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1558年6月 決戦前夜



永禄元年(1558年)六月 尾張国(おわりのくに)沓掛城くつかけじょう




「太守、よくぞお越しになられました。」


 沓掛城玉砕から数日後の十二日。遂に今川(いまがわ)軍本隊一万二千が、先鋒隊が待機する沓掛城に入城した。その本丸館の評定の間にて、今川義元(いまがわよしもと)朝比奈泰朝(あさひなやすとも)の挨拶を受けたが、その心中は穏やかではなかった。


「泰朝、そなたよくもそのような清々しい顔が出来るな?」


 そう義元に注意された泰朝は我に返ると、一瞬にして表情を曇らせた。義元はそれを見ると、上座に座りながらも扇を開いてパタパタと仰ぎながらこう吐き捨てた。


「そなた、この数日間の事を何も聞いていない訳ではあるまい?このざまは一体なんだ?言うてみよ?」


 義元から促された泰朝はこれに返す言葉がなく、ただ額から一滴の汗を垂らすのみであった。



 義元が今川館(いまがわやかた)を出立してからわずか六日が経過していた。その間の報告と言えば、別動隊九千があえなく壊滅し、先鋒隊に至っては、連枝にあたる瀬名氏俊(せなうじとし)討死という散々な結果だったのだ。


 義元にしてみれば、たかが一豪族と侮った高秀高(こうのひでたか)を前に、大大名たる今川家の軍勢が負けていることを、未だに受け止めきれていなかったのだ。それは秀高の才能云々(うんぬん)の話ではなく、そのような者に負けた自身の軍勢の不甲斐なさに対するものであった。




「ふん、まあよい。この失態、次は必ず晴らせよ?」


 義元は沓掛城攻略に貢献した泰朝の働きを失態と表現し、更なる働きを求めるように釘を刺した。泰朝はその言葉を受けると只々(ただただ)頭を下げ、平身低頭して詫びた。


「は、はは-っ!必ずや、この失態覆しまする…!」


 泰朝はそう言うと頭を下げたまま、義元の目の前から下がっていった。義元はこれに対してふんと鼻息を吹くと、そのままその場にいた一同にこう告げた。


「良いか!これよりは負けは許されん!もし負けた者は…領土を召し上げ追放といたす!分かったか!!」


 その義元の号令に居並ぶ諸将たちは、服従の意を示すように一斉に頭を下げた。そして義元は続いてこう言った。


「聞けば、水野忠重(みずのただしげ)は戦線離脱、知多半島(ちたはんとう)南部の水野守隆(みずのもりたか)戸田守光(とだもりみつ)は土豪らに打ち取られ、あまつさえその土豪と久松定俊(ひさまつさだとし)は秀高に寝返ったと聞く!…が、今は放っておいてよかろう。我らの狙いは、鳴海城(なるみじょう)である!」


 義元はこう話すと、諸将らにこう告げた。


元信(もとのぶ)大高(おおだか)に陣城を(こしら)えるまで二日はかかる!よって二日後の十四日に出立!十五日には大高に入り、鳴海滅亡を見届ける!それまでに先鋒隊と本隊の半分は鳴海前面の砦に攻め掛かり、城攻めの準備を整えよ!!」


「ははーっ!!」


 その号令を諸将たちに下した義元の目には、燃え(たぎ)る闘志が映し出されたように(たぎ)っていた。こうして諸将たちは半分に分かれ、翌日の朝には鳴海城方面に向けて進軍を開始する事にしたのである…




————————————————————————




「そうか…二日後に出立か。」


 だが、既に今川勢の動向は、秀高配下の忍び・伊助(いすけ)によって察知され、その情報は秀高らに報告されていた。鳴海城の本丸館内、評定の間に隣接する重臣の間の中で、秀高は三浦継意(みうらつぐおき)らと共に伊助からの報告を受けていた。


「はっ。義元本隊の兵のうち、三分の一の四千五百と先鋒隊約五千は、明日の朝早くに沓掛を出立し、この鳴海城方面に押し寄せてくるとの事にございます。」


 伊助が一円となって座っている秀高たちの中心におかれていた絵図を差しながら説明していると、そこに小高信頼(しょうこうのぶより)が入ってきた。


「秀高!さっき物見から報告があって、大高方面の兵五千余り、明日にはこちらに来る気配があるって!」


「なんと…明日には総勢約一万五千が、この鳴海に攻め掛かってくるというのか。」


 継意がその数を試算してこう言うと、隣に座っていた大高義秀(だいこうよしひで)が高笑いしてこう言った。


「おっさん、それは全部集まっての話だ。固まる前に各個撃破すりゃあ、こっちにも勝機はあるはずだぜ。」


「…義秀の言う通りだ。恐らく先鋒隊は進路から計算するに、この中島砦(なかじまとりで)に攻め掛かってくるだろう。となれば、まずこの城に来るのは、大高方面からの兵五千だな。」


 秀高はそう言うと、ふと気になったことを軍目付(いくさめつけ)滝川一益(たきがわかずます)に尋ねた。


「そう言えば一益、一連の戦いの後、こちらの兵数はどうなった?」


「ははっ。一連の戦いを受け、ある程度足軽たちが増えたので、人員の割り振りを行いました。」


 一益は秀高にそう言うと、伊助から指し棒を受け取ると、代わりに居並ぶ重臣たちに向かって説明し始めた。


「昨日来の戦闘やそれに伴う投降兵の収容、並びに沓掛城玉砕の損害を試算した結果、今我が勢は総勢約五千五百の軍勢を有しております。」


「なんと、たった数日間で倍以上の軍勢を有したのか!」


 その一益の報告を聞いて、誰よりも驚いたのは継意であった。それに続いて、一益は地図の地点を指しながら説明を続けた。


「この軍勢のうち、守備兵を配置したのは、この大野城(おおのじょう)坂部城(さかべじょう)にそれぞれ五百。また善照寺(ぜんしょうじ)中島(なかじま)両砦はそれぞれ四百まで増員させました。また鳴海城に関しては八百まで増員させました。よって、我が殿が指揮する遊軍の数、約三千にございます。」


「おぉ…これでより戦えるようになりましたな!」


 その報告を聞いて重臣の間の空気は少し改善された。それと同時に数が増えたことによってこれならばより戦えると更に自信をつけたのであった。


「では殿、明日はどのように動くので?」


 これを踏まえた上で一益が秀高に、明日の作戦の内容を尋ねると、秀高はそれに頷いて大まかな指示を出し始めた。


「明日の事だが、まず城は継意に任せる。俺は義秀夫妻に信頼、それに高景(たかかげ)高豊(たかとよ)を率い、まず大高から来る敵を迎撃する。迎撃した後はそのまま、沓掛から来る敵軍を迎撃する。」


 その説明をした後、秀高は次にある事を告げた。


「そしてある程度迎撃した後は、この城に俺の馬印と本陣旗を置き、俺が鳴海に居続けることを偽装する。その後に俺は遊軍の内二千を引き連れ、この善照寺砦に入る。」


「善照寺砦に、ですか?」


 そう言ったのは、善照寺砦の守将を務めている山口盛政(やまぐちもりまさ)であった。


「そうだ。ここで一日を過ごし、その次の日に進軍を開始する義元勢の隙を伺う。…もし、好機が訪れない場合は…」


「訪れない場合は?」


 その秀高の言葉が澱んだのを気付き、継意が秀高に尋ね返した。


「訪れない場合は善照寺・中島砦に火をつけ、全軍を鳴海城に収容。籠城戦を開始する。そうなった場合は全軍決死の覚悟で抗戦し、一筋の光明を見つけたら、大高の義元本営に斬り込む。」


「…それは、玉砕の覚悟。ですな。」


 継意がその秀高の思案を聞いた上でこう呟くと、秀高は目を閉じてそれに頷いた。


「だが、俺としては好機を見出し、何としても大高に入られる前に義元を討ち取りたい。籠城戦は…下策だと思ってくれ。」


「へっ、何を言いやがる。たとえどんな結果になろうが、俺たちの生きざまを義元に見せてやろうぜ!」


 秀高の言葉を受けた上で義秀が立ち上がってこう言うと、居並ぶ重臣たちはこぞって頷いた。それを見た秀高は決心し、義秀と同じく立ち上がり、一同に向かってこう言った。


「みんな、こんな俺のためにありがとう。明日は、俺たちの命運をかけた戦いだ!悔いの無いよう戦おう!」


「おぉーっ!!」


 秀高の言葉に喊声を上げて返事した重臣たちは、明日からの戦いに向けて、一丸となって戦いあうことを誓い合ったのだった。そして翌日、大高からの敵軍来たるの報を聞いた秀高らは、手筈通りに城を出陣していったのである。





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