1573年8月 高屋騒動
文禄元年(1573年)八月 河内国高屋城
八月十四日。名古屋幕府の中枢たる尾張・名古屋城を発った幕府の使者が未だ争乱の巷と化した河内国にたどり着いていない中で、今後の河内・紀伊二ヶ国を領する畠山輝長とその一家の今後を決め付ける大事がこの高屋城で起こったのである。
「これ、真に殿は御一門衆の追放に賛同されたのであろうな?」
高屋城本丸館の中。廻縁の廊下を進み輝長が待つ広間へと輝長側近の導きで進んでいたのは、騒動の一端となった畠山家重臣の安見宗房・遊佐信教・保田知宗・平盛長の四名であった。既に宗房の居城である交野城に兵を集めて輝長に一門衆追放を要求していた宗房らは、輝長から畠山政尚・畠山政頼ら御一門衆を紀伊南部へ追放したとの一報を受け、戦支度を解いた上で四人そろって輝長の待つ高屋城に参上していたのである。
「ははっ。既に政尚様、政頼様は紀伊岩室城に幽閉の身となり既に城を出ております。」
「ほう、輝長さまにしては随分と思い切りの良いことをなさったのう?」
宗房の隣にて側近の言葉を聞いていた信教が、鼻高々に勝ち誇った表情をしつつ言葉を発した。するとそれを聞いていた知宗もまた、信教の意見に賛同するような言葉を前に進みながら発言した。
「まぁ、輝長さまも幕府の手前、騒動を長引かせるわけにもいかなくなったのであろう。親しい付き合いをしていた弟殿らを追放する決断はそうそう下せまい。」
「まぁ、我らにしてみれば少し拍子抜けしたような感じではありますがな。」
知宗の発言に続いて盛長が少しがっかりするような感じで述べた。彼ら重臣にしてみれば政尚・政頼両名は輝長から厚く信頼されている一門でもあり、それが重臣たちの要求をするりと受け入れて追放に及んだことを、どこか肩透かしを食らったような感じを抱いていた。しかし結果で言えば重臣たちの要求が通った結果でもあり、知宗や盛長の前を進んでいた宗房は背後にいる二人に向けて言葉をかけた。
「良いではないか。殿も我ら無しでは畠山家を運営できぬと知っておるのだ。今はこの事を喜ぼうぞ。」
「如何にも…。」
宗房の言葉に信教が相槌を打って賛同すると、やがて側近は輝長がいる広間の前に宗房らを連れてきて、襖を挟んで広間の方を向いている宗房ら重臣に対して襖に手を掛けて右に引きつつ中へ案内した。
「こちらでございます。」
「うむ…っ!?」
側近によって空けられた襖の向こう、広間の中にあった光景を見て宗房や信頼らはその場で固まるように衝撃を受けた。というのも主君・輝長がいるはずの広間の上段には輝長の姿は無く、代わりに広間の下段に仁王立ちで立っていたのは、既に追放されていたはずの畠山一門衆、政尚と政頼の両名であった。無論、この二人の顔を見て誰よりも驚いたのは、真っ先に二人の顔を視界に収めた宗房その人であった。
「そ、そなたは政頼に政尚!?どうしてここにいるのだ!?」
「知れた事よ!!我が兄に成り代わり、獅子身中の虫を成敗いたす!!かかれ!!」
政頼が片手に持っていた鞘から刀を抜きつつ号令を発すると、広間の脇の戸が音を立てて勢いよく開かれ、中から数名の家臣たちが刀を構えて宗房らに襲い掛かった。この襲撃に宗房と信頼は咄嗟に刀を鞘から抜いて鍔迫り合いを始めたが、反応が遅れた知宗と盛長の目の前に刃が振り下ろされた。
「ぐはぁっ!!」
「くそっ!ぐわぁ!!」
知宗と盛長が凶刃にかかって命を散らす傍ら、反応よく鍔迫り合いをしていた宗房と信教は互いに背を向け、襲い掛かってくる家臣の数名を切り伏せた後に、信教は辺りを取り囲んでいる家臣どもに向けて刀の切っ先を向けつつ、鋭い剣幕で威圧した。
「貴様ら!誰に刃を向けておる!?畠山家累代の重臣!!遊佐信教なるぞ!!」
「…それがこれからは重荷になるのだ。」
広間の中に響いたこの声を聞いて驚いた信教と宗房は、政頼や政尚の奥にある広間の上段の方角を振り向いた。するとその広間の上段に姿を現したのは他でもない畠山輝長、その人であり宗房は姿を現した輝長を見て思わず声を上げた。
「と、殿!?」
「悪く思うな信教、宗房。最早我が強い家臣団は当家に必要ない。」
「殿…なんと愚かな!!」
輝長がその場に残っている信教と宗房に向けて冷ややかな視線を浴びせつつ、二人を切り捨てるような発言をした輝長に、宗房は輝長の愚行を誹るような相槌を返すと、顔を輝長の方に向けたままこの愚行がもたらす災いを輝長に諫言した。
「この様な事をすればそれこそ、幕府によって御家が改易される事が何故お分かりになられぬ!?」
「…分かっている。分かっているからやったのだ。」
「何ですと…!?」
輝長から発せられた思いもよらぬ返答を聞き、問い詰めた宗房や背後にいた信教が呆気にとられるように驚くと、輝長はじっと下段にいる信教と宗房の方を向きながらこの所業の目的を語った。
「守護の名声、そして管領の名声だけで家臣団が従っていた時点で、当家は戦国大名としての力など皆無に等しい。例えこの一件で畠山が父祖伝来の地を失おうとも、代わりに貴様ら古き遺物を一掃できるならそれで構わん。」
「な、なんと…それを聞けば御父上はお怒りになられましょうぞ!!」
信教が輝長の父・畠山政国の事を持ち出して非難すると、輝長はその避難を聞いてふっと鼻で笑いつつ非難して来た信教に向けて言葉を返した。
「そうであろうな。だが、我が父も貴様ら家臣に苦しんだ身。きっとあの世で理解してくれるであろう…。斬れ。」
「ははっ!!」
輝長は信教と宗房を囲んでいた家臣たちに対し、二人を始末するような意味を込めて命令するや家臣たちは再び信教と宗房に襲い掛かり、信教と宗房は尚も抗戦したが多勢に無勢であり、ものの僅かで二人は刃を身に浴びた。
「ぐっ、ぐわぁ…。」
「殿ぉっ!!畠山は滅びますぞぉっ!!」
信教が床に伏した後に宗房が最期の力を振り絞って言葉を発し、そのまま仰向けになって床に倒れ込むと、家臣たちは知宗と盛長も合わせた四名の首を取り、亡骸を処分する中で輝長が広間の上段に腰を下ろしてどこか安堵した表情を浮かべながら呟いた。
「…終わったか。」
「兄上、これで本当に宜しかったのですか?これを幕府が知れば当家は…」
腰を下ろした兄・輝長の方を振り向いてその場に片膝をついた政頼と政尚のうち、政頼がこの事件が招く畠山家の未来を不安視するような発言をすると、輝長は片付けられている最中の宗房らの亡骸をじっと見つめながらふっと鼻で笑った。
「柵ばかり残る古き家は、日々変わりつつある歴史の表舞台から潔く去るべきではないか?」
「兄上…。」
この輝長の言葉にはどこか諦観が混じっていた。それ即ち足利義輝の死によって室町幕府が滅び、代わりに共に幕政に関与していた秀高が名古屋幕府を起こし幕政から遠ざかった事を受けた世の中の、または時代の移り変わりをひしひしと感じていたからなのかも知れない。それ故に輝長は暴挙と取られるような粛清劇を敢行した。それは先祖代々の御霊に対する詫びを込めた切腹のようであった。事実、この事件の後に到着した幕府の使者、堀尾泰晴・吉晴父子や中村一氏に対し、宗房らの殺害に踏み切ったのは全て自分の独断だと自供した。後の世にこの事件は「高屋騒動」と呼ばれ、後世の憶測を呼ぶ事件となったのである。