1572年12月 昇進と基本方針
康徳六年(1572年)十二月 山城国京
康徳六年十二月十七日。朝廷は畿内の支配者となっていた高秀高を正三位・権大納言並びに右近衛大将へ叙位任官を行った。それから数日後の二十日には秀高自ら古式に則って朝廷に参内し、帝に昇叙の御礼を述べた。帝は参内した秀高に対し道半ばに倒れた前の将軍・足利義輝に成り代わって日ノ本の戦乱鎮撫に当たるべしとの言葉を授け、この玉音とも言うべき言葉を受けた秀高は自らに与えられた官位と共に重く受け止め、身が引き締まる思いを心の中に抱いていた。
「殿、権大納言並びに右近衛大将への昇進。誠におめでとうございまする。」
「おめでとうございまする!」
その宮中参内の翌二十一日に秀高は京の秀高屋敷で筆頭家老・三浦継意を始め、京在留の重臣たちからの祝賀の賀詞を受けた。秀高は屋敷の広間の上段から下段に控える重臣たちに向けて言葉を返した。
「この度、朝廷よりこんなにも栄誉ある官位を拝領し、この俺も身が引き締まる思いだ。朝廷の…いや帝が俺にかかる官位を授けてくれた以上は、より一層の働きを見せなければならないな。」
「全くその通りだぜ!朝廷がその官位を秀高に授けたって事は、半ば幕府草創を許すって言ってるのと同じだ!」
秀高の言葉に続いて大高義秀がそれに賛同する言葉を述べると、脇に控えていた小高信頼が黙したまま首を縦に振って頷いた。この義秀の言葉を上座から視線を送って聞いていた秀高は、首を縦に振った後に義秀の意見を汲み取りつつ言葉を発した。
「義秀の言う通り、官位任官を取り計らってくれた二条晴良卿が言うには、来年中ごろになって正式に将軍宣下が執り行われるとの事だ。そこで正式に幕府が産声を上げるわけだが、今の内から幕府の体制を作り上げるべきだ。そこで…信頼!」
「うん。分かった。」
秀高は重臣たちの中で主導して幕府の体制作りに従事している信頼に向けて発言を促した。すると信頼は自身の脇にいた竹中半兵衛重治や高浦秀吉・秀長兄弟ら、共に体制作りを行っている面々の方を振り向いて目配せを行った後、顔を目の前に控えている継意ら重臣たちの方を向いてある程度固まった新しい幕府の体制について説明した。
「今回、秀高や皆々様と協議した末に幕府の基本体制がある程度固まったので、ここで重臣一同に対して予め申し渡そうと思います。」
「おぉ、もう基本体制が整っておるのですか。」
秀高の言葉を聞いて稲葉山城主でもある安西高景が言葉を発して反応すると、信頼は高景の言葉に首を縦に振って頷き、その後に言葉を続けて重臣たちに説明し始めた。
「まず、これから発足される新たな幕府では、傘下の大名を大きく三つに分けて分類し格付けを行います。その格付けこそが大名統制の第一歩となり、「親藩・譜代・外様」の三つに振り分けます。」
「詳しく説明いたすと、親藩と申すのはいわば殿の血筋が流れる一門筋の大名家。譜代は我ら高家に仕え殿から禄を頂戴する直参の家臣。そして外様は幕府に従属する非高家臣の大名家となりまする。」
この、親藩・譜代・外様という大名の格付けは、秀高らが元いた世界での江戸幕府における格付けを参考にしていた。信頼はこの世界に飛ばされて早々、妻の舞と共に編纂した江戸幕府の体制を書き記した書物を参考に、新たな幕府にその体制を落とし込もうとしていた。事実、信頼の言葉に続けて説明した半兵衛の言葉を聞いて、目の前にて聞いている継意ら重臣たちは今まで聞いた事の無い制度に目新しさを感じ取っていたのである。
「今後の幕府の政治…即ち幕政に関与出来るのはその格付けの内「譜代」の大名のみ。言うなれば可成殿や高景殿といった城持の重臣たちが譜代大名として幕閣に採用されることになるんです。」
「なるほど…そうなれば幕政の実権は自ずと高家が握り続けることになる。金輪際、外様の諸大名が口を挟む余地は無くなったと言っても過言ではなかろうな。」
信頼が語った内容を聞いて高家次席家老の森可成は顎に手を当てて考え込むようなそぶりを見せながら、その場で信頼の語った内容に理解を示していた。するとその中で重臣の席の中にいた鳴海城主・佐治為興が信頼に向けてある懸念を言葉にして示した。
「待たれよ信頼殿、その格付けによれば今まで幕府重鎮として知られた、畠山や細川は幕政に関与できない外様に振り分けられるという事にござるか?」
「その通りです。どれだけ畠山や細川が伝統ある名家だとしても、幕政に関わる事は基本出来なくなります。まぁ、多少の抜け道は用意してありますが。」
「抜け道?」
信頼が為興の問いかけに対して返答し、それを聞いてオウム返しするように高景が言葉を発すると、今度は信頼に代わって秀吉・秀長の兄弟が信頼の発した「抜け道」という単語の意味について説明した。
「例えば今後、外様の大名家に譜代大名の一族から養子が送られた時には、その外様は「願譜代」といって譜代格の待遇を得ることが出来まする。無論将軍家からの養子も同様であり、その際は親藩格の待遇ではなく譜代格に統一されまするが…。」
「有り体に申せば、外様も完全に締め出されたという訳ではない。という事にござる。」
秀吉・秀長兄弟が継意ら重臣たちに向けてその抜け道の意味を説明した。これを聞いた継意ら重臣たちは、幕府から疎外された外様に対する硬軟織り交ぜた策を聞いて腑に落ちたように納得し、その中で長島城主の滝川一益が言葉を発して納得する姿勢を示した。
「なるほど…もし外様を譜代化させることが出来ればそれだけで幕府の権力は大きな物になりましょうな。」
「されどそれでは、特に我が高家とつながりの深い細川や浅井、徳川辺りが何と言うか…。」
「案ずるな。それについては考えがある。」
一益の言葉に続けて今度は継意が、外様大名とされた味方大名の中でも特に大大名と目される徳川ら三家の事について触れると、それに対して上座にいた秀高が言葉を発して自身に一同の視線を集めさせた後、そのまま言葉を続けて自身の考えを示した。
「その三家はこちらから姫を嫁がせたり、または姫を貰い受けている間柄の大名家だ。この三家は特別に親藩格の待遇を与える。そうすれば幕府に対し良からぬ事を考える事も無くなるだろう。」
「如何にも。特に徳川は二ヶ国以上を領する大大名。縁戚とは申せ除外するようなことあらば徳川家中が黙っておりますまい。」
秀高は自身の娘が嫁いでいる徳川家、養女である澄姫が嫁いでいる浅井家、そして自身の第四正室・小少将の実家でもある細川家に対し幕府親藩の格付けを行い、丁重にもてなす事を考えていた。この意見に賛同する様に高景が言葉を発した後に秀高はその言葉に対して首を縦に振って頷いた。
「その通り。ここで皆に心しておいてほしい事があるんだが、外様には基本畿内や名古屋から遠く離れた遠方に大禄と官位を与え、幕府からの恩恵を十分に噛みしめさせる。だがその反面、譜代は基本禄高も近隣諸国に十~二十万石程度。官位も諸大夫程度の官位しか与えられない。」
「なんと、その様な差をお付けなさるので?」
この秀高の言葉を聞いて誰よりも驚いたのは、秀高から見て右側に控えていた継意ら重臣たちであった。因みに諸大夫程度の官位というのは、正四位上から従五位下相当の官職と位階という意味である。彼ら驚いている重臣たちとは正反対の左側に並んで着座している義秀や信頼、それに幕府体制作りに従事する半兵衛や秀吉兄弟などは大して驚きもせずに粛々と受け止めており、この重臣たちの驚きぶりを見た秀高は上座から継意ら、重臣たちに対して安心させるような事を語った。
「だが外様はどれだけ禄高が多かろうと、官位が高かろうと幕政に首を突っ込む事は出来ない。それを言えば親藩も同じだが、親藩には親藩で重要な役目がある。」
「重要な役目とは?」
秀高が放った親藩の重要な役目という言葉を聞き、オウム返しするように可成が秀高に尋ね返すと、秀高は継意ら重臣たちに対してその役目を語った。
「外様の監視だよ。これからは外様を厳しく取り締まって行くんだ。」
この言葉を聞いた重臣たちは大いに驚いた。秀高が発した外様の監視…即ち諸大名を幕府の統制下に置いて取り締まるという内容は、秀高に協力してくれた大名達に向けて短刀を向けるような内容であった。しかしそれこそが、秀高が志向する幕府のあり方の根本であり、非情の言葉にも聞こえるかもしれないが、今後の幕府の事を思えば避けては通れない議題だったのである。