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1572年9月 後継者として



康徳六年(1572年)九月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




 高秀高(こうのひでたか)によって斬首刑に処された足利義秋(あしかがよしあき)、並びに義秋に帯同した保守派幕臣の際たる者達…即ち大舘晴光(おおだちはるみつ)輝光(てるみつ)父子と進士晴舎(しんじはるいえ)藤延(ふじのぶ)父子|、それに先の山科(やましな)の戦い(など)で討死した伊勢貞助(いせさだすけ)貞知(さだとも)父子に武田信実(たけだのぶざね)、そしてこの日に残党狩りによって討ち取られた一色藤長(いっしきふじなが)等々、延べ十数名の首は将軍御所の西門付近に晒されることとなった。数日前に足利義輝(あしかがよしてる)摂津晴門(せっつはるかど)ら数名の首が同じ晒し首となって西門に配された時には、京の町衆はその無残な姿を(あわ)れんで中には密かに手を合わせる町衆の姿もあった。しかし…


「天罰じゃ!思い知ったか!」


「よくも上様に手を掛けたものよ!」


 この義秋らの晒し首に対し、京の町衆たちが取った態度は数日前とは真逆の態度だった。即ち町衆たちは義輝殺しを行った義秋らの首に対し、罵声などの汚い言葉や投石、中には生ごみの様な物を投げつける有様で、それを見かねた秀高配下の将兵によってその騒ぎは沈静化されていったものの、その数刻後には再び罵声や投げつけ等が行われるといった混乱ぶりを見せていた。その様は正に、およそ二百三十年以上に渡って日ノ本の中枢として機能した室町幕府の終焉と滅亡を顕著に表すものでもあった。




「殿!町衆共が梟首されている義秋らの首に物を投げつけておりまする!」


 その騒ぎは将軍御所の大広間、義輝がいた上段の間ではなくその下の二の間に座っていた秀高の元にも届けられた。秀高は報告に来た山内高豊(やまうちたかとよ)の顔を見ると、すぐさま言葉を返して指示を伝えた。


「あまり目に余るもの以外は捨て置け。それくらいの事を義秋たちは行ったんだ。町衆の恨みはかなり大きいだろうからな。」


「ははっ。では守兵たちには見張り程度に抑えて命じておきまする。」


 秀高の下知を受けた高豊は、返事を述べた後にすぐさま(きびす)を返してその場から去って行った。この後姿を見送った高家の筆頭家老・三浦継意(みうらつぐおき)は秀高の方を振り向いて町衆たちの行動に理解を示す言葉を発した。


「殿、京の町衆は上様の事を慕っておりましたからな。この騒ぎは当然の事と申せましょう。」


「うむ…死人に鞭を打つようだが、大逆を犯した義秋らにとっては因果応報であろう。何の文句も言えまい。」


 継意に続いて次席家老の森可成(もりよしなり)も賛同する言葉を述べた。継意も可成も、そしてその場にいた秀高配下の者達にも義秋らの末路は因果応報だと思っている者達が(ほとん)どであり、その中で秀高の左脇にいた大高義秀(だいこうよしひで)が秀高の方を振り向いて言葉を発した。


「でもよ、結果的には上様の仇を討った秀高は、諸大名の中で抜きん出た存在になったんだぜ。秀高が天下に号令をかけるのも夢じゃなくなってきた訳だ!」


「まぁね。でも、まだまだ予断は許さない状況だよ。」


「予断を許さない…?」


 義秀の後に言葉を発した小高信頼(しょうこうのぶより)の言葉を聞き、秀高の脇にいた(れい)が反応すると、その玲の言葉に続けて信頼は発言の理由を秀高らに示した。


「如何に先の将軍の仇を討ったと言えど、町衆の中には秀高への不信感を抱いている者達もいる。将軍を見殺しにした挙句、のこのこ上方へ戻ってきて仇を討ったと誇示するのは、(いささ)か増長しているんじゃないか?ってね。」


「増長って…言いがかりにも程があるわ。」


 信頼の言葉を聞いた第二正室の静姫(しずひめ)は、その予測に少し嫌悪感を滲ませたが、その言葉を聞いた信頼はやや自嘲気味に秀高らの出自を踏まえて静姫に言葉を返した。


「仕方がないよ。僕たちはれっきとした武家の出身じゃない。どこの馬の骨とも分からない連中があれよあれよと幕府重臣に昇りつめ、最終的には亡くなった上様の後釜に付こうとしている。これを見て面白くないと思う者がいても不思議じゃないよ。」


「じゃあ、どうするの?」


「対策はあります。」


 信頼の言葉を聞いた第一正室の(れい)が信頼に尋ねると、信頼の代わりに言葉を返したのは信頼の正室で玲の妹でもある(まい)だった。


「義輝公の葬儀を執り行えば、京の町衆は秀高さんの事を忠義に厚い人物だと受け止め、のみならず天下には義輝公の後継者は秀高さんだという事を示す事に繋がります。」


「葬儀ねぇ…」


 舞の示した対案を聞いた義秀正室で舞の姉でもある(はな)が言葉を発した。この舞が示した義輝の葬儀には無論、元ネタとも言うべきものがあった。それは秀高らがいた元の世界にて、本能寺(ほんのうじ)の変で命を落とした織田信長(おだのぶなが)の葬儀を豊臣秀吉(とよとみひでよし)が行うことにより、信長の後継者であることを世間に示した。これを舞は秀高に行うべきだと進言した。するとその策を聞いた姉の華は、言葉を発して自らの存念を語った。


「確かに葬儀を行うことに異存は無いわ。でも後継者であることを示すためには、今の幕府に従う諸大名全てを臨席させないと意味がないわね。特に管領(かんれい)畠山輝長(はたけやまてるなが)殿や血縁関係になっている浅井高政(あざいたかまさ)殿・徳川家康(とくがわいえやす)殿の臨席は絶対に必要になるわよ。」


「私も華の意見と同様よ。それに喪主は秀高が行うにしても、唯一の将軍家血縁者である詩姫(うたひめ)も参列する事でより正統性を高めることが出来るわ。」


 華に続いて静姫も意見を発した。今となっては将軍家嫡流の唯一の生存者である詩姫を側に置くことで秀高の正統性を担保させる事にも繋がり、それらの意見を聞いた秀高はその場で首を縦に振った後に自らの考えを義秀らに示した。


「…葬儀に関しては舞、それに華さんや静の意見を容れようと思う。そこでだ。その葬儀に際して俺は二条晴良(にじょうはるよし)卿に掛け合って鎌倉公方(かまくらくぼう)方と朝廷仲裁による停戦を行おうと思う。」


「停戦…ですか。」


 秀高は葬儀に幕府従属の諸大名の臨席を願う為に、目下継続中である鎌倉府(かまくらふ)との戦争を朝廷の仲裁によって停戦しようと考えていた。その秀高の意向を聞いた継意が言葉を発すると、秀高は稲生衆(いのうしゅう)から報告された各地の戦況を義秀らに告げながら停戦への望みを語った。


「聞けば北陸(ほくりく)では能登(のと)越中(えっちゅう)国内の反乱分子は鎮圧間際。東海(とうかい)では為興(ためおき)犬居(いぬい)二俣(ふたまた)両城を攻め落とす一方で家康殿の軍勢は遠江小山城とおとうみこやまじょう、そして大井川(おおいがわ)を越えて駿河(するが)花沢城(はなざわじょう)持船城(もちぶねじょう)の奪還を果したと聞く。この戦果があれば負け続けの鎌倉公方も停戦に乗って来るだろう。」


「まぁ、確かに停戦となれば諸大名の軍勢は戦備えを解いて領国に帰還できる。それから頃合いを見て葬儀を実施すれば、きっと多くの諸大名が参列してくれることだろうぜ。」


 秀高が義秀らに言ったとおり、この頃になると北陸・東海にて鎌倉府側の軍勢と戦う各隊は概ね優勢に戦い進めていた。これは戦の戦端を開いた鎌倉府側からすれば苦戦という他無く、ここでの停戦は劣勢になりつつある鎌倉府側にとって渡りに船となるだろうと秀高は予測していた。そして停戦の暁にはより多くの諸大名が葬儀に列する事となり、それを義秀から告げられた秀高は首を縦に振って頷いた。


「あぁ。そうすれば後継者の正統性は更に大きな物にもなる。その為にもまずは、目下起こっている戦の停戦をする事だろうな。」


「では、早速でも二条卿に掛け合うと致しましょう。」


 秀高の意向を受けた継意は晴良ら秀高に近い公卿たちに工作を行うと発言し、その申し出を受け入れた秀高は首を縦に振った後に、その場にいた義秀らに向けて改めて言葉を発した。


「よし、では今日から上様の葬儀の準備を始めるとしよう。信頼、秀吉(ひでよし)に命じて(さかい)の商人たちから程よい大きさの香木(こうぼく)を仕入れてくれ。」


「香木…木像を掘るんだね?上様の。」


「なんと、上様の木像を?」


 秀高の命令を聞いた信頼がその意図を察して秀高に尋ねると、その意図を聞いた可成が驚いて秀高に尋ねた。すると秀高は可成の問いかけに首を振った後にその理由を可成や継意らに向けて示した。


「未だ上様の亡骸の所在が掴めない今、その香木で掘った木像を上様の亡骸代わりとするつもりだ。それに香木となれば甘い香りを発する。一たび香木の香りが京中に漂えば、京の町衆にも上様の菩提を弔う姿を示すことも出来るだろう。」


「上様の後継者は殿。という訳ですな?」


 秀高の発言を聞いて継意が言葉を秀高に返すと、秀高はニヤリとほくそ笑みながら首を縦に振って答えた。


「そうだ。この葬儀は絢爛豪華なものにする必要がある。葬儀の行列や服装、埋葬地の選定などを厳正に行い、俺たち高家の威信を天下に示すんだ!」


「ははっ!!」


 ここに秀高らは後継者の地位を固める一手として、義輝の葬儀を行う事を決定した。その為に秀高は同時に鎌倉府側との停戦を朝廷に仲介するよう工作を行い、この意向を受けた晴良らは近衛前久(このえさきひさ)が朝廷に出廷しない隙に鎌倉府側への停戦命令発布に動き出した。信隆を倒し、そしてここに義秋を討って主君の仇を報じた秀高に、少しずつ天下人の座が近づいて来たのである…。





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