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1572年9月 信隆の算段



康徳六年(1572年)九月 山城国(やましろのくに)山科(やましな)




 それから数刻後、将軍御所から出陣した織田信隆(おだのぶたか)が軍勢一万八千は東山(ひがしやま)の山向こうである山科一帯に着陣。信隆勢はかつて本願寺(ほんがんじ)中興の祖とされる蓮如(れんにょ)の隠居所があった山科本願寺(やましなほんがんじ)南殿(なんでん)跡に本陣を置き、西にある山科本願寺の主郭部跡に後詰の大舘晴光(おおだちはるみつ)一色藤長(いっしきふじなが)ら四千ほどを置いた上で軍勢を展開した。


「なるほど…ここならば髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)で分岐してくる敵にも対処できまするし、逢坂(おうさか)の関跡を越えて来た秀高(ひでたか)が軍勢を即座に迎え撃てまするな。」


「えぇ。後方の山科本願寺の主郭部跡では戦までに時が掛かり、その間敵に態勢を整わせる時間を与えかねません。ここに布陣すればさしもの秀高も大きく目論みを(くじ)かれることでしょう。」


 山科本願寺の南殿跡地に張られた陣幕の中、矢盾で(こしら)えられた机の上に広がっている山科一帯の地図を指し示しながら前田利家(まえだとしいえ)が信隆に話しかけると、信隆は話しかけてきた利家に向けて言葉を返した後、自身が陣取る南殿の跡地を陣幕の中から見まわしながら言葉を続けた。


「それに幸い、ここは山科本願寺合戦やましなほんがんじかっせんの際に伽藍(がらん)(ことごと)く焼亡したものの、土塁や堀といったものが埋め戻されずに残っていました。お陰で少し手入れする事によって陣城として相応しい物になります。」


「如何にも。今足軽たちに命じて堀の改修を進めさせておりまする。日付が変わるころまでには全て準備万端整うかと。」


 この時、信隆は明智光秀(あけちみつひで)三木国綱(みつぎくにつな)、それに河尻与四郎秀長かわじりよしろうひでながに命じて半分土に埋まっていた旧南殿の堀を急ごしらえで改修させていた。日付が変わる前には改修し終わるとの見通しを光秀が信隆に告げていると、そこに信隆家臣になっていた池田勝正(いけだかつまさ)が物見から帰って来ると陣幕を潜って信隆らに向けて報告した。


「申し上げます!秀高が軍勢、日暮れ前に山向こうの大津(おおつ)に着陣したとの事!」


 勝正より秀高率いる軍勢が山科より逢坂山(おうさかやま)を隔てた向こうの大津に陣取った事を聞いた信隆らは、その場で大いにどよめいた。すると信隆は床几(しょうぎ)に座りながら報告しに来た勝正へ言葉を返した。


「来ましたか…敵の数は?」


「はっ、秀高が本隊八千に大高義秀(だいこうよしひで)勢一万に小高信頼(しょうこうのぶより)勢の七千、これに松永(まつなが)細川(ほそかわ)荒木(あらき)別所べっしょ小寺(こでら)ら諸大名の軍勢合わせて三万、長野(ながの)(もり)などの軍勢合わせて総勢六万四千ほどかと!」


「六万四千…やがて七万にもなるのか。」


 勝正からの報告を受けた利家は、机の上の絵図を見つめながら敵軍の数を噛みしめるように聞いていた。この時の信隆勢一万八千に対し秀高の軍勢六万四千。言わば三倍以上の兵力差になった状況を光秀や国綱、それに秀長らが黙って聞き入っていると、その中で口を開いて発言したのは、他でもない信隆本人であった。


「…諸侯衆を(ともな)って遠江(とおとうみ)に後詰として向かったのです。その軍勢が強行軍で戻ってきたとなると、それほどの軍勢がいてもおかしくはありません。」


「ならば殿、ここはかつて秀高が三好長慶(みよしながよし)が大軍を山崎(やまざき)にて破った事に(なら)い、いっその事全軍を髭茶屋追分の辺りに布陣させて柵や逆茂木を構えて迎え撃つのは如何で?」


 利家が信隆に対して秀高勢迎撃の策として提示したのは、数年前に同じ山城は山崎の地で起こった「山崎・天王山(てんのうざん)の戦い」で敵である秀高が取った防御陣地での迎撃策であった。折しもこの山科と大津の間にある逢坂越(おうさかごえ)と呼ばれる山間(やまあい)の道は山崎の地同様、細長く伸びておりその出口が髭茶屋追分のある扇状地の箇所であった。利家は虚無僧(こむそう)から聞き及んだその戦法を用いての迎撃を信隆に提案したが、信隆は首を横に振った後にそれを却下するような言葉を発した。


「いえ、それは秀高が事前の準備を済ませた上で勝ちを収めたもの。その場しのぎの備えではより劣勢になるだけです。それに…」


 信隆はその場で言葉を発しながら、机の上に広がる山科一帯の絵図を指し示しながら利家や光秀ら家臣たちに向けてもう一つの懸念事項を反対意見の理由として述べた。


「もし髭茶屋追分に布陣して逢坂越の道を全軍で封じたとしても、秀高がこの小関越(こぜきごえ)を越えて迂回されては背後から敵の強襲を受ける形となります。このように明確な道が二つある以上、数に劣っている我々は堅実な手を打つのが妥当でしょう。」


 この逢坂越とは別に、大津から山科へ向かうにはもう一つの道があった。それが小関越と呼ばれる山間の道であり、もし髭茶屋追分に重点的に布陣して迎撃した際、敵がこの小関越から回ってくれば背後から挟撃される形となって更なる不利に追い込まれる心配があったのだ。これを聞いた上での信隆の意見を利家らが納得するように頷いていると、その中で光秀が信隆の方を振り向いてこう言葉を発した。


「となれば…万が一の場合に備えておかねばなりませんな。」


「えぇ。光秀、家臣の斎藤利三(さいとうとしみつ)は今どこにいますか?」


 信隆は万が一の備え…つまりは敗走する場合の手立てを光秀から尋ねられ、咄嗟(とっさ)に以前京に潜伏し今は土佐(とさ)へと逃れていた利三の動向を尋ねた。


「はっ、利三は石谷光政(いしがいみつまさ)を土佐に送り届けた後は、紀伊大島(きいおおしま)にほど近い串本(くしもと)の地に潜伏しておりまする。」


「串本…そこから土佐に落ち延びる訳か。」


 光秀が利三が潜伏する場所として述べた南紀(なんき)・串本は本州最南端の地であり、ここに向かうには山城から大和(やまと)を経由し、吉野山(よしのやま)から紀伊山地(きいさんち)を踏破する必要があった。しかし、信隆がこの敵地の真っただ中である山城から逃げるにはその道しかなく、その地を提案した光秀は利家からの言葉を聞いた後にこくりと首を縦に振って頷いた。


「如何にも。長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)殿は光政殿の娘を娶っており、その縁で土佐への下向を裏で認めておりまする。万が一の際は…」


「落ち延びる事は出来る。という訳ですか。」


 信隆のこの一言を聞き、光秀は黙したままこくりと頷いて答えた。つまりこの時点で信隆は戦が敗北した際には、数年間世話になっていた上杉輝虎(うえすぎてるとら)の元を去り、傀儡とした義秋を見捨てて遠く土佐への逃避行を決心していたのである。しかしこの時点では、秀高との戦が控えている状況でもあり、信隆は光秀の頷きを見た後にその場にいる諸将に向けてこう呼びかけた。


「宜しいでしょう。ですが取りあえずは、明日からの戦に集中しなくてはなりません。皆、数ではこちらが劣っていますが、きっと秀高に目にもの見せてくれると信じていますよ。」


「ははっ!では諸将、各々戦支度にかかろうぞ!」


「おぉーっ!!」


 信隆からの言葉を聞いた利家は勇ましく返事をした後、自ら諸将に呼びかけて戦の備えを固めるよう促した。これを聞いた秀長や国綱らは勇ましい喊声を上げた後に利家と共に陣幕を潜ってその場から去って行った。そしてその場に信隆と光秀の二人が残った中で、信隆は側にいた光秀に対して声を抑えながら言葉をかけた。


「…光秀、近隣の村々から密かに村娘を(さら)いなさい。できれば私の雰囲気に似ていればそれで結構です。」


「…影武者ですな?」


 光秀は信隆からの命令の意図を即座に見抜き、信隆に問い返すと信隆は光秀を見つめたまま首を縦に振って頷いた。


「えぇ。秀高にはここで私が死んだと(しばら)く思わせておく必要があります。その為ならば娘一人の命、容易い物ではないですか?」


「なるほど。承知いたしました。」


 信隆は万が一の場合に備え、自身の死を偽装してこの敵地から脱しようと画策。その為に村娘を攫ってそれを影武者に仕立てようとしたのだ。それは何の罪もない村娘一人の命より自身の大志・野望を成就させようという信隆の強い意志と執念から来る判断であり、信隆は後ろめたい感情を一切抱かずに淡々と光秀に命令したのである。


 この様な信隆の思惑と秀高の敵討ちへの情熱が絡み合う中で日は暮れていき翌九月四日、後の世に「山科(やましな)の戦い」と呼ばれる、信隆対秀高による三度目の直接対決が始まろうとしていた…。





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