1575年6月 東国征伐<甲信路side> 海津・寺尾の戦い 後編<二>
文禄三年(1575年)六月 信濃国海津城外
「そうか、川の向こうから増援か。」
「義父上、最早ここまでにございまする。」
上杉輝虎の元に赴いた養子・上杉景勝は、味方の苦戦と勝敗明らかになった事を冷静に伝えた。既に第三陣は崩壊し、後詰の直江信綱・上杉景信の各隊が幕府軍の総攻めを警戒するように布陣していた。その最中で撤退の進言を受けた輝虎は、自らが必殺の陣形と自負する車懸りの陣形が、高秀高の嫡子である高輝高によって打ち破られた事に、どこか敗北を悟った表情を見せていた。
「…このわしも、ここまでか。」
「義父上、何を仰せになられますか!?」
輝虎の思わぬ言葉に景勝が即座に反論したその時、上杉勢の正反対の方角から数多もの法螺貝の音が聞こえてきた。これこそ幕府軍による総攻撃の合図であり、法螺貝の音を聞いた小高信頼隊、真田信綱隊などの幕府軍各隊は馬防柵から打って出て上杉勢に追い打ちを始めたのである。この攻勢を目の当たりにした輝虎は、すぐさま目の前にいた景勝に向けて言葉をかけた。
「景勝、今ならばまだ間に合う。そなたは信綱や景信殿の部隊とともに越後まで下がるが良い。」
「義父上、義父上もご一緒に撤退を!!」
輝虎の言葉を受けて景勝がともに撤退するよう進言すると、その進言を輝虎は首を横に振って否定し、景勝を諭すような口調で言葉を返した。
「敵はこのわしの首を欲しておる。ここが我が命の最期であろう。だがそなたは上杉の後継者。そなたが死ねば上杉は無くなる。何としても生きながらえて上杉を存続させるのだ。」
「父上…。」
養子である景勝にまるで実子に教えを授けるように輝虎が言葉をかけると、輝虎は目の前で真っ直ぐに見つめていた景勝に向けて、遺言とも言うべき言葉をかけた。
「良いか景勝。このわしのようにはなるな。敵討ちなど考えて上杉家を滅ぼすなかれ。良いな?」
「…ははっ。」
景勝は自らの感情を押し殺した声色で輝虎に返事するや、一言も発さずに輝虎に向けて会釈をすると、すぐさま馬に跨ってその場から去って行った。これが今生の別れであると輝虎、そして景勝両名は感じ取っており、景勝は養父である輝虎に背を向けて衷情の念を悟られぬよう気丈に振る舞い、側近の樋口兼続や栗林政頼らと共に川中島から離脱していった。
「宗信、どれくらいの味方が留まっておるか?」
「はっ、この場には御実城の旗本四千に中条景資殿の兵二千が踏み止まっておりまする。」
景勝を見送った後、側近・吉江宗信より撤退していく景勝・信綱・景信の三隊一万を除いた六千余りの将兵が幕府軍の前に立ちはだかっている事を知るや、輝虎は愛馬の放生月毛の首筋を一たび撫でた後、腰に差していた姫鶴一文字を抜き、報告を述べた宗信や子の吉江織部佑景資に向けて言葉をかけた。
「良いか、我らは藤沢川の西岸に進み、景勝の逃げ延びる時を稼ぐ!行くぞ!!」
「ははっ!!」
輝虎の言葉に宗信は即座に相槌を返し、これを耳にした輝虎は馬を走らせて向かって来る幕府軍との戦いを決断した。輝虎本隊と中条景資の部隊合わせて六千人余りは藤沢川の渡河を阻むように西岸に布陣しなおすと、景勝ら逃げていく上杉勢を追いうちするべく追いすがって来た幕府軍の真田信綱・新発田長敦の部隊と交戦を開始した。幕府軍は数で勝ってはいたものの、景勝の逃げ延びる時を稼がんと決死の奮戦を行う輝虎やその気迫に応えんとする上杉勢の抗戦の前に追撃の足は止まってしまったのである。
「輝虎が藤沢川の西岸に?」
「うん、毘沙門天を示す「毘」の旗指物があるから間違いないと思うよ。」
この輝虎の行動は、輝高本隊の元にやって来た信頼本人によって輝高の耳に入った。輝高にしてみれば今回の東国征伐における最大の主目標である輝虎本人が、味方を逃すべく殿を務めている事に意外性を感じたが、すぐさま気持ちを切り替えて報告しにやって来た信頼に向けてこう言った。
「信頼叔父、幕府全軍に輝虎の首を上げる事を最優先にせよと命じてください。それと救援に来た織田・浅井の各隊には金井山城がある山の稜線まで敗走する敵を追い討ちせよと。」
「なるほど、ある程度数を減らしておく。という訳だね?」
「如何にも。」
命令を受けた信頼が輝高の意図を汲み取って尋ね、これに輝高が一言で返事を返すや信頼は首を縦に振って頷いてから馬首を返してその場から去って行った。この輝高の命令通りに織田信澄・浅井高政の計二万人は輝虎隊に構わず別の浅瀬から藤沢川を渡河。別個に逃げていく上杉勢への追い打ちを実行したのである。
「怯むなっ!!何としても景勝様の逃げ延びる時を稼ぐのだ!!」
一方、輝虎と共に藤沢川の西岸に踏み止まった中条景資の部隊では、攻め寄せて来た真田隊と交戦を繰り広げていた。元より真田隊一万に味方の軍勢二千では勝敗は火を見るより明らかであり、中条隊の足軽たちの中には敵である真田隊の将兵を何名か討ちとる者もいたが、やがて力尽きて一人、また一人と討ち取られていった。
「おう、そこにあるは中条景資殿とお見受けする!我こそは真田源太左衛門信綱が弟、真田兵部丞昌輝なり!」
「真田…信玄坊主の亡霊か!!」
督戦を行う景資に向けて名乗りを上げた昌輝の名を聞き、景資が即座に振り返って言葉を言い放つと、槍を構えて昌輝に躍りかかった。すると昌輝は手にしていた大太刀を一払いし、景資の馬を薙ぎ切って景資を馬上から落馬させると、よろめきながら立ち上がった景資に素早く近づいて景資の胴体を胴丸諸共貫いた。
「ぐおっ!!」
「中条景資、真田兵部丞昌輝が討ち取った!」
力尽きてその場に倒れ込んだ景資の側で昌輝が味方の将兵に向けて名乗りを上げると、真田隊の将兵は更に奮い立って中条隊の足軽たちを悉く掃討していった。この中条隊の全滅によって幕府軍の攻勢は輝虎本隊に集中し、四方八方からの攻勢の前に精鋭揃いである輝虎の旗本たちは一人、また一人とその命を散らしていった。
「ぐはっ、父上…」
「景資!」
ふと、その激戦の最中に織部佑景資の最期の声を耳にした父の宗信が、声の下方向を振り返るとそこにあったのは刀を受けて力尽きて倒れた織部佑景資の亡骸であった。これを見た宗信がやるせない気持ちで息子の亡骸をぼーっと見つめてしまい、その隙を突かれて幕府軍の槍足軽たちが四方から宗信の身体を突き刺した。
「ぐうっ、お、御実城…。」
宗信は四方から槍が突き刺さったままで輝虎に向けた言葉を最期の呻き声と共に発してその場に倒れ込んだ。やがて輝虎本隊は四方からの攻めの前に壊滅していき、それを少し離れた所で見つめていた輝虎は、脇にいた信頼に向けて言葉を発した。
「…これが正真正銘、越後の龍の最期、ですか。」
「うん、呆気ないものだけど、終わりは儚い物だね。」
輝高と共に壊滅していく輝虎本隊の光景を見つめている信頼が、何とも言えない感情をこめて輝高に言葉を発したその時、目の前に立ち込めている土煙の中から一騎の騎馬武者が遥か遠くからこちらにめがけて迫って来た。信頼がその一騎に気が付いて目を凝らすと、その騎馬武者が飯綱権現兜を被り白毛の馬に跨っている姿を見て、信頼はその騎馬武者の名を呟いた。
「上杉輝虎…やはりそう簡単には死なないか。」
「鉄砲隊、構え!!」
信頼のつぶやきの後に、総大将である輝高の側にいた高則が即座に命令を発した。この命令によって輝高や信頼の前に改良火縄銃を携えた鉄砲足軽が一列に勢揃いし、その場に腰を下ろして標準を迫ってくる輝虎に定めた。すると、輝虎は輝高や信頼と目と鼻の先ま近づくと、輝虎は相対している輝高に向けて言葉を叫んだ。
「高輝高!よくも我が軍勢を打ち破った!貴様の父、秀高に我が最期をとくと教えよ!!」
「…放て!!」
輝虎が言葉を叫んだ後に放生月毛の手綱を引いて駆けさせると、それを見た輝高が一斉射撃の号令を発した。その言葉を耳にした鉄砲隊が輝虎目掛けて引き金を引くと、その銃弾は迫り来る輝虎の身体を数発貫き、銃弾を受けた輝虎はその場でよろめいて駆ける放生月毛の上から転げ落ちた。その光景を見た輝高が手で目の前にいた鉄砲隊を避けさせ、信頼や高則と共に目の前でその場に立っている放生月毛の側に近づくと、放生月毛の側には主である輝虎が一切悔いない表情を浮かべて事切れている光景を目の当たりにした。
「…」
輝高はその場に亡骸となっている輝虎の姿を見るや、即座に馬から降りて輝虎の亡骸に近づいた。すると主を無くした放生月毛は徐にその場から走ってどことなりへと去り、輝高は放生月毛がいなくなった輝虎の亡骸の前に立つと、膝をついて輝虎の亡骸を見つめ、ただ一言も発さずに手を合わせて冥福を祈った。その様子を信頼や高則、それに後を追ってやってきた竹中半兵衛重治は揃って馬から下馬し、手を合わせている輝高の背中をただ黙って見つめたのであった。時に文禄三年六月十日、関東管領・上杉弾正少弼輝虎は好敵手の息子の手によってその波乱の生涯を閉じた。享年四十六。同じ日に関東で鎌倉公方・足利藤氏がその生涯を閉じた事により、輝虎が心血を注いで再興させた鎌倉府はその短い歴史を閉じることになったのである…。




