1572年9月 市街地の奇襲
康徳六年(1572年)九月 山城国伏見城
伏見城の市街地を囲う総構えが突破されたとの報は、すぐさま早馬によって本丸表御殿に置かれた本陣に届けられた。伏見城防衛の主将を務める三浦継意は高秀高が第一正室・玲や第二正室・静姫らと共にその報告を聞くや、神妙な面持ちでその情報を受け止めた。
「総構えが突破されたか…守りし者たちの様子は如何に?」
「はっ、既に高浦秀吉様、柴田勝豊様指揮する総構えの守兵たちは一直線に大手口の守備に就くべく後退を始め、その後退を手助けするべく千数百程の将兵たちが、大手道に立ち並ぶ商家の二階に上がってそこから鉄砲を射掛ける手はずを整えております!」
総構えを撤退している味方の現況を聞いた継意は、その場で腕組みをして頭の中で思案を繰り広げた。その脇にいる玲と静姫の方に視線を向けながら言葉を発した。
「そうか…それならば敵の足止めにはなりましょうな。」
「えぇ。問題は敵が大手口に辿り着けるのをどれだけ遅らせられるか、ね。」
自身の方を振り向いて来た継意の言葉を聞き、静姫が相槌を打つように言葉を発しつつ隣にいた玲の方を振り向いた。自身に視線を向けてきた静姫の顔を見た玲は交わされている会話の内容に沿った言葉をその場で述べた。
「うん。大きく足止めできればその分、守兵を多く抱えることが出来るからね。」
「それに既に城内では、民衆からの有志を取り纏めて足軽たちへの食事の手配、並びに負傷者の手当てを命じておりますから、万が一に戦となっても万全の態勢で迎え撃てますわ。」
と、玲や静姫の背後から現れて言葉を発したのは、同じく城内で籠城戦の支度を小少将や春姫と行っていた第三正室・詩姫であった。詩姫は数日前の将軍・足利義輝の落命を聞いて卒倒せんばかりに悲しんだが、今は少しずつ持ち直して城内を駆け回っていた。しかし未だ詩姫の体調が気がかりとなっている玲は、背後から現れた詩姫の方を振り向いて言葉をかけた。
「詩姫様…もう心の踏ん切りは付いたんですか?」
「はい。兄を討った者たち…とりわけ覚慶を最早親族とは思いません。この私も戦いの矢面に立ち、兄の無念を晴らしたく思いますわ。」
「そうですか…。」
詩姫の覚悟が定まった表情を見て玲や静姫、そして継意はその覚悟が本物であることを即座に悟った。するとそこに突如として稲生衆の忍びが継意の目の前に現れた。
「継意殿!御免!」
「む、そなたは孫六ではないか!」
その場に姿を見せた忍びからの言葉を聞いて継意が声のした方を振り返ると、そこにいたのは忍び頭・多羅尾光俊の配下である鵜飼孫六であった。孫六は振り返った継意からの言葉を聞くと、徐に懐から一通の書状を取り出しながら言葉を継意へ返した。
「はっ!大殿よりの密書を継意殿へ届けに参りました!」
「何?殿の?」
孫六は秀高からの密書を継意に手渡すと、継意はその場で密書の封を解いて内容を確認した。それを隣にいた玲や静姫、それに詩姫が継意と共に密書の内容を見るとその中に書かれてあったのは驚愕の情報であった。
「こ、これは…!?」
「嘘…これは本当なの!?」
その情報は継意らにとっては衝撃的であり、そして同時に新たなる希望が見えた内容でもあった。その事実を知った継意らはまるで息を吹き返す様に士気を向上させ、同時に指揮する武将でもある秀吉や勝豊らにもこの情報を共有させた。この時、総構えを突破しゆっくりと伏見城大手口へと進む敵勢には、この衝撃的な情報は未だ届いていなかったのである…。
「行けぇ!このまま城へ逃げる足軽共を追い討ちせよ!!」
その城へと攻め掛かる敵勢…織田信隆率いる軍勢は、河尻与四郎秀長を先陣とし総構えの崩落した矢倉門を越えさせて大手口へと続く一本の大手道を駆け足で進んでいた。この一行の狙いは城へと逃げ込む総構えの守兵を追い討ちする事であり、秀長の隊は他には目もくれずに大手道を進んでいった。するとその時、大手道の両脇に並ぶ商家の二階にある木戸が素早く開かれ、その中から火縄銃が出てきて銃口を秀長らの軍勢に向けた。
「放てぇ!!」
「放てっ!!」
この号令を合図に商家に潜んでいた鉄砲足軽は、眼下の大手道を進む敵勢めがけて矢玉を浴びせた。この大手道に両脇合わせて数十件あった商家の二階から浴びせられる銃弾は一目散に先へ進む秀長勢に浴びせられ、それを受けた将兵たちはその場にぞろぞろと倒れ込んでいった。
「ぐわぁっ!!」
「くっ、商家の二階から打ってきておるのか!おのれ小癪な!!」
秀長は馬上から商家の二階から打ってくる銃弾にたじろいでいたがその場で将兵を督戦する。しかしその督戦は銃弾によって次々と倒れていく味方には無価値になっており、もはや追い討ちどころではなくなった状況を悟った秀長は即座に下知を発した。
「ええい、一旦下がれ!これ以上深入りするでないぞ!!」
その下知を受けた秀長勢は進んでいた方向とは正反対、即ち踏み越えてきた矢倉門の方角へと逃げかえる様に戻っていった。この撤退を商家の二階から陣頭指揮を執っていた徳川家康家臣、大久保忠世・大久保忠佐兄弟が木枠の窓より外を窺うように身を乗り出した。
「おぉ、敵が下がったか。」
「兄上、これは我らも城に向かう頃合いかと!」
忠世・忠佐兄弟や同じ場所にて指揮を執る浅井高政配下で留守居役の安居景隆・安居景健親子にとって、城へと退いていく守兵たちの撤退を援護する事が踏み止まった目的であり、それが敵の後退によって果された今となってはその場に残る理由も無くなり、それを忠佐から聞いた忠世は首を縦に振って頷いた。
「よし!我らも順次城へ撤退する!行くぞ!」
「おう!」
忠世は忠佐らと共に敵が来ぬうちにその場からそそくさと撤退。安居親子も、そして秀吉に志願して商家に上がった島津家久らも守兵たちの後に続いてその場から離脱し、結果的には伏見城内に全ての守兵が大した損害もなく撤退に成功したのである。一方、その商家群から後退した秀長勢は、後を追いかけて来た信隆本隊との合流に成功。秀長は馬上の信隆に向けて自身の不首尾を詫びた。
「殿、面目次第もありませぬ。これより先の商家の二階より、限りなく矢玉が放たれてそれ以上の追い打ちを阻まれましてございまする。」
「そうですか。ならばそれ以上の追い打ちは出来ませんね。」
秀長の報告を受けた信隆は少し残念そうな表情をして言葉を発すると、その周囲を見回してふとある事に気が付いた。それは市街地のど真ん中にいるというのに人気が全くない事であり、それを察して民衆たちが方々へ逃げ去った事を悟った信隆はその場で指示を秀長に伝えた。
「良いでしょう。どうやら市街地には住民の気配はないようですし、今宵はここに野営を取って日が明けたと同時に大手口に進んで攻城戦を始めるとしましょう。」
「ははっ!!」
こうして信隆勢は城へと落ち延びる守兵への追い打ちは出来なかったものの、第一の目標であった総構えの突破を果たし、突破した先の市街地にて一端の休息を取った。そして日が明けた朝になって信隆勢は大手道を進み、本丸へと向かう前にある第二の障害・大手口への攻撃を開始したのである。




