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1575年5月 東国征伐<甲斐路side> 義信自害



文禄三年(1575年)五月 甲斐国(かいのくに)躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)




 紙漉阿原(かみすきあはら)の戦いにて小高信頼(しょうこうのぶより)指揮する幕府軍に敗れた武田義信(たけだよしのぶ)らは、春日虎綱(かすがとらつな)飯富虎昌(おぶとらまさ)ら戦場から敗走してきた譜代の臣や、一条信龍(いちじょうのぶたつ)河窪信実(かわくぼのぶざね)武田信友(たけだのぶとも)ら武田一門衆と共に本拠の躑躅ヶ崎館へと敗走した。その敗走した武田勢を追ってこの日の夕刻には戦後処理を終えた幕府軍が躑躅ヶ崎館に進軍。館内の武田勢六千余りに対して幕府軍三万余は四方を即座に包囲した。この時、館内の義信の元にお抱え衆の透波(すっぱ)によって中野城(なかのじょう)の落城と守将の原盛胤(はらもりたね)横田康景(よこたやすかげ)両名の討死がもたらされた。


「盛胤と康景が…。」


「はっ。我らは先の戦いで馬場信春(ばばのぶはる)殿や三枝昌貞(さえぐさまささだ)殿をはじめ、原昌胤(はらまさたね)殿、小幡昌盛(おばたまさもり)殿、土屋昌続(つちやまさつぐ)昌恒(まさつね)兄弟などが討死。のみならず招集した地侍らも何処なりへ逃げ去っておりまする。」


 義信に向けて家臣の駒井高白斎(こまいこうはくさい)が昼間の戦いにて討死した家臣たちの名前や招集した地侍らの離散を告げると、広間内にいる虎綱や虎昌ら譜代家臣団、並びに信龍や信実、信友ら一門衆の中にさらに重い空気が漂った。その中で上段の上座に座す義信が下段にいる高白斎に向けて敵の状況を尋ねた。


「敵勢の様子は?」


「敵は既に館の外、四方を取り囲んでおりまする。敵は夜に備えて松明(たいまつ)煌々(こうこう)()き、夜襲の警戒をしておりまする。」


「…ならば、万に一つの望みも薄かろう。」


 夜になる中で敵からの夜襲に備えるような対策を聞いて、信龍が万策尽きたと言わんばかりな語気で呟いた。その信龍の言葉を上段にいる義信が黙って聞き入っていると、そこに家臣の浅利信種(あさりのぶたね)が一本の矢文を手にしつつ広間の中に駆け込んできた。


「申し上げます!ただ今、敵陣より一本の矢文が撃ち込まれて参りました!」


「矢文じゃと!?」


 この信種からの報告を聞いて信実が声を荒げて反応する中で、信種は矢文を上段の義信に手渡しした。それを受け取った義信は矢に巻き付けられていた矢文を取り、それを広げて中身を見た。




【武田義信殿、初めて書状を送ります。幕府軍が大将の一人、小高信頼です。既に勝敗は昼間の戦いにて決しており、今我が幕府軍が雪崩を打って躑躅ヶ崎館に攻め込んで武田家に引導を渡す事は容易にできます。しかし武田家は甲斐源氏(かいげんじ)の名門としてその名を日ノ本全国に轟かせた名門。その武田宗家が呆気なく滅亡しては国中の大きな損失になります。よって今から半刻(1時間)の猶予を与えますので、全軍速やかに武装を解除し、門を開けて外に出て来てください。甲斐の国は失うことになりますが、武田家の家名だけは存続させますので、どうか賢明な判断をお願いします。 小高信頼】




 この矢文を見た義信は黙したままそれを信種に返し、スッと立ち上がって上段の上を左右に歩き回り始めた。それを見た信龍が信種から矢文を受け取り、その中身に目を通すと信頼からの通告に声を荒げて怒った。


「おのれ…何たる無礼な!」


「御館様!!このような書状すぐさま破り捨て、徹底抗戦の姿勢を幕府軍に見せつけてやりましょうぞ!!」


 信龍の言葉の後に信友が声を上げて徹底抗戦を主張すると、正反対の位置に座していた虎昌や虎綱が黙する中で義信はふと立ち止まり、自身の偽らざる心情を声をかけて来た信龍や信友に向けて返した。


「…いや、最早ここまでだ。」


「御館様!」


 この言葉を聞いた虎昌や虎綱は深く目を閉じて瞑目し、一方で信実は声を上げて義信を諫言するように呼び掛けた。すると義信は声をかけて来た信実ら武田一門中の方を振り向くと、圧倒的に不利な状況を踏まえた考えを述べた。


「最早大勢は決した。これ以上交戦した所でそれこそ惨めな最期を迎えるだけだ。信頼が武田の家名(・・)を残すというのならば、その誘いに乗ろうではないか。」


「しかし御館様、それでは我ら甲斐源氏の名が廃りまする!!」


 信頼の誘い(・・)に乗ると示した義信に向けてなおも信友が声をかけて反応すると、義信は上段にある自分の茣蓙(ござ)の上に座り、ニヤリとほくそ笑んだ後に自身の処遇を語った。


「…だが、このわしは外に出ぬ。ここで腹を切って先祖代々の御霊にお詫び申し上げる!信豊(のぶとよ)!」


「…ははっ!」


 義信が広間にいる皆に向けて自害する意向を示し、これを聞いた信龍や信実ら武田一門衆が驚く中で義信は一門衆の末席にいた一人の武将の名前を呼んだ。この武将、名を武田六郎次郎信豊たけだろくろうじろうのぶとよと言い、先の川中島(かわなかじま)の戦いで討死した武田典厩信繫たけだてんきゅうのぶしげの子供でもあり、一門衆の中でも新参の武将であった。義信がその信豊の名前を呼ぶと、義信は自身の背後にある武田家伝来の鎧である「楯無鎧(たてなしのよろい)」を一目見た後にこう告げた。


「そなたは四郎勝頼(しろうかつより)五郎盛信(ごろうもりのぶ)と仲が良い。そなたは御旗楯無(みはたたてなし)を持って速やかにこの館を出よ。」


「御館様、何を仰せになられます!?わしも共に腹を!」


「ならぬ!」


 御旗楯無…言わば武田家伝来の家宝であるこれらの品を持って館からの退去を義信は信豊に命じ、これに信豊が拒否するや義信は信豊を叱りつけ、その様な命令を発する理由を懇々と諭すように信豊に語った。


「…そなたを外に出すは、「武田の家名を後世に残す」為じゃ。そなたは叔父・信繫殿の子ではあるが立派な武田家の一門。それにそなたが生きればきっと四郎勝頼や五郎盛信が幕府に便宜を図ってくれるであろう。それで武田家の存続がなせるのであれば…もはや申す事は無い。」


「御館様…。」


 詰まる所、義信は端から生き延びようとは考えておらず、信頼が申し出てきた武田家の家名を残すという提案には賛同するものの、自身は館の中で自害して果てる腹積もりであったのだ。そこで義信は武田家伝来の家宝を若い信豊に託し、信豊に武田家存続の願いを託したのである。その願いを聞いた信豊がしっかりと噛みしめるように固まっていると、義信は信豊に向けて信頼への伝言を託した。


「信豊、外に出て信頼に伝えてやれ。「武田の家名は、この信豊に託した。」とな。」


「…相分かりました。ならば御館様、それに方々。おさらばにござる!」


 この伝言を聞いた信豊も意を決し、その場にいる義信ら一同に向けて今生の別れを述べると、一人で御旗楯無を携えて広間から去って行った。その信豊を見送った後、広間の中に残っていた虎昌や虎綱、そして信龍や信実、信友らに向けて改めて尋ねた。


「…皆、このわしについてくるのか?」


「如何にも。我ら皆打ち揃うて冥途へと向かいましょうぞ。」


「…そうか。」


 ここに至って、自身の自害にその場にいる皆が付いてくることを確認すると、義信はすぐさま首を縦に振ってから配下の側近に館に火を放つように命じた。やがて火の勢いが増して館がバチバチと燃え始める中、虎昌や虎綱ら家臣たちは鎧を脱ぎ捨てて白装束姿となり、それぞれ腹を露わにしてから短刀を突きつけ、上段の義信に向けて別れを告げた。


「御館様…一足お先に!!」


「御免!」


 虎昌や虎綱が別れを述べた後に両名は短刀を腹に突き刺し、切腹の作法に則ってその命を終えた。この両名の自害の後に高白斎や信種ら残る武田家臣たちは全て自害して果て、広間の下段半分に家臣たちの亡骸が折り重なると、今度はそれを白装束姿にて見送った信龍ら武田一門衆が腹に短刀を突き刺し、代表して信龍が義信に別れの言葉をかけた。


「義信…先に参るぞ。」


「はい、叔父上…。」


 信龍の言葉の後に義信が返答すると、信龍がまず腹を切って死に、続いて信実や信友ら武田家の一門衆並びに館に残っていた亡き信玄の女房衆、そして義信の正室である嶺松院(れいしょういん)が首筋を切って果てた。こうして武田家一門衆や家臣たちすべての最期を見届けた頃には、広間にも火の手が上がり始めた。義信は深呼吸を一回した後に脇差を抜き、それを腹に突き立ててから辞世の句を詠んだ。


「「雲もなく 晴たる空の 月かげに よるとはみえぬ 瀧の白糸」…父上、不肖の息子が今参りますぞ…ぐぅっ!!」


 燃え盛り始めた広間の中で義信は見事な切腹を成し遂げて地面に倒れ込んだ。ここに武田義信は燃え盛る躑躅ヶ崎館の中で家臣や一門衆とともに自害して果てた。享年三十八歳。その亡骸は家臣や一門衆の亡骸共々燃え盛る躑躅ヶ崎館の中に消え、後に焼け跡にて捜索が行われたが、焼け跡からは骨一片も残さぬほど全て灰燼に帰したという…。




————————————————————————




「…そう、義信殿がそう言ったんだね?」


「はっ。信頼殿、どうかわが叔父・義信に免じて武田家の存続、お聞き届けくださいませ!!」


 その燃え盛る躑躅ヶ崎館の遠景を見つめていたのは信頼本人であり、その下に来た信豊本人が御旗楯無の入った箱を脇に置いて信頼に武田家の存続を願い出た。すると信頼は背後にいた信豊の方を振り返り、頭を下げていた信豊同じ視線になるよう身を(かが)めてから話しかけた。


「顔を上げて信豊殿。武田家は朝敵の一人になったけど、指名された義信本人の死によって武田家への朝敵赦免は容易になると思うよ。だけど、武田家は甲斐から去る事にはなると思うけどね…。」


「…もはや多くは望みませぬ。信頼殿、叔父から託された武田の存続、何卒(なにとぞ)将軍家にお伝えくだされ。」


 信豊の言葉に信頼が首を縦に振って頷くと、信豊は改めて信頼に向けて深々と頭を下げた後、スッと立ち上がって信頼家臣の塙直政(ばんなおまさ)案内の下、その場から去って行った。そして信頼は再び燃え盛る躑躅ヶ崎館の方を振り返ると、夜の中でも煌々と燃え輝く炎が焼き尽くす躑躅ヶ崎館を見つめながらポツリと呟いた。


「甲斐国主の武田は滅びた…でも、武田家の名は残った。」


 ここに幕府軍は開戦から僅か一月の間に伊那路(いなじ)の軍勢は小笠原長時(おがさわらながとき)を、そして甲斐路(かいじ)の軍勢は武田義信を滅亡に追いやった。この両家が対照的なのは、一家全て族滅した小笠原家とは違って武田家は将来的な朝敵赦免の確約を取り付けたという事である。事実、この後武田六郎次郎信豊は諏訪(すわ)諏訪勝頼(すわかつより)の元で庇護され、武田家の朝敵赦免の時を待つことになるのだが、それはまた別の話である…。





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