1572年11月 樹立への下準備
康徳六年(1572年)十一月 山城国伏見城
康徳六年十一月三日。足利義輝の葬儀を行って天下に後継者であることを示した高秀高は、自身の居城たる伏見城に入るや幕府草創の準備に取り掛かり始めていた。秀高は伏見城に本国の尾張から鎌倉府との戦を終えて帰国していた嫡子の高輝高やその側近たち、並びに吏僚の村井貞勝や竹中半兵衛重治といった家臣と佐治為興・安西高景ら配下の城主たちを招集して一丸となって幕府草創の対策を行っていたのである。
「信頼、朝廷や二条卿(二条晴良)は何と言ってきている?」
「概ね好意的な反応を示して来ているよ。同時に二条卿は、上様の御落命の後に義秋を将軍職に推していた近衛関白(近衛前久)やその一派は今やその勢いを失速していて、秀高を将軍職に推すにあたって反抗的な勢力は朝廷に見当たらないとも言っているよ。」
朝日が昇り始めている朝の内、本丸表御殿の中庭にて日課の弓の調練を行っている秀高に対し、近くの縁側に座っている数名の重臣たちの中から小高信頼が朝廷の情勢を秀高に向けて告げた。するとその話を聞いた高家の次席家老・森可成が腕組みをしながら反応して言葉を発した。
「二条卿も大したことを言う物よ。殿が将軍職に就けるという確信も無いというのに…。」
「いや、そうとは限らぬぞ?先の葬儀以降、殿を天下人としてみる見向きは畿内を中心に広がりつつある。いずれそう時もかからずに順序を踏んで将軍宣下が行われよう。」
「順序を踏む?」
可成の言葉の後に発言した筆頭家老・三浦継意の言葉を聞いて信頼の側にいた大高義秀が声を上げて反応すると、その場にいた半兵衛が継意の発言した内容について解説した。
「かつて源頼朝公が征夷大将軍に宣下された際の官位は正二位の権大納言。これに右近衛大将を合わせて将軍宣下の際に就くべき官位として慣例化されています。今の殿の官位は従四位下、左京大夫兼左近衛権中将ですので…」
「まずは権大納言や右近衛大将への昇進をしなくちゃいけないね。」
半兵衛の言葉に続いて信頼が秀高に聞こえるように発言すると、秀高は引き絞っていた矢を放って的に命中させ、側近たちが新たな的を用意している間に秀高は信頼らの方を振り返ってそこで交わされていた会話の内容に触れて発言した。
「…権大納言に右近衛大将、いずれも公卿と呼ぶにふさわしい高位の官職だな。」
「そもそも「幕府」というのは近衛大将の唐名。将軍宣下の前に近衛大将に就ければ、それだけで幕府草創は半分成ったと言っても過言ではありますまい。」
「問題は、その幕府の制度や法令をどうするか、だろ?」
秀高に向けて北条氏規が発言し、それに続いて義秀がその場で幕府草創に向けた問題を提起すると、信頼はその義秀の提起を聞いた上でこれから設立される新たな幕府の統治体制について語った。
「うん。かつての幕府は有力大名の合議制で成り立っていた幕府だったけど、それは同時に、有力大名の動向如何で幕府の権力が乱高下するという不安定なものでもあるんだ。だからこれからの幕府は、秀高の高家の元に中央集権の体制を取るべきだね。」
「中央集権、とは…?」
「高家直参の家臣たちが中心となって幕政を行うことだ。」
秀高はこの場で家臣たちに向けて初めて、新幕府の体制について披露した。その内容とは今までの室町幕府が有力大名の連合体と化していた現状を一変させ、諸大名の幕政への関与を防ぎつつ将軍家となる高家の家臣たちのみが幕政の実権を掌握するというこれまで類を見ない体制であった。
「これからの幕府は有力大名に実権を与え過ぎず、こちらの譜代家臣が幕府重臣として手綱を握るようにする。そしてもし少しでも不穏な動きや領内統治に不都合があれば、こちらが敷いた法令によって厳しく取り締まる!無論、身内とて容赦はしないつもりだ。」
「おぉ、それは怖い話でございますなぁ。」
「うむ。だがそうでもせねば天下に示しがつくまい。」
秀高が諸大名統制への意気込みを聞いて高浦秀吉がにやりと口角を上げながら反応すると、可成が言葉を発して答えて秀高はその場でふっとほくそ笑んだ後に言葉を続けて発した。
「可成の言う通りだ。これから幕府の職掌や制度を吟味して敷いていくことになるが、ここに集まった重臣たちの働き次第でより強固な体制が敷けるはずだ。その為にもお前たちには存分に働いてもらうぞ。」
「ははっ!」
秀高より新幕府の体制構築に向けての発破を受けた家臣たちは、奮起せんばかりに強い意気込みを目の前にいる秀高に向けて返事に込めて発した。それを聞いた秀高は新たに用意された的の方を向き直し、弓に新たな矢を番えて弦を引き絞って狙いを定め、やがて狙いが定まったと同時に矢を放った。するとその矢は木製の的を真っ二つに音を立てて打ちぬいた。
「おぉ、お見事にございます!」
「うん!幸先良いとはこの事だ!」
この光景をみた継意が発した言葉を聞き、秀高はどこか吉兆を感じてにっこり笑いながら言葉を続けた。反面に継意ら重臣たちは次なる天下人の秀高が放った矢を見つめつつ、秀高より自分たちに課せられた重大な責務をその場でしっかりと受け止めていたのだった。
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「…朱印状、にござるか?」
「うん。今後はそれを採用しようと思っている。」
やがて弓の調練が終わった後、正室の玲たちと共に継意ら重臣たちと朝の食事を広間で摂っていた秀高は、その中での話題で今後の幕政における一つのキーアイテムを示した。この「朱印状」という言葉を聞いてそれをオウム返しした可成の言葉の後に、秀高は咀嚼していた物を飲み込んだ後に言葉を発し、そのまま続けて詳細を語った。
「一応、俺が考えている方針としては従来の守護職は廃止、その代替策として朱印状発行による大名の知行安堵をしようと思っているんだ。その内容は現状の諸大名が領している版図、並びに各国の検地帳に基づく石高を合わせて諸大名の所領として認めるという物だ。」
「守護職の廃止とは…思い切った手をなさいますな。」
「ですが、その効果は覿面ですよ。」
従来の室町幕府、引いては先の鎌倉幕府の頃より地方統治に根付いていた守護職。言わば伝統のあるこの職務廃止を打ち出した秀高に継意ら重臣たちが驚いている中で信頼が秀高の策を補強するようにこの策における一つの効果を語った。
「現状、関東の鎌倉府に従属する諸大名の中には、佐竹や宇都宮の様に鎌倉府より各国の守護を認められている者達もいます。これらの者達が権力の担保としている守護職を廃止するとなればその者達の権力基盤は皆無となり、その権威は大きく下がる事でしょう。」
「なるほど…守護を廃止し幕府からの朱印状発布によって大名として認めると。これは東国や西国など、諸大名達には大きな打撃を与えられましょうな。」
秀高は守護職という国内の統治に強力な存在を廃止し、同時に幕府からの朱印状によって幕府から地方の諸大名に対する影響力を直に与えようと画策。先の信頼の言葉通り東国に存在する守護大名達の権威を白紙化させるこの方策に重臣たちは大いに驚いていたが、その中で高景が秀高に対してある懸念を口にして発した。
「されど殿、その策は当方に味方してくれている諸大名にも打撃を与えかねませぬ。のみならず中にはそれに反感を持ち、反旗を翻す大名も出て来るやも…。」
「…それも覚悟の上だ。」
「何と?」
高景の言葉を汁物を啜りながら聞いた秀高、汁物の器を御膳に置いた後に言葉を発した。その返答を聞いて呆気にとられた継意が即座に反応すると、秀高は発言して来た高景やその他の重臣たちに向けて自身が創る幕府の事について語った。
「今、このまま幕府が成立したとて現状の当家の石高と従属する予定の諸大名の石高を比例すれば、双方にそこまで大きな差はない。という事はおのずから幕政に諸大名の参画が必要になる。そうすれば従来の幕府となんの代わり映えもしない。」
「そうだな。幕府…俺たち高家が幕政の実権を得るには、各国の諸大名達を威圧出来る国力や兵力が必要になる。その為には幾つかの大名家が犠牲になっても仕方のない事だぜ。」
「その為には、先の幕府が施行した「康徳法令」より強力な法令の発布が欠かせないよ。この法令によって諸大名を統制できる根拠が発生できるしね。」
この秀高、並びに義秀・信頼の発言を重臣たちは黙って聞き入っていた。この場で秀高や義秀らは従来の室町幕府とは大きく違い、将軍家に絶大な権力を集中させてそれによって諸大名を統制する腹積もりだという事が分かった重臣たちは秀吉や継意などを除いて革新的な思想を発露させた三人に大きな衝撃を受けており、その中で言葉を発したのは食事の席に列していた静姫と詩姫であった。
「…きっと、この世は大きく様変わりするでしょうね。」
「えぇ。ですがきっと、これから先の時代には必要な事なのでしょう。」
この二人の会話に玲が黙したまま首を縦に振って頷くと、驚きに支配されている重臣たちの中から筆頭家老の継意が、秀高に向けて意気込みを込めて志願するように言葉を発した。
「殿、よく分かり申した。ならばこの三浦継意、幕臣として率先して諸大名の統制を行いまするぞ。」
「継意殿の申す通り。殿の申す事はこれから登城する為興らと共有させ、幕府の体制づくりに役立ててみせましょうぞ。」
「うん。宜しく頼む。」
この継意や秀吉の言葉を聞いた秀高はこくりと頷いて答えた。その後、重臣たちは秀高の意向を受け入れて幕府体制を中央集権体制へと舵を切る事を決め、継意ら重臣たちは幕府草創に向けた体制固めにより一層注力した。その一方で京では秀高屋敷詰めの増田長盛と長束正家、そして新たに秀高に仕える事となった玄以…改め前田玄以は朝廷への任官工作を盛んに行い、晴良や九条兼孝ら昵懇の公家衆と連動して将軍宣下を視野に入れてその往来を盛んにさせたのだった。