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1573年11月 顕如の決断



文禄元年(1573年)十一月 摂津国(せっつのくに)石山本願寺(いしやまほんがんじ)




 二ヵ月後の文禄(ぶんろく)元年十一月。浄土真宗本願寺派じょうどしんしゅうほんがんじはの総本山であるこの石山本願寺に、幕府からの使者として徳善院玄以(とくぜんいんげんい)伏見城代(ふしみじょうだい)である北条氏規(ほうじょううじのり)が揃って来訪。門主・顕如(けんにょ)に対して幕府が今度発令する「諸宗寺院法度しょしゅうじいんはっと」の発布を知らせに来たのである。


「玄以殿、幕府が今度発令される寺院諸法度は我らの力を削ごうという魂胆ではあるまいな?」


「滅相も無い事にございます。」


 石山本願寺の本堂内にて顕如と相対している玄以に向けて、本願寺坊官の下間頼龍(しもつまらいりゅう)が脇から幕府が出す「諸宗寺院法度」の真意を問うと玄以は即座にこれを否定し、目の前の顕如を視界に収めながら言葉を続けた。


「昨今の仏法に帰依する僧侶の(ほとん)どは(いたずら)に俗世に関わり、仏の道に帰依すべきを放棄する有様にて、我らは上様(高秀高(こうのひでたか))の意向を以てこれを戒めるべく法度として書き記したものにございます。」


「それに昨今の寺院は僧兵を数多く抱え、その武力を背景に大名などの在地権力と抗争を繰り広げる事も少なくない。これこそまさに俗世に首を突っ込む破戒僧(はかいそう)と呼ぶに相応(ふさわ)しき所業に(あら)ずや?」


「控えられよ氏規殿!!それは無礼であろう!」


 氏規の言葉を聞いて顕如の脇に控えていた傍観たちの中から、険しい剣幕をして反駁したのは下間頼廉(しもつまらいれん)であった。この反駁に本堂の中の空気は一気に張り詰めて両者の間に緊張が走ったが、その言葉を聞いていた門主の顕如は声を上げた頼廉を諭すように言葉をかけた。


「頼廉、言葉を慎むのだ。その法度の内容を聞いてからでも遅くは無かろう。」


「…ははっ。」


 顕如の言葉を聞いた頼廉は自身の中にある怒りの感情を飲み込むように抑え、そのままどしっと音を立てて腰を下ろして氏規の事を睨み据えるような視線を送り続けた。その中で顕如は務めて冷静に玄以に対して核心に触れる内容を尋ねた。


「それで玄以殿、その肝心の法度の内容をお聞かせ願えぬか?」


「ははっ、ではしかと。」


 そう言うと玄以は顕如に対して一礼をした後、脇に置いてあった桐箱の蓋を開けて中にしまわれていた一通の書状を取り出すと、それをその場で広げてそこに書かれていた内容…即ち幕府が制定した諸宗寺院法度の定め書きとなる条々を声を張って読み上げた。


「一つ、諸宗法式(しょしゅうほうしき)相乱(あいみだ)るべからず。()し不行儀の(ともがら)これ在るに()いては、急度(きっと)沙汰に及ぶべき事。一つ、本末の規式(これ)乱るべからず、(たと)い本寺たると(いえど)も、末寺に対して理不尽の沙汰あるべからざる事。一つ、徒党を結び、闘争を企て、不似合の事業仕るべからざる事…」


 玄以は石山本願寺本堂の中で、顕如や脇に控える頼廉・頼龍ら本願寺坊官に諭す様に法度の条々を読み聞かせていた。この諸宗寺院法度は秀高が元いた世界にて、江戸幕府(えどばくふ)が諸宗派・寺院・僧侶の共通統制を目的として制定された法度を参考に制定されており、全部で九つの定め書きで構成された内容は先の三つ(宗学儀礼の奨励、本寺・末寺関係の確立、徒党の禁止)の他、寺領の売買の禁止や勝手に出家する事を認めないこと、寺院仏閣の修繕方法や謀反人や(とが)人の(かくま)い禁止などが書き記された非常に厳しい内容の法度であった。そして玄以が九つの定め書きを朗読し終えると、続いて氏規が代わって読み上げた内容は、この法度に付随する五つの条々であり、その内容というのは仏事儀式の質素倹約や新規寺院の住持の任命方法、並びに寺・僧房への女人禁制という内容の物であった。この定め書きと情状を聞いた顕如は極めて険しい表情を見せつつ、幕府の寺社統制政策の厳しさを肌で感じていた。


「…幕府は、我ら寺院を律するお積もりなのですな。」


 玄以と氏規がそれぞれに本堂の中で諸宗寺院法度の内容を読み上げ、それぞれ桐箱の中に書状を収める中で顕如が耳を傾けた感想を述べると、これを聞いていた脇の坊官たちの中には幕府が横柄にも自分たちの権益を阻害しに来たと判断する者もいた。しかし、その坊官たちの思惑は次に顕如が発した一言によって打ち砕かれることになる。


「だが致し方ない。これも世の流れであろう。」


「門主様、この様な法度をご承諾なさるというのですか!?」


 この顕如の言葉に誰よりも驚いたのは、先程鋭い剣幕で反駁した頼廉その人であった。顕如は頼廉の顔を一目見た後にやや目を伏せがちにして下を向きながら、刻一刻と変わりつつある現在の状況を吐露するように語った。


「既に先の幕府によって畿内(きない)五ヶ国に刀狩令(かたながりれい)が発布された後、武器を持たぬ信者と今の本願寺の僧兵数百人では一揆を引き起こすこともままならぬ。それに既に九条兼孝(くじょうかねたか)殿より法度を受け入れた方が良いとの意向を受けている以上、ここで意地を張れば本願寺の滅亡となろうぞ。」


「門主!」


 顕如が法度を受け入れる意向を聞いた頼廉がなおも言葉を挟もうとすると、脇にいた頼龍や下間頼照(しもつまらいしょう)が頼廉を押さえつけるように両肩を抑えて座らせた後、顕如は下を向いていた顔を上げて目の前の玄以に対して秀高への伝言を託すような言葉をかけた。


「玄以殿…帰って秀高様…いや上様にお伝えあれ。「この顕如、法度の(おもむき)に賛同いたす」と。」


「ははっ、必ずやその意向を上様にお届けいたしましょう。」




 この畿内において大名権力と匹敵するほどの勢力を持つ本願寺派の門主である顕如が、名古屋幕府の発した諸宗寺院法度に従う意向を示したことによってその他の諸宗派も諸宗寺院法度に従う意向を示した。即ち焼亡した延暦寺(えんりゃくじ)に代わって天台宗(てんだいしゅう)の代表格とされた天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)園城寺(おんじょうじ)や、高野山(こうやさん)金剛峯寺(こんごうぶじ)木食応其(もくじきおうご)の仲介によって法度の順守を宣言。その他の浄土宗(じょうどしゅう)日蓮宗(にちれんしゅう)、それに臨済宗(りんざいしゅう)曹洞宗(そうとうしゅう)といった禅宗(ぜんしゅう)の寺院も幕府の法度に順守する意向を固めた。この背景には畿内一帯が幕府や従属する諸大名らによって一応の平穏が保たれていた事、また畿内五ヶ国で言えば先の刀狩令によって檀家の武装能力が削がれ、これによって武力による対抗が難しくなっていたことがあった。ここに幕府は寺社に対する統制政策を敷き、幕府の中央集権体制をさらに固める事に成功したのであった…。





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