1575年5月 東国征伐<輝虎side> 川中島の再来
文禄三年(1575年)六月 信濃国中野小館
文禄三年六月九日。高輝高・小高信頼指揮する甲信路の軍勢が旧海津城跡に布陣して城の修復普請に取り掛かった頃、海津城より北東に凡そ五里(約19km)程離れた高梨家の居館である中野小館に「毘」の軍機が翻っていた。これこそ「越後の龍」・上杉輝虎の本隊を示す旗であり、輝虎の本隊はこの中野小館にて越後国内から参集してくる味方の軍勢を今か今かと待っていた。
「景信殿、やはり兵の集まりが悪いのか?」
「うむ…柿崎や色部、直江等の各隊は集まったが、それ以外の土豪共の集まりが悪い。敵の朝敵指名に恐れを為したのであろう。」
中野小館の本丸区画にある主殿の縁側を、輝虎は上杉景信と会話を交わしながら歩いていた。この時、上杉勢は北越後・阿賀北から来る色部・中条などの揚北衆がようやく到着し、出陣に備えて待機している状況だったが、館周辺に布陣する上杉本隊の士気はそこまで高くは無かった。
「ええい、秀高の朝敵指名がここまで尾を引くことになろうとはな…。」
輝虎に味方する東国の諸大名が軒並み朝敵指名による混乱をきたす中、輝虎自身の統率力によって大身の家臣たちから離反者は出なかったが、土豪や地侍たちは輝虎の参陣要請に応じず、その為に東国戦役の頃の上杉本隊の将兵より数を減らし、僅か三万余りしか集められていなかったのである。
「致し方あるまい。秀高らの軍勢が迫る中、三万の軍勢が集まっただけでも御の字というしかあるまい?」
「…かくなる上は迫り来る秀高の軍勢を野戦で打ち破り、戦の流れを変えねばな。」
兵の集まりの悪さを嘆く輝虎は宥めるように言葉をかけた景信の言葉を耳にしつつ、その場で歩を止めて縁側から庭先の方を振り向き、そこから空を見上げて必勝の念をその場で表明した。そんな輝虎の元に輝虎側近の神余親綱が庭先に現れ、縁側で立っている輝虎の前に膝をついてから一礼した。
「申し上げます!先ほど斥候が戻って参りました!」
「そうか。主殿の中で話を聞く。」
「ははっ!」
親綱から報告を受けた輝虎は景信や親綱と共に再び歩き始め、主殿の広間に入った。その中には直江信綱や柿崎祐家、本庄秀綱といった上杉家重臣たちの他、色部顕長や中条景資や吉江景資などの越後国衆、そして輝虎の養子である上杉景勝や景信の子の上杉信虎、春日山騒動によって処刑された山本寺定長の子である山本寺景長といった一門衆が勢揃いしており親綱が重臣の座席に、景信が一門の座席に着座すると輝虎自身は上座に腰掛けた。
「義父上、幕府軍は川中島の一帯に布陣しているそうです。」
「川中島…信玄坊主との因縁を思い出すわ。」
景勝の言葉を受けて輝虎がしみじみと思い返す様に言葉を発すると、その輝虎の言葉の後に重臣の座席から秀綱が立ち上がって上座の輝虎に向けて机の上に置かれている絵図を指し示しながら輝虎に敵軍の陣容を伝えた。
「御実城、敵・高輝高本隊は旧海津城の跡地に布陣して城の修復作業に入っておりまする。それに伴い敵軍は川中島一帯を確保するように各地に分散しておりまする。まず海津城より西の屋代城には遠山綱景の軍勢八千、千曲川向こうの塩崎城には尼子勝久勢八千が上田平からの街道筋を確保する様に布陣しております。」
上杉勢が放った斥候やお抱えの忍び衆である軒猿たちが集めて来た敵の詳細な情報に、上座の輝虎をはじめ上杉の諸将たちは耳を傾けていた。この秀綱の報告にもあった海津より南西の布陣はこの他にも、村上国清が捨てた葛尾城に蒲生賢秀隊八千人、荒砥城に仙石久盛隊八千人が布陣し、報告の通り上田平や松本平からの兵站線を確保して武器弾薬や糧食の供給を絶え間なく行っていた。続けて秀綱は指示棒を川中島一帯の絵図の北側を指して輝虎に報告した。
「また、幕府軍は犀川南岸の館を砦に改修しておりまする。即ち内後砦には丹羽氏勝の八千、その近くの於下砦には稲葉良通一万が布陣。また川中島中央の広田城には織田信澄一万二千が布陣し、そこから東の大堀砦には浅井高政一万二千が居りまする。」
「御実城、このままでは犀川北岸の善光寺別当でもある栗田鶴寿、敵に寝返るやもしれませんぞ。」
犀川と千曲川の内部にある川中島一帯を名古屋幕府の軍勢が抑えた事により、その圧力によって善光寺別当職を務める栗田鶴寿の離反を祐家が恐れる言葉を輝虎に発すると、輝虎は絵図を見つめながら報告していた秀綱に尋ねた。
「秀綱、ここから海津までの千曲川東岸に幕府の兵はいないのか?」
「はっ、どこにも見当たりませぬ。」
輝虎の尋ねに秀綱が即答するように言葉を返すと、輝虎はそれまでの曇った表情を一変させ、まるで勝機を見出したかのようにスッと床几から立ち上がってその場の諸将に言い放った。
「よし、皆よく聞け!これより全軍をあげて千曲川東岸を南下し、海津城近くまで接近する!」
「な、海津城の近くまで!?」
この輝虎の号令に諸将の間にどよめきが走り、その諸将の中で直江信綱が声を上げると、輝虎はその信綱の声を聞いた後に言葉を続けて自身の考えを口にした。
「敵は川中島一帯を中心に布陣している。恐らく敵は我らが犀川の北岸に向かい、川を挟んで対陣する構図に持ち込もうとしているのであろう。我らはその誘いに乗らず、虎穴に入らずんば虎子を得ずの如く海津城近くの金井山城まで進む!」
「金井山城ですと…?」
この輝虎が口にした金井山城には今現在、葛尾城を放棄した国清が家老の清野清秀と共に逃げ込んでおり、海津城の幕府軍に対して徹底抗戦の構えを見せていた。その金井山城へと向かう事を表明した輝虎は、意見を受けて呟いた山本寺景長の言葉を耳にしてから、全軍に改めて下知を伝えた。
「良いか!これより我らは須田満親が拠る須田城まで進み、夜を待って須田から金井山に進む!各々支度を整えよ!」
「ははっ!!」
ここに上杉勢は輝虎本人の策によって進軍を開始した。上杉勢は中野小館に輜重隊を止め置くとその日の内に須田城まで進軍。小休止を挟んだ後にすぐさま兵を整えると、日が暮れたと同時に松明を消し、鎧や人馬などの音を一切立てぬほどの隠密行軍を実施した。まさにこれこそかつて「川中島の戦い」において武田勢の不意を突くべく進軍した夜中行軍の再来であり、輝虎はこの策に上杉の命運をかけて打倒輝高を心の内に誓ったのである。




