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1572年9月 敵討ちの成就



康徳六年(1572年)九月 山城国(やましろのくに)山科(やましな)




「…これが信隆の首か。」


「如何にも。」


 織田信隆(おだのぶたか)との間で繰り広げられた山科の戦いが高秀高(こうのひでたか)の勝利によって終わった後の正午(しょうご)過ぎ、山科本願寺(やましなほんがんじ)の主郭部跡に置かれた秀高本陣の中には、その信隆の首が首桶に収められて届けられていた。陣幕の中に置かれた机の上にある一つの首桶の側には、首桶の中から取り出された信隆の首が白紙の上に置かれており、その顔を秀高は見つめながら言葉を発した。


「ようやく、信隆の息の根を止めることが出来たんだな。」


「あぁ、全くだぜ。」


 信隆の首を見つめながら秀高が言葉を発すると、大高義秀(だいこうよしひで)は感慨深げに言葉を発した。義秀や秀高からすれば宿敵の首を念願かなってとった事に安堵しており、それは首を取った森高可(もりたかよし)や共に届けて来た父の森可成(もりよしなり)、そして義秀正室の(はな)小高信頼(しょうこうのぶより)の正室でありこの戦に信頼と共に帯同していた(まい)も同様であった。しかしこれが信隆本人の首ではなく全く無関係の村娘の首であるとはこの時、陣幕の中にいた秀高らは思いもよらず、秀高は信頼の方を振り向いて言葉を発した。


「信頼、すぐさま諸将に信隆討ち取りを告げてくれ。そうすれば味方の士気もさらに高まるだろう。」


「うん。分かった。」


「…ん?」


 秀高が信頼に下知を飛ばしたその時、義秀はふと床几(しょうぎ)から立ち上がって信隆の首をじっと見つめた。義秀はこの時になって信隆の首に不審な点を抱き、机の上にある信隆の首の表情を見つめながら、その場にいた秀高に向けて言葉をかけた。


「なぁ、織田信隆ってこんなに若かったか?」


「…何だと?」


 義秀から沸き上がった疑問を聞いた秀高は不意を突かれたように驚き、自らも床几から立ち上がって信隆の顔を見た。かつて高山幻道(たかやまげんどう)行者召喚(ぎょうじゃしょうかん)によって呼び出した信隆は、信長より二歳年長の四十歳ほどの年齢であり、それを踏まえて信隆の首とされる顔を見てみると、どことなく若さを感じる顔立ちをしていた。


「確かにこの顔、信隆の実年齢からみれば少し若く見える…か?」


「そんな、それじゃあ信隆じゃなかったら何だというのよ?」


「殿!」


 と、陣幕の中で信隆の首の真偽が持ち上がっている中で、その場に家臣の山内高豊(やまうちたかとよ)が一人の百姓を連れて現れ、陣幕を潜ると秀高やその場にいた家臣たちに向けて用件を告げた。


「先ほどこの百姓が我が陣を訪れ、昨日来より攫われた一人娘の行方を尋ねて来ておりまする。」


「一人娘…?」


 秀高が高豊の言葉を聞いてスッと姿勢を正し、高豊が連れて来た中年の百姓を見ると、その百姓は机の上に置かれていた首の後姿を見るや表情を一変させ、瞳に涙を浮かべて慟哭せんばかりに叫んだ。


「お、おたかぁぁっ!!」


「こ、これ!勝手に陣幕の中に入るな!」


 高豊の制止を聞かずに駆けだしてその首に近寄った百姓は、おたかという名前を呼んでその首を見た。すると百姓は更に顔を悲しみに満ちた表情に替え、大粒の涙を流しながらその首を抱きかかえて名前を呼んだ。


「おたか…おたかぁぁぁぁ…。」


「おたか…?」


 その陣幕の中にいた可成が百姓の叫んだ名前を聞いて独り言のように(つぶや)くと、何かを察した秀高はその場で立ち尽くして泣き叫んでいる百姓に思い切って話しかけた。


「不躾ながら尋ねるが、これはもしかするとお前の娘か?」


「へぇ…昨夜おらの家に鎧姿の武者が押し入っておたかの顔を見るなり、身柄を(あずか)ったってどこかへ攫って行っちまったんだ…それが…どうしてこんな…。」


 そう言った百姓はその場にへたり込むように崩れ落ち、その場で再び首を抱きしめて泣き崩れた。それとは対照的に秀高や義秀らにすれば、今の今まで信隆の首だと信じ切っていたそれが、全くの偽物であると断定された事であり、そしてそれが指し示すものは、信隆が行った非道な策略を指し示すものに他ならなかった。


「って事は、この首は信隆の首じゃない…?」


「あぁ。この百姓の言う事が本当ならば、この娘は信隆に影武者として仕立て上げられたという事になる。」


「…くそっ!あの女なんて卑劣な真似しやがる!!」


 華や信頼が交わした言葉を聞き、義秀は怒りをあらわにするように目の前の机を拳でドンと叩いた。この瞬間、秀高らは信隆がまだ生きている事を悟ったと共にまたしても信隆に逃げられたこと、そしてその代償とばかりに何の罪もない村娘を巻き込んだことに対する怒りをこみ上げさせていた。しかしそんな中でも秀高は、怒りの感情を鎮めて極力冷静に、この場に百姓を連れて来た高豊の方を振り向いて言葉を発した。


「高豊、この百姓に首と遺体を返し、同時に当家からささやかな慰謝料を送ってくれ。」


「お、お武家様…そんな余りにも畏れ多いですだ!」


 秀高より詫びとばかりの差配を聞いた百姓は、身に余る申し出を聞いて恐縮の余り断ろうとした。しかし秀高はそんな百姓に近づいて肩に手を置き、一人娘を失ってしまった百姓を(なぐさ)める言葉をかけた。


「いや、お前の娘は一人の女の執念に巻き込まれ、その命を無残にも散らしてしまった。その責任の一端は俺にもある。だからどうか俺からの品々を受け取って、娘の菩提を弔ってやってくれ。」


「お武家様…ありがてぇ、ありがてぇ…。」


 百姓は秀高より慰めの言葉を受けると更にその場で涙をあふれさせ、その場で娘の死を(いた)んだ。その後、秀高の指示によってこの百姓に対し村娘の首と胴体、そして慰謝料として五十石ほどの米が送られてそれによって村娘は埋葬された。後年、山科地域の人々はこの塚を「たか塚」と呼び、末代までその死を弔ったという。その百姓が高豊によって連れられて行った後、秀高は陣幕より空を仰ぎ見て信隆の事を口に出した。


「織田信隆…こんな手を打ってまで俺を討ちたいんだな。例えそれが国中にどれだけの災いをもたらしてでも。」


「異常だぜ。ハッキリ言って。」


「殿…面目次第もありませぬ。」


 秀高に向けて義秀が言葉を発した後、信隆として村娘の首を取った高可が秀高に詫びを述べた。すると秀高は詫びを入れて来た高可の方を振り向き、自身の非を悔いる高可に向けて言葉を返した。


「高可、余り気にするな。影武者というのはよくある事だ。だがそんな手を打ったという事は…」


「恐らくそこまでの手を打ったのは、敵中であるここらからの離脱の為だと思うよ。一刻も早く足取りを掴んで、信隆の首を取らないと。」


「いや、あいつの元にはまだまだ虚無僧どもがうろついている。どれだけ排除しても湧き上がってくる(しらみ)のような連中だ。そいつらを根絶やしにしてようやく信隆の首が取れる。」


 信頼に向けて秀高が言葉を返した通り、この時でも信隆の側には幻道が用意した虚無僧たちが何処からともなく補強され、どれだけ討ち果たしてもどこからともなく湧き上がってきていた。秀高はそれを虱と呼んで嫌悪するように言うと、秀高は信隆の首を上げられなかった悔しさから信頼の方を振り向いて言葉をかけた。


「やむを得ない。信頼、諸将を集めてくれ。事の次第を全て打ち明けて俺が詫びよう。」


「何を仰せになられる!それでは当家は物笑いの種になりまするぞ!」


 可成が秀高の意見を諫言したように、もし仮に秀高が事の次第を打ち明けてしまえば、諸将は秀高に対する印象を大きく変え、敵討ちを標榜(ひょうぼう)しておきながら果たせなかった愚か者であると笑い飛ばすのは目に見えていた。すると秀高はこの諫言を受けると、諫言して来た可成の方を振り向いて言葉を返した。


「ならばどうする?信隆の首が無い以上、傀儡の義秋(よしあき)を討ってもその名声は半減されたままだぞ。」


「いや、ならばここは信隆の名を殺すのです。」


 秀高の問いかけに対して可成はその対案たる策を指し示した。可成が言った内容を聞いた秀高はそれまでの自暴自棄になりがちな態度を改め、自身の床几に再び腰を下ろしてから可成に向けて言葉を返し尋ねた。


「…というと?」


「この戦で信隆は討死したという事にし、諸将にはその首を荼毘(だび)に付したと触れ回るのです。そうすれば諸将は殿を信隆の討ち取りとなした上に、宿敵ながらもその死を(いた)んだと大いに感心しましょう。」


「死を偽装するのか?」


 可成の策を聞いた秀高は信隆の死を偽装する事にどこか驚いていた。秀高からすればそれは急場しのぎの策であると受け止めていたが、そんな秀高に対して可成はその策の利点を自信たっぷりに述べた。


「如何にも、いったん信隆の死が公にされれば、信隆の顔を知らぬ各地の諸大名達は信隆本人が現れようと偽物だとして真っ向から取り合わず、むしろ生き延びている信隆らの首を大いに絞める事になりましょう。それでもなお信隆と迎合するのであれば、我々は大手を打ってその者らの討伐が出来るのです。」


「…なるほど、悪くはない策だと思うよ。」


 諸大名には先の勝利の際に信隆討ち取りを大々的に喧伝しており、諸将はきっと信隆の首を(さら)すと踏んでいた。しかしその信隆の首を宿敵に対する礼儀として弔ったという事にすれば諸大名もそれ以上の詮索を控え、信隆討ち取りの事実を保持したままにすることが出来るのだ。それによって今後の信隆の行動に大きな制約を課せると踏んだ秀高は、信頼の言葉を受けて渋々納得するように頷いた。


「この場はそれで収めるしかないか。よし、可成。諸大名の陣中にそれを振れて回れ。それと諸大名にはさっきの村娘の塚を信隆の塚だと言って伝えろ。良いな?」


「ははっ!」


 秀高は可成に向けてそう言うと、すぐさま可成は高可と共に陣幕を潜って諸大名の元に告げ回った。即ち先程の村娘の塚は信隆の首塚であるとして偽装する事によって諸大名に信隆討ち取りの事実を確固としたものにさせ、同時に山科の百姓たちにはその事実を隠したまま村娘の菩提を弔えという事にさせた。それによって信隆の死は事実となり、ここに信隆の名は完全に息の根を止められたことになった。その後、可成らが陣幕を去った後に秀高はその場に残された空の首桶を見つめ、数年前に夢の中に現れた織田信長(おだのぶなが)が言っていたことを思い出した。


「そうか…これが信長(のぶなが)が言っていた信隆の怖さか。決して自分の命を落とさずに、敵にどこまでも纏わりつく亡霊のような。」


「ヒデくん…。」


 秀高が自嘲気味に呟いた言葉を聞き、華が心配そうに言葉を返した。すると秀高はふっと微笑んだ後に床几から立ち上がると、腰に差していた鬼丸国綱(おにまるくにつな)(つか)に手を掛けつつ陣幕の中を歩きながら言葉を発した。


「ならばこれよりは信隆を討つではなく、俺に纏わりつく亡霊共を打ち(はら)う!そして!」


 そう言うと秀高はその場で止まって鞘から鬼丸国綱を抜き、刀身を露わにしたまま陣幕から外の方角に切っ先を向けつつ、自身のこれからの存念を陣幕の中にいた義秀らに向けて言い放った。


「乱世をこの手で鎮め、太平の世を導いてみせる!」


 この秀高の言葉を聞いた義秀はニヤリと笑い、そして信頼や華、舞は首を縦に振って頷いた。時に康徳(こうとく)六年の九月四日。ここに秀高は足利義輝(あしかがよしてる)の敵討ちとして信隆との決戦に勝利。信隆本人には逃げられたもののそれへの対策を打って信隆の動きを制約する事に成功した。そしてこの日より、義輝の敵討ちを果した格好となった秀高は天下人に向けて次の階段を登り始めたのである…。





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