1573年2月 新しき関白の来訪
文禄元年(1573年)二月 尾張国名古屋城
元号が康徳から文禄に改まった二月十八日。朝廷は文禄改元に伴う除目を発表。それまで人臣の首座であった関白に就いていた近衛前久は解官となり、代わって二条晴良が二度目の関白任官を果した。同時期に晴良の次子で二条家の嫡子である二条輝実は権大納言に、長子の九条兼孝は右大臣に転任し、同じ九条流摂家である一条内基は内大臣に転任となった。ここに近衛流摂家は朝廷の中枢から排除され、晴良ら九条流摂家が朝廷の中枢を掌握したのである。
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それから数週間後の翌三月六日。関白となった晴良は足を延ばして高秀高が居城である名古屋城を来訪。そこで秀高より関白任官を賀す言葉を受けたのである。
「晴良様…いえ関白様。此度の任官、誠に祝着至極に存じ奉ります。」
「丁寧な挨拶、痛み入りまする。」
大広間の下段にて双方向かいあって着座していた晴良と秀高、そして秀高の背後にいる大高義秀、小高信頼の両名が黙したまま晴良に挨拶した後、晴良は頭を上げた秀高に対して来訪の用向きの一つを語った。
「秀高殿、此度こうして関白への任官がなった以上、貴殿への将軍宣下を阻む存在は無くなり申した。先に申し上げた通り、早ければ夏ごろに将軍宣下の除目が執り行われましょう。」
「関白様には何から何までお骨折りくださり、誠に忝く思います。」
「何の何の。」
秀高からの御礼を受けた晴良は、手にしていた扇を一振りして否定するそぶりを見せた後、目の前に座す次代の天下人たる秀高に対して自身の存念を語った。
「先の上様(足利義輝)亡き今、天下を安寧に導けるは秀高殿を置いて他にはおりませぬ。が…少し頭の痛い事がありましてな?」
「頭の痛い事?」
晴良が発した言葉を聞いて秀高がそれをオウム返しするように聞き返すと、晴良は裏の用向きであるこの事に関して詳細な内容を秀高に告げた。
「これは近衛卿より聞いた話にございますが、四国は土佐に足利義維の次子が生き延びておるらしく、近衛卿はこの者に征夷大将軍の宣下あるべきと朝廷で申されましてな?」
「義維の次子…!?」
今より数年前の永禄十年(1567年)。三好長慶征討の折に長慶が擁立した平島公方の足利義維・義栄父子は京に送られて処断の憂き目にあったが、実はこの時、義維の次子である足利義助が近臣たちによって密かに平島から逃され、土佐の長宗我部元親領に落ち延びていたのである。それを聞いた前久はこの者こそ足利将軍家の相続権があるとして義助へ征夷大将軍宣下を行うべしと奏上したのである。
「しかし、義助の父・足利義維は十一代・法住院(足利義澄)殿の次子でありながら長年京に在せず、のみならず自ら争乱に首を突っ込みその災いを大きくした張本人である。その次子に将軍職を宣下するなど諸侯が納得せぬと堂上公家が反発して義助への宣下は立ち消えになったのでおじゃる。」
「そうだったのですか…。」
晴良より将軍宣下に関する朝廷内の出来事を聞いた秀高は、理解するように言葉を晴良に返すと同時に義維の遺児が生きている事に少なからず衝撃を受けていた。その秀高を視界に収めながら晴良は口元に扇を当てて口元を隠しながら、秀高に対して策を授けるように言葉をかけた。
「されど、あの偏屈な近衛卿の事、まだあきらめてはおりますまい。よって秀高殿には土佐に探りを入れ、この者らの動向に注視するが宜しかろう。」
「分かりました。重要な情報を教えてくださり、感謝申し上げます。」
晴良からの助言とも言うべき言葉を聞いた秀高は、感謝する様に晴良に言葉を返すと晴良は口元を隠していた扇を避け、秀高に向けてにこりと笑って見せた。
「何の。これも我ら九条流摂家と新しき将軍家との仲を作り上げるには必要な事でおじゃる。何事も手を取り合うが肝要でありましょう。」
「はい、その通りです。」
秀高は晴良の言葉を受け止めると、自身も微笑んで晴良に感謝の念を示した。その後、秀高は配下の稲生衆に人員を割いて土佐への密偵に赴かせ、義助の居場所と動向を探らせたのであった。するとその場で話題を切り替えるようにして、晴良が朝廷内で内々に進みつつある内容を秀高に伝えた。
「さて…ここからは内密な話にございますが、主上におかれては秀高殿に将軍宣下を行うと同時に、秀高殿を源氏長者に推するとの事にございまする。」
「源氏長者…!?」
秀高が驚いたのも無理はない。この源氏長者という役職は古代からの氏姓である「源平藤橘」の内、源氏のトップを差す役職でこの役職に就くことによって、武家の崇敬を集めている源氏を率いる秀高として諸大名への圧力をより強力なものにすることが出来るのである。
「源氏長者なれば将軍家の威光に更なる力が付与されることになりましょう。並びに将軍宣下の暁には、朝廷より除目を発して秀高殿のご嫡子・輝高殿を始め主要な家臣たちにも官位を授ける運びとなっておりまする。」
「そこまで我らにお気遣いくださるとは…感謝の念に堪えません。」
晴良から将軍宣下と連動して秀高配下への除目が伝えられると、朝廷からの厚遇に感謝し切るように秀高が深々と頭を下げた。するとこのお礼を見た晴良は顔を綻ばせるようにして秀高に言葉を返した。
「ほっほっほ。良いのでおじゃる。こちらも新しい幕府には期待しております故、何卒これらの力でもって日ノ本に再び沸き上がりつつある乱世を鎮めて下され。」
「ははっ。承知いたしました。」
晴良より日ノ本の安定を託された秀高は、その身に背負った重圧をしっかりと踏みしめるようにして、再度深々と頭を下げたのであった。するとその秀高に代わって背後にいた信頼が、来訪した晴良を歓待すべくおもてなしの旨を告げた。
「関白様、ささやかではございますが来訪を祝する宴席を設けてあります。何卒奥の座敷に。」
「うむ。ではありがたくご相伴に与ると致そうかのう。」
その後、晴良は秀高や家臣たちが用意した御膳や能の演目を楽しみ、秀高率いる高家と九条流摂家の代表でもある晴良の親交を深めたのであった。この秀高と九条流摂家を介した朝廷との親密関係は、後々に秀高率いる幕府に大きな結果となって帰ってくることになるのだが、それはまた別の話である。




