1572年11月 刑の執行
康徳六年(1572年)十一月 山城国伏見城
その日の夕刻、高秀高は小高信頼からとある報告を受けて本丸表御殿にある一室へと足を運んだ。そこには稲生衆の忍び頭の一人である鉢屋弥之三郎が控えており、弥之三郎は秀高が一室の上座へと進んで机の前に腰を下ろした後、頭を上げて秀高に報告をした。
「信隆の消息を掴んだだと!?」
「はっ。これは我らが内々に掴んだ事であり、他の大名家には一切悟られておりませぬ。」
弥之三郎が秀高に向けて告げたのは、先の山科の戦い以降、消息をくらましている織田信隆の足取りであった。秀高は弥之三郎よりその事を聞くと、言葉を返してその出所を尋ねた。
「どこでその消息を掴んだんだ?」
「実はその事に関連するのですが、数日前に大和国内の寺院に潜伏していた亡き織田信長が次男・織田信意を捕らえまして、その者を絞ったところ消息を掴んだという訳でございまする。」
「信意を捕らえたか…それで、肝心の信隆はどこに?」
弥之三郎より信長の遺児の一人である信意の捕縛を告げられた秀高は、表情を変えずに信隆の消息を尋ねた。すると弥之三郎は辺りをキョロキョロと見回した後に目の前の秀高の方を向き直し、配下が掴んだ信隆の消息を報告した。
「信隆は南紀の串本に落ち延び、そこから船で四国へ渡るつもりのようでございまする。四国へ行くとなればその目的は…」
「明智光秀と縁が繋がっている長宗我部か。」
去る先月、十月の三日。山科の戦いにて敗北した信隆は散り散りとなって逃走。追っ手の稲生衆をかわしながら吉野山から熊野山地といった峻険な地形を踏破。本州最南端の南紀串本へとたどり着くとそこで光秀らと合流。地元の土豪の助けを借りて船で土佐を領する長宗我部元親の元へと落ち延びていった。稲生衆が熊野山地に逃げ込んだ信隆の消息を掴みかねている間に信隆は逃げており、その尻尾を掴んだのは信隆に合流するべく独自に逃避行していた信意からの情報によってであった。
「秀高、その事実を証明する様に先程紀伊新宮城主・堀内氏善殿から書状が届いて、その串本を領する小山城の小山実隆が信隆の逃亡を手助けしたという内容で、既に信隆は先月の三日には串本を発ったそうだよ。」
「そうか…既に奴は四国に渡ったか。」
この時すでに信隆の逃亡を手助けした小山実隆は、南紀の中で最大勢力の氏善からの追及を受けて逃走幇助を白状。家督を嫡子の隆重に譲って隠居させられていた。その氏善からの書状を信頼から手渡されて一目見た秀高に、目の前に控える弥之三郎は秀高に向けて自身の不手際を詫びた。
「殿、面目次第もありませぬ。」
「いや、気にするな。信意を捕らえただけでも儲けものだ。それに信隆が逃げおおせたのであればもう、畿内にその一派がいる可能性は低いだろう。」
「秀高、それじゃあ…。」
秀高の言葉を受けて信頼が反応すると、秀高は話しかけてきた信頼の方を向いて首を縦に振った後に言葉を発した。
「信意の身柄が伏見に到着次第、前田利家らと共に宇治橋の付近で処刑する。信頼、直ちに準備にかかってくれ。」
「うん。分かった。」
秀高は信意を捕縛していた利家共々首を刎ねる事を決断。これを受けた信頼は信意の護送の後に斬首刑の執行を行うべく準備を始めた。同時にこの斬首刑の執行は秀高にとってこの場で信隆の息の根を止めるのを断念した事となり、秀高は信隆の名を殺したのみで満足せねばならなかったのである。
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そして数日後の十一月十一日。伏見城より南方の宇治橋の橋脚付近の河原で罪人の処刑が行われた。その河原に引きずり出されたのは捕縛された信意と牢に繋がれていた利家、それに佐々成政の遠縁で河尻与四郎秀長と共に信隆に仕官した佐々長穐の三名であり、橋の欄干から身を乗り出して見守る観衆の視線を浴びながら、三人は目の前に宇治川が流れるのを見つめながら斬首の時を迎えていた。
「何故…何故こうなったのか…。」
「信意殿、見苦しい真似はお控えあれ。」
縄目に駆けられた信意が刑の執行前にじたばたする様に言葉を発すると、それを聞いていた利家はその言葉を止めさせるように声をかけた。やがてその刑場に執行の奉行が姿を現すと、その者の姿を見た利家は誰よりも驚いた。それは利家が子供の頃より見知っている親族であったからである。
「…!?そなたは!」
「前田利久が一子、前田慶次郎利益にござる。叔父御、此度はこのわしが介錯仕る。」
「そうか…秀高め、無粋な真似をしおって…。」
この刑場に現れたのは利家から見れば甥にあたる利益であった。秀高は利家の甥である利益に刑場の差配を一任し、利益はその役目を受け入れて頭に前田家の家紋である「前田梅鉢」が刺繍された鉢巻きを巻いて具足を身に着けており、その姿を見た利家は秀高のなさりようを嘲笑うように言葉をつぶやいた。その一方で利益はその場に控える刑吏役の足軽に向けて淡々と命令を下した。
「今より罪人の斬首を行う!まず、佐々長穐の首を打て!」
「ははっ!!」
利益の号令を受けた足軽たちは、刑吏として身じろぎ一つもせずにその場に座っていた長穐の首を刀で撥ねた。やがてその場から長穐の亡骸が運ばれていくと続いて利益は利家の右隣にいた信意を視界に収めつつ言葉を発した。
「よし、では続いて織田信意の首を打て!」
「ま、待て!このわしは織田信長の遺児なるぞ!それがなぜこのような目に合わねばならぬ!」
刑の執行を知らされた信意は、その場で執行を命じた利益に対して見苦しいほどの言葉を発した。するとこの見苦しい振舞いを見た利益は、信意の目の前に立って心底あきれ果てるような心情を込めて言葉を信意へ返した。
「何を言われるかと思えば…貴殿は織田信隆と共謀し上様(足利義輝)の殺害に及んだではござらぬか!そのような事をよく言えた物よ!」
「頼む、後生じゃ!斬首だけは、斬首だけは!!」
信意が利益の言葉を受けてその場でジタバタと身じろぎして泣きわめくように命乞いをすると、利益は信意の背後に立ってジタバタする信意の身体を押さえつけつつ、刑吏の足軽と目配せをした上で信意に言葉をかけた。
「見苦しい真似をなされるな!さぁ、早く!」
「よ、よせ…ぐふっ!!」
利益の命を受けた刑吏の足軽は、なおも言葉を発そうとした信意の首を刎ね飛ばした。ここに信意の斬首は執行されて先の長穐同様に亡骸が運び出された後、利益は徐に刀を抜いて利家の背後に立つと、利家を縛り付けていた縄目を刀で解いた。
「慶次…。」
「叔父御、これをお使いあれ。」
縄目を解いてくれた利益に対して利家が言葉を発すると、利益は脇差を自身の腰に巻かれた腰巻より抜き取ると、それを利家に差し出しつつその真意を利家に向けて告げた。
「せめて最期は武士らしく散れと。これは我が殿からの申し状にございまする。」
「そうか。慶次に首を打たれるのであれば何も申す事はない。」
利家は利益からの言葉を聞くと利益より脇差を受け取ると、脇差を抜かずに鞘の先端を自身の腹に当て、背後に利益が立ったのを確認した後に刀を天高くかざしている利益に向けて今生の別れとも言うべき最期の言葉をかけた。
「慶次、我が兄を頼んだぞ。」
「はっ。お任せあれ、叔父御。」
利益は利家からの言葉を聞くと、利家が脇差の鞘を腹に当てたと同時に利家の首を刀で綺麗に刎ね飛ばした。ここに織田信隆に従い織田家の再興を夢見て戦っていた前田又左衛門利家は刑場の露と消え、その首は信意・長穐ともども宇治橋の欄干付近に高札が立てられる中で晒された。後にその最期を耳にした秀高は前田利久に対し自領での弔いを密かに認め、それを受けた利久は利家の首のない胴体を受け取るとそれを荼毘に付し、故郷である荒子の前田家菩提寺にひっそりと埋葬したのであった…。