1572年9月 傀儡の反発
康徳六年(1572年)九月 山城国京
康徳六年九月三日正午、足利義秋を擁立する織田信隆らがいる京の将軍御所において火急の軍議が開かれた。さる昨日に隣国・近江への電撃的な帰還を果した高秀高らの軍勢を迎撃すべく開かれた軍議の席には、勝龍寺城の攻城を切り上げて京へと撤退した明智光秀らも参列し、喫緊の課題となった秀高迎撃策を協議したのである。
「信隆よ!秀高がかくも早く戻ってくること予測できなかったのか!!」
「申し訳ございません。義秋様。」
将軍御所の大広間。信隆に擁立された立場である義秋は信隆配下の家臣である光秀や前田利家、それに自身に従う保守派幕臣の大舘晴光、伊勢貞助らがいる中で上座から下座にいる信隆を面罵するような言葉を浴びせた。すると信隆はこの様な義秋の詰問に対し、務めて冷静に言葉を返した。
「こちらも予想外の進軍だった故に、情報を掴むまでに時をかけ過ぎてしまいました。それにこちらの虚無僧も何名か討たれているのです。秀高は口封じを徹底させていたのですよ。」
「その様な泣き言はどうでも良い!どうするのだ!」
義秋からしてみれば、信隆の煽動に乗った一つの要因であった遠く東海は遠江にいた秀高の軍勢が、今この時になって隣国の近江に帰還していたことにひどく焦りを感じていた。言わば自身の生存戦略に重大な危険が発生しておりそれに対する対策を信隆に問うと、信隆は語気を一切変えずに淡々と対策を述べた。
「虚無僧の報告によれば、既に琵琶湖の京側にある大津付近には長野藤定の軍勢が展開しているとの事。これでは瀬田での迎撃策を取る事は出来ません。ここは京の北側…船岡山に退いて秀高軍を迎え撃つが上策であると思いますが。」
「ならん!」
信隆は秀高勢迎撃の合戦地として、京の北方にあった船岡山に布陣して迎え撃つことを提案した。折しもこの案は秀高らも予測した通りの展開になった訳だが、この船岡山での合戦に対し反対意見を即座に示したのは、他ならぬ義秋その人であった。
「船岡山では上京をむざむざ秀高に明け渡す事にもなる!京の町衆たちの評判もさらに悪くなるであろう!ここは南禅寺を越えて山科で迎え撃て!」
「畏れながら、それは下策にございます。」
義秋は戦に巻き込まれるであろう上京の町衆、それに来る将軍職就任の工作を行っている近衛前久ら味方する公家たちへの手前、上京地区が戦場と化しかねない船岡山での合戦案には反対であった。その義秋が代替案として述べた山科での合戦案がその場で告げられると、その策にいの一番に反対したのは信隆家臣である光秀であった。
「山科は盆地なれど田畑が広がり戦場も限られる地形。もし山科より髭茶屋追分を経て醍醐寺、伏見へと向かわれてしまえば、南よりの敵を迎え撃つことが出来ませぬ!」
「何を言うか!かといって京を開け渡せばそれこそ大義名分を失うであろう!!」
「然り!我らは前の将軍(足利義輝)を討ち、町衆からの民心を得ねばならぬ時に、町衆の怒りを買うような行為は控えるべきであろう!」
この場において船岡山での合戦を支持するのは信隆とその家臣たち、そして山科での合戦を支持するのは義秋と彼に従う保守派幕臣たちの真っ二つに分かれてしまった。するとこの保守派幕臣である晴光や一色藤長らの意見を聞き、辟易とした感情を抱いた信隆は上座の義秋に鋭い視線を向けながら言葉を発した。
「…兎にも角にも、今は京を開け渡してでも、要害の船岡山に籠って丹波からの援軍を待つ時です。宜しいですね義秋様。」
「信隆!ここはこのわしの命に従って貰うぞ!!」
信隆はこの軍議の席において、自身が擁立した義秋や保守派の幕臣たちに対し強気の態度に出て船岡山案を押し通そうとした。これに義秋が自身の側にあった肘掛けを扇でパチンと叩き、真っ向から反発して言葉を返すとそれを聞いた信隆は、義秋の顔から微塵も視線を逸らさずに脅迫するような言葉を義秋に返した。
「…傀儡の立場で、その様な事がよく言えた物ですね。ここは私の命に従って頂きますよ?」
「貴様こそ何か勘違いをしておるのではないか?今、将軍御所の主はこのわしじゃ!それに貴様は、わしに何の断りもなく周暠…そして母(慶寿院)を殺害したであろう!貴様がここでわしを無視し、独断で強権を振るう事は出来ぬ!」
かつて将軍・義輝を襲った際、信隆は義秋に黙って周暠や慶寿院といった足利一門を粛清。これを後に聞いた義秋は信隆への不信感を大いに募らせていた。その為に義秋は信隆の傀儡からの独立を裏で模索しており、それが今、この軍議の席にて沸き上がる様に噴出したのである。義秋は信隆からの脅しに真っ向から反発する言葉を返すと、自身に脇に控えていた保守派の幕臣たちを端から指しながら信隆に言葉を続けた。
「周りを見て見よ。お主の家臣以外、ここにいる者の殆どは幕府の臣下ばかり!ここで貴様が威張り散らかそうとも、将軍家の直系であるこのわしには無意味である!もしここでなおも強情を張るのであれば…!!」
すると、この義秋の言葉に連動するかのように、大広間の中にいた幕臣たちは一斉に片膝をついて立ち上がり、同時に刀の柄に手を掛けてその場で抜こうとする素振りを見せた。この行動を見た信隆は自らが擁立した義秋の反抗とそれに賛同する者達の顔を一周見回した後、諦観するような表情をしつつもその場で折れて義秋に返事を返した。
「…分かりました。そこまで言うのであればここは義秋様に従いましょう。」
「殿!!」
信隆が義秋に向けた言葉を聞き、その場にいた家臣の前田利家が信隆に向けて言葉をかけると、信隆は利家の方を振り向いて言葉を発さずに一歩引きさがるように促した。それを見た利家ら信隆配下の家臣たちは、応戦するように手を掛けた刀の柄から手を離し、再びその場に座り込んだ。それを見た幕臣たちもおのずから刀の柄から手を離し、続けてその場に腰を下ろすとそれを見ていた義秋はふっとほくそ笑んだ後に信隆に向けて言葉をかけた。
「分かればそれで良い。ならばすぐにでも出陣し、山科に陣を張れ!良いな!?」
「…ははっ。」
この義秋からの言葉を信隆はただ淡々と受け入れていた。事実この後、信隆は京にいる自らの軍勢を率いて山科へと出陣することになり、秀高との合戦に備える動きをするのであるが、同時にこの時、信隆の胸中にて擁立した義秋への興味や価値は全く無くなり、この時点で義秋に対するある程度の見切りをつけていたのである。
「…殿、宜しかったのでございますか!?」
「構いません。」
大広間から退出した信隆の後を追いかけて来た利家が、前を進む信隆に対して先程の一件を問いただすと、信隆は一言で返事を返した後にその場で足を止め、そこから前を見つめながら義秋が振る舞った態度を踏まえて見捨てるような言葉を発した。
「いずれ時が来れば見捨てるだけの男。好きに言わせておけばいいのです。これで秀高の勝ちは決まったといって良いでしょう。」
「えぇ。それに丹波の援軍を待つと申しましたが、それも望みは薄いようです。」
「旗色が悪いのか?」
利家が光秀の発した言葉に対して即座に問いかけた。この時、丹波へは内藤宗勝を攻めるべく武田信実指揮する六千余りの軍勢が攻め掛かっていたが、光秀はこの丹波口での戦闘に関する情報を利家や信隆だけに聞こえるように報告した。
「内藤に波多野の援軍が加わり、信実殿の軍勢は数を減らしているとの事。どちらにせよ丹波口の壊滅も時間の問題かと。」
「そのような状況で山科に行って戦えとは…」
利家は光秀から情報を聞き、信隆の方を振り向きながら明日行われるであろう戦の雲行きを案じた。すると信隆は背後にいた光秀や利家の方を振り向き、両名を鼓舞するような言葉をその場で発した。
「まぁ、明日は私たちもやれるだけの事はしましょう。利家、それに光秀。すぐにでも軍勢を整えて山科に向かいますよ。」
「ははっ!」
信隆の呼びかけに利家は勇ましい返事を発し、そして光秀は黙したまま首を縦に振って頷いた。こうして信隆にとっては不本意ではあるが、京に踏み込んでくるであろう秀高勢迎撃のために素早く出陣準備を整えると、日暮れ前には京の将軍御所を発って東山の向こうにある山科へと進軍を開始したのであった。