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1575年6月 東国征伐<秀高side> 死の第一報



文禄三年(1575年)六月 遠江(とおとうみ)国内




 越後(えちご)の龍、川中島(かわなかじま)に落つ。


 文禄(ぶんろく)三年六月十五日、この第一報が幕府軍の後詰として進軍する高秀高(こうのひでたか)が届けられたのは、東海道周りで尾張(おわり)から甲斐(かい)に向かう道中の事であった。この時、秀高率いる手勢五百余りの軍勢は国境を越えて浜名湖(はまなこ)を経由し浜松城(はままつじょう)の付近におり、秀高は乗っていた塗輿(ぬりごし)から出て嫡子・高輝高(こうのてるたか)から届けられた書状を直立したまま見つめていた。


「輝虎が…。」


「秀高くん、どうかしたの?」


 この軍勢には秀高の正室である(れい)をはじめとした五人の正室たちも同伴しており、声をかけてきた玲の背後には静姫(しずひめ)詩姫(うたひめ)小少将(こしょうしょう)春姫(はるひめ)が立っていた。すると秀高は声をかけてきた玲の方を振り返り、届けられた書状を手渡しながらそこに書かれていた内容を一言で伝えた。


「上杉輝虎が、川中島で死んだ。」


「何ですって?」


 差し出された書状を玲が受け取った脇で、静姫が声を上げて反応した後に玲に近づき、受け取った玲や同じく近づいて来た詩姫らと共に書状の内容を確認した。そこには輝高の直筆で六月十日、海津城(かいづじょう)外の野戦で輝虎をはじめ上杉方の諸将十数名の首を討ち取ったという戦果報告が事細かに書かれており、それを一通り見て最初に言葉を発したのは、玲の背後から書状を覗き見ていた詩姫であった。


「あの越後の龍が、命を落としたという事ですか…。」


「うん、なんだか呆気ないなって思うよ。」


 その詩姫と玲の会話を、秀高は直立したまま天を仰ぎ見ていた。乗っていた塗輿の周囲に神余高政(かなまりたかまさ)神余高晃(かなまりたかあきら)兄弟や山内高豊(やまうちたかとよ)山内一豊(やまうちかずとよ)兄弟をはじめとした将軍家の側衆たちが控えている中で、秀高が所々にいわし雲が広がっていた空を見つめていると、その中で静姫が玲から書状を受け取りつつ言葉を発した。


「…これを見ると、上杉輝虎をはじめ柿崎(かきざき)色部(いろべ)本庄(ほんじょう)中条(なかじょう)といった上杉方の重臣を討ち取ったらしいわ。けど、養子の上杉景勝(うえすぎかげかつ)の首を取る事は出来なかったみたいね。」


「そうか、養子の景勝は生き残ったか。」


「景勝が生き残ったんじゃ、こっちからの交渉に応じないと思うけど…。」


 と、玲が秀高の子である快庵宗密(かいあんそうみつ)に対し、事前に命じられている上杉との交渉が難航しかねない予測を言葉に含めると、秀高は声をかけてきた玲の方を振り返るや、ふっとほくそ笑んで言葉を返した。


「それは分からないぞ?景勝の元には樋口兼続(ひぐちかねつぐ)をはじめ優秀な家臣たちがまだまだ多くいる。それら家臣たちからの提言かつ、景勝が憎しみに囚われずに大局的な視点をもっていれば交渉の糸口は残っているさ。」


「でももし上杉が降伏となれば、残された鎌倉府(かまくらふ)傘下の諸大名達はどうするのかしらね。」


 上杉輝虎が北条氏康(ほうじょううじやす)武田信玄(たけだしんげん)といった強敵を打ち破って東国(とうごく)一帯に築き上げた鎌倉府による支配体制が、輝虎の死によって泡沫(ほうまつ)の如く消え去り、それによって傘下の諸大名達の趨勢を静姫が口にすると、秀高は静姫の方に視線を向けてから持論を語った。


「今の所、佐竹(さたけ)宇都宮(うつのみや)をはじめとした関東の諸大名から何の接触もない。このまま行けば全ての諸大名を断罪せざるを得ないだろう。」


「全て滅ぼす、という訳ですか。」


 秀高の言葉に春姫が反応すると、その言葉に秀高は首を縦に振って頷いた。


「そうなるな。まぁ関東管領(かんとうかんれい)でもある上杉輝虎の死、そして鎌倉公方(かまくらくぼう)でもある足利藤氏(あしかがふじうじ)までもが死んだとなれば、関東の諸大名共もようやくこちらに接触を図って来るに違いない。」


「上様、申し上げます。」


 と、そこにこの秀高の手勢に加わっていた幕府側衆の伊勢貞為(いせさだため)が現れると、貞為は秀高に向けて簡潔な報告を述べた。


「ただ今、関東路を攻略している大高義秀(だいこうよしひで)殿の家臣・粟屋勝久(あわやかつひさ)殿がお越しになり、上様にお目通りを願っておりまする。」


「勝久が?直ぐにここに通せ。」


 秀高の言葉を受けた貞為はすぐさま会釈をすると、秀高の目の前に勝久を案内した。その勝久は一つの首桶を持参して秀高の目の前に現れると、秀高に向けて用向きを告げた。


「申し上げます。去る六月十日未明、柴田勝豊(しばたかつとよ)殿の軍勢が敵中に潜行し、鎌倉(かまくら)より離脱を図った鎌倉公方・足利藤氏の首を討ち取りましてございます。」


「何、藤氏を!?」


 それは思いもかけない報告であった。輝虎に続いて鎌倉府の主導者的立ち位置であった鎌倉公方の死は、秀高にとって大きな意味を持つ報告でもあった。その様な重大な報告を受けて衝撃を喰らった秀高に向けて、勝久は(かしず)きながら度々首桶の方に視線を向けつつ、秀高へ言葉を続けた。


「この藤氏の首級は柴田家臣・佐久間盛政(さくまもりまさ)が挙げた物にて、盛政は柴田隊が逗留する武蔵小机城(むさしこづくえじょう)から三浦(みうら)領を敵中突破して我が殿・義秀の元に届けて参った次第。それを受けた我が殿はこの(それがし)に命じ、すぐさま首級を上様の元へと運んで参りました。」


「そうだったのか…。」


 秀高は勝久からの言葉を聞くと、歩を進めて藤氏の首が納められた首桶の前に立つや、その場にしゃがんで首桶の蓋を開けた。中には塩漬けにされた藤氏の頭部が見え、塩溜まりの中に頭頂部の髪を確認した秀高は蓋を閉めてから手を合わせて合掌した。その後秀高は立ち上がると、側にいた高豊に向けてこう告げた。


「高豊、この首級は名古屋(なごや)に送れ。じきに来る輝虎の首と共に晒し首にした後、丁重に弔ってやれ。」


「はっ。」


 その下知を受けた高豊は貞為と共に藤氏の首桶を持ち上げ、報告に来た勝久共々秀高の前から下がっていった。それを脇で見送っていた静姫は、秀高に向けて言葉をかけた。


「越後の龍と傀儡の公方が死んだのなら、この戦の終わりも近いわね。」


「そうでしょうか?むしろ混迷を増すと思うのですが…。」


 静姫の言葉に玲の背後に立っていた小少将が反応すると、秀高は声を発した静姫や小少将の方を振り向き、輝虎・そして藤氏という当面の敵が相次いで死した今の心境を吐露した。


「どちらにしろやる事は変わらない。今はただ、長きにわたって相対した宿敵の死を悼むだけだ。」


「それが、生き残った者の定めとして…?」


 秀高の言葉に玲が反応すると、その言葉を耳にした秀高は首を縦に振って頷いた。


「そうだ。やがて数日もすれば川中島からも首級が届けられるだろう。今はただ、首桶の中の輝虎がどのような表情をしているのか…俺はそれが見てみたい。」


「秀高様…」


 その静かな口調で発せられた言葉に、詩姫が言葉で反応する一方で玲や静姫などはただ黙してその言葉に耳を傾けていた。この秀高の言葉通り、輝虎の首が川中島から届けられたのはそれから二日後の六月十七日の事であった。





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