1572年10月 義輝の葬儀
康徳六年(1572年)十月 山城国京
同年十月二十七日。京にて非業の死を遂げた先の将軍・足利義輝の葬儀がしめやかに執り行われた。葬儀が行われたのは足利将軍家の菩提寺である等持院であり、そして喪主は亡き義輝の妹・詩姫の夫でもある高秀高が務めた。この葬儀には秀高配下の家臣や徳川家康を初め、北陸道から帰還した管領の畠山輝長や浅井高政、それに秀高と共に敵討ちに従軍した松永久秀・荒木村重などの幕府従属の諸大名達全てが参列。のみならず京に留まる毛利隆元や吉川元春ら毛利派の諸大名達も使者を葬儀に派遣し義輝に弔意を示した。
「物凄い人だかりだな。」
「うん。一応本堂の中には諸大名達を通し、そのほかの面々は境内で葬儀に立ち会うことにしてもらっているよ。」
葬儀が始まる前、秀高は本堂脇の渡り廊下から山門を潜って境内に姿を見せてくる参列者の行列を見つめながら、脇にいる小高信頼から言葉を聞いていた。この時秀高の脇には足利一門としてこの葬儀に参列する詩姫、そして信頼正室の舞が控えており、秀高同様に参列者の行列を見ていた詩姫が秀高へ言葉をかけた。
「ですが…こんなにも多くの参列者が兄の葬儀に来るとは。それだけ兄は方々に慕われていたという事でしょうか。」
「…いや、それもあるがおそらくは俺への挨拶もあるだろう。」
「はい。足利将軍家の嫡流が途絶えた今、その天下を継ぐのは秀高さんを置いて他にいませんからね。」
秀高の背後に立っていた舞が秀高同様、渡り廊下から参道に並ぶ参列者たちを見つめつつ言葉を返した。この時の葬儀には先程の諸大名の他、中国地方や四国、果ては九州に至るまでの西国諸大名からも弔問の使者が参列しており、それらによって参道に長蛇の列を形成していた光景を見ている秀高は舞の言葉に反応するように首を縦に振った。
「あぁ。これは亡き上様の菩提を弔うのと同時に、誰が天下人であるかを示す葬儀だ。ここに使者を寄こしたり自ら参列したという事は、少なからずこの俺を上様の後継者だと認めている証になるだろう。」
「えぇ…それに口惜しい事ですが、兄が亡くなった事で幕府の命運は尽きましたわ。」
足利一門でもある詩姫は秀高の脇にて、手を着物の生地をギュッと握り締めながら秀高に言葉を返した。と、そこに秀高の第一正室である玲が第二正室の静姫と共に渡り廊下の奥から現れ、秀高の元に二人の僧侶を引き連れて歩いてきた。
「あ、秀高くん。さっき葬儀の導師として妙心寺から希庵玄密さんが到着したよ。」
「おぉ、玄密殿が…。」
玲が静姫と共にこの場に連れてきたのは、秀高にしてみれば息子の秀千代こと宗密の師でもある希庵玄密その人であった。玄密は手に数珠と読経用の経文を持っており、秀高の目の前に立つと袈裟より扇を取り出しつつ、秀高に向けて手を合わせながら挨拶した。
「これは秀高殿。こうして顔を合わせるのは、永禄七年の岩村城以来ですな。」
「これは玄密殿…。導師のお役目、お引き受け下さり感謝申し上げます。」
思い起こせば去る永禄七年(1564年)、遠山景任夫妻が籠った岩村城攻防の後、秀高によって景任夫妻の亡骸を大圓寺に弔った際から知り合っている玄密と秀高は八年ぶりに再び面会し、秀高が厳密に対して来訪を謝すと玄密は柔和な表情を浮かべながら秀高に言葉を返した。
「いえいえ。違う宗派といえど将軍様のご導師を務め上げるは誉れ高き物。秀高殿、此度は脇導師としてこの者を連れて参りました。」
「貴方は、玄以殿!」
玄密が脇導師…言わば葬儀の補佐役として帯同していた僧侶は、秀高と顔見知りの僧侶・玄以であった。玄以は秀高の呼びかけを聞いた後に玄密同様、扇を持ちながら秀高に向けて手を合わせて挨拶した。
「秀高殿。今日は玄密殿の脇導師として法要を営まさせて頂きます。何卒良しなに。」
「はい。宜しくお願いします。」
玄以より挨拶を受けて秀高が返事を返すと、そのまま玄密と玄以を連れて渡り廊下を歩き本堂の方角へ向かって行った。その途中、秀高は自身の隣に立っていた玄密に向けて歩きながらふと、息子の宗密に関する事を話しかけた。
「…そう言えば玄密殿、我が子の宗密の修行は進んでいますか?」
「えぇ。とても飲み込みの良い僧でしてな。仏法から漢籍、兵法書などの和漢蔵書を呼んで知識を吸収しておりまする。」
宗密が玄密の元に入門してから四年余りが経過しており、その間宗密は妙心寺にて師の玄密から厳しい教えを叩きこまれていた。しかし宗密はそれにへこたれる事も無く一心不乱に修行に打ち込み、その傍らで先程のような和漢蔵書を読み漁っていたのである。その様子を聞いた秀高はどこか安堵した表情を浮かべて玄密に言葉を返した。
「そうですか…いや、学問を学びつつ仏道に帰依しているのならば安心しました。」
「ご安心召されよ。宗密は必ずや立派な僧侶にして見せましょう。」
玄密は秀高に向けてにこやかに微笑みながら言葉を返した。この言葉を秀高の背後にて聞いていた静姫は、言葉を発さないでいたがどこか安心するかのように微笑んでいた。すると秀高は渡り廊下から本堂の廻縁の境目の所で足を止め、その場で秀高と共に立ち止まった玄以の方を振り返って徐に用件を切り出した。
「…ところで玄以殿。折り入ってお話があるんですが、今後俺たちが幕府を草創した際に寺社への対策顧問として玄以殿に加わってほしいんですよ。」
「何と…この拙僧を?」
秀高は玄以に向け、まさに藪から棒に登用を持ちかけた。秀高が義輝の後継者としてゆくゆく幕府を草創した際に、秀高は幕府の中央集権体制を確立する中で従来の室町幕府で取っていた寺社政策を更に強化しようともくろんでいた。その為に秀高は美濃の僧侶でありながら近隣諸国に顔が広い玄以を幕府に加えようと考えていたのだ。
「玄以殿は京のみならず、畿内や東海の名刹寺社と繋がりを持っていると聞いています。その方にご協力いただければ、必ず幕府の体制を固めることが出来ます。」
「そこまで仰って下さるとは…。」
義輝の葬儀という場所ではあるが、目の前の秀高から熱い熱意を受けた玄以はその場でしばらく考え込んだ後、目の前の秀高に向けて自身の返答を告げた。
「分かりました。この拙僧で宜しければ、お力をお貸しいたしましょう。」
「そうですか!いや、それを聞けただけでも嬉しいです!」
秀高は玄以からの返答を聞くと大変喜び、喜ぶような言葉を返すと顔をキリっと引き締めてから玄以の方を振り向き、改めて玄以に言葉を送った。
「では玄以殿…いや玄以。これからも宜しく頼む。」
「はっ。お任せあれ。」
玄以は秀高からの言葉を受けると正式な主従関係としての返答を秀高に送った。ここに玄以は正式に秀高配下として収まることになり、それまで住持を務めていた寺院は玄以の門下に引き継がれることとなった。そのやり取りを見た後、静姫は本堂の方を手で指して秀高に呼びかけた。
「さぁ秀高、みんな本堂に揃っているわ。そろそろ葬儀を始めましょう。」
「あぁ。分かった。じゃあ玄密殿、参りますか。」
「はい…。」
秀高は静姫から言葉を受けると玄密らと共に廻縁から本堂の中に入った。本堂の中には両脇に別れて家康ら諸大名や参列した各諸大名の使者たちが着座しており、秀高は詩姫と共に喪主が座る喪主席に腰を下ろすと、中央の仏具が並ぶ茣蓙に導師の玄密が腰を下ろし、見台に経文を置き一拍置いた後に鈴を鳴らした。この音によって葬儀がしめやかに始まったのである。