1574年1月 大戦への計画
文禄二年(1574年)一月 尾張国名古屋城
高秀高が足を運んだ本丸表御殿の書斎には、既に徳川三河守家康・浅井近江守高政・細川讃岐守真之ら親藩格の諸大名三名に加え、幕府重臣である家老の大高義秀、小高信頼。それに月番家老を務める滝川一益と長野藤定が勢揃いしており、その中を秀高は側衆筆頭の三浦継意を伴って現れ、自身は信頼正室の舞や義秀正室の華が控える上段に昇って長机の前に腰を下ろした。
「おぉ、これは上様。」
「うん。皆、どうか俺の周りに集まってくれ。」
秀高の言葉を受けた家康たちは下段の中で上段に置かれた秀高の机を中心に半円を描くように座り直し、家康たちが自身の側に集まった事を確認した秀高は早速本題の用件を切り出した。
「さて…お三方をこの書斎に呼んだのは他でもない。実は幕府の間で内密に進められている上杉輝虎、並びに鎌倉府傘下の諸大名に対する征伐の作戦計画を共有させておこうと思ってな。」
「共有、ですか。」
秀高が幕府草創を経てもなお、目下の課題として掲げている事。それは即ち前年来の宿敵でもある上杉輝虎、並びに輝虎の影響下にある鎌倉府への全面攻勢作戦であった。秀高はその策定を幕府内で隠密裏に進めている中でこうして家康ら諸大名の中でも比較的秀高に近い者達を呼び寄せ、その大まかな作戦計画を家康らに共有させようとしていたのである。
「そうだ。お三方も知っている通り親藩格とはいえ幕府の国政に関与する事は出来ないが、外様と違いある程度の情報を知ることが出来る権利がある。これから伝えるのはそれに則ったある程度の作戦内容という訳だ。」
「なるほど…。」
「では、ここからは将軍の秀高に成り代わって私が説明しますね。」
そう言って言葉を発したのは下段の中でも秀高に近い位置に座していた信頼であり、信頼は上段にいる妻の舞に目配せをし、これに反応した舞が秀高の長机の側に吊るし台を置いてそこに一枚の地図をかけた。その地図は東国一円が描かれた簡素な地図であり、それを信頼が指示棒で示しながら家康ら三人の大名に向けて説明を始めた。
「数年前に行われた輝虎の東国戦役とは違い、僕たちが侵攻する道筋は多々あります。その中でも幕府は侵攻の道筋を絞り、関東や甲信、そして輝虎の本国・越後へと攻め入る計画を立てました。」
「ほう、その道筋とは?」
信頼の言葉を聞いて反応した真之の相槌に、信頼は黙したまま首を縦に振ってから指示棒で絵図の箇所を指し示しつつ大まかな侵攻経路を説明した。
「まず、基本的な侵攻路として取るべきは以下の三つ。第一として駿河より箱根の難所を越えて相模に攻め入りつつ、南の伊豆を攻略する関東路。第二は駿河蒲原から富士川を北上し甲斐へ、並びに遠江・三河から信濃に侵攻する甲信路。そして第三は美濃・飛騨から信濃に踏み込む東山道路。この三つから攻め込む一方であえて北陸道からは越後に攻め込みません。」
「北陸道から攻め込まぬので?」
これに高政が大きく反応すると、信頼は視線を大きな反応を見せた高政の方に向けてから、北陸道から軍勢を進行させない理由を端的に語った。
「先の東国戦役の際、輝虎は越中・能登・加賀に煽動を仕掛け、北陸道から進む旧幕府軍の進軍を阻害しました。つまり越後に近い北陸道から進めば輝虎はこれを阻む計略を仕掛けるのは目に見えており、その対策として北陸道には監視並びに堅守を命じ一切の侵攻を禁止させます。」
「そうすりゃあ輝虎も容易に越後を離れる事は出来ねぇはずだ。その間に幕府軍が関東や甲信を攻め落とせば、越後は関東・甲信・北陸の三方から囲まれて進退窮まることになるぜ。」
旧室町幕府は鎌倉府からの宣戦布告を受けた後、軍を二分させて畠山輝長を総大将とした北陸軍に越後を突かせるべく進軍させた。しかし結果的には輝虎によって国内での反乱という妨害工作を受けた前例もあって、信頼とその後に言葉を発した義秀ら幕府重臣たちはあえて北陸道からは攻め込まずに、少し遠回りである甲信や関東を経た越後侵攻策を立てたのである。この作戦を聞いた家康は、吊るし台に吊るされた絵図を見つめながら納得するようなそぶりを見せて反応した。
「なるほど。その様な策ならば輝虎の動きをある程度縛り付ける事も叶いましょう。」
「上様、されどこちらが攻め込むとなればそれなりの大義名分がいるのでは?」
「案ずるな高政。それに関しては考えがある。」
家康の後に高政が輝虎を攻める大義名分について触れると、これに上段の秀高が反応して下段に控える一同の視線を一身に集めてから、一昨年の東国戦役の際の流れを踏まえて話を続けた。
「先の東国戦役の際、輝虎は室町幕府に「幕府奸賊弾劾状」なる宣戦布告の文書を送り付け、曲がりなりにも自分の戦を起こす大義を天下に示した。しかしその結果は輝虎の意を汲む織田信隆によって光源院(足利義輝)殿が命を落とし、天下を混沌の渦に落とした罪は大きい。そこで…」
秀高はそう言った後、その場にいる家康や高政、それに真之の顔を視界に収めながら核心となる大義名分の内容を語った。
「我が幕府は朝廷に働きかけ、弾劾状に記された者共を「朝敵」と指名して征伐の大義名分を得る。」
「なんと、朝敵にすると!?」
秀高が示した内容を聞いて、特に家康ら三人の大名は大いに驚いた。輝虎が自身の正義を書き連ねた弾劾状を大義名分としたことに対し、秀高は正当な大義名分として朝廷からの朝敵指名を得ようというのである。その正当性の違いは大きな物であり、秀高は驚いている家康ら三人の大名に対して言葉を続けた。
「既に陸奥の奥地では南部晴政と安東愛季が浪岡顕範や蠣崎季広と手を組んで鎌倉府に反抗している。のみならず南陸奥の相馬義胤は会津の蘆名盛興と組み、二本松義継や二階堂盛隆ら輝虎によって父を討たれた者達を手を組んで反旗を翻すと専らの噂だ。」
「そこでその者たちを除いた約五十名ほどの鎌倉府従属の諸大名を朝敵に指名すれば、諸大名は恐れを為して中にはこちらに接触を図る大名も現れるかと。」
「…果たしてそう上手く行きましょうか?」
秀高の発言の後に一益が家康ら三人の大名の方を振り向いた後に朝敵指名による見通しを語ると、その見通しを聞いた真之が疑念を示すように相槌を発し、秀高の視線が自身に向けられた事を感じつつ真之はなおも言葉を続けた。
「鎌倉府傘下の諸大名達は軍神・上杉輝虎の武名を畏敬している大名達ばかり。例え朝敵に指名されたと言えど、そう簡単に幕府へ接触を図る大名は指で数える程度いれば結構な具合ですぞ?」
「…それで構わない。」
「何ですと?」
真之の言葉を聞いてから発せられた秀高の言葉に、誰よりも驚いたのは発言した真之であった。すると秀高はその場でスッと立ち上がり、上段の上を歩き回りながら先程の発言を踏まえた冷酷な差配を家康ら三人の大名に向けて語った。
「朝敵指名と同時に、こちらも水面下で鎌倉府傘下の諸大名にこちらへ付くよう工作を行う。だがそれに応じなければどれだけ歴史があろうが、どれだけ民衆に慕われていようが遠慮なくすべて取り潰す。「大名」として生き残れるのは、こちらの工作に応じたり接触を図ってきた大名家だけだ。」
「…そこまで苛烈な政策を取れば、誰も幕府に従属しなくなりますぞ?」
その場の空気を察した家康が、冷酷な差配による代償を懸念する様な発言をした。すると秀高は歩き回りながらもふっとほくそ笑んだ後、一件冷酷とも取れる差配を取った理由を家康ら三人の大名に向けて打ち明けた。
「そもそも、今の生まれたての幕府に接触を図ってくる大名は時勢が見えているのか、それとも感性で動いているだけの事だ。いわば日ノ本全国に向けて何の権威も無い状態では幕府に何の力も無い。俺は今回の戦役で日ノ本全国に幕府の真の力を見せつけ、諸大名達を心の底から震え上がらせて臣従させる。これはその為に必要な犠牲だ。」
「犠牲…。」
秀高の言葉に高政が反芻するように呟くと、上段で歩き回っていた秀高は再び長机の前で立ち止まって腰を下ろし、その場に座って机の上に両肘を置くと同時に家康らに向けて先程の発言を踏まえた言葉をかけた。
「その犠牲を作る以上は、早くても来年以降に始まる輝虎や鎌倉府の征伐は何としても成功させなくてはならない。徳川殿、それに高政と真之殿。この事を心しておいてほしい。」
「ははっ、承知いたしました。」
ここにおいて家康ら三人の大名たちは、秀高が上杉輝虎、引いては鎌倉府征伐にかける思いをひしひしと感じ取った。それこそまさに秀高の幕府が天下を治めるに相応しい存在になる為の通過儀礼というべき物であり、同時にそれを行う秀高の覚悟までも込められた物でもあった。こうして秀高が家康らにあらかじめ打ち明けた上杉輝虎、鎌倉府への征伐計画は隠密裏に進められ、同時に京都所司代の増田長盛に密使を送って朝敵指名の工作を隠密に進められる事となった。秀高が草創した幕府の沽券をかけた大戦の準備が、地下で密かに進んでいたのである…。