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1572年9月 足利将軍家断絶



康徳六年(1572年)九月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




 翌九月五日。高秀高(こうのひでたか)は自身の高家屋敷を発して悠々と勘解由小路町(かげゆこうじちょう)にある旧足利義輝(あしかがよしてる)の将軍御所に入城。これに将軍御所を四方八方より取り囲んでいた軍勢から各隊の大将たち…即ち大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼(しょうこうのぶより)森可成(もりよしなり)といった高家の家臣たちや細川藤孝(ほそかわふじたか)小寺官兵衛孝高こでらかんべえよしたかなどの諸大名達も軍勢を残して御所に入った。更には伏見城(ふしみじょう)から来た高家筆頭家老・三浦継意(みうらつぐおき)も秀高の正室である(れい)静姫(しずひめ)を伴い、松永久秀(まつながひさひで)らの諸大名達と共に後を追うように御所に入城。将軍御所の大広間に置かれた臨時の裁判所に顔をそろえたのである。


「殿!義秋(よしあき)ら大逆人共を連れて参りましたぞ!!」


 大広間の中では将軍・義輝が座していた上段の席には誰も座らず、その前に秀高が床几(しょうぎ)に座って鎮座していた。その両脇に諸将が居並ぶ中で深川高則(ふかがわたかのり)と弟の深川高晴(ふかがわたかはる)足利義秋(あしかがよしあき)大舘晴光(おおだちはるみつ)輝光(てるみつ)父子、それに決起して自ら縄目に付いた進士晴舎(しんじはるいえ)藤延(ふじのぶ)父子をその場に連れて来た。高則は自ら縄を引いてその先にいる義秋を秀高の御前に引っ張り出すと、目の前に立った義秋の右膝の裏を蹴って無理やり座らせた。


「ほれ、さっさと腰を下ろせぃ!」


「ぐうっ…。」


 高則の蹴りを喰らった義秋はその場に尻もちを付くように座り込み、それに続いて弟の高晴が義秋の背後に大舘父子と進士父子を座らせた。そしてこの場に義秋らを連行して来た高則と高晴は秀高に向けて一礼した後に脇にはけて座り、それを見た後に秀高は義秋の顔をじっと見つめながらその場で初めて口を開いた。


「義秋…数年前に覚慶(かくけい)としてこの御所の大広間でお前と初めて顔を合わせて以来だな。あの時のお前は亡き将軍・義輝公の弟君。対してこの俺は一介の幕府重臣だった。」


「…」


 思い起こせば数年前の康徳(こうとく)二年。同じ将軍御所の大広間において秀高をけん責していた覚慶こと義秋。その怒りを受け止めていた秀高の立場は今となっては逆転していた。片や将軍・義輝の敵討ちを成した秀高と、信隆に擁立されて将軍殺しに加担した義秋。今や両者の関係は裁きを下す者と裁かれる者になっていたのである。


「それが今、お前は織田信隆(おだのぶたか)と共謀し自らの兄である義輝公を弑逆し、のみならず信隆が行った母・慶寿院(けいじゅいん)や義輝公の嫡子・輝若丸(てるわかまる)の殺害を黙認するなどの振る舞い、万死に(あたい)する。よってお前はこれより目の前の庭にて首を打つ。」


「…」


 義秋に対し、その首を撥ねると言った秀高の言葉を義秋は何一つ言葉を発さずに聞き入っていた。その様子を見た秀高はこめかみをピクリと動かしていら立ちをあらわにすると、目の前にて自らを見つめている覚慶に言葉をかけた。


「…何か最後に言いたい事があるなら言ってみろ。この俺が全て受け止めて聞いてやる。」


「…成り上がりが。」


 この秀高の問いかけに、義秋は秀高の存在を貶す様な言葉を言い放った。そして今の今までの怒りが堰を切って溢れるように、床几に腰掛けている秀高の風貌を義秋は縄目に付きながら厳しく詰問した。


「その傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な態度、旧来の伝統を歯牙(しが)にもかけぬ姿勢!貴様のその浅はかな態度が、兄を死に追いやったのだ!」


「…言う事に欠いて他人へ責任転嫁か?」


 義秋がこの場にて言ったのは、傍から見れば自分の責任を棚に上げるような言葉でもあった。それを秀高は義秋をじっと見つめながら尋ね返すと、義秋は鼻息を荒げるように即答した。


「おうその通りよ!貴様のようなどこの馬の骨とも知れぬ奴に、天下静謐の舵取りなど出来るはずもないわ!貴様が伝統ある幕府を尊重していれば、このわしは!!」


「義秋…いや覚慶!!いい加減になされよ!!」


 とその時、余りにも見苦しい義秋の言葉を聞いて、いてもたってもいられなくなった藤孝が義秋を叱りつけ、その藤孝の方を義秋が見るとそのまま言葉を続けて叱りつけた。


「そのような浅ましい振舞い、泉下の上様が見れば何と言われるか!貴殿も等持院(とうじいん)殿(足利尊氏(あしかがたかうじ))の血筋流れるものならば、浅ましき振舞いをせずに死を受け入れられよ!」


「藤孝!おのれは何を抜かすか!!何故このわしが死なねばならぬ…嫌じゃ!死にとうない!!」


「連れ出せ!貴様の最期…この俺が見届けてやる!」


 この秀高の命を受けた高則は会釈をするとすぐさま義秋に近づき、縄を引いて大広間の外に広がる縁側の先の庭に引きずり出した。そこには刀を構えた刑吏が打刀を片手に待機しており、高則はその刑吏の所に義秋を連行すると姿勢を大広間の秀高に見えるようにし、その場に座らせて義秋の動きを封じるように両手で押さえつけた。そして刑吏が刀をかざして狙いを定める中で、義秋は最期の断末魔というべき言葉を大広間の秀高に向けて発した。


「秀高!!このような振舞い、きっとそなたにも天罰下ろうぞ!!わしはその様を、あの世より見届けてやるわ!!あっはっはっはっはっ…はっはっはっはっは!!」


「御免!!」


 義秋が高笑いする中で刑吏は一言発し、刀を振り下ろして義秋の首を胴体から別った。ここに将軍・義輝の弟でもあり将軍殺しに手を染めた義秋は、兄の死後僅か十日余りでその後を追うように刑死した。享年三十六歳…。そして地面に落ちた義秋の首を大広間より見届けた秀高は、床几に座しながらその場でつぶやいた。


「…元より重荷は覚悟の上だ。義秋、地獄で俺の振る舞いをよく見ておけ。」


「秀高くん…。」


 義秋の死を受け止めた秀高の言葉に、秀高の側にいた第一正室の玲が言葉を発して呟いた。そして秀高はその場に残されていた大舘父子と進士父子に向けてその処遇を告げた。


「さて、残る保守派の幕臣たちだが、義秋同様に信隆の煽動に乗っかり、将軍家や世情を混乱に陥れた罪は深い。よって義秋共々全員打ち首獄門!すぐさま執行する事とする。ただし…」


 そう言うと秀高は脇にいた家臣の山内高豊(やまうちたかとよ)に目配せをした。それを見た高豊は秀高に向けて一礼した後、進士父子の目の前に刀身が無い一つの鞘を差し出し、それを見た秀高が進士父子に向けて言葉を発した。


「晴舎、藤延。お前たちには短刀の鞘をやる。罪人の為に腹を切る事は許さない。が、二人は特別として鞘を腹に当てた瞬間に首を落とす事にする。」


「…秀高殿。」


 秀高は進士父子が義秋を捕縛した際の動きを、内部分裂をした結果だとしても不慮の死を遂げた義輝への忠義心が僅かにあったとし、打ち首獄門として処されるとしても武士としての面子(メンツ)を重んじる差配を下した。


「義秋を捕縛した行為を受け止めた結果だ。良いな?」


「…ははっ。」


 この差配を受けた進士父子は今までのわだかまりを抑え、最期の最期に気配りしてくれた秀高への感謝をするように一礼した。やがて大舘父子と進士父子は高晴によって義秋の亡骸がある外の庭へと引っ張り出され、まずは大舘父子より打ち首となった。刑吏が刀をかざす中で大舘父子は目の前で見つめている秀高に向けて恨み言を述べた。


「おのれ秀高…貴様が天下の主など認めんぞ!」


「われら幕臣、この地にて怨霊として貴様を呪い祟ってやろうぞ!!」


「首を打て!」


 高晴の号令によって恨み言を述べていた大舘父子は刑吏によってその首を打たれ、そのまま命を落とすことになった。そして次に進士父子が首を打たれる番となった時、進士父子は縄目を解かれて短刀の鞘を腹に当て、背後にいる刑吏に向けて父の晴舎が声をかけた。


「では刑吏。良しなに頼む。」


「心得申した。」


 刑吏より言葉を受けた晴舎は隣にいた藤延と目配せを行った後、鞘を腹にこつんと当てた後に刑吏寄って首を飛ばされた。ここに信隆の煽動に乗っかった幕府保守派の幕臣たちはその命を落とし、同時に義秋が刑死した事によって将軍家の嫡流は秀高の第三正室・詩姫(うたひめ)を除いて断絶したのであった。その刑の執行を諸大名達は黙したままじっと見守り、それらの刑が終わった後に生き残った改革派の幕臣・蜷川親長(にながわちかなが)が大広間にやって来て秀高に報告した。


「秀高殿、打ち首に処された摂津晴門(せっつはるかど)殿らの亡骸が御所の一角に埋められておると守兵が白状なさいました。如何なさいまするか?」


「晴門殿らの首と共に、手厚く葬ってくれ。それと…そこに上様の亡骸もあれば共に頼むぞ。」


「ははっ。」


 この命を受けた親長は高則ら秀高配下の家臣たちと共に亡骸の保護を行った。義輝殺害後、信隆らによって御所の一角に無造作に埋められていたその亡骸は、数日前まで晒されていた晴門らの首と共に桶状の棺…棺桶の中に埋葬され直し、丁重に葬られることになった。それとは別に今度は義秋ら幕府保守派の幕臣たちの首は、晴門らと同様に将軍御所の西門に獄門として晒されることになったのである。





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