1572年9月 山科の戦い<一>
康徳六年(1572年)九月 山城国山科
康徳六年九月四日早朝。東から太陽が顔を出して登り始め、その眩しい朝日が東から西へと照らしていた頃、琵琶湖南岸の近江・大津から逢坂越の間道を通って山科へと向かう一つの軍勢の姿があった。この軍勢こそ足利義輝の敵討ちを標榜する高秀高が軍勢六万四千。逢坂越えの山間を三列縦隊で縦長に進んでいた。先鋒として進んでいるのは秀高が股肱の家臣である大高義秀勢一万。それに続いて松永久秀・荒木村重・別所安治ら山科は髭茶屋追分から南の醍醐寺方面へと向かう軍勢一万八千が続き、その後を秀高の本隊と森可成の軍勢、そしてその他の軍勢はこの後に続々と続いて整然と行軍していた。
「申し上げます!先鋒の大高義秀殿より早馬が到着!敵軍勢、髭茶屋追分より十町(約1km)先に布陣するを確認!迅速なる指示を仰ぎたいとの事!」
「分かった。しばらく待っててくれ。」
先頭を進む義秀勢よりの早馬を連れて馬廻の神余高政が現れ、前を進む秀高に対して指示を仰ぐと、秀高は高政に向けて早馬共々自身の脇で待機するよう命令すると、軍勢を島左近清興に任せて秀高の元に来ていた小高信頼の方を振り向き、ここから先の地理を信頼に尋ねた。
「信頼、髭茶屋追分より十町先というと…?」
「かつての山科本願寺・南殿の辺りだね。とするとその辺りに布陣を整えてると思うから、南に抜けられるかどうか分からないね。」
信頼が手にしていた山科付近の地図を片手に秀高に言葉を返した。もし、秀高らがこれから向かう髭茶屋追分の先を封鎖されるように信隆勢が布陣していると、当初の軍議で策定された南への転進に大きな障害が生じる事となり、それを受けた秀高はすぐさま早馬共々脇で待機している高政の方を振り向いて指示を発した。
「よし。高政、早馬と共に義秀にこう命令しろ。「先鋒・大高勢は髭茶屋追分付近にて部隊を展開。後続の松永・荒木・別所勢は南への進軍不可となれば義秀指揮の元でその地に布陣しろ」とな。」
「ははっ、では前線の指揮を義秀殿に一任致すのですな?」
「そうだ。この事すぐに伝えてくれ!」
「承知!!」
高政は秀高からの下知を受け取ると、早馬と共に手綱を引いて馬を走らせ一路先頭の義秀勢へと向かって行った。この疾走をその場で見届けた秀高に信頼は脇から始まるであろう戦に思いをはせる言葉をかけた。
「いよいよ戦端が開かれるね。」
「あぁ。先鋒の布陣に続いて本隊も現地に布陣する!全軍、臨戦態勢を取れ!」
「おぉーっ!!」
秀高は自身に従う将兵に向けて戦への臨戦態勢を取るよう指示すると、これを聞いた将兵たちは喊声を上げて秀高に応えた。この時、馬上の秀高の視線はただ真っ直ぐを見据えていた。これより向かう山科にて待ち受ける最大の宿敵・織田信隆の姿を…。
九月四日の初辰の刻(午前七時ごろ)。山科盆地にある山城・近江国境部にほど近い髭茶屋追分の付近で織田信隆・高秀高両軍は対峙した。京と伏見への分岐点でもある髭茶屋追分の付近には秀高勢先鋒の大高義秀勢が布陣。義秀は秀高より前線指揮を一任されたことにより、ここで大まかなに布陣を敷いた。即ち南へ転進する手はずであった松永・荒木・別所の軍勢一万八千は、髭茶屋追分よりすぐ南にある小山の地に布陣。それを見届けた義秀は髭茶屋追分より西に進んで横木の地に布陣を変え、髭茶屋追分には続いてきた秀高本隊と森可成、そして長野藤定の軍勢に譲らせた。秀高は前線で義秀が敷いた布陣に従うと、秀高本隊の前面に細川藤孝の軍勢を配置。義秀の右脇に小寺官兵衛孝高の軍勢を置いて信頼の軍勢七千は後詰として秀高本隊の背後に配備。この秀高勢の全軍配置が整ったのは正辰の刻(午前八時)ごろの事である。
一方、前日より南殿一帯に布陣していた信隆勢一万八千は山科本願寺の主郭部跡に陣取っていた大舘晴光ら四千を前線に招集。右翼には大舘勢に加え伊勢貞助ら幕府保守派の軍勢合わせて六千を配置し、反対側の左翼には前田利家・河尻秀長らが同じく六千で大高勢と対峙。そして中央にある南殿一帯には信隆が本陣を置き、残る本隊六千の指揮を明智光秀に任せていた。ここに両軍が勢揃いした正辰の刻、いよいよ双方の野望がぶつかり合う戦いの火ぶたが切って落とされたのである。
「へっ、今日こそあいつに引導を渡してやるぜ。良いか!!」
秀高対信隆の三度目にもなる合戦において、敵に一番槍を付けるべく動き始めたのは横木に進んで前田・河尻勢と対峙する義秀勢であった。義秀は馬上から敵の総大将・信隆打倒に執念を燃やした後に馬首を返し、後方にいた味方の将兵に向けて号令を発した。
「この戦は何としても俺たち高家の家臣が一番槍を取る必要がある!これより騎兵隊を先頭に砲兵隊、歩兵隊の順に攻め掛かる!重晴!戦の火蓋を切れ!!」
「承知!行くぞ!!」
義秀からの指示を受けた大高家臣・桑山重晴は馬上筒を装備した騎兵隊を連れて敵勢への先駆けを行うべく進軍。やがて真正面に対峙する前田勢の辺りまで近づくと頃合いを見計らって馬上から号令を発した。
「構え!」
この号令を聞いた騎兵隊は片手に持っていた火縄が付いている馬上筒を取り出し、馬を駆けさせながら馬上から遥か前方に控える敵勢に標準を合わせた。そしてそれを確認した重晴は馬上から即座に命令する。
「放て!!」
この合図と共に馬上筒の引き金は引かれ、そこから放たれた矢玉はまるで吸い寄せられるように前田勢の足軽たちを打ち抜いていった。先に秀高が実戦に投入した改良火縄銃同様、この馬上筒にもライフリングが施されておりそれだけで敵への殺傷力は従来の火縄銃より格段に上がっていた。やがて矢玉を受けた前田勢は大高の騎兵隊が一旦下がった後に大高勢めがけて火縄銃を放った。この両者の射撃によって、戦場全体に戦闘開始の合図を告げたのである。
「…始まったか。」
「はっ。どうやら大高勢が先陣を切ったようですな。」
これを遥か中央部、髭茶屋追分の辺りに陣する秀高本隊にいた秀高が馬上から聞き、その言葉に可成が答えると、秀高は義秀の攻撃に満足そうに微笑んだ。
「そうか…義秀、上手くやったな。可成、部隊に戻れ。俺たちも敵に攻め掛かる!」
「ははっ。」
可成に部隊への帰還を命じた秀高は、可成がそれを受けて手綱を引いて自身の部隊へと帰っていった後に側にいた足軽たちに向けて号令を発した。
「法螺貝を鳴らせ!細川勢を先頭に本隊も攻め掛かる!目標は…信隆本陣だ!」
「おぉーっ!!」
その合図と共に秀高本隊より複数の法螺貝が鳴り響いた。この法螺貝を聞いた両翼の各隊はそれぞれ目の前の敵勢めがけて攻撃を開始。ここに信隆と秀高の互いに雌雄を決する戦いが幕を上げたのである。