1572年9月 山科の戦い<二>
康徳六年(1572年)九月 山城国山科
山科にて始まった高秀高と織田信隆の戦い。その中央部…秀高の本隊と信隆の本隊が真っ向から対決するこの方面において、秀高本隊の前衛を務めるように布陣していたのは、今は亡き足利義輝が股肱の臣として頼んだ細川藤孝指揮する六千の軍勢であった。細川家の家紋である松毬菱が白旗の旗指物に刺繍された軍勢の先頭に立ち、藤孝は目の前に対立する軍勢の旗指物を見てそれを指揮する将をすぐさま察した。かつて弘治の頃(1555年~1558年ごろ)にともに連歌会に出席して知己となっていた明智十兵衛光秀。その明智の定紋である水色桔梗の旗指物が光秀の指揮を意味していたからである。
「明智十兵衛光秀!並びにそれに従う将兵に物申す!!」
目の前に光秀が軍勢布陣するのを確認した藤孝は、戦の開始の前に単騎前線に躍り出ると、大声を上げて目の前に対峙する軍勢めがけて呼び掛け、馬上から敵の軍勢を見つめながら詰問するように言葉を発した。
「そなたらは幕府の直参たる直轄軍の身でありながら、その主たる将軍殺しに加担したのみならず、主を殺した者の元に従うとは不忠の極みではないか!」
「藤孝殿!」
と、その藤孝の呼びかけを聞いたのか、それとも言葉を述べる藤孝に反論を行う為なのか。言葉を浴びせられている明智勢の中から大将の光秀とそれを護衛する明智左馬助秀満が馬に乗って現れると、その光秀の姿を見た藤孝は馬上から光秀を指差して言葉を発した。
「明智殿…いや光秀!貴様このような悪行許されると思うてか!」
「畏れ多くも義輝公は先祖代々の恩寵を踏みにじり、幕府の舵取りを誤った大罪人にござる!それを討ち幕府の政道を正すのはそれこそ幕臣の務めに非ずや!」
「戯けた事を申すな!!」
光秀が義輝殺しの大義を味方に改めて示すような言葉を発すると、それを聞いた藤孝は激昂せんばかりに反論すると、両者の口論を不安そうな面持ちで聞いていた光秀配下の方を視線に収めながら、その光秀配下の足軽たちに向けて呼び掛けた。
「理屈はどうあれ主殺しは大罪である!よく聞け配下の将兵共よ!主殺しを行った者に付いていても己が身の破滅を招くのみ!己が身を大事に思うのであれば、今すぐこの場から立ち去れ!!」
「ひ、ひぃぃ!」
藤孝の言葉を聞いた明智勢の中から、自身の身の上の不安を感じたのか数名ほどの足軽たちが戦線を離脱し始めた。元より幕府直参の直轄軍配下にいた足軽武士の中には、将軍を殺した信隆らへの味方をすることに一抹の不安があり、それが今になって不安が現実となったようにそそくさと戦を止めるように逃げ始めた。するとその離反を見た光秀は即座に手綱を引き、背後にいた味方に号令を発した。
「光忠構わぬ!逃げる者は斬り捨てよ!」
「承知!」
光秀より呼び掛けられた明智家臣の明智次右衛門光忠は、即座に打刀を抜いて逃げている足軽たちを片っ端から斬り捨てた。これによって軍勢の崩壊を何とか食い止めた光秀は、再び馬首を藤孝の方へ返すとにやりとほくそ笑みながら今度は藤孝を糾弾するような言葉を発した。
「我らは幕府の政道を正した!幕政を誤る秀高に付き従う貴殿こそ反逆の徒ではないか!たとえ兵の多寡が大きかろうと、我らはここで等持院殿(足利尊氏)以来の恩義に応え敵を討つ!掛かれ!!」
この号令を受けた明智配下の将兵たちは、若干動きが鈍かったものの尻を叩かれるように目の前の細川勢めがけて襲い掛かった。この攻撃を見た藤孝は馬上で歯ぎしりをして、攻撃の指示を下した光秀を睨み付けた。
「光秀め…者共、謀反人共を討ち果たせ!!」
「おぉーっ!!」
ここに藤孝も味方の将兵に攻撃を下知。中央部の戦線においても細川勢と明智勢が互いに火花を散らす激闘を繰り広げ始めたのである。明智勢は数が同等の細川勢に対して徐々に優勢に戦いを進めていたが、そこに左から秀高の下知を受けた森可成、右から長野藤定らの軍勢に攻撃されて形勢は逆転。やがて信隆が本陣を置く南殿跡へとじりじり後退を始めることになる。
「申し上げます!右翼の大高勢、並びに中央の細川勢が敵に攻め掛かりました!」
「ふむ。ならば我らも攻め掛かるとしよう。」
一方、その中央や右翼の大高義秀勢の攻撃開始を受けた松永久秀は、家臣の結城忠正から戦況を聞いて言葉を返し、そのまま背後にいた味方の方を振り向いて号令を発した。
「良いか。ここで敵を討ち果たし、秀高殿に我らが力を見せつけよ!掛かれ!」
「おぉーっ!!」
その号令によって松永勢は目の前に対陣する伊勢貞助ら幕府保守派の軍勢に対し攻撃を開始。これに荒木村重・別所安治の軍勢も加わって敵勢に猛攻を仕掛けた。この攻撃を貞助は馬上から刀を振るって応戦していたが、余りの敵の多さに辟易とした。
「くっ、やはり数が多い…!」
元より数に劣っていた幕府保守派の軍勢はさほど時もかからずに苦戦。その配下の兵たちも次々と討ち取られていった。それによって浮足立った将兵たちは勝手に戦線を離脱し始め、それを見た貞助は馬上から味方に督戦を行った。
「者ども怯むな!奮戦して敵を防ぐのだ!!」
しかし、この督戦を受けても離脱する将兵は後を絶たず、更に運の悪い事に敵の攻勢は時が経つごとに熾烈さを増していき、将兵の離脱に拍車をかけるような有様であった。その中でなおも懸命に貞助は督戦を行っていたが、この姿を認めたある一人の武将が貞助に一騎打ちを申し込んだ。
「そこに見えるは敵将と見える!我こそは別所安治が家臣、久米五郎忠勝なり!いざいざ!」
「ええい、控えよ下郎!!」
別所家臣の五郎より一騎打ちを申し込まれた貞助は、これを味方の意気向上に役立てようとしてその申し出を受けた。そして目の前から向かって来る五郎の攻撃を受けようと得物の刀を前に出したが、その行動を見た五郎は一瞬の隙を見つけて貞助の脇腹に自身の槍を突き出した。
「せぇいっ!!」
「ぐわぁっ!!」
この一瞬の突きを受けた貞助は苦悶の声を上げると、自身の伝いから槍が抜かれた反動でそのままもんどり返るように地面に落下した。それを見た五郎は貞助を突き刺した槍を掲げて味方の将兵に武勇を誇示した。
「敵将、久米五郎が討ち取ったり!」
「おぉーっ!!」
この号令は、貞助亡き後の軍勢崩壊を更に早める結果となった。事実この後の戦いは敵の根絶やしとも言うべき殲滅戦の格好となり、貞助を始めとした幕府保守派の幕臣が更に命を落とす結果となった。ここから唯一生き延びることが出来たのは、将兵たちと共にいの一番に逃げおおせた幕臣・一色藤長のみであったという。
「申し上げます!戦況は優勢!別所家臣、久米五郎殿。敵将伊勢貞助を討ち取ったとの事!」
「よし!このまま総攻めにかかる!銅鑼や半鐘を鳴らせ!」
「ははっ!!」
家臣・山内高豊から味方の優勢を告げられた秀高はここに全軍に総攻めを下知。その合図となる銅鑼や半鐘を鳴らして信隆勢への全軍突撃を促した。この音色は対陣する信隆勢の本陣にも聞こえており、本陣の陣幕の中で待機していた家臣の池田勝正は、大将の信隆に向けて言葉を発した。
「信隆様!敵陣より銅鑼や半鐘が鳴らされておりますぞ!」
「敵は総攻めをかけて来るようですね。全軍を南殿跡に集結させなさい。何としても時間を稼ぐのです。」
「承知致した!!」
勝正は信隆からの命令を受け取ると、すぐさま陣幕を潜って外へと出ていった。それと入れ替わりに同じく信隆家臣の三木国綱が陣幕を潜って中に入ると、敵である秀高本隊の方角から銅鑼や半鐘の音が鳴りびいてくる中で味方の討死を信隆に報告した。
「申し上げます!!伊勢貞知殿、大舘藤安殿討死!一色藤長殿、戦場より敗走!」
「流石に兵力差があっては崩壊も早いですね…。」
味方でもある保守派幕臣の討死を告げられた信隆が劣勢を悟って諦観した言葉を返すと、ふと自身に右脇を見てそこにいた一人の村娘を視界に収めた。この娘こそ合戦前夜に山科のある百姓家から拉致して来た村娘であり、その雰囲気はどことなく信隆にそっくりであった。
「な、何を…。」
「案じる事はありません。貴女の命一つで私は生き延びることが出来るのです。さぁ、装束を交換させるのです。」
「ははっ!!」
この信隆の命を受けた国綱や河尻与四郎秀長ら信隆配下の家臣たちは、一斉に村娘に触れて信隆と装束を交換した。即ち信隆と雰囲気が似ている村娘には信隆が身に着けていた荘厳な鎧兜を、そして信隆本人は村娘が身に纏っていたボロボロの小袖を着用した。その後、信隆は陣幕の片隅に寄って自身の存在を隠し、影武者の姿を陣幕の中から見せつけるようにした。全ては自身が生き延びる為に。




