表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
519/556

1572年9月 呆気ない幕引き



康徳六年(1572年)九月 山城国(やましろのくに)伏見城(ふしみじょう)




 翌九月二日、伏見城総構えの中にあった市街地にて野営を取った織田信隆(おだのぶたか)が軍勢は、この日の早朝より伏見城の大手口前に進出して城方との攻城戦を開始。信隆が軍勢にとってみれば、この大手口を突破することが出来れば伏見城落城への目途が立つためにこの日の攻勢は以前よりも激しい物になっていた。


「撃て!土塁の裏より城方に矢玉を放ち、敵の戦意を削ぐのです!」


 本丸への道を阻むように立ちはだかる一つの桝形門。ここが大手口となっている今現在の主戦場であり、伏見城の大手門でもあった。信隆は仕寄(しよ)せで構築された土塁の裏から桝形門となっている大手門の姿を一目見て、容易に打ち破れないと頭の中で即座に判断した。するとその土塁の裏で塹壕の中に身を隠し、大手門やその北側にある二層の隅櫓を見た信隆家臣の前田利家(まえだとしいえ)は、その門構えの堅牢さとここに至るまでの道中を踏まえて信隆に言葉を発した。


「しかし、あのような門構えを突破して来た総構えの方角と正反対の場所に設けるとは…そのお陰で進む道すがらに城からの矢玉を受けて将兵が傷ついておりまする。」


「仕方がないことです。それだけこの城を築いた人物に先見の明があったという事でしょう。」


 信隆は塹壕の中から利家に向けて伏見城の縄張りの優秀さを語った。信隆にしてみればここまでに近代城郭化された城攻めは全くの初めてではあり、敵ながらこの伏見城を築いたことへの畏怖を肌感で感じつつ、自身を鼓舞するように先程聞いた情報を利家に告げた。


「ですがここで立ち止まるわけには行きません。虚無僧(こむそう)からの報告では勝龍寺(しょうりゅうじ)を攻めている光秀(みつひで)の軍勢はようやく落城の目途が着いたとの事です。ここで一刻も早く大手口を突破し、こちらも落城の目途を立てねば…」


「信隆様!一大事です!」


 とその時、一人の虚無僧がぼろぼろの身なりで信隆の下に駆け込んできた。この虚無僧の言葉を聞いて塹壕の中で振り返った信隆は、地面に片膝をついている虚無僧に向けて用件を尋ねた。


「どうかしたのですか?」


高秀高(こうのひでたか)が…高秀高が昨日、鈴鹿峠(すずかとうげ)を越えて近江(おうみ)に入ったとの事!!」


 この一報は信隆にとって大きな衝撃を与えた。伏見城の城主でもある秀高が、主戦場としていた東海(とうかい)遠江(とおとうみ)より山城の隣国・近江まで来ている。その余りにも信じられない情報を聞いた信隆は半ば信じられない様子で虚無僧に問い返した。


「それは誤報でしょう?ここから浜松まではどれだけ急いでも十日以上はかかるはず。少なくともあと三日の猶予はあるはずですよ?」


「いえ、秀高が軍勢はこの目がしっかりと見て参りました!秀高の旗印に家紋、それに付き従った松永(まつなが)細川(ほそかわ)らの軍勢の旗印も見受けられまする!」




 この瞬間、信隆は自身の立場が一気に急変したのを悟った。将軍・足利義輝(あしかがよしてる)を殺害したのも、そして覚慶(かくけい)を擁立しこの伏見城を攻め立てているのも(ひとえ)に秀高を今の立場から引きずり下ろすための策であり、それが秀高の素早い帰還によって瞬く間に水泡に帰したのであった。信隆は表情を一つも変えなかったがその心の中で今後の思案を巡らせていた。最早、この伏見城に拘るのは今後の事を考えると良策と呼べなくなったのである。




 その中で思案を巡らせる信隆の代わりに報告した虚無僧に突っかかったのは、その場にいた利家その人であった。利家は即座に虚無僧の胸元を掴むと、虚無僧の職務怠慢というべき不手際をその場で(なじ)った。


「それが真ならば、なぜそれをもっと早く報せに来なかったのか!!」


「畏れながら、同胞の虚無僧は何人も敵の忍び衆によって討ち取られており、何とか警戒網を潜って此処までたどり着いたのです!それ故、急いで知らせねばと!」


「…その言葉に偽りは無いでしょう。」


 虚無僧の言葉を突っかかっている利家の背後で聞いていた信隆は、言葉を発して自身の存念を語った。すると信隆は言葉を発して即座に対応策をその場で示した。


「ならば一刻も早く城攻めを取り止め、(みやこ)へと撤退する必要がありますね。」


「されど、それを果すためには城からの追い打ちを防がねばなりませぬ!!」


 利家の脇にいた利家配下の村井長頼(むらいながより)が撤退を判断した信隆を諫言した。ここでの撤退は城からの追い打ちを受ける危険性があり、信隆もその危険性は分かっていたがそれを考慮しても撤退しか最善策は無かったのである。と、その時にある武将が信隆に言葉をかけた。信隆の客将の一人・三木国綱(みつぎくにつな)である。


「ならば殿、ここはこの我らにお任せあれ。」


「国綱…。」


 国綱は自身の側にいた客将の池田勝正(いけだかつまさ)と共に信隆に殿軍を請け負う旨を述べ、それを聞いた信隆が言葉を返すと国綱は自身の願望を込めて信隆に殿(しんがり)を受け持つ覚悟を語った。


「殿には秀高を討ち果たすという大望がございまする。わしもそれを願っておりまする故、その願いを殿に託して我らは敵の足止めを行いまする!」


「そうですか…。」


「申し上げます!大手門が開かれて将兵が打って出てくる気配がありまする!」


 と、その場に侍大将が城内の様子を告げると、最早一刻の猶予も無いと判断した信隆はその場で即座に返答を発した。


「分かりました。では後方は国綱らに任せましょう。くれぐれも敵の足止め、頼みますよ?」


「ははっ!!」


 信隆は国綱や勝正らに部隊の後陣を任せる事とし、全軍で伏見城の城攻めを取り止めて一路、京への撤退を開始した。この城攻めを止めて撤退していく信隆勢を大手門近くの隅櫓より窓枠から見ていた(れい)は、指をさして隣にいた静姫(しずひめ)や守将の三浦継意(みうらつぐおき)に向けて語り掛けた。


「見て、敵が城より退いていく…。」


「あの慌てよう、きっと信隆の耳に秀高の情報が届いたんでしょうね。」


「如何にも。殿の転進があと数日遅ければ、大手口は突破されて落城やむなしとなっていたでしょうな。」


 秀高の転進を昨日の密書によって知っていた継意らは、一目散に京へと引き上げていく信隆勢の後姿を見て敵の慌てぶりに各々所感を述べた。と、そこに秀高の次子・高秀利(こうのひでとし)が階段を上がって姿を現し、守将の継意に向けて報告した。


「継意殿!柴田勝豊(しばたかつとよ)を初め、味方の将兵より撤退する敵の追い打ちを申請して来ておりますぞ!」


「…いや、追い打ちはせぬ。」


「どうして?ここで追い討ちしないのは得策じゃないわ。」


「私もそう思います。ここで少しでも敵を討って数を減らさないと…。」


 継意がその場で敵への追い打ちをしないという判断を下すと、それを聞いていた静姫や玲はその場で反対意見を述べた。すると継意は玲たちやその答えに不服そうな秀利に向けて反対する理由を述べた。


「いや、ただでさえ寄せ集めの信隆勢。きっと我が殿の帰還を聞いて信隆の元より逃げ去る将兵も出始めるでしょう。追い打ちするまでもありますまい。」


「なるほど…まぁ、功名を上げる為に参加した連中でしょうし、秀高の帰還を聞けば自身の身が危ないって考える奴も出てくるでしょうね。」


 元より将軍襲撃を聞いて信隆に加勢した野合の武士たちは、一旦不利になればそそくさと部隊を離れる事は目に見えており、それを無理して追い討ちするとなれば野戦となり、単純な双方の兵力差で劣勢となることも考えられた。その様な危険を冒すことなく確実な勝利を欲した継意の意見を聞いて静姫が納得すると、継意は首を縦に振って言葉を返した。


「如何にも。それに大兵を擁しておきながら、城一つも落とさずに撤退したとあれば信隆の名声に傷が付き、はたまた我が殿にまた大敗を喫することになれば、信隆の衝撃は尋常な物ではなくなるでしょうなぁ。」


「うん。今は敵を退けただけで満足しないと、ね?」


「ははっ。分かっておりまする。」


 血気に逸る感情を抑えきれない秀利に対して玲が言葉をかけると、秀利は務めて自制して返答した。これを聞いた継意はふふっと微笑んだ後に玲たちと共に隅櫓を出て、城内にて待機する将兵たちに向けて改めて号令を発した。


「皆聞け!敵は我らが殿の帰還を聞き、算を乱して総崩れとなった!勝鬨を上げよ!我らの勝利だ!」


「おぉーっ!!」


 ここに足掛け数日間に及んだ伏見城の攻防戦は、秀高の撤退を聞きつけた信隆勢の撤退という呆気ない結果で終結することになった。その後、継意の読み通りに撤退していく信隆勢から一人、また一人と武士たちが離散していき京に着いた時にはその軍勢九千ほどにまで落ち込んでしまった。同時に総構えが突破されたものの伏見城の防衛に成功した継意は、近隣諸国にその勇名を轟かせることになり、その近代城郭化された伏見城の防衛性は諸国の目を引いたのである。この時の籠城戦に参加した島津家久(しまづいえひさ)は上洛していた時に記した日記にこう書いている。「伏見城はその堅牢さによって敵の攻勢を撃退した」と…。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ