した。
それらの改名案を受けた信勝はその名を気に入り、その改名した名前で彼らを呼んだ。
「うむ。良かろう。秀人、いや秀高!それに義秀に信頼、これより、そなたらを我が家臣とする!」
「ははっ!」
そう言われた秀高ら三人は快く返事してその意気を示した。それを受けて秀貞は傍に置いてあった書状を広げてこう言った。
「では…高秀高、並びに大高義秀、小高信頼。三名を正式に織田信勝の家臣として登用し、三名合わせて五百石の禄高を与える。宜しいな?」
「ははっ!承りました!」
秀高はそう言って、秀貞よりその書状を受け取った。この書状こそ、生まれ変わった秀高らの第一歩のあかしとなる書状であった。
こうして織田信勝の家臣として名前を変え、正式に戦国乱世に名乗りを挙げた秀高たち。その後彼らは信勝や勝家ら重臣たちからお役目を拝命し、その役目をこなしていった。
そうして過ぎていくうちに、やがて京から改元の使者が早馬で到着し、元号は二十四年間続いた天文から弘治へと改められた。