1572年9月 京への帰還
康徳六年(1572年)九月 山城国京
康徳六年九月四日。「山科の戦い」において織田信隆指揮する軍勢を撃破し足利義輝の敵討ちを成した高秀高は、この日の内に南禅寺を経由して四条橋を渡河。軍勢の大半を足利義秋と幕府保守派の幕臣が立てこもる勘解由小路町・将軍御所の包囲に当たらせると自らは自身の秀高屋敷に本陣を置いた。その秀高屋敷にこの日の夜、日中までに丹波口での戦闘を終えて加勢に参陣した内藤宗勝が足を運んだ。
「これは秀高殿。まずは山科での大勝、祝着至極に存ずる。」
「いえいえ。内藤殿も丹波での戦闘、めでたく勝利を飾ったと聞いています。」
秀高屋敷の広間で対面した宗勝からの挨拶を受け、秀高は上段の席に座しながら宗勝の健闘を称える言葉を返した。それを聞いた宗勝は、自身の脇に置いてあった一つの首桶を秀高に見えるよう前に置き、その首桶の中に入っている首の事を秀高に伝えた。
「秀高殿。これが昨日来、丹波に侵攻して来た幕臣・武田信実の首にございまする。」
「そうですか…内藤殿、後々必ずやその戦功に報いましょう。」
義秋に呼応した保守派幕臣の一人、武田信実は山科の戦いが終結したのと同刻に丹波国は亀山付近において追撃して来た内藤勢の前に討死した。その首を秀高の元へ持参して来た宗勝は秀高からの言葉を受けると、会釈をして近くにいた秀高家臣、増田長盛に信実の首桶を手渡すと、この場に連れて来ていた背後にいる一人の武者の方を振り向き、その者の事を秀高に紹介した。
「おぉそうじゃ。秀高殿、ここにおる者は病にかかった波多野元秀殿に代わって我らにご助勢した嫡子・波多野秀治殿じゃ。」
「波多野秀治にございまする。病の身の父に成り代わり、お目にかかれて光栄に存じまする。」
「秀治殿、お父上・元秀殿の具合はどうですか?」
秀治の父・元秀は「康徳の変」の一報を聞くやすぐさま内藤宗勝への加勢を表明。だが、丹波に攻め入ってきた武田勢迎撃の準備をした矢先に発病してしまい、代わりとして嫡子である秀治に武田勢迎撃の役目を任せていた。その元秀の病状を秀高から尋ねられた秀治は秀高に対し今現在の元秀の具合を伝えた。
「はっ、既に峠は越えたとの事にございますが、依然予断を許さぬとの事にございます。」
「そうですか…くれぐれも元秀殿にはしっかりとしたご療養を取ってくれとお伝えを。」
「ははっ。ありがたきお言葉にございます。」
秀高より慰労の言葉を受けた秀治は深々と頭を下げた。するとそれを見た後に宗勝は話題を切り替えて秀高にこう尋ねた。
「それにしても秀高殿、毛利の者共はまだ屋敷に籠ったままなので?」
「えぇ。吉川に小早川、宇喜多に三村といった毛利傘下の諸大名もこれに従っています。」
「康徳の変」発生以降、京に滞在していた毛利隆元は自邸に籠って「局外中立」を表明。信隆が伏見城攻めを敢行しているときも、そして秀高との山科の戦いが起きている間も屋敷に籠って事の成り行きを見守っていた。その毛利に付いて語った秀高の言葉を聞き、宗勝は言葉を返して今後の見通しを語った。
「なるほど。我らが覚慶…もとい義秋の首を上げれば、いずれ旗幟を鮮明にせねばなりますまい。」
「まぁ、傍観の姿勢を貫く隆元殿にしてみれば、今回の振る舞いは毛利の威信と立場を誇示する意味合いがあるはずです。こちらが義秋の首を上げれば、その時になってようやく戦勝を祝賀する使者を派遣してくるでしょう。それまでは毛利の立場も尊重しなくては…。」
秀高は同じ幕府重臣とは言えど、中国地方十二ヶ国もの大勢力の主である隆元を無碍に扱うことも出来ず、その姿勢にある程度の理解をその場で示した。この秀高の言葉に宗勝がどこかもどかしい感情を抱いていると、それを察した秀高は言葉を続けて早馬から伝えられた情報を宗勝に教えた。
「それよりも、先ほど早馬が到着して兄の松永久秀殿らの軍勢は醍醐寺を経由して伏見城に到着し、留守居の三浦継意らと合流を果したとの事。明日にもこの京に参陣してくるでしょう。」
「如何にも。そうなれば義秋の進退も極まるであろう。」
「申し上げます!」
と、秀高と宗勝が会話していると、そこに高家家臣の神余高晃が広間の中に駆け込み、上段の席に座っていた秀高に対してある報告を伝えた。
「先ほど御所内に潜っていた多羅尾光俊殿より、義秋に逃亡の気配ありとの事!」
「何、この宵闇に紛れて逃げると申すか!?」
今現在包囲されている将軍御所。その中に潜伏している稲生衆の忍び頭たる光俊からの報告を受けてその場にいた宗勝や秀治らは大いに驚いた。もし万が一にも義秋を逃すことになれば大きな痛手になることは間違いなく、それをすぐさま察した宗勝らは緊張した面持ちをその場で見せていた。しかし、一人冷静にその情報を聞いた秀高は、報告に来た高晃に向けて矢継ぎ早に尋ねた。
「高晃、既に全軍は御所を包囲しているな?」
「はっ。お下知の通りに全軍、四方八方より御所を取り囲んでおりまする。」
御所の四方を円を囲うように包囲する大高義秀・小高信頼らを始めとする高家の軍勢や細川藤孝を筆頭とする諸大名の軍勢は、御所より二町(約220mほど)離れた先に布陣しており、各隊との間は密にして布陣していた。その様子を高晃から聞いた秀高は、すぐさま各隊への伝令を伝えた。
「よし…ならば全軍に下知せよ。義秋はこの宵闇に紛れて逃走の恐れあり。全軍包囲と監視を厳にし御所からの脱走兵を一人とも逃すな。それと、これより勘解由小路町の将軍御所に空砲を打ちかけ、御所に籠る者達の疲れを誘えと伝えてくれ。」
「空砲を?」
秀高から告げられた命令の内容を聞き、秀治がオウム返しするようにその単語を発すると、その言葉を聞いた秀高は宗勝や秀治の方を向いた後にその理由を語った。
「ただでさえ今日の敗戦で神経を尖らせている中で、空砲の音をたちまち聞けば総攻めだと思い周章狼狽するはず。そうなれば信隆を失った幕府保守派の幕臣、きっと内輪揉めを起こすだろう。」
「内輪揉め…確かに保守派の幕臣どもは義輝公の家臣であって義秋の家臣ではない。ひょっとすれば思いもよらぬ方向に転がるであろうな。」
ただでさえ、将軍殺しという大逆を成したのみならず、あろうことか引き返してきた秀高の前に主犯格たる信隆が討死したと聞けば、祭り上げられた義秋らが大いに浮足立つのは明らかだった。尚且つ元々の義輝配下だった保守派の幕臣と義秋との間に連携は生まれていないと見抜いた秀高の予測を聞き、宗勝は勝算ありというような反応を示すとそれを見た秀高は首を縦に振って頷いた。
「そうです。だからこそ我々はじっとその機を待ち、明日に備えておくべきでしょう。」
「なるほど。承知致した。然らば我らもこれより包囲陣の一角に加わり、明日に備えると致そう。」
「えぇ、よろしくお願い致します。」
こうして内藤・波多野両勢は将軍御所を包囲する包囲陣の中に参陣。これによって包囲陣に加わる部隊と部隊の間隔はより狭まる事となり、御所からの脱出はさらに困難を極めた。のみならず、その直後より始まった御所への空砲打ち掛けは、昼間の敗戦で肝をつぶしている御所内の将兵たちの精神を大きく削っていったのである。