1572年12月 動き始める時代
康徳六年(1572年)十二月 山城国京
「外様を取り締まる?未だ幕府は草創したばかりというにそれは余りにも危険ではありますまいか?」
高秀高が秀高屋敷の広間に居並ぶ重臣たちに向けて指し示した幕府の指針の一つである「大名取り締まり」の方策に対し、その場にいた安西高景が情勢を踏まえて危惧するような発言を述べた。すると秀高はこの高景の危惧に対して首を横に振って否定する様に示すと、高景やその場にいる重臣たちに向けて諭すように言葉を返した。
「いや、逆に誕生したばかりだからこそ、段階を踏んで大名統制をキチっとやるべきだろう。まずは妻子を名古屋に集めて在府させる。」
「妻子を名古屋に…ですか?」
秀高が上段から下段の右側に控えている筆頭家老・三浦継意ら重臣たちに向けて大名統制の第一歩として示したのは、諸大名の妻子を秀高の第一の本拠である名古屋城下に集めて止めさせるという物であった。この事を聞いた佐治為興が秀高の発した内容をオウム返しして聞き返すと、秀高はその問いかけに首を縦に振って頷いた。
「うん。ゆくゆくは国政の中心を名古屋に移そうと思っている。その際に名古屋城下に諸大名の妻子がいるとなれば、諸大名も反乱を起こすにまず躊躇するだろう。」
「確かに。妻子在府の効果は、我が殿が率先して示された事例でもありまするな。」
秀高が京に上洛して以降、京には秀高の正室や妻子が何名か残っており、それが室町幕府への臣従姿勢を示す証拠にもなっていた。秀高はこの事を踏まえて味方の大名達に妻子を名古屋に移させ、大名達に釘を刺そうと画策しており、その秀高の策に続けて発言したのは重臣たちと正反対の左側に座していた小高信頼だった。
「それと同時に、諸大名には室町幕府に提出された検地帳を参考に、知行安堵の朱印状を発行し、大名の領地を幕府から与えたという形にします。こうするだけで国人領主などの半自治の勢力は、否応なしに大名家に吸収されることになります。」
「ふむ…それは特に国人連合の色合いが強い毛利には大打撃となるであろう。もしかすれば領内で反乱がおこるやも…。」
信頼は新しい幕府の草創に関連し、各地の諸大名より室町幕府に差し出された差出検地の検地帳を参考にした知行の朱印状を発行。これによって大名に対し知行を安堵する傍ら国人領主や土豪たちに対してその大名の傘下に入る事を暗に促す事によって、幕府の影響力を浸透させようと考えていた。この策を聞いて継意が国人連合体である毛利隆元領に関する事を発すると、それを聞いた信頼はふふっと微笑んでから首を縦に振って頷いた。
「そう。そこでそれを取り締まる根拠となるのが、今僕たちが編纂に取り掛かっている新法令です。この新法令は康徳法令を更に強化させた十九条にも及ぶ法度になります。具体的には…」
「康徳法令で定められた惣無事令…即ち私闘の禁止や謀反の禁止。婚姻の許可や領内統治の重視の他、新たに新規の築城を禁じ改修には幕府の許可を要すこと。街道の往来を妨げる事や私的な関所の厳禁。そして奉公構の徹底でございまする。」
「奉公構とな?」
信頼の言葉に続けて体制作りに従事している竹中半兵衛重治が「奉公構」という単語を口にし、その言葉を聞いた次席家老の森可成がオウム返しして聞き返すと、その可成の問いかけに高浦秀吉が信頼に代わってその意味を説明した。
「例えばある大名家で起こった謀反の首魁や罪を犯した者、並びに大名家から勝手に出奔した家臣を他家で登用するのを禁ずる事にございまする。もしこれを破れば幕府は叛意ありと見なし、その大名家を改易することも出来まする。」
「なるほど…そこまで強力な法令ならば大名統制も容易になりましょうな。」
この奉公構が法令に盛り込まれるのはもう一つ理由がある。それは土佐に逃げ延びた織田信隆が今後、別の国へと移った際にその大名家が信隆を匿えば問答無用で改易、若しくは幕府軍を差し向けることが出来るのである。この裏の事情を含んだ奉公構の導入を提案された重臣たちの中で、滝川一益が声を上げて反応すると、その一益の言葉に上段に腰を下ろしている秀高が言葉を発して自身の意見を語った。
「無論、今の現状では従属する諸大名にしか効力は無い。だが後々日ノ本全土の諸大名を従えたとなればこの法令は日本全国に範囲が及ぶことになる。そうなれば諸大名は自ずと幕府の影響力を肌で感じることになるだろう。」
「そうなれば幕府の権勢は今まで以上に大きなものと相成りまする。大名統制も夢ではなくなるかと。」
秀高の言葉に重臣たちの中にいた安西高景が賛同する意見を述べると、それを聞いた秀高はその場に居並ぶ一同に向けて皆に言い含めるように言葉を発した。
「その為にも今行っている幕府の組織作りは手が抜けないんだ。なので今まで以上に継意を始め重臣たちはこの事を肝に銘じ、信頼たちと共に幕府の組織固めに邁進して欲しい。」
「ははっ!心得ましてございます。」
秀高の呼びかけに対して継意が率先して声を上げて反応すると、それに続いて両脇にいた重臣たちが一斉に秀高の方を振り向いて頭を下げた。その後頭を上げた重臣たちの顔を一目見た後に、秀高は武家伝奏である勧修寺晴豊から聞いた情報を重臣たちに向けて伝えた。
「それとこれは余談なんだが…近々朝廷は改元を行うらしい。」
「なんと、元号を改めるのですか?」
秀高より告げられた朝廷の改元を聞き、継意が驚くような声を上げて反応した。これを耳にした秀高は継意の方を振り向き、首を縦に振ってから言葉を継意へ返した。
「うん。今の元号である「康徳」は上様(足利義輝)が定めた元号だ。その上様が非業の死を遂げられた今、不吉な康徳という元号を改めるという。改元の期日は来年の二月ごろとの事だ。」
「左様ですか…改元となれば民衆は、より一層時代の移り変わりを肌で感じることになりましょうな。」
継意が秀高に向けて申したように、朝廷が行おうとしている改元が実現すれば京を始めとする畿内や東海の民衆は新しい時代の到来を肌で感じる事は間違いなく、それはまるで足利家が頂点に立っていた室町幕府から、秀高ら高家が頂点に立つ幕府への移行を名実ともに指し示す事例にもなった。秀高は朝廷の改元後に執り行われるであろう将軍宣下、そして幕府草創の宣言に向けて、家臣たちに幕府の統治体制樹立を念を押すように命じたのであった。
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「結婚?」
「ああ。嫡子・輝高と秀利、それに友千代の三人を近いうちに結婚させようと思う。」
その日の夜、秀高屋敷から伏見城に移り本丸裏御殿の居間にて玲たち正室一同と夜食を摂っていた秀高は、その席にて幕府草創に向けた一手を打ち明けた。この輝高と秀利、そして元服前の友千代との婚姻を聞いた玲たちは大いに驚いており、その中から声を上げて聞き返したのは第二正室の静姫であった。
「ちょっと待ちなさいよ。輝高や秀利はともかく友千代まで纏めて結婚させるって言うの?」
「そうだ。輝高は幕府が成立すれば次の将軍。秀利や友千代は輝高を補佐する強力な藩屏になるだろう。」
秀高は未だ相手のいない自身の子供たち…特に年長者になりつつある輝高ら三人の子供たちに伴侶を娶らせ、その血筋を繋げる子孫を残そうと考えていたのである。その秀高の考えを聞いた玲は、秀高が右手に持つ盃に注いでいた銚子を床に置いてから、秀高に向けて尋ねた。
「それで秀高くん、その相手は決まってるの?」
「あぁ。相手は義秀の息女。これは義秀や華さんも了承済みだ。」
「義秀さまの息女ですか?まさか相手というのは…。」
秀高が発した婚姻の相手…義秀夫妻の娘という事を聞いた第三正室の詩姫が言葉を発すると、秀高は詩姫の方を振り向いてからその相手の詳細を語った。
「そう。義秀の三姉妹だ。輝高には長女の春香姫、秀利には次女の美香姫、そして友千代には三女の和香姫…。」
「ちょっと待って秀高くん、たしか義秀くんの娘さんってまだ十一歳になったばかりだよね?」
秀高が婚姻相手にしようとしている義秀夫妻の三姉妹は、輝高や秀利、そしてあろうことか友千代より若い十一歳という幼子であった。この事を聞いた三人の男子の実母でもある玲が驚いて反対するようなそぶりを見せると、秀高は実母でもある玲を説得するように言葉を返した。
「いちおう結納と婚姻の締結だけでも。という事さ。婚姻さえ結べば三人の姫をこちらに貰い受けて養育する事だって出来るし、その方が義秀夫妻も安心すると思う。」
「そうなんだ…じゃあ御徳の時と同じようにこっちで養育するんだね。」
玲が以前、徳川高康へと嫁がせた御徳姫の事例を持ち出して秀高に言葉を返すと、秀高はこくりを頷いて即座に言葉を玲へ返した。
「そう言う事だ。まぁ恋愛結婚じゃないが、子孫を残すためにはしょうがない事だよ。」
「そうですわ。きっと輝高さまなら上手く養育してくださる事でしょう。」
秀高の言葉に賛同する様に第四正室の小少将が意見を述べると、小少将の脇で相伴に与っていた第五正室の春姫が秀高に向けてこう尋ねた。
「そう言えば殿、幕府が名古屋へと移ればこの伏見城は如何相成るのでしょうか?」
「あぁ、ここには幕閣の要職の一つとして「伏見城代」を置き、ここから畿内や西国の監視を行わせるつもりだ。」
秀高は伏見城の今後を春姫に向けて語ると、静姫は名古屋に移った後に過ごすことが無くなるであろう本丸裏御殿の風景を目に焼き付けるように見回し、口惜しそうな言葉を発した。
「そう…それじゃあここにいるのもあと僅かなのね。」
「そうしんみりするな。幕府が名古屋に移ってもこの城が破却される訳じゃない。ここでの思い出はきっと皆の中に残るはずだ。」
「うん。私もこの伏見で過ごしたこと、きっと忘れないよ。」
静姫に語った秀高の言葉の後に、玲も賛同するような言葉をその場で述べた。この後、伏見城は名古屋へとその機能が移った後に幾らかの修繕や改修が加えられることにはなるが、秀高が京にて数年過ごした居城として幕府の中では要衝の一つとして扱われることになり、秀高が語ったように伏見城代がこの城から西国監視の任を請け負うことになるのだが、それは今少し後の話である…。