1558年6月 忠烈沓掛城
永禄元年(1558年)六月 尾張国沓掛城
話は、高秀高が野戦にて葛山氏元率いる今川別動隊を撃破した六月九日の事である。ここより数十里離れた沓掛城は、四方を敵に包囲された。それは朝比奈泰朝・瀬名氏俊・そして松平元康指揮する今川先鋒隊九千の軍勢によるものであった。
「壮観じゃな。泰朝。」
その攻城軍である先鋒隊の本陣。帳の中で包囲された城を眺める氏俊が、泰朝に話しかけた。
「氏俊殿、如何に敵が少数とはいえ、侮られてはお命を落としましょうぞ。」
「馬鹿を申せ。敵はたったの四百ぞ?なんで抵抗できようか?」
氏俊はそう言うと、鎧の腰巻に挟んであった扇を取り出し、パタパタと風を仰ぎだした。
「…泰朝殿、して此度の陣立てはどのように?」
その話の流れの悪さを感じた元康が話題を変えるように泰朝に話しかけると、泰朝は目前の机に置かれた地図を指しながらこう言った。
「まず、先手は瀬名殿。瀬名殿はこの、東門から攻め掛かってくだされ。」
「よかろう。三河の宿なしに手柄を立てさせることなく、このまま落として進ぜよう。」
その氏俊の自信過剰な言葉を聞いても、泰朝はあまり気に留めずに話を続けた。
「…次に元康。お前は瀬名隊が攻め掛かった後に西門を突破してくれ。」
「承知仕りました。」
その返事を聞いた泰朝は頷くと、最後に自身の役割を告げた。
「そして我が手勢は遊軍として行動し、苦戦の方に加勢する。」
「まぁ泰朝、そなたは本陣でゆっくりしておれ。直ぐにこのような小城、ものの一刻で攻め落としてくれようぞ。」
氏俊はそう言うと、そのまま本陣の帳を出て行ってしまった。それを後ろで見ていた泰朝は氏俊の自信過剰な言動と行動を不安に思ったが、今川義元の連枝でもある氏俊の行いを、強く制止できなかったのだ。
(あの様子では…氏俊殿も危うかろうな…)
その隣の元康は口には出さなかったが、内心このように思って氏俊のみの危険を案じたのだった。だが泰朝同様、元康はその気のゆるみを注意することが出来なかったのだ。
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一方、城方では城将の近藤景春が、守備兵たちに別れの酒を振る舞い、兵たちの前でこう話しかけた。
「皆!聞いてくれ!我らは先君・山口教継公より功を立てし、秀高殿こそ明主に相応しいと信じ、忠勤に励んでまいった。かかる存亡の時に、その恩に報いないでどうする!」
その言葉を受けて、酒をあおっていたこともあって兵たちは気持ちが昂っていた。同時に景春の言葉を聞き、聞き入って覚悟を決め始めていた。
「これより我ら決死の覚悟で抗戦し、一人でも多くの敵兵を道連れに玉砕しようぞ!」
その景春の言葉を聞いた兵たちはおぉーっと歓声を上げると、手にしていた盃を地面に叩きつけて割った。ここに、城方の兵たちは決死の覚悟を固めたのである。
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「良いか!間もなく太守が尾張に到着なされる!宿無しや朝比奈勢に功を立てさせるでないぞ!全軍、掛かれぇ!!」
そしてそれからしばらく後、遂に今川先鋒隊による城攻めが開始された。先陣を務めるのは、軍議での取り決めで決まった瀬名氏俊勢三千であった。
「…まだだ、まだ引きつけよ。」
その近づいてくる様子を、城内の板塀の狭間から見ていた景春は鉄砲隊に十分に引き付けるように指示した。それを聞いて鉄砲隊百は瀬名勢が押し寄せてくる東門に重点的に配置され、火蓋が切られるのを待っていた。
「行けぇーっ!!怯むなっ!!」
馬に跨って走らせながら、氏俊は陣頭に立ちながら兵たちを率いていた。その様子を見ていた景春はなおも引きつけさせ、遂に敵勢が空堀に迫った時。
「放てっ!!」
この景春の号令一下、百挺の鉄砲が一斉に火を噴いた。このような攻撃の時、当時の鉄砲の命中率も相まってあまり的に当たるわけではなかった。だが、ここで思いもよらぬことが起きる。
「ぐっ!」
なんとその内の一発が氏俊の眉間を貫き、不運にも命中してしまったのだ。氏俊はその勢いのまま、馬上から転げ落ちて絶命してしまったのである。
「と、殿!」
「殿っ!!しっかりなさいませ殿!!」
大将が目の前で戦死したことを受けた瀬名勢の足軽たちは浮足立ち、その場で立ち尽くす者があれば、慌てふためいて氏俊の亡骸に近寄る者、その場から逃げ出すものなど壊乱状態となってしまった。
「…おぉ、敵の大将を討ったようだ。よし、このまま浮足立つ敵を、一気に打ち抜いてやれ!」
この号令に鉄砲隊の他に弓隊も加わり、その場にいた足軽たちはバタバタと討ち取られていった。そしてこの攻撃を受け続けた瀬名勢の足軽たちは、そのまま戦場を離脱してしまったのだった。
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「殿!瀬名殿が討死しよった!!」
この報せは、遠く元康の軍勢にも届けられた。これを報告してきた本多重次の表情は、どこか怒り狂っていた。
「何、氏俊殿が討ち死にしただと!」
「おう!まったく、今川殿のご連枝が何たるざまじゃ!」
「作左殿、口を慎まれよ。」
重次に言葉に気を付けるように言った石川数正に対し、今度はこの戦いから元康の元に参陣してきた酒井忠次が元康にこう告げた。
「殿、こうなっては我らの武勇を見せつけねばなりますまいな。」
「うむ。瀬名殿の軍勢の崩壊で城方は士気が緩んでいよう。そこを一気につくのだ。」
「殿!ならばこの俺が一番槍を貰い受けよう!」
その中でこう叫んで進言したのは、まだ年端もいかぬ若武者であった。この者こそ、本多忠真の甥である本多平八郎忠勝。元の世界の徳川四天王の一人である。
「おぉ、平八郎か。お前が一番槍を受けるというか。」
「おう!叔父がついておれば、何の心配もござるまい!」
その平八郎の大人に負けない威勢を感じた元康は気に入り、床几から立ち上がって笑いながら平八郎の提案を受け入れた。
「はっはっは、良かろう。忠真、平八郎の面倒を見てやってくれ。」
「ははっ。お任せを…」
元康の願いを聞き、忠真は恐縮しながらもその頼みを聞き入れた。こうして瀬名勢が崩壊してすぐ、松平勢は西門に対し、一気呵成に攻め掛かったのである。
「殿!敵が西門に参りました!旗印は「三つ葉葵」!」
「松平勢か。よし。鉄砲隊の半数、直ちに西門に回れ!このまま奮戦して耐えきるのだ!」
その指示を聞いた兵たちは景春の言う通りに行動し、西門に攻め掛かった松平勢と戦いを繰り広げた。この奮戦は日が暮れるまで続いたが、やがて朝比奈勢が東門にも攻め掛かってくると、ついに兵力の差から城門を突破され、ついに本丸への侵入を許してしまったのである。
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「おう、もう残っている兵は?」
その夜半、景春は本丸館に後退すると、兵に残った数を尋ねた。
「残り…五十名余りかと。」
「敵の損害は?」
「敵の損害…敗走した数を含めると、四千余りかと…」
その兵の報告を聞いた景春は高らかに笑い、最期の時を決心したようにこう言った。
「これは傑作だ。たった四百に四千の軍勢が損害を食らうなど、前代未聞であろう!この勇戦はきっと、後世に残るであろう!」
その言葉を聞いた景春の兵たちは笑い始め、同時に最期の力を出して奮戦する決意を決めた。
「よし、皆、これが最期の時だ!ここで思いっきり奮戦し、義元の鼻を明かしてやろうぞ!」
その呼びかけを聞いた兵たちは再び威勢を上げ、攻め掛かってきた今川先鋒隊と最後の切りあいを繰り広げた。五十人の兵たちは鬼神の如き奮戦を見せたが、やがて一人、また一人と減ってやがて景春のみとなった。
「沓掛城主とお見受けする!」
「む?誰じゃ!」
その中で、一人の若武者が景春の目の前に現れた。それは他でもない、忠勝であった。
「本多忠高が一子、本多平八郎忠勝!いざ尋常に勝負!」
「小童、良かろう!いざ勝負!」
景春は刀を手にすると、忠勝が突き出してきた槍の穂先を切り落とし、一気に忠勝の前に迫った。しかし忠勝は槍を捨てるとそのまま刀を抜き、景春の刀を受け止めた。そして忠勝が景春の刀を払うと、そのまま景春の脇腹に刀を突き刺した。
「あ、あぁ…殿…」
景春はそう声を漏らすと、刀が抜かれたと同時にその場に倒れ込んだ。そして最後の声を振り絞って出した。
「殿…必ず…天下を…」
景春はそう言うと力が抜け、差し伸ばしていた手を地面に落とした。こうして景春以下四百の壮絶な奮戦によって、景春以下四百はすべて討ち死にしたが、先鋒隊も結果的に約半数の損害を出してしまったのである。
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「…そうか。城が落ちたか。」
そして、秀高の元に沓掛城の顛末が知らされたのは、それから三日後の十二日のことであった。この日にはすでに今川の本隊が境川を越え、遂に沓掛城に布陣していたのだ。
「うん。景春殿以下四百、悉く討死だって…」
城の留守番を務めていた小高信頼が秀高にこう言うと、秀高は居室の中から外に出て、遠い空を見つめていた。
「…景春の死、決して無駄にはできないわ。」
秀高に静姫がこう言うと、秀高は景春の事を思い、哀れ悲しむようにこう言った。
「分かってる。景春たちの死、無駄にしてなるもんか。絶対に…義元を討つ!」
秀高はこう言うと、天に召された景春に届くように拳を突き出した。その空は秀高の願いが通じるかのように、青空が澄み渡っていたのだった。
こうして秀高は、沓掛城と景春という尊い犠牲を出してしまったが、代わりに今川別動隊壊滅と先鋒隊に損害を与えることに成功し、秀高方の士気を高めることに成功した。そして、来るべき義元との決戦との時を待っていたのであった…