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1572年8月 龍、敗北を悟る



康徳六年(1572年)八月 信濃国(しなののくに)和田(わだ)




 高秀高(こうのひでたか)宝渚寺平(ほうほうじだいら)で戦い大敗を喫した上杉輝虎(うえすぎてるとら)が軍勢は、軍勢の再編を行うために本国・越後(えちご)への帰路についていた。その輝虎の元に(みやこ)における足利義輝(あしかがよしてる)弑逆(しいぎゃく)覚慶(かくけい)挙兵の報告が届いたのは、犬居城(いぬいじょう)を発って秋葉街道(あきばかいどう)辿(たど)り、青崩峠(あおくずれとうげ)を越えて信濃に入った八月二十九日の事であった。


「上様が御落命…!?」


 輝虎はその一報をこの日の宿泊地として定めたここ、和田の集落付近で軒猿(のきざる)からの報告によって初めて知った。軒猿が告げた将軍落命という一大事は、上杉勢の本陣が置かれていた庄屋の中にいる上杉家臣団も知るところとなり、軒猿は驚きの顔を見せている輝虎らに向けて言葉を続けて報告した。


「はっ、織田信隆(おだのぶたか)は覚慶を旗頭に将軍御所を襲撃。保守派の幕臣たちと共に上様の命をお取りになり、その母君である慶寿院(けいじゅいん)ら上様の一族も討ち果たしたとの事!」


「な…信隆は一体何を考えておるのか!!」


 軒猿から告げられた衝撃的な報告を、輝虎は上座の位置に置かれた床几(しょうぎ)に腰掛けながら黙って聞いていた。その輝虎に代わって言葉を発したのは吉江宗信(よしえむねのぶ)であり、これに息子の吉江織部佑景資よしえおりべのすけかげすけが賛同するように言葉を挟んだ。



「左様!我らが挙兵した真の目的は秀高らを討ち果たした後、上様にはご隠居頂いた上で覚慶殿を(いただ)き、乱れた幕政を立て直す事であった!それをこのような暴挙…許しておけぬ!」


「…信隆め、我ら上杉を騙したか!!」


 織部佑景資の言葉に続けて先の合戦で辛くも生き残った色部顕長(いろべあきなが)が悪魔の所業とばかりに信隆をその場で糾弾した。この顕長の言葉を輝虎はじっと黙ったまま耳を傾けて聞き入っており、同時にその場にいた上杉家臣団は顕長の言葉に賛同するように頷きあい、その中から中条景資(なかじょうかげすけ)が、信隆が事前に上杉家中へ伝えていた事を踏まえて怒りをあらわにした。


「あの女狐、我らには上様の命は取らぬとほざいておきながら、いざ事が起これば何の躊躇(ちゅうちょ)もなく弑逆(しいぎゃく)するとは、言語道断であろう!!」


義父上(ちちうえ)!如何なさるので!?」


 顕長の言葉を受けた後に景勝が義父・輝虎に今後の進退を尋ねると、輝虎は黙したままスッと床几から立ち上がり、そのまま障子戸の方へ進んでそれを引き、そこから見える夜空の中に浮かぶ月をじっと見つめた。この輝虎の後姿を見た顕長は身体を尋ねた景勝の方を振り返り、そこで家臣団と共に喧々諤々の口論を繰り広げ始めた。


「…如何も何もありますまい。上様を殺した信隆などもはや味方ではない!」


「されど、それでは密約を交わしてまで共に挙兵した関東諸将に何と言い訳なさる!?」


「上様が亡くなられた以上、立て直すと決めた幕府は最早滅びたも同然!こうなってしまっては御輿(みこし)鎌倉公方(かまくらくぼう)を幕府の正統な後継者として奉じる他あるまい!」


「畏れながら、その儀は全国の諸大名の信任を得られぬかと!」


 この景勝や顕長、それに宗信らの口論を輝虎は満月を見つめている背中で聞いていた。やがて口論が長引きそうな雰囲気を流れの中で察した輝虎は、庄屋の外に見える満月の方を振り向きながら、一言で口論を止めさせた。


「もうよい。」


 輝虎のこの一言を聞いた庄屋の中の上杉家臣団は、まるで水を打ったように静まり返った。輝虎は口論を取り止めた家臣団らの方を振り向くと、しっかりとした足取りで自身の床几へと歩き、そのまま腰を下ろして座った後に一たび、目を閉じて(まぶた)の裏に将軍・義輝の顔を思い浮かべながら自身の偽らざる本心を語った。


「上様…こうして敵対こそしてしまったが、心の中では今でも将軍として一目置く御仁であり、そして友として呼ぶに相応しい御仁であった。」


「義父上…。」


 この輝虎の偽らざる本心こそが、敵対関係となってしまった義輝への好意を示す何よりの証拠であった。輝虎が信隆から献策された覚慶への将軍挿げ替え策を容認したのも、その一つとしてあったのは正に友誼関係であった義輝の身を惜しんだ故であった。しかし結果的には義輝は命を落とし、輝虎は閉じていた目を見開き、その浅はかな見通しを打ち砕かれた事に落胆しながらも、凶行に及んだ信隆の今後を見通すような発言を述べた。


「愚かな女よ。上様の命を奪っておきながら次の将軍職に覚慶を擁立したとて、京の民衆共や堂上公家(とうしょうくげ)が納得すまい。奴の目論見はそう遠くない内に打ち砕かれよう。」


「…もう、我らが信じる幕府は滅んだのですな。御実城(おみじょう)。」


 敵意を存分に込めた輝虎の言葉を聞き、耳を傾けていた宗信が輝虎に向けて言葉を返した。最早、義輝の死によって輝虎が固執した「室町幕府(むろまちばくふ)」は、この場にいる者達にすれば音を立てて崩れ去ったも同然であった。それは覚慶への将軍挿げ替えが義輝存命の上で成せるものだと考えていたからであり、幕権の長であった義輝の死は信隆が考えている以上の意味を彼らは持っていたのである。その凶行を行った信隆への怒りを増大させていた輝虎は、その場で真っ直ぐ前を見つめながら言葉を発した。


「最早信隆は味方に非ず。上様の命を取った大逆人である。景勝!」


「はっ。」


 輝虎は景勝の方を振り向いて呼び掛けると、返事を発した景勝に向けて即座に命令を発した。


「すぐさま富山(とやま)に軒猿を放ち、城内にいる信隆の家臣どもを討て。最早奴らは味方でも何でもない。良いな?」


「…ははっ。」


 金森可近(かなもりありちか)ら幕府軍の包囲を受けていた富山城には、信隆の命を受けていた丹羽隆秀(にわたかひで)堀秀政(ほりひでまさ)堀直政(ほりなおまさ)両名が在城していた。輝虎は信隆配下であるこれら家臣の粛清を景勝に命じた。この命こそ、輝虎が信隆との決別を表明した証でもあったのだ。とそこに、上杉家臣の神余親綱(かなまりちかつな)が血相を変えて駆け込んできて、輝虎に火急の要件を告げた。


「申し上げます!高秀高、従軍する諸大名の軍勢と共に進路を転進!京へ向けて驚異的な速度で西上しております!」


「何っ!?転進!?」


 この時になって、輝虎は自らの軍勢を破った秀高が(きびす)を返すように京へ転進した旨を初めて知った。同時にそれは輝虎にとって大きな意味を持たせる報告でもあった。信隆の傀儡である覚慶が将軍職に就いて大樹となる見込みは低く、秀高が京への転進を果せばそれに討ち果たされることは必定であり、同時に秀高が将軍・義輝の仇を討ったという事に繋がって天下人への道筋が開けると確信していた。輝虎は床几から立ち上がると真っ直ぐ見つめたまま拳を握り締めて言葉を発した。


「…高秀高。奴が天下人となるのか。口惜しい限りだ。」


「如何にも…我らも早急に軍勢や態勢を整え、秀高との再戦に期しましょうぞ!」


 秀高の転進を聞いていた顕長が、輝虎に天下人になるであろう秀高との再戦を進言すると、輝虎はその言葉を聞いて首を縦に振った。


「うむ…兎角我らはこのまま越後に帰還し、各重臣らの遺児への相続を行わねばならぬ。しばらく天下は秀高の為すがままになるであろうな。」


「はっ…左様ですな…。」


 輝虎の独白とも言うべき発言を聞き、養子の景勝は相槌を打ってその見通しを苦々しく思った。そして同時に輝虎同様、再戦の暁には秀高に目にもの見せてくれるとその闘志を胸中で燃やしたのである。この翌日以降、上杉軍は東国戦役(とうごくせんえき)の敗北を悟って信濃を経由して越後へと撤退。同時に鎌倉府(かまくらふ)傘下の軍勢も上野(こうずけ)諸将が駿河に留まるのを尻目に領国へと撤退していった。そして富山城へと放たれた軒猿は隆秀ら信隆配下の家臣抹殺を敢行したが、その時にはすでに隆秀らは富山城より姿を消していたのであった。





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