1573年8月 変報河内より来る
文禄元年(1573年)八月 尾張国名古屋城
文禄元年八月十一日。事件の第一報が将軍・高秀高が居城の名古屋城に届けられたのは、この日の午前の事であった。
「…畠山家で内紛の兆しだと?」
秀高が幕府家老・安西高景から河内・紀伊合わせて六十六万三千石を領する大大名であり、かつ旧室町幕府においては共に幕府重臣として幕政に関与していた畠山輝長の家中において内部抗争が起きつつあるとの一報を聞くや、肘掛けにもたれかかりながら頭の中で思考を巡らせていた。その秀高の前で下段に控える高景が、言葉を進めて報告の続きを述べた。
「はっ、畠山輝長の家中において一門衆の畠山政尚・畠山政頼ら輝長の弟を中心とする御一門派と、畠山家重臣の遊佐信教・安見宗房・保田知宗・平盛長ら重臣派の対立が激化し、領内では専ら重臣派が挙兵すると領民たちが噂しておりまする。」
「噂…何かそれ以外に動きは無いのか?」
秀高は高景からの報告を聞いた上で、未だ不確定な情報である内紛の噂の裏付けを尋ねた。するとこれに返答したのが秀高の側近として仕える父・三浦継意に代わり、三浦家当主として幕府家老に列する近江観音寺城主の三浦継高。この継高は秀高が将軍宣下を受けた後に秀高から偏諱である「高」の字を貰い受け、父・継意の「意」の字と合わせて「三浦高意」と改名していた。
「これらの噂を立証するかのように、河内国内では遊佐・安見が輝長に内緒で兵を集めているそうで、事実稲生衆の鉢屋弥之三郎から提出された、河内国内の村々に発布された遊佐・安見ら重臣連名の御触書には、直ちに兵を供出せよとあります。」
「上様、これは困ったことになりましたなぁ?」
と、秀高に向けて広間の下段の右先頭に座る幕府家老の森可成が高意の言葉を聞いた後に秀高に向けて話しかけた。この時、反対側には幕府家老として先月来より名古屋に逗留していた大高義秀と小高信頼も黙したまま馬の会話に耳を傾けており、その中で可成は上段の上座に座る秀高に言葉を続けた。
「もし万が一にも遊佐や安見が畠山領内で挙兵に及べばそれこそ一大事。先ごろ出された武家諸法度に抵触するのみならず、場合によっては畠山家の改易も視野に入れねばなりませぬ。上様にとって親しき畠山家が改易なるような事態になれば、さぞ上様のお気持ちは辛いでしょうな。」
「何を申されるか可成殿!たとえ親しき間柄の家なればこそ、幕府の法を曲げる事など断じてあってはならんのです!」
可成の言葉を聞いて背後に座していた高意が声高らかに反論すると、可成は高意の方を振り返った後にふっとほくそ笑んだ反応を見せた。すると高意の後ろの席に座していた高景が、上段にいる秀高に向けて幕府としての対応策を提案した。
「上様、まずは幕府より使者を派遣し、双方の仲裁に入って事態の聞き取りと処分を下さねばなりますまい。」
「うん。このまま幕府の使者が付くまで双方が挙兵せずいてくれれば改易にはならない。が、畠山はこの一件を踏まえて家中の統制に不始末ありとして、紀伊か河内のどちらかを没収する厳封処分にする。」
「それが妥当な判断でしょうな。兎も角にも幕府から使者を派遣し、事態の鎮静化を命ずるとしましょう。」
秀高の言葉を受けて可成が賛同するように発言すると、矢継ぎ早に秀高は下段の右側に控える幕府家老たちに向けて指示を下した。
「可成、高景。直ちに幕府の使者を派遣し双方の暴発を食い止めろ。」
「ははっ!!しかと承りました。」
秀高より名指しされた二人が秀高の方に姿勢を向け、頭を下げて命令を受けると続いて秀高は可成と高景に挟まれて座していた高意に、視線を向けてからもう一つの指示を伝えた。
「高意は万が一に備え、神余・深川ら幕府軍にいつでも出陣できるよう戦支度をしておけと伝えろ。」
「委細承知!!」
ここに名古屋幕府は不穏な空気が漂い始めている畠山家中の仲裁を行う事で一致し、直ちに幕府から臨検の使者派遣と万が一に備えた幕府軍出陣の準備に取り掛かることになったのである。その畠山家内紛への対処を取り決めた後に秀高は義秀の方を振り向いてある懸念事項について尋ねた。
「ところで義秀、東国の方に動きはあったか?」
「いや、伊助からの報せじゃあ東北の奥地…陸奥地方以外は各国とも平穏だとよ。それに上杉輝虎も先の敗戦で失った重臣の家の相続や、打撃を受けた領国の整備に追われて暫くは戦って感じじゃないらしいぜ。」
秀高が気掛かりとしていたのは、この畠山家内紛を好機ととらえて輝虎ら鎌倉府が停戦を破って名古屋幕府に攻め掛かってくるのではないかという事だった。しかしその秀高から示された懸念に義秀が不安を払拭させるような内容を伝えると、秀高は少し安堵するように胸をなでおろしてから言葉を発した。
「そうか…今回の畠山の内紛を見て上杉辺りに隙を突かれていたら、生まれたての幕府はとんでもないことになっていただろうな。」
「うん。だからこそ、今回の一件は迅速に解決しないとね。」
「上様!!」
信頼が秀高に向けて相槌を打つような言葉を述べた直後、秀高らがいる広間に将軍・秀高付きの側衆首座として名古屋城に詰めていた継意が駆け込んできて、上方より来た早馬からの報告を上段の秀高に向けて告げた。
「先ほど、伏見城代・北条氏規殿並びに京都所司代・増田長盛殿より早馬到着!!安見宗房が居城の河内交野城に遊佐・保田・平ら合わせて七千余の兵が結集!高屋城の輝長に対し一門衆排除を要求する書状を送りつけたと!」
「何っ!?それは真か!?」
秀高は継意の後任として伏見城代に就いた氏規、そして新たに京を執り仕切る京都所司代の長盛(将軍宣下後に、秀高から丹波福知山城主に取り立てられる。)からの報告を受けて大きな衝撃を受けた。既に畠山家の内紛は第一報の頃より大きな騒動と化しており、万が一には実際に挙兵し凶行に及ぶ危険性も孕み始めていたのだ。これを受けた秀高は肘掛けをドンと小突いて怒りをあらわにした。
「安見宗房…俺たち幕府を何だと思っているんだ!」
「なお、北条氏規殿からの伝言によりますれば、「既に増田長盛と協議の上、岸和田城の高浦秀吉と共に双方に仲裁調停の使者を派遣した」との事!」
継意から上方の氏規より遣わされた早馬よりの伝言を聞くと、秀高はやや俯いていた顔を上げてから目の前で報告していた継意に向けて、早馬を通じた氏規への伝言を託すように言葉を返した。
「よく分かった。くれぐれにも氏規には双方の暴発を引き留めよと伝えてくれ。」
「ははっ!」
秀高の言葉を受けた継意が返事を返した後にその場から去って行った後、秀高は広間の上段で肘掛けを自身の前に持ってくると、そこに両肘をついて考え込むような仕草を下段の義秀や信頼らに見せつつも頭の中で考えを巡らせていた。やがて幕府は堀尾泰晴・吉晴父子並びに、稲生衆忍び頭の中村一政の嫡子である中村一氏の三名を使者に任命、直ちに河内に急行し事態の収拾にあたれとの命を下した。しかし事態は、さらなる展開を見せ始めたのである。




