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1572年9月 呆気ない終幕



康徳六年(1572年)九月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




 高秀高(こうのひでたか)が実行した、将軍御所への空砲打ち掛け策は地味ながらもその成果を発揮していた。元より山科(やましな)での敗戦と織田信隆(おだのぶたか)討死の風聞(ふうぶん)を聞いていた足利義秋(あしかがよしあき)と、それを支持する大舘晴光(おおだちはるみつ)進士晴舎(しんじはるいえ)進士藤延(しんじふじのぶ)父子などは動揺して心身ともに疲弊し切っており、尚且つこの夜通し敵陣から鳴り響く空砲の音に神経を更に(とが)らせていた。


「ええい、信隆めあのような大言壮語を吐いておきながら、いともたやすく討死してしまうとは!」


 特に大きく周章狼狽(しゅうしょうろうばい)していたのは、他ならぬ義秋その人だった。義秋は空砲によって寝静まったところを叩き起こされ、焦燥感を漂わせながら将軍御所の大広間にて貯め込んでいた怒りをあらわにしていた。この怒りを目の前にて受け止めていた保守派幕臣の一人である晴光は、昼間の戦で敢無く討死したと聞いた信隆に怒っている義秋に対して自身の力不足を詫びる言葉を返した。


「義秋殿、面目次第もありませぬ。先の戦いでは我が弟の藤安(ふじやす)が死し、尚且つ我が子の輝光(てるみつ)も矢傷を負いお役に立てぬ有様…。」


「泣き言などどうでも良い!信隆め、秀高の討伐は任せておけと言っておいてこの体たらく…挙句の果てに討死して骸を野に晒すなど、あ奴の策に乗ったこのわしが愚かであったわ!!」


 義秋は信隆への怒りを口にした後、右手に握っていた扇で右腿を強く叩いた。この様に大きな激怒を晴光はただ恐縮し切りであり、そのまま何事も発さずに黙しているとそれと引き換えにまたしても遥か遠方からけたたましいほどの空砲が鳴り響いた。これを聞いた義秋は目の前に控える晴光に向けて明後日の方向を扇で指しながら尋ねた。


「それよりも、秀高が軍勢は先ほどよりこの御所に種子島を打ち掛けて来ておる!秀高が軍勢は明日にも御所に攻め入って来ようぞ!如何するのか!?」


「…畏れながら、さしもの秀高とて将軍御所に火を放つ事は出来ぬかと。」


「その様に断言できる根拠はどこにある!?」


 晴光が義秋に意見すると、その言葉を聞いた義秋はすぐさま手にしていた扇を晴光へ投げつけながらその根拠を尋ねた。元より主従関係でもない義秋と晴光の間には不和が芽生えており、それが信隆討死の一報を経てすぐさま顕著な形になり始めていた。事実扇を投げつけられた晴光は黙したまま義秋を見つめ、それによって不穏な空気が張り詰めている中、外から一人の侍大将が入ってきて義秋に報告した。


「申し上げます!敵陣、蟻の這い出る隙間もないほど包囲を厳重にしており、脱走できる見込みは限りなく低いかと!」


「ええい、逃走も出来ぬではいよいよ進退窮まったではないか!!」


「義秋様、落ち着かれなさいませ…。」



「義秋様!」


 とうとう密かに目論んでいた逃走の目途が立ち消えとなった事に義秋が更に憤慨していると、その場に数名の武者を連れて進士父子が広間の中に入り込んできた。晴光がその雰囲気を察して背後に立った進士父子の方を振り向く中で、義秋は大広間に入ってきた進士父子に言葉を発した。


「晴舎、如何致した?」


「…御免!」


 するとこの晴舎の号令と同時に武者たちが手に縄を持ち、素早く義秋に近づくと義秋に縄をかけて縛り上げた。同時にその場にいた晴光にも武者は縄をかけて捕縛し、縛り上げられた義秋はその号令を下した晴舎に向けて厳しく問いただした。


「晴舎!何の真似か!?」


「知れた事!我等父子は貴殿らを縛り上げ、将軍御所を開城する!」


「な…血迷うたか晴舎!藤延!」


 晴舎の発した内容を聞いて義秋は色を失うばかりに驚いた。するとこの色めき立った義秋の言葉を聞いた晴舎は、縛り上げられた義秋や晴光に向けてこの様な行動に出た本心を語った。


「我らは幕府に古くから仕える幕臣であり、此度の反乱も(つと)に秀高憎しの一念で加担したのだ!されど信隆によって図らずも上様の命を奪わされ、その信隆が戦に倒れた今、信隆が傀儡としたそなたに従う義理はどこにもない!!」


 つまるところ、晴舎がこの土壇場になって離反に及んだ理由もまた、義秋との間に明確な主従関係が構築されてなかったことが原因の一つでもあった。信隆という確固たる繋ぎを無くした今の義秋らにとって、この体制が自然分裂するのは自白の明でもあり、この時の本心として、晴舎にしてみれば義秋など将軍に相応しくないとも思っていたのだ。この土壇場での離反を受けた晴光は、同僚でもある晴舎に向けてこの愚行を糾弾する言葉を発した。


「…愚かな!このような真似をして、秀高が貴殿らを受け入れてくれると思うてか!?」


「元よりこの身など惜しくも無い!上様の謀殺に加担した以上はどのような罪状でも甘んじて受け入れる!引っ立てい!」


「おのれ…晴舎!!」


 晴光の問いかけに毅然とした態度で返答した晴舎は、武者どもに号令を発して義秋らを一室へと連行していった。そしてその場に残った晴舎は背後を振り向いてその場にいた息子の藤延に向け、すぐさま開城の下知を下した。


「御所の四方に白旗を掲げよ!門を開き、開城の使者を敵陣に送るのだ!!」


「ははっ!!」


 この下知を受けた藤延はすぐさま開城の準備に取り掛かり、こうして義秋らが立てこもっていた将軍御所はいとも簡単に開城する運びとなった。進士父子はその後、城内にいた晴光の子である輝光も縄目にかけ、同時に御所の四方に白旗を掲げた。そして外で包囲する敵陣に開城の意を告げる使者を発し、ここに将軍御所での籠城戦は呆気なく終結したのだった。




「…進士晴舎が?」


「うん。義秋や晴光ら御所にいた保守派幕臣を捕縛し、更には自身やその子・藤延も縄目に付いて神妙に差配を待つって言って来たよ。」


 将軍御所開城の一報は、それからすぐに秀高屋敷にいた秀高の元に届けられた。情報を伝えに来た小高信頼(しょうこうのぶより)からの言葉を聞いた秀高は余りにも呆気ない終幕にどこか不信感を抱き、ふとその場にいた稲生衆(いのうしゅう)の忍び頭の一人、多羅尾光俊(たらおみつとし)に事の真偽を尋ねた。


「光俊、このこと間違いないか?」


「はっ。我が配下の鵜飼孫六(うかいまごろく)が裏付けを取りましてございまする。信頼さまが申した通り、御所の中で進士父子が決起し義秋の身柄を拘束致しました。このこと間違いございませぬ!」


 光俊からの裏付けを聞いた秀高、ようやくその時になってそれが真実であると確信した。同時に義秋ともう一戦あるとも思っていた自身の思案が外れたことに、どこか拍子抜けした感情をその場にいた信頼に向けて告げた。


「そうか…何とも呆気ない物だな。」


「うん。でも将軍御所に火をかけず、無傷で接収しただけでも上出来だよ。」


 兎にも角にも、将軍御所での一戦が無くなった事は事実であり、その事を信頼から告げられた秀高は首を縦に振った後にその場にいた家臣の増田長盛(ましたながもり)に各隊への伝令を伝えた。


「よし、全軍に伝えてくれ。今日はこのまま包囲陣を維持。明日早朝より我が本隊を先頭に将軍御所へ入城する。各将はこの俺が義秋を裁く場に列席し奴らの断罪を見届けて欲しい。とな。」


「承知いたしました!!」


 この命を受けて一足先に長盛がその場から去って行くと、秀高は伝えに来た信頼に対して別の命令を伝えた。


「信頼、伏見から来る継意(つぐおき)にはそのまま将軍御所に向かうよう早馬を発してくれ。」


「うん。分かった。」


 この命を受けた信頼も二つ返事で受け入れ、秀高は心の中でこの騒動の集結も近いと感じていた。その後、各隊は秀高の命令通り包囲陣を維持。そして日を跨いだ翌九月五日、秀高は満を持して秀高屋敷を発して開城となった将軍御所へと進軍していったのである。





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