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1558年6月 桶狭間前哨戦<三>



永禄元年(1558年)六月 尾張(おわり)国内




 先陣の鵜殿氏長(うどのうじなが)勢の敗退を聞いた二陣の奥平貞能(おくだいらさだよし)勢では、大将の貞能がうろたえていた。


「なにっ!鵜殿勢が敗走しただと!鵜殿勢は二千はおったではないか!どういう事だ!」


「ははっ!敵先鋒の勇猛果敢な攻撃を受けて、士気の低い鵜殿勢はたちまち総崩れを起こし、そのまま敗走してしまいました!」


 馬上で早馬からその報告を聞いた貞能は頭を抱えてしまった。先陣とはいえ、敵勢とは互角の数であった鵜殿勢の敗走を聞いて、残る味方の軍勢が動揺しないかと考えたのだ。


「何という事だ…長照(ながてる)殿がおれば、あのような敗走はなかったであろうに…!」


「敵勢!このまま攻めて参ります!!」


 その貞能の元に、侍大将が敵の接近を知らせて来た。それを聞いた貞能は軍配を振るい、直ちに応戦を指示した。


「怯むな!槍隊は敵の前進を食い止めよ!何としてもこれ以上進ませるな!」




————————————————————————




「へっ、さすがに次の相手は一気に破る事は出来ねぇか。」


 鵜殿勢を破った勢いで奥平勢に接近していた大高義秀(だいこうよしひで)は、馬上からその様子を見ると少し残念がった。


「まぁまぁ、そう気を落とすことはないわよヨシくん。直ぐに両翼の敵も来るわ。勢いのまま攻め掛かりましょう。」


「…あぁ、そうだな。よし!敵の槍隊を突き崩す!槍隊、槍衾(やりぶすま)を組め!」


 義秀に近づいて話しかけてきた(はな)の言葉を聞いて、気合を入れなおした義秀は、配下の槍隊に槍衾を組ませた。そして槍隊は敵に近づくと、槍をしならせて相手を叩くように振り下ろし、次々と敵の槍隊を破っていった。


「ふふっ、訓練の成果が出ているようね。」


「当たり前だ。この大事な時にできてなきゃ困るぜ。…よし!敵の前は空いた!騎馬隊突っ込むぞ!俺に続け!!」


 義秀は自身の後ろに控える騎馬武者たちにこう言うと、自身は華と共に先頭に立って敵陣に斬り込んでいった。


「おらおらぁっ!!鬼大高のお通りだ!道を開けやがれ!」


 義秀は居並ぶ敵にこう叫ぶと、その勢いのまま槍を敵に突き刺した。その後に続く華も薙刀を片手に馬上から振り下ろし、二人は敵を切り倒しながらも前進していった。


「兄上!もはやこれまでにござる!殿(しんがり)(それがし)にお任せを!」


 一方、奥平勢の中央では、大将の貞能に対して弟の奥平貞治(おくだいらさだはる)が撤退を勧めていた。


「貞治!何を申すか!太守の手前、引くわけにはいかん!」


「たわけたことを申されますな!生きていてこそ、奥平の家名はつながるという物!強右衛門(すねえもん)!兄者を戦場から引かせよ!」


 貞治はそう言うと、貞能の隣にいた足軽武士の鳥居強右衛門(とりいすねえもん)に貞能を連れて撤退させるように指示した。


「ははっ!さぁ殿!撤退しましょう!」


「やめぬか強右衛門!これ、放さぬか!」


 強右衛門は貞能の馬を強く引きながら、留まろうとする貞能を連れて戦線から離脱していった。それを見た貞治は刀を抜くと、やってくる大高勢に向かってこう叫んだ。


「やあやあ!我こそは奥平貞能!我が首討って手柄とせよ!」


 すると、その言葉を受けた華が馬を貞治の前に進めてきた。それを見た貞治は姿を見て驚いた。


「貴様…女か!女が戦場に出るなど、正気の沙汰ではない!」


「あら、そんなことを言うなんて、随分と自信があるのね。」


 その言葉を受けた貞治は馬を走らせ、そのまま華へと斬りかかった。しかし華は一瞬のうちに薙刀の刃を貞治の首筋に当て、そのまま一刀のもとに斬り落とした。


「敵の大将は討ち取ったわ!これ以上、まだ戦う気かしら?」


 その貞治の惨状を見た奥平勢の足軽たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていき、ここに奥平勢も崩壊したのだった。


「へっ、さすがだぜ、大将首を取るとはな。」


 奥平勢が去った後、義秀が華の元に馬を近づけて話しかけると、華は否定するように首を横に振ってこう言った。


「…恐らくそれは偽首でしょう。」


「なぜわかる?」


 義秀が華にこう言うと、華は乗っていた馬を前に出させると遠くの方を見つめてながらも、説明するようにこう言った。


「ヨシくん、大将が窮地に追い込まれて、わざわざ名乗って手柄にせよなんて言わないわ。恐らく本物は、もうとっくに逃げ延びているわよ。」


 その言葉を受けて、義秀は腑に落ちたように納得した。兎にも角にもここに二陣の奥平勢は破られ、別動隊の士気はさらに下がった。




————————————————————————




「殿!鵜殿勢に続き、奥平勢も破られました!」


 ここは三陣の水野勢の中央。大将の水野忠重(みずのただしげ)にこう言うのは、水野信元(みずののぶもと)亡きあとに織田(おだ)から帰参してきた家臣の高木清秀(たかぎきよひで)であった。


「…そうか。」


「殿…事ここに至っては、昨夜の約束を無碍にするわけにはいかないかと。」


 清秀が言ったこととは、即ち昨夜のうちに姉である於大(おだい)の方と交わした、引き上げの約束の事であった。忠重はもし味方が優勢ならばその約束を無碍にして攻め掛かるつもりであったが、味方の不甲斐なさを見て、これ以上付き合うのは危険だと判断した。


「…清秀、鉄砲隊に空砲を敵に打てと告げろ。」


「空砲をですか?」


 清秀がこう聞き返すと、忠重はそれに頷き、軍配を敵である秀高勢の方に向けてこう指示した。


「そうだ。空砲を打ったのち、威勢を上げてそのまま兵を引く!氏元(うじもと)に付き合うのはここまでだ。鉄砲隊!構え!」


 忠重の指示を聞いた鉄砲隊は空砲のまま火縄に火をつけ、銃口を秀高勢に向けた。


「放てぇ!」


 そして次の瞬間、忠重の鉄砲隊が放った空砲の音が、戦場中にこだました。


「殿!鉄砲の攻撃です!」


 秀高勢で、馬上に乗る秀高に対して馬廻の山内高豊(やまうちたかとよ)が危険を告げた。しかし秀高はその攻撃が空砲である事を察知した。


「何…空砲だと?」


 すると、目の前の水野勢の先頭に、馬に乗った忠重が現れた。それを見た秀高は全軍を停止させた。


「高秀高に物申す!!」


 その忠重の鳴り響く名乗りを聞いた秀高は、その申し状に耳を傾けた。


「貴様とは、先年の一件により、我は兄の仇と思うておるが、此度我らは姉の願いにより兵を退く!だが覚えておけ!次に会った時は必ず、貴様のそっ首を頂く!覚悟しておくが良い!」


 忠重は大声で秀高や秀高の軍勢にそう言うと、そのまま軍勢を引き連れてそそくさと引き上げてしまった。


「あれは…一体…」


 その光景を目の当たりにし、高豊は呆気に取られていたが、秀高は忠重の言葉を受け取ったうえでこう呟いた。


「…忠重、こんな形で恩を売ってくるとはな。なかなか憎めない奴だ。」


 秀高はそう言うと気を取り直し、軍配を振って再び全軍を別動隊の本陣へと向かわせたのだった。




————————————————————————




「いったい、いったい何が起こっているというのだ!!」


 その別動隊の本陣。即ち葛山氏元(かつらやまうじもと)の本隊ではこの一連の戦の流れの報告を受けて、氏元にとっては信じられない出来事の連続であった。そして何よりも怒りが込み上げてきたのは、水野勢の無断の撤退であった。


「おのれ忠重!この一件、すぐにでも太守に報告してやるわ!」



 氏元の頭の中は味方の劣勢よりも、水野忠重の無断撤退で占められていた。そして今川義元(いまがわよしもと)に謁見した後は、忠重の行状を訴え出ようという先の事のみ考えていた。しかし、その氏元の考えは、即座に現実に引き戻された。




「と、殿!後方の久松(ひさまつ)勢が…久松勢が寝返りましたぞ!!」


「…は?」


 その報告を物見から受けた時、氏元は信じられない気持ちでいっぱいであった。まさに前面の秀高勢が葛山勢に攻め掛かったその時、背後に控えていた久松定俊(ひさまつさだとし)の軍勢が寝返ったのだった。


「な、どうしてこのような…」


 しかし、氏元が考えて込んでいる間にも、葛山勢三千は、久松勢を加えた秀高勢三千五百の前に徐々に劣勢になっていった。そして次々と、氏元の足軽たちがバタバタと切り倒されていったのだ。


「お、おのれ秀高!このわしが負けるはずなど…」


 だが次の瞬間、氏元の首は胴体から離れていた。秀高の事に気を取られている隙に、華が馬を駆けて近寄り、薙刀で一刀のもとに払ったからである。

 

 こうして今川の別動隊九千は裏切りや呆気ない敗退が重なり、僅か数刻の間に大将が討ち取られるという信じられない結末を迎えたのだった。




————————————————————————




「…秀高殿、於大と申します。」


 合戦後、久松勢と合流した秀高勢は坂部城(さかべじょう)へと向かい、そこで於大の方と面会した。於大は城の門の前で秀高を出迎え、自身の名を名乗った。それを受けた秀高は馬を降りると、於大に向かって一礼した。


「高秀高と申します。於大さま、兄の一件、申し訳なく思います。」


 秀高が信元の一件に関して詫びを於大に言うと、於大は首を振って否定し、秀高にこう言った。


「いえ、兄の信元は戦で見事に戦い、そして立派に戦死したのです。決してだまし討ちで討たれたのではありません。」


 於大が秀高にこう言うと、隣にいた定俊も秀高にこう言った。


「秀高殿、某も於大と同じ気持ちでござる。信元殿は立派に戦われた。それは誰もが認めることでござる。」


 定俊はそう言うと、秀高の前で膝ついてこう申した。


「この久松定俊、今後は秀高殿の家臣となり、精一杯の忠誠を誓いましょうぞ!」


 その言葉を聞いた秀高は定俊の手を取り、その申し出を承認するように固い握手を交わしたのだった。




 こうしてわずか一日の間で今川の別動隊を撃滅した秀高は、安西高景(あんざいたかかげ)が攻め落とした常滑城(とこなめじょう)河和城(こうわじょう)を破却させ、佐治為景(さじためかげ)父子の大野城(おおのじょう)と定俊の坂部城に守備兵を残すと、残りの二千余りを率いて鳴海城(なるみじょう)へと帰城していった。


 だが帰還した十二日、秀高の元に沓掛城(くつかけじょう)陥落の報せが入ったのである…





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