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1573年2月 「天正」ではなく「文禄」



康徳七年(1573年)二月 尾張国(おわりのくに)名古屋城(なごやじょう)




 年が明けた康徳(こうとく)七年二月。朝廷は全国に早馬を飛ばし改元の宣言を行った。朝廷は新たな元号として「文禄(ぶんろく)」を選定。奇しくもこの元号は高秀高(こうのひでたか)らがいた元の世界では「天正(てんしょう)」の元号の後に制定された元号であり、この元号の早馬を本国・尾張は名古屋城で聞いた秀高は、大高義秀(だいこうよしひで)夫妻や小高信頼(しょうこうのぶより)夫妻ら自身の秘密を知る者達を名古屋城内にある尾州閣(びしゅうかく)へと招き寄せ、今回選定された元号に関する話し合いを行った。


「文禄…か。やはり信長(のぶなが)がいない事で歴史の修正力が動き始めているな。」


「うん。調べてみたらその天正改元の際、勘進者(かんじんしゃ)を務めた高辻長雅(たかつじながまさ)が朝廷に進上した勘文の中に文禄の元号が入っているから、それを踏まえれば朝廷が文禄を新たな元号として選んだのは自然な流れだと思うよ。」


 尾州閣の一階部分にある十六畳ほどの一室の中に輪になって固まって座っていた一同の中から、秀高に対して信頼が手元に自身が編纂した元の世界での歴史書を持ちながら言葉を返していた。するとこの信頼の言葉を聞いた静姫(しずひめ)は目の前にいる信頼に向けて(おもむろ)に尋ねた。


「信頼、その文禄の出典は何なのよ?」


唐朝(とうちょう)の官僚である杜祐(とゆう)が記した通典(つてん)職官(しょくかん)十七巻目にある「凡京文武官、毎歳給禄((およ)そ京の文武官は、毎歳(まいさい)禄を(たま)う)」の一文からだね。」


 信頼は静姫からの問いかけに対して即答するように答えた。この信頼は歴史に精通するあまり漢文の読み下しもある程度できるようになっており、その知識を元の世界で信頼から伝授されるかのように見聞きしていた秀高は、四畳ほどの上段に置かれた机に両肘を置きながら信頼に向けて言葉をかけた。


「確か天正は老子(ろうし)が由来だったっけか?」


「うん。あと文選(もんぜん)籍田譜(せきでんふ)の箇所も合わせて選定されたんだよ。」


「何と、漢文となるとここまで知識深いとは…」


 この秀高と信頼は会話をした後、その場で天正の出典箇所となった漢文をその場で(そら)んじてみせた。これを見た筆頭家老の三浦継意(みうらつぐおき)はふと感心する様に頷いていた一方、そのまま別の元号に関する漢文をその場で諳んじ始めた二人に対して静姫は強めのツッコミを入れて制止した。


「はいはい、そこまでよ!まぁともかく、こんな漢文趣味たちは一先(ひとま)ず置いておきましょう。」


「い、良いのかな…?」


 静姫の強いツッコミを脇で耳にしていた(れい)がやや動揺しつつも言葉を発すると、ツッコミを受けて言葉を止めた信頼と秀高に対して静姫は物事の本筋に触れるように言葉をかけた。


「それよりも大事なのは、本来の流れとは違う元号になったという事でしょう?これによればその文禄という元号は、たった五年までしかなかった元号じゃないの。」


「確かに…この書物によれば天正の元号は二十年まで。単純に文禄の期間を合わせれば二十五年にも及ぶ長期の元号になりまするな。」


 継意は冒頭から信頼より受け取った本来の年号が記された年号表を手にし、静姫と共に表の内容を目にしながらそれぞれ言葉を発した。すると秀高に向けて言葉を発した継意の後に、玲は秀高の方に視線を向けて先程の会話を踏まえた疑問を尋ねた。


「秀高くん、天正の元号が選ばれなかったのは、やはり元号に関する事を朝廷に上奏しなかったからかな?」


「多分そうだろうな…確か、天正の際には信長が朝廷に強く薦めたんだっけか?」


 玲の言葉を受けて返答した秀高が信頼に聞き返すと、信頼は秀高の方を振り向いてから天正改元の際に関する情報をその場で発した。


「うん。天正は「天下を正して改め直す」とも読み取れるし、天下布武を目指していた信長にとってはうってつけの元号だったからね。」


「それに当時、朝廷は信長に元号の勘案書を見せて信長に元号を決めさせたって言うぜ。」


 信頼に続いて義秀が、信頼から聞きかじった情報を元にして言葉を発すると、その会話を聞いていた継意が秀高の方を振り向いて物事の予測を立てるように言った。


「という事は殿、今回の元号は朝廷の主導で取り決めたと?」


「うん。朝廷の中では依然、二条晴良(にじょうはるよし)卿と関白(かんぱく)近衛前久(このえさきひさ)卿の勢力が対峙していて、近衛派は「天正」を、二条派は「文禄」を後押ししていたらしい、そして結果的に選ばれたのは、朝廷内で優位を固めつつある二条派の推した「文禄」だった…。」


 今回の改元の裏には、近衛流摂家(このえりゅうせっけ)(近衛前久)と九条流摂家くじょうりゅうせっけ(二条晴良)らの暗闘も関連していた。朝廷内では「康徳の変」に端を発した両派の暗闘が堂上(とうしょう)地下(じげ)の公家たちを巻き込んで大騒動に発展しており、それが改元の勘案の際により大きな対立となって顕現したのである。この事を踏まえた秀高の言葉を、下段にて玲たちと共に聞いていた義秀の正室・(はな)は若干あきれ果てるような言葉をその場で吐き捨てた。


「朝廷内の争いで元号が決まるなんて、何とも締まらない結果ねぇ…。」


「ですが姉様、その近衛卿も今度の除目で関白の座から降ろされるそうですよ。」


 そんな華に対して信頼の正室でもある妹の(まい)が、近衛関白の今後について触れるとそれを聞いて驚いた静姫は上段の秀高の方を振り向いて真偽を尋ねた。


「本当なの?関白の座を降ろされるって?」


(みやこ)では(もっぱ)らそのうわさが飛び交っていると長盛(ながもり)から報告があった。そしてその空いた関白の座に就くのは、他でもない二条晴良卿…。」


「もし二条が関白になりゃあ、秀高への征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)任官に大きく前進するだろうな。」


 京の秀高屋敷詰めの家臣・増田長盛(ましたながもり)からの報告を秀高より聞いた義秀が、征夷大将軍就任に弾みが付くことを喜ぶように言葉を発した。するとそれを聞いた秀高はこくりと首を縦に振って頷き、その後に口を開いて今後の動向を語った。


「いずれ近いうちに元号改変に伴う除目が発せられるだろう。そうなれば近衛卿がどう動くか見ものだな。」


「うん。どうするか次第でこっちの動き方も変わるからね。」


 秀高としては、関白を解官(げかん)された前久がどうするのかが一つの懸念事項でもあった。もし前久が土佐(とさ)に逃げ延びている織田信隆(おだのぶたか)の生存を知って接触するようなことになれば日ノ本の戦乱はより大きくなることは確実であり、それを踏まえて秀高は前久の身の振り方に関心を置いていたのである。そんな秀高に対して義秀が話題を切り替えるようにふと話しかけた。


「そう言えば秀高、無事お前の子供たちとこっちの娘たちの婚姻も済んだと聞くぜ。」


「あぁ。義秀の娘はこっちで引き取り、手厚く養育するつもりだ。」


 今年に入って早々に義秀と取り決めていた嫡子・高輝高(こうのてるたか)と次子・高秀利(こうのひでとし)と三子・友千代(ともちよ)への義秀の三つ子姉妹入籍の話は進み、つい先ごろその三つ子姉妹が名古屋城に入城し奥御殿に迎え入れられたのである。その迎え入れた秀高の言葉を聞いた華は、秀高に対して腹を痛めた娘たちの事を頼み込んだ。


「ヒデくん、うちの娘たちをよろしく頼むわね。その代わり義広(よしひろ)が貰い受けた蓮華姫(れんかひめ)はこちらでしっかりと養育していくわよ。」


「はい。宜しくお願いします。華さん。」


 先ほどの華と同じように、秀高が華に対して娘の事をその場で頭を下げて頼み込んだ。これを見ていた静姫は、その場で婚姻が無事取り交わされた秀高の息子たちに関して今後の展望を夢見るように言葉を発した。


「さて…問題は秀高の子供たちに、秀高の「百発百中(・・・・)」が受け継がれているかどうか、ね?」


「おい静姫、それは言わない約束だろう?」


「はっはっはっ、されど武家とすれば百発百中こそ理想、ですからなぁ。」


 この継意の言葉の後、一同の間にどっと沸き上がる様に笑いが起こり、それを上段の秀高はやや照れくさそうにしながらもふふっと微笑んでいた。こうした次代への橋渡しが着々と進みつつある中で、秀高は次代の子供たちへしっかりとしたものを引き渡すべく、新しく生まれる幕府の体制を堅固な物にすると改めて念を押す様に思ったのであった。





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